episode.9 対峙
木製の扉が勢いよく開く。
駆け込んできたのは、一人の女性——バッサだった。
「エアリお嬢様!」
日頃は穏やかであることの多い彼女だが、今は青ざめ汗を流している。しかも、顔全体の筋肉が引きつっているように見えた。
「……バッサ!?」
「お嬢様! ここにいらっしゃいましたか!」
バッサは言いながら、肩を激しく上下させていた。
今にも座り込んでしまいそうなほどに息が荒れている。
「何かあったの?」
「お、お屋敷に、不審な人物が……!」
私は木製の椅子から立ち上がる。
「不審な人物!?」
「は、はい。女性なのですが……見慣れない服装の方で……」
恐らくは、リゴールを狙っている一味のうちの誰かだろう。
だとしたら、ただの人間では太刀打ちできない相手かもしれない。使用人や父親が危険な目に遭う可能性は高い。
早いところ、どうにかしなくては。
ーーそう思い少し焦っていた時、隣の席に座っていたリゴールが立ち上がった。
「エアリ」
彼は、耳元で小さく呟く。
「わたくしが先に参ります」
私は「えっ」と声を漏らしたが、リゴールは「ごちそうさまでした」とだけ言って、タタタと走っていってしまった。
「あの、ごちそうさまでした! お金、ここに置いておきます」
店主の女性に向けてそう発し、まだ荒い息をしているバッサに声をかける。
「家で何かが起きているのね?」
「は、はい……」
「行ってくるわ。バッサは、この手提げをお願い」
「き、危険です……!」
バッサはそう気遣ってくれたけれど、私は走り出した。
家のこと、使用人のこと、父親のこと。そして、リゴールのこと。気になることがたくさんあるから、止まってはいられなかったのだ。
家の前にある、赤茶の煉瓦と金属製の柵でできた門は、驚くほどに全開だった。
日頃は、誰かが出入りする時しか開いていない。だが、今は開けっ放し。恐らく慌てていたバッサが閉め忘れたといったところなのだろうが、門が開けっ放しになっている光景は、私に緊張感を与えた。
さらに、入口の扉も開いていた。家の入口が開けっ放しになっているなんて、門が開いていることよりも珍しい。日頃はあり得ないことだ
私はそのまま、建物の中へ駆け込む。
入ってすぐのところは、広間になっている。細長い木の板を敷き詰めた床なので、高級感には少々欠ける。だが入るなり目の前に二階へ続く階段があるため、若干の迫力はある。
——と、呑気に家の説明をしている場合ではない。
周囲を見回す。
人の気配はない。
出ていくように言われていたから怒られてしまうかもしれないが、取り敢えず父親の部屋へ行ってみようか——そう思って階段に上ろうとした、その時。
「……来たね」
私より十数段ほど先、踊り場に、突如女性が現れた。
二十歳を少し過ぎたくらいかと思われる女性で、長い銀の髪を緩い一本の三つ編みにしている。また、前髪はとても長く、右目に被っていて、非常にミステリアス。唯一視認できる左目は、血のように火のように赤い瞳が印象的だ。
「誰? 見かけない顔だけど」
いかにも怪しい。
ここは森に囲まれた村だ。旅人などが来るはずはない。女性一人で旅をしている者ならなおさらだ。
しかも彼女は、旅人とはとても思えない服装だった。
紅のドレスを着ているのである。
ちなみに、ドレスと言っても、絵本のお姫様が着ているような爪先まで隠れるような長いものではない。丈は膝がぎりぎり出ているくらいで、わりと短い。
「……我が名はウェスタ。ブラックスターに仕える者」
言いながら、彼女は階段を一段下る。
紅の布がひらりと揺れ動き、黒と肌色の中間のような色みの太ももがちらりと見えた。
最初はそのような色の脚なのかと思ったが、少し見つめるとそうでないことが分かった。彼女は多分、ストッキングを履いているのだろう。
「何を言っているの?」
「……名を問われたから名乗った。ただそれだけのこと」
「よく分からないけど、こんなところへ何しに来たの?」
すると彼女はもう一段下りてくる。
高いヒールの靴が、木の板を軋ませた。
「……ブラックスターの命により、ホワイトスターの王子を殺しに来た」
「なっ……!」
思わず後退りしてしまった。
彼女——ウェスタが、尋常でない殺気を放っていたから。
「ホワイトスターの王子って、リゴールの……?」
やはり、リゴールを狙っている一味のようだ。
「……そう。彼を殺しに来た」
「グラネイトって人の仲間?」
何を仕掛けてくるか分からない、未知数なところが恐ろしい。
「……グラネイトを知っているとは」
「何回も襲われたわ。家も少し壊されたし、最悪よ!」
「悪いけど……あいつへの恨みを聞く気はない」
ウェスタはまた、一段下りてきた。
私のところまではまだ距離があるけれど、油断はできない。途中で急に飛び降りてくるかもしれないから。
「……お前の父親は既に拘束している」
「何ですって!?」
妙に人の気配がないから、少しおかしいとは思ったけれど。
「どうしてそんなこと」
「我々の存在を知った者を、生かしておくわけにはいかない」
「どうしてよ!」
「それがブラックスターの掟。……悪いが、お前たちにも死んでもらう」
それはさすがに、勝手すぎやしないだろうか。
ブラックスターの掟だか何だか知らないが、ブラックスターの人間でもない私たちがそれに従わされるなど、おかしな話だとしか思えない。
「貴女たちの掟? 知らないわ、そんなもの。勝手なことを言わないで!」
父親は無事だろうか? リゴールは?
気になることはたくさんあるが、今は目の前の女をどうにかしなくてはならない。
「父さんをどこへやったの!」
「……死ぬ気になった?」
「なるわけないじゃない! 何もしていないもの!」
広間に私の声が響く。
「ホワイトスターの王子を匿っていた人間を、放っておくわけにはいかない」
——刹那、彼女は床を蹴った。
紅のスカートを翻しつつ、一直線に迫ってくる。
後ろへ引いている片手には、火のような赤い光が仄か宿っていた。
これは危ない。
本能的に感じた私は、その場から飛び退く。
「……避けたか」
やみくもにジャンプしたため、ウェスタの攻撃からは逃れられたものの、転倒してしまった。床は木の板ゆえ、石に叩きつけられるよりかはましなのだろうが、打った肘と腰が結構痛い。
「危ないじゃない!」
「……お前はなかなかセンスがある」
いや、褒められても嬉しくないのだが。
「だがそれは生かしておく理由にはならない」
ウェスタの体が、こちらに向く。
背筋に悪寒が走った。




