episode.13 白き夢の園
その晩、私はリゴールを泊めることにした。
とはいえ、もう堂々と泊めることはできない。だから、父親に秘密で泊めるという形になる。そこは少しばかり罪悪感があった。
けれど、彼を追い出すことはどうしてもできなくて。
結果、リゴールを泊めるのは私の部屋ということになった。
「本当に……良いのですか?」
「えぇ。頼まれたら、断るなんてできないわ」
「……色々申し訳ありません」
リゴールを部屋に泊めること自体に問題はない。が、寝るところが一つしかないという問題が浮上した。
「リゴール、ベッド使う?」
ベッドは一つしかない。
小さなベッドではないから二人で並んで寝ることも不可能ではないが、さすがにそれは抵抗があった。
「……え! ベッドはエアリがお使い下さい!」
「けど、そうしたらリゴールの寝るところがないわよ?」
するとリゴールは「あ」と小さく発する。
どうやら、気づいていなかったようだ。
「で、では……床に失礼します」
「床? それで大丈夫なの?」
確認すると、彼は、開いた両手を胸の前で合わせる。
「はい! 問題ありません」
リゴールはそう言って笑うけれど、本当にそんなことで良いのだろうか。王子ともあろう人を床で眠らせるなんて、怒られやしないだろうか。
「けど……寝づらいわよ?」
「いえ。無理を言ってお世話になっているのですから」
「べつに、気なんて使わなくていいのに」
ベッドの上の掛け布団を整えつつ、リゴールと話す。
「いえ……もう本当に……何とお礼すれば良いのか」
「いいわよ、お礼なんて。あ、なんなら、もういっそうちで働いたらどう?」
私は冗談のつもりだったのだが、リゴールは凄く驚いた顔をした。
「えっ……! わたくしが、ですか……?」
「冗談よ」
「え、あ……はい。承知しました」
その後、私とリゴールは寝た。
結局、私はベッドで眠り、彼は床で横になったのだった。
◆
——気づけば、見たことのない場所にいた。
足の下には白い石畳。視界には、いくつもの白いアーチのようなもの。アーチは、まるでそちらへ歩いていけと命じているかのように、整然と並んでいる。
私は取り敢えず歩き出す。
付近にある物体のほぼすべてが白く、しかし、空と思われる部分だけは灰色だ。
ここがどこなのかなんて分からないけれど、整然と並ぶアーチに導かれるかのように、歩いた。
歩くことしばらく。
目の前に、少しだけ開いている扉が現れた。
石なのだろうか——少なくとも木ではなさそうな材質でできた、全体的に白い扉だ。厚みは、精一杯広げた手の親指から小指の幅くらいはあるだろうか。そして、私がいる方の面——恐らく外側には、蔓や馬のような生き物が彫られている。
扉の向こう側からは、何やら音が聞こえてくる。
私は扉の隙間から、恐る恐る中を覗いてみる——そして、思わず口に手を当てた。
「……っ!!」
紅の血を流しながら倒れている女性の姿があったからである。
腰くらいまで伸びた長い金髪、高い鼻、滑らかそうな肌。倒れている女性は、血に濡れていてもなお、美しい。
横たわる彼女の美貌に心を奪われていると、何やら声が聞こえてきた。
「……む! 頼む、動いてくれ! 返事をしてくれ!」
男性の声だ。
声の質から察するに、恐らく、五十代くらいの男性のものだろう。
「……だ! こんなこと、……の子に、何と伝えれば!」
ただならぬ空気に、胸の鼓動が加速する。
今ここにいて良いのだろうか。間違って私が犯人扱いされるなんてことにはならないだろうか。そんな不安が込み上げる。
けれど、その場から離れることもできない。
まったく知らない場所だから。
「……を呼んで参りましょうか?」
「駄目だ! あの子に今以上……与えるわけにはいかない!」
どうやら、室内にはもう一人誰かがいるようだ。
