episode.161 再び、街へ
「母さん、今日はデスタンさんと少し買い物に行ってくるわ」
リゴールやデスタンとこれからのことについて話し合った夜が終わり、朝。食事の時間に、私は、エトーリアにそう告げた。エトーリアは今日も家から出ていくのだろうが、黙っていて後からばれたら厄介なので、念のため。
「買い物?」
エトーリアは白いパンをかじりながら、そんな風に繰り返す。
しかも、その面には、訝しんでいるような色が滲んでいた。
「えぇ。でもすぐ帰るわ」
「クレアへ行くのよね?」
かじったパンを咀嚼しながら、エトーリアは確認してくる。
「そうそう」
「分かったわ。でも……気をつけるのよ、エアリ」
彼女は少し心配そうな顔をするけれど、パンを咀嚼することは止めない。十数秒ほど経ってごくりと飲み込んだが、すぐさま続きを食べ始める。
「心配してくれてありがとう」
「当たり前のことじゃない。母は娘をいつだって心配するものだわ」
白いパンを千切る指は細い。また、その手の肌は、陶器人形のように滑らか。物を千切るというありふれた動作からさえ、上品さが漂う。
「馬車、使っていいわよ」
「ありがとう、母さん」
「デスタンさんにも『気をつけて』と伝えて」
「ありがとう」
いきなり外出なんて、エトーリアに言ったら「駄目」と言われてしまいそうで、不安だった。けれども、彼女はそんなことは言わなかった。それどころか、快く送り出す言葉をかけてくれたくらい。念のため伝えておくことにして良かった、と、私はそう思った。
朝食を済ませた私は、部屋にあった桜色のワンピースを着て、デスタンのもとへ向かう。
——ちなみに。
桜色のワンピースは偶々一番に目についたものであって、いくつかの中から選んだというわけではない。
つまり、適当に着た、という表現が相応しいのである。
いつもの黒のワンピースでも良かったのだが、たまには違う服を着ても楽しいかなと思い、黒でないものを着てみた。
もちろん、ペンダントは忘れていない。
「デスタンさん! 買い物、行きましょ!」
彼の部屋に入る。
するとそこには、ミセもいた。
「あーら。何の話かしらぁ?」
先に言葉を返してきたのはミセ。
……凝視されている。
しまった。いくらそういう話になっているからといって、ミセがいる時間に部屋に突撃していくべきではなかった。こんなことをしたら、ミセに嫌われることが確定してしまうではないか。
だが、当のデスタンはちっとも狼狽えない。
「あぁ。行くのですか」
ベッドに腰掛けていたデスタンはすっと立ち上がると、くるりと体をミセの方へ向け、静かに述べる。
「少し買い物に行ってきますね」
「買い物!? アタシとじゃなく、エアリとなのぉ!?」
「はい。ミセさんと行くべきではない内容の買い物なので」
「アタシと行くべきではない内容!? どういう意味よぅ!?」
ミセはデスタンを見上げながら、眉を吊り上げ、鋭く言葉を発する。顔だけでなく、全身から、怒りのオーラが溢れ出している。
……これはまずい。
そう思っていたら、デスタンは本当のことを言い出す。
「武器を買いに行ってきますので」
デスタンが言う「武器を買いに行く」ということは事実。私とデスタンの外出は、ミセが思っているような外出ではない。遊びではなく、用事だ。
だが、「武器を」なんて本当のことをさらりと言ってしまって、大丈夫なのだろうか。
ミセはデスタンを悪く言ったり思ったりはしない人だ。だからその点では安心である。それに、ミセはこれまで長い間私たちと交流があったから、私たちに特別な事情があるということは察しているはず。
でも、それでも、ミセは地上界の人間。
普通の女性だ。
その人に向かって武器の話など、問題はないのだろうか。
「え。ぶ、武器?」
「はい。ですから、ミセさんにはあまり関係がないかと」
「そ、それはそうねぇー……」
やはり、ミセは少々戸惑っている様子だ。
無理もない。
いきなり「武器」なんて言葉が出てきたら、戸惑わずにいられるわけがない。
「でーもっ、駄目! デスタンはアタシのデスタンなんだから、他の女と二人で出掛けるなんて、ぜぇーったいに駄目! エアリでも、駄目よ!」
分からないではないが……厳しい。
「……そうですか。分かりました」
「いいわねぇ? 今後もよ?」
「はい。では、ミセさんも同行して下さい」
五秒ほど間を空けて、ミセは低い声で「えっ」と漏らした。
「エアリ・フィールド。それでも構いませんね」
「私はいいけど……ミセさんもそれでいいの?」
「二人は駄目とのことなので、三人にしましょう。それなら問題はないはずです」
昨日約束した時にはミセのことをすっかり忘れていた。だから二人で行くような感じに捉えてしまっていたけれど、よく考えたら、デスタンと出掛けるのにミセがついてこないわけがない。
つまり、三人になって普通。
むしろ、デスタンとミセの二人で出掛けるでも良いくらい。
私とデスタン二人での外出なんて、ミセからしたらあり得ない話だろう。
「構いませんね? ミセさん」
「そうねぇ……まぁ、エアリだし、三人なら許してあげてもいいわよぉ」
「ありがとうございます。では支度を」
「うふふ! アタシが手伝ってあげるぅー」
二人は相変わらずのべったりぶりだ。
いや、厳密には「ミセがデスタンにべったり」なのだが。
それから私は、デスタンの準備が終わるのを、扉の外で待った。
ミセが手伝っているから、そんなに時間はかからないだろう。そう考えていたのだが、デスタンの支度は案外長くて。待っている間、幾度か眠気に飲み込まれそうになった。
寝不足ではないはず。
ただ、特に何をするでもない時間というのは、つい眠くなってしまうもので。
眠気から逃れるために、私は、今日の買い物の内容を思い返してみておくことにした。
まずはペン。
……と言っても、ただのペンではない。
リゴールが戦闘に使う、そのためのペン。だから、攻撃に使えそうなものでなくてはならない。文字が書ければ何でも、というわけにはいかないのだ。むしろ、書き心地は重視しない。
そして、次に剣。
これは私が使うための剣だ。
ペンダントの剣が使えない状況下で戦わなくてはならない時に使用するもの。そのため、最高級までは求めないが、ある程度の質は要りそうである。
——今日の買い物について復習していると。
「お待たせしました」
部屋からデスタンが出てきた。
微かに藤色がかったシャツに、紫と青の間ぐらいの暗い色みのベスト。髪もきちんと一つにまとめ、パリッと決まっている。