episode.123 棺の王妃、通路の王子 ★
ブラックスターの首都に位置する、ナイトメシア城。その最上階にある王の間には、ブラックスター王と、棺のような形をしたベッドに仰向けに寝かされた王妃の姿があった。
王妃は透明感のある黒い布をかけられている。布の下には、赤いドレス。ほんのりと透けて見えている。また、瞼は僅かに開いていて、そこから虚ろな瞳が覗いていた。
一方、王はというと、仰向けに寝かされた王妃を静かに見下ろすのみ。
「お主はこれまでよく働いた。此度の任務の失敗は残念なことであったが、特別に、見逃すこととしよう」
ブラックスター王は片腕をゆっくりと前方へ伸ばす。すると、その手のひらから、漆黒の霧のようなものが溢れ出した。その黒い霧は、徐々に、横たえられた王妃の方へと向かってゆく。そして。やがて、ついに、彼女の体を完全に包み込んだ。
「お主に、更なる力を」
王は告げる。
直後、王妃の体を繭のように包んでいた黒いものが、消滅した。
そして王妃の目が開く。
「……ここ、は」
王妃はそんなことを呟きながら上半身を縦にする。
「目覚めたか。ここは王の間よ」
「……王」
「目覚めたようだな」
「はい。……そうだわ、胸を刺されて……あら?」
王妃は胸へ視線を下ろし、面に驚きの色を滲ませた。負ったはずの胸の傷が消えていたから。
「我が術を使えば、すぐに回復する」
「まさか……貴方が?」
「その通り」
「あ、ありがとうございます」
王妃は慌てて頭を下げる。
「頭を上げるのだ。お主は今や、我が妻よ」
「……はい」
ほんの少し頬を赤らめる王妃。
「これからも、我がブラックスター繁栄のために戦うのだ」
「もちろん……もちろんです」
王妃は恋する少女のような初々しい顔をしながら、棺に似たベッドから出、立ち上がる。嬉しそうに片手を頬に当てる様は、まるで乙女。
「そのような光栄なお言葉、他にはありません……んふふ」
その時、王が突然、何かに気づいたように「む!?」と低い声を発した。その動きに、王妃は怪訝な顔をする。
「どういうことだ……?」
「王。一体どうなさいました」
王妃は素早く問うが、王はすぐには答えない。
——直後。
「失礼します!」
扉が開き、一人の男性兵士が駆け込んできた。
「……む?」
「お、王子が! リゴール王子が、城内へ!」
軽装な男性兵士は慌てたような調子で報告。
王妃は警戒心を露わにし、固い顔つきになる。
だが、王は違っていた。
ブラックスター王、その人だけは、慌てるでも警戒心を露わにするでもなく、むしろ口元に笑みを浮かべている。
「な……リゴール王子ですって……!?」
王妃が一歩前へ出た。
兵士は控えめに頷く。
「は、はい……。自分は目にしてはいませんが、彼の魔法の気配を感じた者がいたとのことで……」
兵士の言葉を聞くや否や、王妃は素早く王の方を向く。そして、右手を胸へ当てながら言う。
「王子の始末、お任せ下さい」
その時、王妃の瞳には、決意が確かに存在していた。
「まだ本調子ではないだろうが、問題ないのか?」
「もちろんです、王。じっとしてはいられません」
「それでこそ、偉大な王の妻。よかろう——存分に働くがよい」
地鳴りに近い低音で述べる王に、王妃は一度だけ深く礼をする。そうして頭を上げた彼女は、くるりと身を回転させ、兵士の方へ顔と体を向けた。
「んふふ……案内してくれるかしら」
「あ、案内ですか?」
「そう……リゴール王子のところへ案内してちょうだい」
◆
ナイトメシア城、地下通路。
水の匂いが漂う薄暗く狭い通路に、リゴールは立っていた。
足下には、気絶し倒れた男性。
「……よし」
リゴールはそう呟き、しゃがみ込む。そして、足下に倒れている男性から黒に近い灰色のフード付きコートを奪い取り、身にまとう。