「しかし、隠すというのも……かと……ますが」
「……おるのだ! こんな……にはいかん!」
扉の隙間から中を覗きつつ二人の会話を聞いていると、突如視界が黒く染まった。
◆
次に目が覚めると、自分の部屋だった。
灯りのない室内は真っ暗。しかし、窓から降り注ぐ月明かりがあるため、まったく何も見えないということはない。が、よく見えるということもない。お世辞にも、視界が良いとは言えない状態だ。
「……ゆ、め?」
どうやら私は夢をみていたようだ。
しかし、夢の中とはいえ血を流している人を見てしまうなんて、何ともついていない。アンラッキーとしか言えない。
——けれど、そんなものは始まりでしかなかった。
「目覚めてしまいましたか……」
はぁ、と溜め息をつく音を聞き、何事だろうと目を開く。
すると、目の前に見知らぬ男性がしゃがんでいるのが見えた。
「なっ……!」
ベッドの上に見知らぬ男性がしゃがんでいるなんて。驚き、理解できず、私は慌てて上半身を起こす。
「何者なの!?」
濃い藤色の髪は、男性にもかかわらず結構な長さで、一つに束ねてある。また、前髪の一部が長く伸びていて、左目が隠れている。
そんなミステリアスな風貌の男性だ。
いかにも怪しげである。
「名乗る義理はありません」
「ちょっと待って。勝手に入ってきておいてそれはおかしくない……?」
目の前の男性はにっこり微笑む。
が、それによって余計に不気味さが高まってしまっている。
名乗る気はないというような発言をきっぱりしておきながら、さりげなく微笑みかけてくる辺り、怪しいとしか言い様がない。
「何を馬鹿げたことを言っているのです?」
男性はベッドから軽やかに飛び降りる。
長いコートの裾が、ふわりと宙を舞った。
「生かしておいただけでも、感謝していただきたいものです」
「貴方、本当に何なの……」
男性の黄色い瞳は、床で横になって眠っているリゴールを捉えていた。
それを見て、ふと思う。
リゴールを狙っている輩の仲間ではないだろうか、と。
だとしたら危険だ。
「まさか、リゴールを狙っている人たちの仲間!?」
そう発した直後、私は男性に掴み上げられた。
男性は、数秒もかけることなく、片手で私の首を掴んだ。しかも、首を掴むだけでなく、そのまま私の体を持ち上げたのだ。結構な力である。
「なっ……離して!」
「今、リゴールなどと言ったのはどなたです?」
白に限りなく近い藤色の手袋をはめた手が、首を絞めてくる。
呼吸ができないほど絞められてはいないところから察するに、彼はまだ、私をすぐに殺す気はないのだろう。
「王子を知っているのですね」
「えぇ……だったら何よ……?」
「王子を監禁した挙句、呼び捨てにするとは」
男性の言い方に、ほんの少し違和感を抱く。
なぜだか分からないけれど、彼はこれまで襲ってきた敵たちとは違った雰囲気をまとっているように感じられる。
リゴールを狙う気はない、というか。
「もしかして……リゴールを狙っているわけではないの?」
直後、男性の手が首から離れた。
彼の手によって宙に浮かされていた私の体は垂直落下。おかげで、床で腰を打つはめになってしまった。
「まったく、恐ろしい女です」
男性は大袈裟に溜め息をつく。
「しかし——悪意はないようなので、今日のところは見逃して差し上げましょう」
「やっぱりそうなのね? リゴールの命を狙っているわけじゃないのね?」
そう言うと、鋭く睨まれた。
「ただし、次王子に手を出したなら、容赦なく消させていただきますので」
よく分からないが、どうやら、彼は私を嫌っているようだ。
しかも彼は、人の家に勝手に入った侵入者。犯罪者と言っても過言ではない。
ーーただ。
リゴールを殺そうとしているわけではないようなので、そういった意味では、ひと安心と言っても問題ないだろう。