第二話
鋭利な何かで裂かれた腹から血が吹き出し、すぐに淡い光を放って傷口が修復される。
それをしかめっ面で見届けてから俺は周囲に目をやる。
『親玉』が死んで一斉に帰還している病魔たちが、俺の周囲を避けて動いていて、擬似的な広場のようになっている。
それを確認してからゆっくりと俺の腹を裂いた犯人の方を睨むと、腹立たしいニヤけた視線とぶつかった。
「またお前か」
「やあやあ、久しぶりだね」
ニヤついた面のまま空中に浮かび、ひらひらと手を振るのは襤褸を纏った細身の男だ。
そのみすぼらしい格好と軽薄な態度、そして帰還する『病魔』達が避けていることは以前会った時と変わらぬものだった。そして、
「……なんで飛んでいる」
「あっはぁ! やっぱ気になっちゃうよね!」
奴は俺の剣呑な態度にもまったく臆することなく、むしろ心底楽しそうに語る。
「この前君にボコボコにされた時にさ、僕はこう思ってたんだ。やばい逃げなきゃ! 殺されちゃう! ってね」
「……」
「それで、君の槍がこう、背中に刺される〜って瞬間に跳んで避けようとしたんだよ。そしたら」
拙い言葉を補うように身振り手振りを使った説明。
「そのまま飛んじゃったよね!」
その余りもの足りてなさに俺の我慢は早くも限界を迎えた。
「ふざけるなッ!」
奴に向かって槍を突き放ちながら、俺は怒った。
「お前はなんだ! 何者なんだまず名乗れ! なぜ『病魔』の戦場に現れる! 民間人が無断で戦場に来るのは重罪だぞ! なにがしたいんだ! なにが目的だ!」
六回の槍撃。奴はひらりひらりと宙を舞ってその全てを避けた。その避け方もまた俺の癇に障る。
「なにが目的って。う〜ん考えた事なかったなあ」
「はあ?」
「ははっ! そんなに怒らないでよ。本当にやりたい事をやってるだけなんだ僕は。でも、強いて言うなら〜……」
そう言って奴は目を細めて、
「君をおちょくる事が目的さ!」
瞬間、どこから出したのか十を越える不揃いのナイフが奴の両手に現れ、それが投擲される。
それを全て槍で弾き落とすと今度は両手に一本ずつ大ぶりのナイフを握って接近してきた奴を迎撃する。
「ふっ……!」
数度の打ち合いの後、槍の柄で叩き飛ばすとそのまま空中を移動しながらまだまだ出てくるナイフを投げ続けられる。
今度は色んな角度から立て続けに飛んでくるナイフを、弾くだけでは間に合わずに回避も加える。それでも、何本かが服を掠めた。
「ちっ……。虫かお前はッ」
「ははっ。これ思った以上に楽しいなー!」
以前戦った際は一合でねじ伏せた。
だが今回はあの妙な飛行能力が厄介だ。あの能力が奴に機動力を与え、不規則な動きを可能にしている。
宙を舞う虫を捉えるのに難儀するように、地面に接しない敵との戦闘は思った以上にやりづらい。
「ねえどうだい? この前殺し損ねた相手に今度は自分が押されてるよ? 自尊心とかそこらへん、痛む?」
「黙れ舌を噛むぞ」
「まぐっ!?」
ペラペラと喋りながら再び接近してきた奴の頭に槍の石突を叩き落とす。まんまと舌を噛んでよろけた所に突きを放つが、これは避けられ空を切る。
「し、しどいじゃないあ。しんたらとうするんたい」
「何を言ってるかわからんが死にたいなら手伝ってやるぞ」
そう言いつつ槍を伸ばして追撃するも、また空中をひらりひらりと動いて捉えられず、さらにナイフの投擲も再開。30秒前の焼き回しだ。
このまま飛び道具を避け続けてもジリ貧。不意をつく一撃で確実に殺すか捕らえるかしなければならない。
そのためには……。
「おい、このナイフはどこから出してる? まさか無限に出てくるんじゃないだろうな」
「どうだろうねえ。無限かどうか、このまま試してみればいいんじゃないかい」
「お断りだな」
