episode.112 彼女は確かに目の前にある
デスタンから注意を受けた後、自室へ戻る。
彼がリゴールをいかに大切に思っているのか。そして、リゴールのためにどんなに色々なことを考えているのか。
それは分かった。
……いや、元々知ってはいたけれど。
厳密には、分かっていなかったのが分かったのではない。前から分かっていたのが、さらに分かったという状態なのである。
そのこと自体は悪くはなかったのかもしれない。
けれど、リゴールとの関係を改善するヒントは、私には見つけられなかった。
真っ直ぐに向き合えばいい。
彼だけを見つめればいい。
そう思いはするけれど、それは、そんなに簡単なことではないのだ。
これから私はリゴールにどう接すればいいの?
その問いの答えは、まだ出ない。
純粋に彼を大切にしたいこの気持ちを胸に歩んでゆけば、エトーリアの存在がいずれ立ちはだかる壁となるだろう。その壁は多分、天辺が見えぬほど高いものに違いない。しかも、単に壊せば良いだけの壁でないところが厄介。ただ壊せば良いだけなら苦労はしないが、私への思いやりがあるゆえの壁なので、対処が難しい。
そんなことを歩きながら、私は一旦自室へ戻った。
が、扉を開ける直前、足を止める。
「……話してみなくちゃ」
リゴールと、である。
厄介そうなエトーリアは後回し。今はそれでいい。今は取り敢えず、少し話せば分かり合えそうなリゴールと話してみよう。
部屋の中でうじうじしていても始まらない。
そうして、私はリゴールの部屋へと向かうのだった。
「あ、こんばんは。エアリでしたか」
「いきなりごめんなさい」
リゴールの部屋を訪ねると、幸運なことに、彼と会うことができた。
彼は、扉を開けて私を見た時、少々気まずそうな顔つきをしたけれど。でも、嫌な顔はしないでいてくれた。
「少し、話がしたいの」
「お話……ですか?」
「えぇ。私、リゴールとまた仲良くしたくて」
そう述べると、リゴールの顔面は曇った。瞼を半分ほど伏せ、切なげな表情を浮かべる。
「……それは、無理です」
リゴールの声は弱々しい。しかし、言い方はきっぱりしている。
彼の心には彼なりの決意があるということなのだろうか。だとしたら、それを変えることは容易ではないかもしれない。
けれど、それでも私は、リゴールに私の気持ちを分かってほしい。エトーリアが何と言おうが関係なく、私はリゴールの傍にいたい——それを理解してほしいのだ。
「どうして無理なの?」
「エアリこそ、なぜ、お母様のお言葉を聞かず……いえ、すみません。本当は、貴女にもお母様にも罪はないのです」
そうして訪れる、沈黙。
声も音もなく、人の気配すらない。そんな静寂は、あまりに痛くて。肌を、胸の奥を、針で突かれているかのような感覚すらある。
そんな沈黙の果て、リゴールは僅かに唇を開く。
「わたくしに勇気がないことが……すべての元凶です」
発言の意味をすぐに理解することはできなかった。だが、その後十秒ほど考えたら、自身に責任があると言っているのだということくらいは掴めた。無論、それが正しい解釈なのかどうかは不明だけれど。
「とにかく、エアリは悪くありません。ではこれで……」
部屋に引っ込もうとするリゴールの片腕を、咄嗟に掴んだ。
「待って!」
リゴールは驚いたようにこちらを見る。私は何とか待ってもらおうとリゴールを凝視する。半ば無意識のうちに、二人の視線が重なった。
「お願い、待って」
「……エアリ」
「どうか落ち着いて話を聞いて。貴方は私のことを嫌いになったわけではないのでしょう?」
もうチャンスを逃したりはしない。
できることはすべてしよう。
「それは……そうですが」
「なら私たち、きっと分かり合えるわ」
「し、しかし、お母様は……」
「母は関係ない! これは、私とリゴールの問題よ」
私は少し調子を強めてしまったが、声を落ち着かせて続ける。
「そうでしょう?」
するとリゴールは、五秒ほど間を空けてから、こくりと頷く。
「……仰る通りです」
さらにそこから少し空けて、リゴールは口を動かす。
「そのためにも、ブラックスターの輩に襲われなくなる方法を、速やかに考えねばなりませんね」
リゴールは、私とは反対の方向を向いていた体を回転させ、顔と体をこちらへ向ける。どうやら付き合ってくれるようなので、私は掴んでいた手を離した。彼がその気になってくれたなら、もう掴んでいる必要もない。
「わたくしはこの屋敷から出た方が良いかもしれません。しかし、そうなるとデスタンのことが心配です……」
心配するところが若干間違っている気はする。が、長い間傍にいてくれたデスタンのことを心配するというのは、ある意味では当然のことと言えるのかもしれない。とはいえ、普通は自分の身を一番気にしそうなものだが。
「デスタンさんはミセさんの家に引き取ってもらう、というのは?」
「そんなことが可能でしょうか……?」
「ミセさんならきっと大切にしてくれると思うわよ」
一体何の話をしているのか、という感じではあるけれど。
その後もしばらく、私とリゴールは話し合った。
主に、これからのことについて。
エトーリアにとやかく言われないよう、敵襲の可能性を減らす策を考えなくてはならない。が、それは案外難しく。パッと答えが出るような問題ではなかった。
結局良い答えは出なかった。
リスクの多い選択肢がとにかく多過ぎるのだ。
何かを手にするということは、何かを失うということ。それが世における『当然』だから、リスクのない選択肢などありはしないのかもしれないけれど。
その夜。
ふと目が覚めて瞼を開くと、紅の何かが視界に入った。
さらりと流れる、唐紅の髪。
見覚えがある。
「えっ……」
血のごときワンピースに、黒いレースの袖。そして、紅の髪。
間違いない。
ブラックスター王妃の彼女だ。
——でも、彼女がなぜここに?
その疑問が消えない。
私は、エトーリアの家の自室でベッドに横になっていたはず。だから、ブラックスター王妃がこんなところにいるはずがない。
でも、確かに見える。
見間違いではない。
幻かもしれないけれど、彼女は確かに、目の前にある。




