episode.141 一撃は突然に
トランの走りは直線的。
上下左右、まったくぶれがない。
真っ直ぐに駆けてこられるということは、接近するまでの時間が長くないということで。しかしながら、剣で捉えやすい動きとも言える。
ここまで来たら、やるしかない。
リゴールにこれ以上負担をかけないためにも、一撃で動けなくしてみせる。
集中が高まるに連れ、時の流れが遅くなる。視界に入るすべての動作が、直前までよりゆっくりに。
そして——剣を振る!
ちょうど、その瞬間だった。
私の剣を避けるかのように、トランの体が宙へ舞い上がる。
「ごめんねー」
彼は、一度だけ私の肩にぽんと手をつき、そのまま空中へ飛び上がった。
動けなくするどころか、逆に、彼が飛び上がるための台にされてしまった……。
上から迫るトラン。
その姿を、リゴールの瞳は確かに捉えている。
急降下してきたトランに向かって、短剣を振るリゴール。しかし、リゴールは短剣の扱いに慣れていないらしく、ぎこちない動作になってしまっていて。降下してきたトランは短剣を蹴り飛ばし、そのままリゴールを床へ押さえ込んだ。
その間、たったの五秒程度である。
「王妃様を殺したって、本当?」
トランはリゴールに馬乗りになりながら尋ねた。
「……そうです」
「ふふふ。弱そうな外見のわりにはやるんだねー」
「わたくしとしては戦うことを望んではいませんでしたが……やむを得ませんでした」
リゴールが述べて、暫し沈黙。
それから数十秒ほどが経過して、トランは小さな声を発する。
「そっか、面白いね。人を殺すってどんな気持ちー?」
「……聞かないで下さい」
「嫌だよー。聞かないでって言われたら余計に聞きたくなるのが、ボクなんだ」
今は会話しているだけだからまだ良いけれど、いずれトランはリゴールを攻撃するだろう。今のままの体勢で攻撃されたら、リゴールもさすがに勝てないかもしれない。
だから私は、そちらへ向かった。
黙って近づき、トランの背をターゲットとして剣を振る。
——だが。
「甘いよ」
トランは私の剣に気づいていた。
彼は体勢を変えないまま、片足で私の剣を蹴る。
柄をしっかり握っていたから、剣が手をすり抜けることはなかった。が、衝撃が大きく、すぐにさらなる斬撃を繰り出すことはできない。
トランはリゴールの細い首を片手で掴む。
「そんなことをするなら、ボクはこの王子の息を止めちゃうよ? いいのかなぁ?」
リゴールは目を見開き、戸惑いと一匙の恐れが混じったような顔をする。
「卑怯よ! 離してちょうだい!」
「よく言うよね。背後からとかいう卑怯な真似をしておいてさ」
「私を卑怯と言うのなら、私に卑怯なことをやり返せばいいでしょ!」
私のせいでリゴールの命が脅かされるなんてこと、あってたまるか。
「……そんなこと言うんだ?」
「そうよ。私に腹が立っているなら、私にやり返せば良いのよ。その方が正しいわ」
トランに卑怯な手を使われることに対して恐れがないと言えば、嘘になる。
でも、私が何かされることとリゴールが命を奪われることを天秤にかけたなら、私は、後者の方がずっと嫌だ。
私の行動によってリゴールに迷惑をかけるなんてこと、あってはいけない。
「その気なら来なさい。相手してあげるから」
誰の発言!? と自分でも思ってしまうような文章を発してしまった。思考するより早く、言葉が、するりと口から出てしまったのだ。つまり、じっくり考えての発言ではない。
「ふぅん。そんなこと言うんだ」
言うつもりはなかったの。本当は、ね。
でも今さら引くことはできない。
「相手してあげるわ」
「……随分強気だね?」
「そうよ。だって、勝つ気満々だもの」
もちろん嘘。
トランが相手だ、簡単に勝てるなんてちっとも思っていない。
私とて、そこまで愚かではない。
強気な発言を継続している理由は二つ。一つは、一旦強気なことを言ってしまって今さら引けない状況だから。そしてもう一つは、やり合うとなった以上心で負けるわけにはいかないから。
私は改めて、腹の前で剣を構える。
「準備はいいわよ」
「本気で言っているのかな?」
「そうよ」
「……そっか。覚悟はできているみたいだね」
呟き、トランはようやくリゴールから離れた。
彼はついに体をこちらへ向ける。
その虚ろな瞳には、私の姿が映り込んでいて。彼が私を見ているのだと分かった瞬間、急激に緊張感が高まる。
「じゃあ、いかせてもらおうかな」
トランはどうやらやる気になってきたようだ。
そんな彼の後ろから「いけません!」というリゴールの声が聞こえたけれど、私はそれには応えられなかった。
戦いを前にして、言葉を返すほど心に余裕がなかったのだ。
——瞬間、トランが大きな一歩で急接近。
想定外の速さ。見えない。
仕方がないから、私は、思いきり剣を振る。
「……適当に振ったね?」
トランには完全にばれていた。
彼は、宙に弧を描く剣をあっさりかわすと、豪快にジャンプ。しかし、私に攻撃を浴びせることはなく、私から二メートルほど離れた場所へ着地する。そして、落ちていた短剣を拾った。
「そっちが狙い!?」
「ふふふ。気づくのが遅いよー」
私に攻撃しようと迫ってきているのだと思い込んでしまっていたが、それは間違いだった。
「さぁ、行くよー」
短剣を手にしたトランは、体の前方に向かってそれを振り続けながら、徐々に距離を詰めてくる。
ゆっくりとした足取り。
しかし、妙な圧がある。
本当なら下がって攻撃を受けないようにしたいところ。でも、今はそれではいけないと思った。のんびりしている暇はないから。
だから、踏み込む。
刹那、ほんの一瞬、リョウカの笑みが脳裏に浮かんだ。
大丈夫だよ、って。
エアリならできる、って。
そう言ってくれている彼女が傍にいる——そんな気がして。
「ごめんなさい、躊躇できなくて」
私は呟く。
誰に対しての言葉かも分からぬまま。
そして、剣を振る。
「っ……!」
息がこぼれるような音が微かに聞こえた気がした。
数秒経って、振り返る。
「ふふ、ふ……普通に斬られた、かぁ……」
剣の刃部分は赤く染まっていて、それと同じように、トランの体の側面——肋骨の高さ辺りも赤くなっていた。
「お願い、じっとしていて」
剣の柄の下側でトランの頭部を殴る。
すると、彼は意識を失ったのか、数秒もかからぬうちに脱力して倒れる。
その体を、私は受け止めた。
トランは動かない。
ただ、傷口から赤いものが流れ出すのは、まだ止まっていない。