その俺の言葉に奴はニヤリと笑って、
「てことは結構、限界近かったりするのかな――っ!?」
三度、俺をおちょくりながら奴が接近しようとした瞬間、同時に俺も奴に接近した。
「そんなのっ……!」
無理矢理方向転換して俺から逃れようとする奴に槍先を引っ掛け、引っ張って地面に叩きつけながら着地した。
「ありかよぉー!」
「勝負あったな」
何度も同じ様に接近されたお陰でタイミングは掴めた。あとは会話で誘導してタイミングを合わせて、地面に槍を刺して伸ばして飛べば、両者が同時に急接近して不意打ちできるという訳だ。
「……あのさあ、殺される前に一つきいてもいいかな?」
「ダメだ。こちらの質問に答えろ。お前の名前はなんだ。どこから来た」
背中を踏みつけ、三又の槍先を顔に押し付けながら問う。だが、奴は臆した様子もなく口を開いた。
「僕は楽しかったからイイんだけどさ、君からしたら大ケガ覚悟で特攻した方が手っ取り早かったんじゃないかなーって思って。なんでやらなかったの? どうせすぐ治るんだよね? あいつら退治するときはやってたじゃ――」
「おい、なに勝手に喋ってる? 俺の質問にだけ答えろ」
警告に、奴の左腕を槍で突いた。
「うぐっ! わ、わかった! 答える答える!」
あー、イタタ。と、腕に穴が開いたにしては反応が軽い。戦闘中の負傷は興奮作用で痛みが薄いことがあるらしいが、すでに戦闘が終わってこの感じならコイツはやはりどこかおかしいのかもしれない。おかしくなけりゃこんなマネはしないだろうが。
「――バイト。僕の名前はバイトだよ、兄さん」
「…………お前、何言って」
あまりに、あまりにも意味不明な発言に気をとられた。
それを奴、バイトが狙っていたのかはわからないが、その隙に槍の刺さった左腕を引きちぎって逃げようとし始めた。
「っ!?」
慌てて槍を抜き、今度は心臓を貫こうとした時、何故かバイトと目が合った。
その目はそれまでのコイツの軽薄な雰囲気とは違い、どす黒くギラついていて、それでいてどこか笑っているような、不思議な――。
サクッ。
俺の三叉槍は地面を貫いていた。
「……なんだ? なにが起きて」
「こっちこっちー!」
背後からの声に振り向くと、すぐ後ろに穴の開いた左腕をダラりとさげたバイトが立っていた。
バイトはそのままふわりと飛び立つ。
「せっかく名前教えてあげたんだからちゃんと覚えてておくれよー? それと僕んちあっちだから」
そう言いながらバイトが右手で指差したのは、都があるのとは真逆。いまだに俺たちの周りを避けて流れ続けている『病魔』達が帰っている方角だった。
それもまた、意味がわからない。
「…………さっきどうやって消えた?」
「さっき? ああ、今度はコレみたいだね。また楽しそうな力だよ。それより! 僕は質問に二つも答えたんだからそっちも答えてよ!」
「兄さんってなんだ? 逃れるために適当に吐いたブラフか?」
「ははっ、ダメだこりゃ。もう僕今日のとこは帰るよ! じゃあね〜」
そう言って、バイトは先程指差した方に飛んで行った。俺は追撃することもできず、避ける事をやめた『病魔』の濁流に呑まれながら、呆然とその後ろ姿を眺めていた。しばらくすると、バイトは先程のように消え、姿を視認できなくなった。
それからしばらくして
「テッド! 無事かぁテッドッ!」
『病魔』を剛腕で殴り飛ばしながらロキンさんがやってきた。俺を見つけたロキンさんは『病魔』に触れたことで真っ黒に染まった腕を盾に、濁流を避けて一時的な安全地帯を作った。
「ロキンさん」
「うむ」
俺の目を見てなにかがあったことは察してくれているのだろう。ただじっと、俺の言葉を待っている。
今はその信頼が、心地よかった。
「報告します」