episode.150 優雅な朝から
その夜、私は夢をみた。
恐ろしい夢を。
それは、すべてが破滅に向かうところを見ていることしかできないという、不甲斐なさを感じさせる内容で。
何と言えば良いのか、はっきりとは分からない。
だが、とにかく恐怖を抱かずにはいられない夢だった。
目の前で大切な人の命が失われる——なんて禍々しい夢なのだろう。
何もできず大切な人を奪われるくらいなら、私が襲われる方がずっとまし。私が傷つく方がまだしも良い。
大切な人のために何もできず。
大切な人の命を護る力はなく。
——なんて情けない。
……。
…………。
そして、気がつけば朝。
窓の外が明るくなり始めたくらいの時刻だった。
直前まで見ていた恐怖を「夢か」と思いつつ、上半身を起こし、縦にする。そして、もう一度眠るかどうか迷う。しかし、二度も起きるのは憂鬱なので、もうここで起きることに決めた。
それから私は伸びをして、掛け布団を捲り、ベッドの外へ出る。
心地よい朝だ。
ただ、嫌な夢をみていなければ、もっと心地よい朝だっただろう。
私は寝巻きから家着へ服を着替え、部屋から出る。
今日もまた良いことがあればいいな、などと少し考えつつ。
私が食堂に着いた時、バッサとエトーリアは既にそこにいた。
エトーリアは薄い水色のワンピースをゆるりと着こなしながら、椅子に腰掛けて、何やら本を読んでいる。
バッサはいつも通りの仕事着をまとい、さくさく歩いている。朝食の準備をしてくれているのだろう。
また、バッサより少し若い手伝いの女性がいて、彼女もバッサと同じように行き来していた。
「おはよう、母さん」
茶色いブックカバーの本を読んでいるエトーリアに声をかける。すると彼女は顔を上げ、微笑んで、嫌そうな顔はせず「おはよう」と返してくれた。
それから私は、食堂内の椅子にそっと座る。
エトーリアは読書中のようなので、彼女からは少し離れた席を選んでおいた。読書を邪魔しては悪いからだ。
「エアリお嬢様。おはようございます」
「バッサ。おはよう」
「飲み物はどうなさいます?」
「特に希望はないわ」
「分かりました。では、何かさっぱりしたものをお持ちします」
退屈なほどに穏やかな朝。
静かで、心休まる、素敵な空間。
賑やかさはないけれど、ゆっくりと時間を過ごせる優雅さはある。私はそれが案外嫌いでない。
「ねぇエアリ」
バッサが飲み物を持ってきてくれるまでの間、話し相手もいないから一人ぼんやりしていると、それまで本を読んでいたエトーリアが話しかけてきた。
「え。何?」
「その胸のペンダント、綺麗ね」
言われて、私は自分の胸元を見下ろす。
そこにあるのは、リゴールがホワイトスターから持ってきた、星のデザインのペンダント。
「ホワイトスターのものよね?」
「そ、そうだと思うけど……」
「素敵ね。美しいわ。リゴール王子から貰ったの?」
「そうなの」
剣にもなるし便利なの、とまでは言わないでおいた。
「大切にしているのね」
エトーリアはそんなことを言う。
発言の意味が分からず、私は少し戸惑った。けれど、本当のことを言ってはならないということはないだろうから、「そうなの」とだけ発して頷いておいた。
それから少しして、バッサが飲み物を持ってきてくれる。
黄色い液体のアイスハーブティー。
「ありがとう、バッサ」
「いえいえ」
アイスハーブティーを飲み始めて数分が経過した頃。
食堂に、屋敷で働く女性が一人、駆け込んできた。
ちなみに。
駆け込んできたと言っても、それほど慌てている様子ではない。
「エアリさんはいらっしゃいますか?」
女性は食堂へ入ってくるや否や、そんなことを言う。
いきなり私の名前が出てきたことに驚きつつも、私は「はい」と述べ、椅子から立ち上がる。
「何かあったの?」
「はい。実は、エアリさんにお客様が」
「お客……様?」
誰かが訪ねてくること自体そう多くはないというに、私に用のある客人なんてより一層珍しい。私に用があって訪ねてくるということは、ウェスタかグラネイト辺りだろうが、こんな朝からというのは少々意外である。
「はい。話があるとのことです」
話とは?
もしかして、またブラックスターが攻めてきたという知らせ?
色々疑問が浮かんできて頭の中がいっぱいになる。
「分かったわ。行くわ」
「玄関で待っていただいていますので」
「行ってみるわね」
できるなら、何でもない用事であってほしい。襲撃のような物騒な話題ではないことを祈る。祈ることに意味があるのかは分からないが、それでも祈らずにはいられない。
私は一人玄関へ向かう。
どうか平和的な話でありますように、と、祈りつつ。
「いやぁーすみませんねぇー」
「は、はぁ……」
玄関で私を待っていたのは、ウェスタでもグラネイトでもなかった。トランでさえなかった。
「いきなりお邪魔して申し訳ありませんねぇー」
「い、いえ」
のんびりとした口調で話す男性。
彼のことを、私は知らない。
やや灰色がかった緑の頭に、笠部分だけになったキノコのようなピンクの帽子。顔や首回り、そして体全体に、結構な肉がついていてふくよか。また、トップスは渋めの赤紫、ズボンは小豆風、ブーツは髪を薄めたような色、と、妙な色遣いのファッションである。
「えっと……それで、私に何か用なのでしょうか?」
まったくもって見覚えがない。
いつかどこかで会っていたのか、それすらも、私には分からない。
「実はですねぇーこちらの家にですねぇー用がありましてねぇー」
いちいち語尾を伸ばす喋り方が奇妙だ。
また、笑顔も不気味である。
「少し失礼しますよぉー」
ふくよかな男性は、私を押し退けるようにして、屋敷の中へと入ってくる。まるで、自分の家だと主張しているかのように。
普通、大人がこんなことをすることはないだろう。
他人の家に無理矢理入ろうとするなんて、怪しいとしか言い様がない。
「あの、少し待って下さい」
「何ですかぁー」
「勝手に入ってこないで下さい。まずは用件を——」
言いかけて、言葉を止める。
「っ……!」
いや、自分の意思で止めたのではない。
どちらかというと「止められた」の方が相応しいと言えよう。
男性が手のひらで私の口を塞いだ。だから私は、続きを発することができなくなってしまったのだ。唇が動かぬほどの力で口を押さえられているというわけではないが、それでも、何も言えなくなってしまった。
ただ一つ確実なのは、目の前の男性がただの訪問者ではないということ。




