episode.111 夕焼けの刻
なぜそんなことを言うの?
リゴールはエトーリアの味方なの?
わけが分からなくて、どんな反応をすればいいのか困ってしまった。
「待って、リゴール。貴方は、今までみたいに親しくできなくなってもいいの? 平気なの?」
私は平気じゃない。そんなことを言ったら重い女と思われてしまうかもしれない。けれど、それでも言える。リゴールと離れるのが平気でない、ということは、決して揺らぐことのない事実だと。
「どうなの?」
怖々尋ねてみると、リゴールはきっぱりと答えた。
「いえ。そんなことはありません」
まやかしのない表情。
真っ直ぐな視線を放つ瞳。
今のリゴールの顔つきは、真剣そのもの。日頃笑っている時とは真逆の色が、面全体に広がっている。
「わたくしとて、エアリと親しくできなくなれば、当然寂しく思います。けれど、貴女のお母様の意見を無視することは、わたくしにはできません」
「それは……そうだけど……」
真剣な面持ちで言われてしまっては、軽い気持ちで否定することはできない。
「では、お先に失礼します」
リゴールは軽やかに頭を下げ、再び足を動かし始める。
「ちょっと、リゴール! デスタンさんのところへ行くの? なら私も!」
「……すみません」
心優しいリゴールのことだから足を止めてくれるだろうと、そう信じていた。けれど、彼は小さく謝罪の言葉を述べただけで、待ってはくれなかった。
お願い、待って。
もう少し話をさせて。
——言いたかったけれど、言えなかった。
その日、私は自室で過ごした。
出歩いてリゴールに遭遇してしまうのが嫌だったから。
私は多分恐れていたのだと思う。リゴールに素っ気ない態度を取られることを想像すると、胸が痛くて、息苦しくて。
こんなことになったのはエトーリアのせい。
エトーリアが悪いの。
自分の母親に責任を押し付けるなんて汚いと分かっている。けれど、それでもエトーリアを責めずにはいられなかった。
窓の外に夕焼けが広がる頃。
ベッドに寝転がりながら暗い気分になっていた私の部屋に、ミセが現れた。
「ちょーっとお邪魔するわね」
「ミセさん……」
彼女が屋敷に出入りしていることは知っていたから、ここにいること自体には驚かない。だが、彼女が自ら私のところへやって来ることは滅多にないので、そこは少し驚いてしまった。
「あーら、どうしちゃったの? 何だか元気ないわねぇ」
「……はい」
寝転がったままだと申し訳ないから、私は、取り敢えず座り体勢になる。
「あらあら、しっかりなさいよぅ」
「……今は、一人になりたいんです」
「あーら。もしかして、リゴールくんとのことを悩んでいるのかしらぁ?」
ミセは部屋にずかずか入ってくる。
「……どうして、それを?」
問いかけてみるけれど、ミセはすぐには答えない。彼女は口を開くことなく、私の方まで、流れるような足取りで歩いてくる。そして、そのまま、私の隣に腰掛けた。
「リゴールくんも、同じこと、悩んでいたわよ」
ミセの声は、女神のように優しかった。
「こんな時に限って、どうすればいいか分からない。……そう言ってたわ」
「……リゴールが?」
「そう。アタシはその時、偶々、デスタンの動けるようになるための訓練を手伝ってたのよぉ。そしたら、部屋にリゴールくんがやって来てね」
ミセは遠慮なく話し続ける。
「彼はデスタンに言ったの。どうすればいいのか分からない、って。それから、リゴールくんの話を聞いたわぁ」
ミセは柔らかい髪を指でいじりながら話す。
「エアリの母親から距離をおくように言われたこととか、そのせいでエアリにどう接して良いか分からなくなったこととかを、彼は話していたわよ」
そうか。
リゴールも、色々考え、悩んでくれていたのか。
そう思うと、少し安堵することができた。
私一人こんな風に悩んでいるのかと思っていた。けど、それは違って。彼は彼でいろんなことを考えていたのだ。彼の振る舞いの妙な感じは、色々考えているからこそのものだったのかもしれない。
「そうしたら、デスタンがエアリを連れてこいって言い出して、それでアタシはここへ来たのよぅ」
私を連れてこいって言ったの?
デスタンが?
……怒られるのだろうか。
「だから、一緒に来てくれないかしら」
「構いませんけど……」
「けど、何?」
「あ、いえ。何でもありません」
リゴールの件を知ったデスタンに会うというのは、正直、少し怖いけれど。でも、逃げることはできないだろう。
それに、デスタンと話すことで解決法が見つかる可能性も、ゼロではない。
やってみる価値はある。
「では行きます」
ベッドから立ち上がると、私ははっきり述べる。
「良いのかしら?」
「もちろんです」
逃げていても始まらない。
——けれど、後悔した。
「貴女の母親は王子に『距離をおくように』などと言ったそうですね。失礼だとは思わぬのですか」
デスタンは怒りに満ちていた。黄色い片目にはただならぬ殺気が滲んでいるし、口角は下がっているし、表情は固いし。とにかく本気で怒っていそうな様子だ。
「貴女の母親はホワイトスターの出と聞きました。そして、王子のこともご存知だったと。だからこそ、許せないのです」
デスタンの言うことも分からないではない。
だが、エトーリアへの怒りを私にぶつけられても、改善のしようがないのだ。
「……とはいえ、貴女に言ったところでどうしようもないことでしょう。ですから、これ以上は言いません」
少し空けて、彼は続ける。
「それで、貴女はどうなさるつもりなのですか」
「え?」
「王子を護る気は、もう失われたのですか」
デスタンはベッドに横になっているのに、その表情ときたら、私なんかより数百倍しっかりしている。
「私だって……できるなら、これからも今までみたいに暮らしたいわ。リゴールの傍にいると、とうに心を決めていたもの」
心を変える気はない。
今でも。
「なら、今まで通りの関係を維持するということですか」
「私はそうしたいわ。でもリゴールは……」
「王子は、何ですか」
「リゴールはエトーリアの言葉を聞くべきだと言っていたわ」
するとデスタンは、はぁ、と溜め息をつく。
「そんなものが王子の本心なわけがないでしょう」
呆れられてしまっただろうか?
だとしたら、少し悔しい。
「貴女は王子の何を見ていたのですか」
デスタンは今日も愛想ない口調。だが、彼に言葉に心がないというわけではない。
「王子の傍に在ると決めたのなら、貴女は、嫌でも王子を見なければならないのです」
「……そうね」
「貴女が色々残念なことは知っています。ですから、多くを求めることはしないつもりです。けれど、せめて王子を見ることくらいは——忘れないで下さい」




