episode.120 操り人形は、味方で敵で
瞼を閉じて、しばらく時間が経った——が、痛みを感じることはなくて。とはいえ、今から来るかもしれないから油断はできず、まだ瞼を開けられない。どうなっているのか状況を確認してみたいという思いはあるのだが、今はそれすら恐ろしく、瞼を開く勇気が出なかった。
そんな時だ、私の体に誰かの手が触れたのは。
「エアリ!」
耳に飛び込んできたのは、聞き慣れた声。
そう、リゴールの声だ。
恐る恐る瞼を開けてみる。すると、目の前にしゃがみ込んでいるリゴールが視界に入った。
「リゴール……」
「ご無事で?」
「ど、どうして……ここに」
なぜ彼がここにいるのかは不明だが、本当は、そんなことはどうでも良いことなのかもしれない。
いずれにせよ、彼が救世主であることに変わりはない。
「ブラックスターの術の力を感じたので来てみたのです。そうしたら、エアリが彼女に襲われていて。驚きました」
リゴールの手には本がある。そして、よく見てみると、宙に黄金の膜が張られていた。その膜が、リョウカに襲われるのを防いでくれているようだ。
「彼女は裏切り者だったのですか?」
リゴールの問いに、私は首を左右に動かす。
「違うの……術のせいよ」
「術?」
「えぇ。王妃が術をかけて、リョウカを操っているのよ。だからリョウカは悪くないわ」
けれど、リョウカが襲ってくることは事実。だから放置というわけにはいかない。何とか術を解きたいところなのだが。
「……戦うしかなさそうですね」
「待って、リゴール。術が解けさえすればそれでいいのよ」
「しかし、術者が解かない限り術は解けないでしょう?」
「それはそうだけど……」
何とも言えない心境になっている私に、リゴールは微笑みかけてくれる。
「そんな顔をしないで下さい。大丈夫ですから」
「……リゴール」
「必ず止めてみせます」
「……ありがとう」
リゴールが来てくれたなら、ペンダントの剣が使える。だから、私も戦わなくては。そう思うのに、今は立てそうになくて。
「それでは」
立ち上がるリゴール。
「……参ります!」
右手に本を持ち、左手を前方へ伸ばす。そうして構えた瞬間、黄金の光が迸る。
それはまるで、奇跡のような輝き。
網膜まで焼けてしまいそうな——。
リゴールとリョウカが戦うところを見つめ続けるのは、心苦しいものがあった。
リョウカは王妃に操られている。だからリゴールにも仕掛けてゆくのだ。そう分かってはいても、一応仲間であった二人が交戦する光景を目にするのは、辛いとしか言い様がない。
……もっとも、デスタンと戦うことになるよりかはましなのかもしれないが。
リゴールの魔法は強い。
だが、リョウカの剣技も冴え渡っている。
リョウカの方は、操られていることによってより一層速くなっているかのように感じられるくらいだ。
「っ……!」
自分が攻撃を受けている時は防御することに必死で、リョウカの剣捌きを客観的に見る余裕はなかった。が、今は少し離れている。だから、自分が攻められている時よりかは、動きを見ることができる。
「リゴール! 大丈夫なの!?」
「……はい!」
「今なら援護できるわ!」
「エアリは無理をなさらないで下さい……!」
気を遣いつつ、あっさり断られてしまった。
「けど!」
「いえ! 大丈夫で——くっ!」
背を反らせ、素早く豪快な袈裟斬りをすれすれのところで回避したリゴールは、バランスを崩す。
彼の華奢な体が後方へ倒れ込んでゆくのが、異様にゆっくりと見えた。
後方へ倒れかけるなどという大きな隙を、リョウカが見逃すわけがない。つまり、今のリゴールはかなり危険な状態。
私は半ば無意識のうちに駆けていた——ペンダントから変化した剣を握りながら。
「リゴールを斬らないで!」
後ろ向けに倒れかけながらも何とか持ちこたえたリゴールと、躊躇なく刀を振り下ろそうとするリョウカ。
そんな二人の間に、私は入り込む。
振り下ろされた刀を弾き返し、改めて剣を構える。
「エアリ……」
「ここからは私がやるから!」
剣は手の内にあるし、戦う気力も蘇ってきた。
大丈夫。
リョウカの剣は知っている。
だから、負けはしない。
「本気で斬る気なのですか……!?」
背後のリゴールが震える声で発したのが分かった。
私とて、本当は人を斬りたくなどない。人、しかも味方を斬るなんてこと、微塵も望んではいない。
でも、リゴールを斬られるくらいなら、私はやる。
「本当は斬りたくなんてないわ。けど……リゴールを失うのはもっと嫌なのよ!」
リョウカが向かってくる。
私は心を決め、下から上へと勢いよく剣を振ったーー結果、剣の刃はリョウカの体を確かに捉えたのだった。
「……エア……リ……」
倒れ込む直前、リョウカはほんの一瞬だけ唇を動かした——そんな気がした。
脱力したリョウカの体は、捨てられた人形のように、あっという間に崩れ落ちる。床には赤いものが広がり、付近に立っていた私の足までも痛々しく染める。
私は赤に染まった足で倒れたリョウカへ寄り、傍にしゃがんで、怖々声をかけてみた。
「リョウカ? ……リョウカ。聞こえる?」
けれど、返事はない。
「ごめんなさい、こんなことを。でも、でもね、仕方がなかったの。……手当てはするわ、リョウカ。だからどうか、いつか元気になって、またあんな風に笑って……」
こんな言葉をかけたところで、何の意味もないのかもしれないけれど。でも、私は言わずにはいられなかった。もはやリョウカのための発言ではなく、私自身のための言葉になっていたのかもしれない。
「怪我はありませんか? エアリ」
その頃になって、リゴールが私の方へ歩いてきた。
「え、えぇ……」
「バッサさんに連絡して、お医者様を呼んでいただきますか」
リゴールの言葉に、私は頷く。
「なるべく急いだ方が良いわね」
その後、私はバッサを呼びに走った。
リョウカはリゴールに任せて。
足が刺激的な色に染まった私を見てバッサは驚いていたけれど、彼女は冷静さを失うことなく一緒に来てくれた。そうしてリョウカが倒れていることを目にするや否や、彼女はリョウカの首に手を当てる。刹那、顔を強張らせた。
「エアリお嬢様、これは……もはや手遅れです」
バッサの口から出た言葉に、私はただただ愕然とすることしかできず。斬ったのが私だということも、もちろん言えなかった。




