episode.134 それはあるかも
「……んふふ、やるじゃない……今までとは違うってわけね。ならいいわ……」
王妃はよろけながらも笑みをこぼしていた。
その笑みが強がりだと、私には分かる。ダメージがないわけではないということは、考えるまでもなく、容易に想像できる。そもそも、リゴールの強力な魔法を受けたのだから、ダメージがないなんてことはあり得ないのだ。
「そちらが本気で来るのなら……こちらも本気で仕掛けるだけのことよ」
そう言って、王妃は鎌を二本出現させる。いつもの彼女の鎌の三分の一程度の長さの鎌が、両手にそれぞれ一本ずつ、合わせて二本だ。
「覚悟なさい!」
王妃は、鋭く発し、二本の鎌を同時に投げる。
鎌は凄まじい速さで回転しながら、リゴールめがけて飛んでゆく。
「……覚悟はしています」
リゴールは黄金の球体をぶつけ、鎌を弾く。弾かれた鎌はどこかへ飛んでいってしまった。木々に隠され、どこに落ちたのかまでははっきりとは分からない。
「わたくしはもう、迷いません」
本から巻き起こるは、金の輝きをまとった竜巻。
発生直後は小さなものだったが、規模は徐々に大きくなり、やがて周囲の木々を揺らし始める。
日が傾き始めた茜色の空に、眩い黄金の渦。
それはとても新鮮味のある組み合わせで、非常に幻想的な光景を生み出している。
風を受け、髪や服の裾が激しく揺らされる。日常生活の中では滅多に経験しないような強い風に、私は、何度か飛ばされそうな感覚に陥った。日頃は風などさほど気にしないものだが、強風は時に人に恐怖心を与えるのだと、今ここで知った。
「……終わりにしましょう」
リゴールの唇が微かに動くのが見えて。
次の瞬間、彼は本を持っている側の手を王妃へかざした。
「何これっ……」
想定の範囲を遥かに超える光量。
瞼を閉じていても視界が白色になるほどの凄まじさ。
もはや、何も見えない。私にできたのは、脳まで焼けそうな光の刺激に耐えることだけ。それ以上のことはできない状況で——。
……。
…………。
——やがて、視界が戻る。
葉は散り、砂煙が起こって。
周囲は嵐の中にいるかのような状態だった。
呼吸を荒らしながらも威嚇する小動物のような険しい顔つきをしているリゴール。砂の舞い上がる地面に伏して倒れ込んでいるブラックスター王妃。
……やったの?
リゴールと王妃の様子を目にして、そう思いはしたけれど、でもはっきりとは分からない。
なぜって、私は、一番重要なところを見逃したのだから。
私が一人心の中で首を傾げていると、リゴールがゆっくりと歩み出す。細い足を動かし、倒れ込んでいる王妃へと近づいていっている。
「終わりです」
王妃のすぐ傍に着いたリゴールは、本を持っていない手を王妃に向け、冷ややかに見下ろしながら告げた。
「んふ、ふ……やるじゃ、ない……」
「……何か、言い遺すことは?」
それは、切ない問いだった。
「そう、ね……悪魔よ、あなたは……」
王妃の口が微かに動いたのを確認し、リゴールは別れを告げる。
「さようなら」
リゴールの手から光が放たれ、王妃の肉体は消滅した。
やった。これは倒せたはず。これでもう、彼女に襲われることはない。襲いくる者は、また一人減った。
——なのに。
なぜか脳裏に浮かぶのは、王妃の笑み。
可愛い娘ね、と言ってくれた、彼女の声。
私は私を理解できなかった。
王妃は私やリゴールを本気で殺そうとしていた。ブラックスター王を盲信し、説得しようと試みても応じず。どうしようもなく敵だった。
なのに、今は素直に喜べない。
私はおかしいのだろうか。
考え込んでいた私の耳に、ドサッという音が飛び込んでくる。
音がした方へ視線を向けると、リゴールが地面に力なく座り込んでいた。
「リゴール!」
慌てて駆け寄る。
そして、片手で背をさする。
「大丈夫? 辛いの? 平気?」
リゴールは青い顔をしていた。それに、呼吸の乱れは継続していて、目力がない。声をかけた際の反応もあまり良くない。
「……平気です」
「平気にはとても見えないわよ?」
「いえ……魔法を、使い……過ぎただけです……」
王妃を跡形もなく消し飛ばすという大技を披露したのだ、疲労困憊になるのも無理はないだろう。
私は魔法を使った経験がないから、魔法の使用による疲労については詳しくない。感覚的に分かるということもない。
ただ、そんな私でも想像はできる。
大量の球体を作り出したり、竜巻のようなものを起こしたりを連続すれば、きっとかなり疲れるはずだ。
「そう。そうね。とても頑張っていたものね」
「いえ……」
「少し休憩して、屋敷へ戻りましょ」
空は徐々に、茜色から紫色へ。夜が迫ってきている。
暗い世界は不気味だ。誰かに襲われる可能性も否定はできないし、そもそも、木々しかない闇を歩くのは危険というもの。だから、無理にとは言わないが、なるべく暗くなりきる前に屋敷へ戻りたい。
屋敷へ戻ると、ちょうど、夕食の時間の直前だった。
運動してお腹が空いていた私は、砂で汚れたワンピースを着替えてから、食堂へ向かう。私がそこへ到着した時には、既に、準備は八割方完了していた。
茶色い渦巻きの山菜と葉野菜のサラダ。白く柔らかいパンと、金塊のように輝くバター。焼いた肉ような香りの、焦げ茶色をしたスープ。
「エアリ、また出掛けていたの?」
私が席につくや否や、先に座っていたエトーリアが問いかけてきた。
「そうなの。ちょっと用事があって」
「……用事? 何の用事かしら」
エトーリアは「用事」では済ませてくれなかった。遠慮なく、さらに深いところまで聞いてくる。
買い物だとか、散歩だとか、嘘を言うことも一瞬は考えた。けれど、そんな嘘をついても良いことはない——そう思ったから、正直に本当のことを話すことにした。
「敵を一人倒してきたわ」
はっきり述べると、エトーリアは眉間にしわを寄せる。
「……戦ってきたというの?」
「そうなの」
「それで……倒したのね?」
「そうそう。そういうこと」
数秒経ってから思い立ち、「と言っても、私はちょっとしか戦っていないけど」と付け加えておく。
「まったくもう。エアリは本当に戦いが好きね」
「好きなんかじゃないわ!」
「そう。なら……好きなのはリゴール王子?」
なぜここでリゴールになる!?
そんな風に内心呟きつつ、少し考える。
そして、十秒くらい経過してから、私は小さく首を縦に動かす。
「……それはあるかも」




