episode.154 地獄へ
木で造られた、小屋のような建物。
その玄関の前にドリはいる。
長い髪を風になびかせながら、扉をじっと見つめて立っている。
建物の周囲は木々が生えているが、人の気配はまったくと言っていいほどにない。その辺りにいるのは、ドリ、彼女一人だけ。
「……よし」
やがて彼女は、一言、決意を固めたように呟く。
そして、木でできた扉をノックする。
——待つことしばらく。
扉がゆっくりと開き、隙間からウェスタの顔が覗いた。
「何か」
ドリの顔を見たウェスタは、静かな声でそう尋ねた。
ウェスタは警戒心を露わにしながらドリを見る。しかしドリは、動揺を何とか抑えて、笑みを浮かべる。
「あの……少し構わないでしょうか?」
ドリは控えめに発する。
しかしウェスタは怪訝な顔を止めない。
「何者?」
「え、えっと……その、実は……ここから少し離れた村に住む者です」
ドリは答えを何とか絞り出す。
「そう。それで、何か用」
「実はその……少し、お力をお借りしたいのです」
胸の前で両手の手のひらを合わせ、気が弱い娘のように振る舞うドリ。
「悪いけど、力を貸す気はない」
「そこを何とか! お願いします……!」
ドリは懸命に頼む。頭を下げることさえ躊躇しない。
——数十秒後。
必死なドリを見て心を動かされたのか、ウェスタは扉をさらに空け、一歩建物の外に出る。
「……分かった」
紅のワンピースを着たウェスタは、外へ出ると、すぐに扉に鍵をかける。
それから、改めてドリの方へ視線を向けた。
「ただし、すぐに済ませて」
「は、はい……! ありがとうございます!」
ウェスタは警戒心が薄い方ではない。
そのため、まだ完全に警戒することを止めてはいない。
「では、こちらへ……!」
「分かった」
ドリとて馬鹿ではないから、かなり警戒されているということには気がついている。それでもドリは、行動を止めない。
というのも、それが自身の役目だからだ。
彼女は真面目。だから、厳しい状態であってもすぐに投げ出したりはしない。
それからしばらく歩いても、村は訪れない。それどころか、歩けば歩くほど木々が増えてくる。
「これは一体……どういうこと」
不自然さを感じたウェスタは、険しい顔つきになりながら、前を行くドリに問う。しかしドリは何も返さない。ドリは、ただ前だけを見つめて、淡々とした足取りで歩いていく。
「一旦止まって。問いに答えて」
「…………」
返事がないことをおかしく思ったウェスタは、ついに、前を行くドリの片手首を掴む。
ようやく振り返るドリ。
「問いには答えて」
ウェスタに冷ややかに言われ、ドリは戸惑ったような顔をする。
「えっと……あの、なぜ怒っていらっしゃるのでしょうか……?」
「いいから、問いに答えて」
「は、はい。もちろんです。それで、問いとは……?」
動作は小さく、言葉選びは丁寧。ドリはまだ、控えめな娘を演じ続けている。今のドリを見てブラックスターの手の者と気づく者は少ないだろう。
「村に向かっている?」
「いえ、今は……」
言いながら、ドリは片手を背中側へ回す。そして、そこで小さく、指をぱちんと鳴らした。誰にも聞こえないくらいの微かな音。
「地獄へ」
——刹那、東の方向から矢が迫る。
ウェスタの右腕、二の腕の辺りに、矢が掠る。
「……っ!」
迫る矢の気配に素早く気づいたウェスタは、即座に移動した。だから刺さりはしなかった。だが、避けきることはできず、掠る程度の命中という結果になった。
「敵……?」
「直接的な恨みはありません」
ウェスタが矢を受け動揺している隙に、ドリは右腕を横へ伸ばす。すると、その手のひらの辺りに、一本の槍が現れた。ドリはその槍を握り、構える。
「けれど、任務なので」
「……ブラックスターか」
上体の位置を微かに下げ、戦闘体勢に入るウェスタ。
「そうです。我々は、裏切り者を許しません」
「いずれこうなるとは思っていた……」
「分かっていながら裏切るとは、良い度胸です」
ドリは槍を手に仕掛ける。しかし、ウェスタの瞳はドリの動きをしっかりと捉えていて。そんな状態だから、ドリの攻撃が上手く決まることはなかった。
だがそれでもドリは諦めず、攻めの姿勢を保っている。
対するウェスタは、手足による物理攻撃と炎の術を使い分けて戦う。
「さすがにやりますね」
ドリはウェスタの強さを認めているが、だからといって攻撃の手を緩めたりはしない。
「……去れ」
「それはできません」
二人が交戦するその場所に、時折矢が飛んでくる。
ラルクの援護だ。
コントロールは完璧。一切隙のない矢で。
だからこそ、敵味方が共にいる場所に向けてでも、躊躇することなく矢を放てるのだろう。
「ここで仕留めます」
自身に言い聞かせるようにそう述べた瞬間、ドリの目の色は変わった。そこから、彼女の動き方は大きく変貌する。速く正確な攻撃を繰り出すようになった。
「くっ……」
ウェスタは顔をしかめる。
これまでは完全に互角の戦いだったが、ドリが真の力を発揮し始めたことによって、戦いは「ドリに有利」に動き始めた。
それに気づかないウェスタではない。
だからこそ、ウェスタはまともに戦うことを放棄した——つまり、逃げる方向に変えたのである。
「逃がしません!」
けれど、今は、逃げることさえ厳しいような状況で。
「はぁっ!」
ドリが突き出した槍の先端が、ウェスタの脇腹に命中した。
「あっ……」
脇腹を槍に抉られたウェスタは、掠れた声を漏らし、その場に倒れ込む。立ち上がることはできず、しかし、首から上だけを持ち上げてドリを懸命に睨む。
そんなウェスタを蹴り倒し、仰向けに倒れ込んだ彼女の胸に向かって槍を下ろすドリ。
ウェスタは力を絞り出し、槍を蹴り飛ばす。
それで何とか命拾いした。
しかし、立ち上がることができない。
「もう終わりです」
「く……」
ドリに見下ろされているウェスタの顔に諦めの色が滲んだ、刹那。
「おりゃぁあぁあぁーっ!!」
突如、大声が響く。
そして数秒後。
ドリは後方に飛ばされた。
ウェスタを護るように立っていたのは、グラネイト。
「グラネイト……」
何の前触れもなく現れたグラネイトを目にし、ウェスタは愕然としている。
「無理をするな! ウェスタ!」
「……すまない」
「分かればいい! 安心しろ、後はこのグラネイト様がぶちのめしてやる!」
百合の柄の奇抜なシャツを着用したグラネイトは、戦う気に満ちた顔をしている。
「だからウェスタは、生きることだけを考えろ。いいな?」
「……分かった」
「間違っても死ぬなよ!? ウェスタが死んだら、グラネイト様も追って死ぬぞ!?」
「……重い」
 




