episode.159 三人揃って
シンプルな軌道を描くように振った剣先が、カマーラの身を斬る。
赤いものが舞い散るけれど、それにはもう慣れた。慣れとは恐ろしいと思いはするが、戦う時に感情を乱さずに済むのはありがたい。
「斬ラルェルナン……テッ……」
カマーラは掠れた声を発しながら、その場に崩れ落ちる。
しかし、一撃で仕留めることはできなかった。
倒れたカマーラだが、まだ意識はあり、私が斬ったところを手で押さえながらゆっくりと立ち上がる。
「ヨ、良クモッ……!」
カマーラは必死の形相でこちらを見てくる。
それまでは少しコミカルな雰囲気の顔つきだったが、今は鬼のような顔をしている。
「ヒ、ヒゲダケト思ッテンジャネェーワヨ!」
地鳴りのような低い声を発し、片手を体の後ろへ回すカマーラ。そうして取り出してきたのは、小型のナイフ。チャキンという鋭い音と共に、十センチほどの刃が飛び出す。
ナイフを手に、駆け出すカマーラ。
その視線の先にいるのは、私ではなくリゴールだった。
「……こちらですか!」
リゴールは咄嗟に警戒体勢を取り、魔法を放った。が、魔法はカマーラには当たらない。壁に吸収されてしまうのだ。
「魔法は駄目よ! リゴール!」
「あ」
私が叫んだことでカマーラには魔法が効かないことを思い出したのか、リゴールは、しまった、というような顔をする。
「テリャア!!」
距離を詰めたカマーラが、ナイフを握った手を振る。
「くっ」
防御のため反射的に出したリゴールの腕を、カマーラのナイフが傷つける。
傷を受けたのは、恐らく、二の腕辺りだろう。ただ、袖もあるため、それほど深い傷ではなさそうだ。
「ナンダカーンダイッテ……ターゲットハ……王子様ナノヨネェー!」
「わたくし狙いなのは知っています」
「素早ク仕留ムェルワァ!」
「簡単には殺られません」
至近距離で向かい合う二人。
私はただ、見つめることしかできない。
リゴールは魔法を使えない状態。相手は刃物を持っている。できれば援護したいところだが、今から走っても多分間に合わない。
「終ワリヨォーッ!」
「……参ります」
リゴールは、ぎりぎりのところで素早く一歩下がり、空振りを誘う。
そしてそこから——勢いよく本を振り下ろした。
「ナッ、ナンデッ……!?」
ばしぃっ、という音がして、カマーラはその場にへたり込む。膝を伸ばしていることも、体を縦にしていることも、できない状態のよう。斬撃による傷のダメージも合わさってか、彼は既に限界に達しているようだった。
それから数十秒。
床に倒れたカマーラの体は、塵と化した。
暫しの沈黙、その後。
「王子!」
デスタンが一番に声を発した。
彼は椅子から立ち上がると、リゴールに歩み寄っていく。
歩く速度はあまり速くない。ただ、足取りはだいぶしっかりしてきているように感じる。
「デスタン。……支えなしで歩いて平気なのですか?」
リゴールはデスタンを気遣う。
「そうではありません。王子、なんという無理を」
「え?」
「今のような無茶な戦闘、もう行ってはなりません」
どうやら、デスタンの方もリゴールのことを気遣っていたようだ。
鏡に映したかのような、よく似た二人である。
デスタンはリゴールの片腕を掴み、きょとんとしているリゴールを余所に、その袖を捲る。そうして露わになったリゴールの腕には、赤く滲んだ切り傷に加え、叩かれたような腫れもあった。
「すぐに手当てします。が、今後はこのようなことがないようにして下さい」
デスタンは淡々と述べる。
それに対し、リゴールは静かに言い返す。
「……それは無理です」
「王子?」
「怪我を恐れているようでは、真の意味で強くはなれません。ですから、わたくしは決めたのです。怪我など恐れはしないと」
落ち着いた調子で返すリゴールを見て、デスタンは驚きと戸惑いが混じったような表情を浮かべる。だがそれは束の間で。すぐに無表情に戻り、そっと口を開く。
「変わられましたね」
デスタンの物言いは、親のようだった。
「……そんなことないですよ」
「いえ。変わられました。私が知らないうちに……貴方はとても逞しくなった」
その言葉を聞いたリゴールは、顔に戸惑いの色を滲ませながら、自分の腕や体を見回す。
「……そうでしょうか?わたくし、逞しくなってなどいないように思うのですが……」
「そっちの『逞しく』ではありません」
「え? そ、そうなのですか? デスタンの言うことはわたくしにはよく分かりません……」
どことなく呑気なリゴールを見て、デスタンは呆れたように漏らす。
「もう結構です」
それからは少し忙しくなってしまった。
というのも、この一件によって、しなければならないことが一気に増えたのである。
リゴールの手当てはもちろんだが、床掃除や、赤いものがついてしまった衣服の洗濯もしなければならなくなり。バッサやミセが手伝ってくれたため比較的スムーズに進みはしたが、それでも結構な時間がかかった。
その日の晩。
私はリゴールに会おうと思い立ち彼の部屋へ行った。
だが、そこに彼はおらず。
次に可能性のありそうなデスタンの部屋へ行ってみたところ、リゴールの姿を見ることができた。
「リゴール。ちょっといい?」
幸い、扉に鍵はかかっておらず。そのため、勝手に開けることができた。
「……あ! エアリ!」
デスタンとベッドのところで何か話している様子だったリゴールだが、私に気づくや否や、てててと駆け寄ってくる。
「どうしました? エアリ」
「たいした用事じゃないんだけど……」
「構いませんよ! 何でも言って下さい!」
リゴールは自ら私の手を掴むと、ベッドの方に向かって歩き出す。引っ張られる形になり、私もベッドの方へ向かう羽目になってしまった。
「もし良ければ、こちらへどうぞ!」
「え、えぇ……?」
無邪気なリゴールはまだ良いが、真顔なデスタンの心が気になって仕方がない。彼は何を考えているのだろう、と、ついつい思考してしまう。
「さ、座って下さい!」
リゴールはベッドに座るよう促してきた。
これがリゴールの部屋のベッドなのなら何の問題もないが、デスタンの部屋のベッドだからすぐには座れない。
「これ……デスタンさんのベッドよ?」
「構いません! デスタンは、わたくしが言ったことで怒ったりはしません!」
何だろう、その根拠のない自信は。
「ですよね? デスタン!」
「ベッドくらいなら構いません。王子のお好きなように」
「ほら! デスタンもこう言っていますから!」
「そ、そう……。なら座らせてもらうわ」
デスタンのベッドに腰掛けるというのは少々違和感があるが、ひとまず座らせてもらうことにした。
直後、リゴールは隣に座ってくる。
「お邪魔致します」
「狭いわよ?」
「では、わたくしは細くなっておきますね」
こうして、デスタンの部屋に揃った私たちは、それから色々な話をした。