青い双眸が見据えるは、通路の先。
リゴールはもう、華奢で弱々しい少年ではない。護られ逃げ回るだけのか弱い王子でもない。
今の彼には、戦う覚悟がある。
「すみませんエアリ……勝手をお許し下さい」
誰もいない空間で謝り、彼は歩き出す——その次の瞬間。
「待て!」
背後から聞こえた叫びに、リゴールは一瞬にして振り返る。そして、本を取り出し開くと、魔法を放った。中程度の威力の魔法を。
何者かに魔法が命中した瞬間、爆発が起こり、煙が広がる。
やがて煙が晴れた時、リゴールの視界に入ったのは、マゼンタの花が描かれた水色シャツを着たグラネイトだった。
「……貴方は」
「ふはは! いきなり攻撃してくるとはやるな!」
グラネイトは数歩でリゴールのすぐ傍まで近づく。
歩幅が広いからだ。
「わざと狙われ、ブラックスターへ入り込む! なかなかのものだな!」
「……静かにして下さい」
苦い物を食べてしまった時のような顔をするリゴール。
「だが! こんな無茶なことは止めた方がいい」
グラネイトは一切躊躇うことなく、リゴールの腕を掴んだ。
その時のグラネイトの瞳には、悪意は欠片もなく。単にリゴールの身を案じているというような目をしている。
だが対するリゴールはというと、グラネイトのことを信じられていないような顔。
「案ずるな! ふはは! このグラネイト様が屋敷まで送ってやろう!」
「静かにして下さい!」
「あ……す、すまん」
鋭く注意されたグラネイトは、ひそひそ声で続ける。
「だが、ここは危険だ。今のうちに引き返すべきだと思うぞ」
「……そういうわけには参りません」
グラネイトは、無視して歩き出そうとするリゴールの腕を引っ張り、止めようとする。
「待てっ」
「離して下さい……!」
「ふはは、無理だ。離さん」
半分ふざけたような言い方をするグラネイトに腹が立ったのか、リゴールは彼の手を強く振り払った。
「こんなくだらぬことをしている時間はありません!」
リゴールに強く言われ、グラネイトは一瞬驚き戸惑ったような顔になった。が、グラネイトはすぐに平常心を取り戻し、リゴールに声をかけ続ける。
「……今日は妙に余裕がないな。どうしたんだ?」
「どうもしません! 放っておいて下さい」
歩き出すリゴール。
それについていくグラネイト。
「いや、そういうわけにはいかん。連れて戻るようウェスタに言われているのでな」
「では、戻らないとお伝え下さい」
「気強すぎだろ!」
グラネイトはリゴールについていく。執拗とも思えるほどに、ついていき続ける。
「なぜそこまで必死なんだ」
「…………」
「無視!? 少しくらい答えてくれよ!!」
刹那、リゴールはぴたりと足を止めた。
それから彼は、悲しげな視線をグラネイトへ向ける。
「愛しい女性と生きるためなら、貴方も、少しくらい無茶はするのではないですか?」
静かに発された言葉を聞いたグラネイトは、はっきりと一度頷く。
「確かに、それは当然だな」
「そうでしょう?」
「ウェスタのためなら、グラネイト様は命も懸ける!」
リゴールは呆れ顔ながら「は、はぁ……」と漏らしていた。
いきなり具体的な例を挙げられても、という気分だったのかもしれない。
「分かっていただけましたか」
「あぁ! よく分かったぞ! ……で、相手は誰なんだ?」
ワクワクした目でリゴールを見つめるグラネイト。
「もしや、エアリ・フィールドか?」
「……なぜ」
「仲良しなのは知っているぞ! ふはは!」
「……そうでしたか。話が早くて助かります。では失礼します」
さらりと流し、再び歩き出すリゴール。
「待てっ! 待て待て待て!」
グラネイトはリゴールを制止する。
「……まだ何かあるのですか?」
「もう止めん。だが……グラネイト様も同行する! これは絶対だ!」




