episode.103 雨降りは終わらない
ペンダントの剣を使っての十本勝負、私は四勝六敗だった。
日頃訓練で使っている木製の剣とはコントロールする際の感覚が大きく違っていて。それにすべての責任を押し付けるわけではないが、感覚の違いゆえ剣を思った通りに操れず、負けの方が多いという結果になってしまった。
「剣変えてみてどうだった? エアリ」
「そうね……何だか怖かったわ」
リョウカの問いに、私は正直に答えた。
「怖かった、って?」
「えぇ。実際に斬られる可能性があるもの、恐怖心を抱かずにはいられなかったわ」
訓練という意味での戦闘なら、星の数ほど重ねてきた。だが、実際に戦った経験は、まだほんの数回しかない。それゆえ、緊張感の中で戦うという経験が、私にはまだ足りていない。今回の十本勝負で、それを改めて思い知った。
「ま、けど、そういう経験も必要かな?」
「えぇ。そう思うわ」
実戦は多分、こんなものではない。
今は訓練の一環だから、リョウカは手加減してくれているはず。少なくとも、本気で倒しにかかってきてはいない。
だが実戦になれば、手加減などありはしない。
敵は本気でかかってくる。負けまいと、がむしゃらに来るだろう。
そうなれば、もっと熾烈な戦いになるはずだ。
その緊張感にも潰されない強い心を身につけなくては。
「素晴らしい剣捌きですね、エアリ」
「協力してくれてありがとう、リゴール」
「いえ。わたくしにできることがあれば……何でも仰って下さい」
十本勝負を終えた私に、協力者のリゴールは温かく接してくれた。
「……あ、そうでした」
「何?」
「エアリ、訓練はこれで一旦休憩ですか?」
「えぇ。そうなると思うわ」
「では! わたくしがお茶を持って参ります!」
リゴールは嬉しくてたまらないというような笑みで、そんなことを言ってくれる。
「リョウカさんの分もお持ちしますね」
「えーっ! あたしまで? いいのっ?」
「はい。それでは、少し失礼します」
笑顔のリゴールは、丁寧にそう言ってから、軽く頭を下げる。
そして、部屋から出ていった。
室内から彼の姿が消えた瞬間、リョウカが私に声をかけてくる。
「彼、意外といい人だね!」
リゴールがいい人。
その発言には、全面的に賛成する。
それは、私も常々思っていることだから。
待つことしばらく。
リゴールが戻ってきた。
彼が両手で丁寧に持つ円形のお盆には、透明なグラスが二個。そこには、赤茶色の液体が注がれている。
「お待たせしました」
柔らかく微笑みながら述べるリゴールに、リョウカは小走りで寄っていく。
「おおっ! もうできたの!?」
「はい」
話に入りそびれてしまった。
「凄! 早!」
「光栄なお言葉です」
「何でもできるんだねっ」
「いえ。何でもとはいきませんよ」
たおやかに言って、リゴールはこちらへ歩いてくる。そして彼は、私の前で足を止めた。
「どうぞ」
グラスを差し出されたが、すぐに受け取ることはできなかった。というのも、心の準備ができていなくて。
「エアリ?」
「あ、ごめんなさい」
「もし良ければ、どうぞ」
「ありがとう」
差し出された瞬間からかなり時間が経ってから、私はグラスを受け取った。
透明なグラスは、赤と茶を混ぜたような色みに染まっている。ただのお茶という感じの色彩ではない。どこか不思議な、魔法のような、そんな色合いだ。
私が一人意味もなくグラスを眺めていると、リョウカがリゴールに尋ねる。
「あたしも貰っていい!?」
「はい」
「ありがと! 助かるっ」
リョウカは、お盆の上に残っていたグラスを自ら手に取ると、鑑賞することもなく飲み始める。
多めの一口をごくりと飲み込み、リョウカは明るい声で言い放つ。
「凄い! 美味しいよ、これ!」
美味しいという意見を聞くと、飲みたい気持ちが高まる。そこで私は、鑑賞することを止め、グラスの端に唇をつけた。グラスは冷えていて、端に唇を当てると、口元にひんやりした感覚が駆ける。運動の後だけに、その冷たさが心地よい。
「……さっぱりしてる」
思わず漏らした。
するとリゴールは確認してくる。
「気に入っていただけましたか?」
「えぇ、美味しいわ」
厳しい訓練の後に、美味しい飲み物とほのぼのとした会話。
こんな幸せなことは、世の中なかなかない——そんなことを思ったりした。
翌日も、その次の日も、雨。
世は薄暗く、空は一面灰色で。降りしきる雨は、いつまでも止みそうにない。
単なる雨季なのかもしれない。ただ、こんな大雨が続いたことは、私の記憶にはなくて。だから、降り止まぬ雨を、妙に不気味に感じてしまう。
そんな中でも、ミセはデスタンのところへ来てくれていたし、使用人は買い出しに行ってくれていた。
彼女らにとっては、大雨など、何の意味も持たぬことだったのかもしれない。
でも、私にはそうは捉えられなくて。
天気は、心。
空は、心映し出す鏡。
そして、逆もまた言える。
それゆえ、雨空が続けば続くほど、胸の内も暗くなっていってしまうのだ。
降雨が続いていた、そんなある日。何の前触れもなく、ウェスタが屋敷を訪ねてきた。銀の髪を湿らせることさえ躊躇わず。
バッサから訪問者があったと聞いたことで、私は、訪問者の彼女——ウェスタと顔を合わせることになった。
「久々ね、ウェスタさん」
「いきなり申し訳ない」
「構わないわ」
濡れていた彼女を屋敷の中へ招き入れ、タオルを渡し、二人きりで話を始める。
「それで? 何か用?」
まずはこちらから問う。
するとウェスタは、濡れた体をタオルで拭きながら返してくる。
「伝えねばならないことがある」
ウェスタの表情は真剣そのもの。彼女の顔には、「冗談」の「じょ」の字もない。
「……ブラックスターが、本格的に動き出した」
冷ややかな声で告げられたその内容に、思わず喉を上下させてしまう。得体の知れない緊張感に襲われ、背筋には氷に触れたような感覚が走る。
「それは、どういう意味?」
「……ブラックスターの術の気配を感じた」
「そんなものが分かるの?」
「分かる。ブラックスターの術を使うことのできる者なら……誰でも」
ウェスタの視線は真っ直ぐで、嘘をついているとはとても思えない。いや、そもそも、彼女が私たちを騙す意味などないはずだ。ブラックスターに所属していた時代ならともかく。
「あくまで警告。……詳細を伝えられないことは、申し訳なく思う」




