episode.151 ふくよかな
ふくよかな男性は、一見、とても温厚そうだ。しかし、素手で口元を押さえてくる辺りから考えると、温厚な善人というわけではないのかもしれない。
「は……離してっ……」
口元を手で押さえられるという異常事態。そこから何とか逃れようと、私は、勇気を振り絞り言ってみた。
だが、それは無意味で。
「黙っていて下さいー」
ただそう言われただけで終わるという、悲しい結末を迎えることとなってしまった。
「一つ尋ねて良いですかぁー」
「な、何をっ……」
「リゴール王子という者は今ここにいますぅー?」
その問いに、唾を飲み込む。
リゴールはこの屋敷にいる。だが、それをここで明かして大丈夫なのだろうか。
……いや、恐らく明かすべきではないだろう。
もしここで私が「リゴールはいる」と言ったなら、男性は、リゴールのところを目指すのだろう。そして、リゴールに何かしらの危害を加えるに違いない。
「……さぁね」
そんなことはさせられない。
リゴールを狙いそうな者には、最大の警戒を。
「それは、いるということですかぁー?」
「どう思う……?」
「個人的には、いると思いますよぉー。いないのなら、いないとはっきり言えるはずですからねぇー」
いる、と明言はしないでおいたが、男性は勝手に、「リゴールはいる」と確信していた。
単なる勝手な確信なのかもしれないが、もしかしたら、私の言動からそれを読み取れたのかもしれない。
いずれにせよ、こんなことを続けるわけにはいかない。
なんとかここを抜け出し、手を打たなくては。
「それもそうね……けど、考えさせるために敢えてそう見せているということも、あるのではないかしら……?」
とにかく時間を稼ぐ。
話題は何でも良い。男性の気を逸らせそうなことなら、内容は問わない。
そして、考えなくては。
どうやって切り抜けるかを。
——その時。
私の背中の方、つまり屋敷の中側から、光が飛んできた。
眩い光は、目にも留まらぬ速さで宙を駆け、私の口を塞いでいるふくよかな男性の肩に命中する。
「んんっ!?」
男性はやや情けない声を発しながら、私の口から手を離す。その隙に動く。取り敢えず距離を取ろうと、私は後方へ数歩移動。ようやく、男性から逃れることができた。
「エアリに近づかないで下さい!」
ふくよかな男性から離れるや否や、聞き慣れた声が耳に飛び込んできた。
——それは、リゴールの声。
私は驚き、すぐさま振り向く。するとそこには、リゴールが本を片手に立っていた。それも、かなり険しい表情で。
「話は聞きました。貴方が会いたいのは、わたくしなのですね」
よりによって、このタイミングでリゴールが。
「リゴール王子ですかぁー?」
「そうです」
リゴールは迷いなく正体を明かし、私の方へ真っ直ぐに歩いてくる。
そして、私の少し前で、その足を止めた。
「用があるのなら、わたくしに言って下さい」
背はあまり高くなく、体つきは華奢。一歩誤れば少女と思われそうなほどに、繊細な腕や脚をしているリゴール。
けれども、凛としている彼には風格がある。
「そうですねぇー。ではではぁー……」
男性は片手で、頭に乗っかったピンクの帽子を整える。
——そして。
「早速殺らせていただきますぅー!」
男性は、大きな声で発し、指をパチンと鳴らす。
その瞬間。
ふくよかな彼の前方すぐ近くに、謎の生物が二体現れた。
人に似た二足歩行ながら、腰からは蜥蜴の尾のようなものが豪快に垂れ下がっている。また、肌の色は全体的に赤紫寄りの色みで、人間とは似ていない。キキキ、と鳴くその声が、必要以上に恐怖を掻き立ててくる。
「な、何あれ……」
不気味な敵の登場に、動揺を隠せない。
そんな私に気づいてか、リゴールは首から上だけで振り返り、声をかけてくる。
「下がっていて構いませんよ、エアリ」
そう言って微笑みかけてくれるリゴールを目にしたら、激しく揺れていた心が徐々に落ち着いてきた。
「リゴール王子を仕留めるのですぅー!」
ふくよかな男性は妙に甲高い声を発した。
途端に動き出す、二体の謎の生物。
「来るわよ!」
「大丈夫です!」
本を持った右手を肩から後ろへ引き、左手を前へ伸ばす。
湧き上がる、黄金の光。
向かってくる生物らに向かって、輝きは飛んでゆく。
光の魔法の直撃を受けた蜥蜴のような生物たちは、しばらく狼狽え、しかしすぐに動き出す。
「行くのですぅー!」
ふくよかな男性は叫ぶ。
リゴールは勇ましく返す。
「そう易々と負けはしません!」
今のリゴールは戦士だった。
いや、もちろん、リゴールは今日もリゴールなわけで。線の細い少年であることに変わりはないのだけれど。
ただ、それでも今は、リゴールが勇ましく思える。
鋭い目つき。声の張り。
それらによる勇ましさなのだろう、恐らくは。
「行くのですぅー!」
リゴールを指差す、ふくよかな男性。
二体は同時に動き出す。
目標はリゴール。
不気味な生物が迫るが、リゴールは怯まない。
「……参ります!」
迫る敵は魔法で吹き飛ばし蹴散らす。
ある意味、凄く痛快な光景と言えるだろう。
小柄な少年が大きな体をした敵を撥ね除け続けているのだから、表現が相応しくないかもしれないが……華やか、と言っても過言ではないくらいだ。
「ふぅ。片付きました」
蜥蜴のような尾を持つ二体を、リゴールはあっという間に沈めた。
「ぬぁ、ぬぁーあにぃーッ!?」
「さぁ。退いて下さい」
「退くわけにはいきますぇーん!」
男性は、股を大きく開き、腰の位置を下げる。さらに、二本の足の膝にそれぞれ手を添える。その体勢で、男性は五秒ほどじっと停止。何をしているのだろう、と思っていると、急に両手を頭の上へ掲げ、一回拍手。パァン、と乾いた音を鳴らす。
——刹那。
男性を取り囲むようにして、またもや謎の生物が現れる。
だが、今度の生物は先ほどの生物とはまた違った種類だ。
背筋はすらりと伸びていて両腕が桜色の翼のようになっている、そんな不思議な生物が六体ほど。
「ふぁふぁふぁふぁ! ふぇふぇふぇふぇ! 行くのですぅー!」
肥満気味の男性は、謎の生物たちに指示を出す。
すると、生物たちは、一斉にこちらへ向かってきた。




