episode.106 ダッサ
その時。
修繕したばかりの扉が、突如開いた。
乱暴な開き方ではなかったものの、室内の空気が微かに動き、それによって私は視線を後ろへ移した。
「ハロー」
そこに立っていたのは、一人の少女。
十代前半くらいに見える、あどけなさの残る目鼻立ち。しかし、その金の双眸は少女らしからぬ鋭さをまとっている。瞳孔の目立つ、猫のような瞳だ。また、少女らしくないのは、そこだけではない。額には紋章のような入れ墨がある。そこもまた、迫力があり、少女らしくなさを高めてしまっているように感じられる。
暗めの灰色をした髪は、両側頭部の耳より高い位置で黒いリボンによって結ばれている。その二つの房は、どちらも、肩に触れるか触れないかという程度の長さ。
身長は高くない。が、極めて低いということもない。もし彼女が、見た感じの通り十代前半であるならば、年相応の身長と言えるだろう。
「来ちゃっタ」
包帯を巻いたようなデザインの衣装を着た彼女は、いたずらっ娘を意識したような声を発し、その場でくるりとターンする。
「……何者なの?」
思わず尋ねてしまった。
すると少女は、片手の大きく開いた手のひらで口を覆うようにして、挑発的に発する。
「プププ。ダッサ」
まさかいきなり「ダッサ」などと言われるとは。
この一言には、さすがに衝撃を受けてしまった。
「いきなり名前聞くとカ、ダッサ」
生まれてからこれまでに出会った中で、最も生意気な少女だ。いや、最も生意気な者、と表す方が良いかもしれない。
それゆえ、最初は驚きが勝っていたが、時が経つにつれ、今度は苛立ちが込み上げてきた。
——刹那。
私の苛立ちを露わにするかのように、リゴールが勢いよく立ち上がる。
「貴女、無礼にもほどがありますよ」
リゴールは凛とした声色で言い放つ。
「初対面の相手です。最低限の礼儀というものがあるでしょう」
落ち着きのある表情、迷いのない声。
それらはまさに『王子』という位に恥じない、偉大さを感じさせるものであった。
だが、少女はそれすらも、笑いの対象に変えてしまう。
「プププ! くっだらなイ!」
徐々に、室内の空気が冷えていく。
物理的な寒さではなく、感覚的な冷え。
「おこちゃまのくせに偉そうにシテ、勘違いにもほどがあるってネ! ダッサ!」
「貴女ッ……!」
挑発に乗せられたリゴールが、本を開く——が、次の瞬間、本は背後へ飛んでいってしまっていた。
「なっ……」
しかも、少女は一瞬にして、彼の目の前まで接近。
私の方が彼女に近かったのだから、私の目の前も通過したはず。それなのに、まったくもって見えなかった。
「一人かっこつけるとか、ダッサ」
唇に挑発的な笑みを浮かべる少女。その手には、小型の黒い銃。十代前半の少女が持っても大きすぎるようには見えないくらい小型化された銃だ。彼女はそれを、両手で持っている。いや、厳密には、右手で握りそこに左手を添えていると表現した方が相応しいかもしれない。
「バイバーイ」
少女はニヤリと口角を持ち上げ、呟くように言う。
そして、小型の銃の引き金を引いた。
パァン——と破裂音。
鼓膜を貫きそうな大きな破裂音が、室内の静かな空気を揺らす。私は半ば反射的に目を閉じてしまった。
——少しして、瞼を開ける。
リゴールは無事だった。
彼の体の前には、黄金の膜。
そして、その一部分から、黒に限りなく近い灰色の煙が、一筋立ち昇っていた。
彼自身には怪我はなさそうなことから察するに、恐らく、リゴールは咄嗟に魔法の膜を張ったのだろう。そして、至近距離からの銃撃を防いだ。
だとすれば、幸運だ。
二メートルも離れていない場所からの銃撃にもかかわらず、負傷せずに済んだのだから。
「膜で防ぐとカ、セッコ」
少女は愚痴をこぼしている。
今なら!
そう思い、ペンダントを握り直した——瞬間。
「させなーイ!」
添えていた左手を私の方へかざしてきた。
直後、その爪から、灰色の包帯のようなものが飛び出す。
包帯のようなそれは、信じられない速さで向かってくる。そして、ほんの数秒のうちに、驚くべき勢いで私の体に巻き付く。
腕も足もお構いなく。
たった一本のそれに、ぐるぐる巻きにされてしまった。
「くっ……離して!」
今度こそ力になれる、戦えると、そう自信を持っていたのに。これではすべてが台無しだ。ペンダントを剣に変えられたって、剣の扱いを学んだって、拘束されてしまっていてはどうしようもない。これでは、始まる前に終わっている。
「邪魔しないデ、そこでじっとしてテ」
「武器持って入ってきた人を放置なんて! できないわ!」
「そこで大人しくしてタラ、こっそり見逃しテあげてモいいヨ」
身をよじり抵抗を試みる。しかし、どうしようもない。腕と足が動かせない状態で体を動かしたところで、包帯の拘束から逃れることはできなかった。
その時、ふと、思い出す。
ウェスタが力を貸してくれると言っていたことに。
もし彼女がここへ来てくれたなら、魔法か何かで、この拘束を解いてくれるかもしれない。そうすれば、私は動けるようになり、戦いに参加できる。
……でも。
ウェスタにこの危機を知らせる方法はない。
どうすればこの状況を彼女に伝えられるのか。
そんな風に悩んでいた時、私はふと、彼女の言葉を思い出した。
『ブラックスターの力を感じたら、駆けつける』
彼女は確かに、そう言っていた。
——ならば方法はある。
「見逃してなんていらないわ! だから早く解放してちょうだい!」
「何それ? 命乞いとかダッサ」
「ダサいのは貴女の方でしょ!」
「ン?」
少女に術を使わせればいい。
そうすれば、離れたところにいるウェスタも気づいてくれるはず。
とはいえ、実際にウェスタがここへ来てくれるのかどうかは不明だ。所詮口約束。向こうが守ってくれるとは限らない。来てくれない可能性も、ゼロではないわけで。
そんな不確かなものに頼ろうとするなんて。
私はどこまでも弱い人間だ。自分でもそう思う。
「攻撃してきたわけでもない人を虐めるなんて、最低よ! ダッサの極みだわ!」
「うるさいッテ、黙ってッテ」
「いいえ、黙らない! 解放してくれるまで、言い続けるわ。貴女はダサいってね!」




