第十二話
覚悟を決めた俺は、脳内でこの場を乗り切る算段をつけながらメイシィだけに聞こえる声で囁く。
「まずはこの三人を振り切るぞ。俺の指示に従ってくれ」
俺の言葉に彼女は目を瞠ったが、シュナン達を警戒してかすぐに感情を抑えて囁き返してくる。
「いいの? 私が言うのもなんだけど、勇者としては私を議場に連れて行った方がいいんじゃない?」
「本当にお前が言うのもなんだな……。心配しなくとも一応考えはある。とにかく今は目の前の勇者だ。いいか…………」
俺がメイシィに簡単に作戦を説明し終えるのと、シュナンがしびれを切らして怒声を上げたのはほとんど同時だった。
「いつまで待たせる気ですか!? とっととその女を議場に連行して、マルファスさんの前でッ! 先生に裁いて貰うんですよッ!!」
今にも飛び掛かってきそうなほどに殺意を滾らせるシュナン。
しかし、彼女が動く前に俺たちが先手を打つ。
勇者三人は身体能力の高いメイシィを取り逃がさぬように、それぞれ間隔を開けた位置で構えている。
左からアレストラ、シュナン、グーフさんだ。
メイシィは真っすぐにアレストラへと疾駆し、あっという間に組み付いた。
「メイシィ……一体てめぇは!」
「ごめんアレ兄……!」
これから逃げるに当たって、彼の『操鉄』の能力による飛行で追跡されては厄介極まりないし、上空に浮かべてある装備を着けさせる暇さえ与えなければメイシィが比較的容易に制圧できる。
さらに、間にシュナンを挟む位置関係のせいでグーフさんは迂闊に能力を使っての援護ができない。
その代わりにシュナンが両手を組み合う二人の方へ向けるが……。
「逃げる気ですか!? そうはさせなっ……ぐっ?」
加勢しようとするシュナンを、勢いよく伸ばした槍の石突で牽制する。
ハッキリ言って、彼女はメイシィとぶつけたくない。あの殺意を真正面から受け止めるには、今のあいつはあまりに不安定すぎるから。
そのまま、伸ばした槍をメイシィの方へと向ける。すると、右方向からグーフさんが迫ってくる。
「ここまで綺麗に先手取られちゃ、もうこの場でメイシィを捕まえるのは厳しいからな……。せめて、協力者のお前にはここで退場してもらうぜ」
彼が太く大きい右足で地を踏み鳴らすと、そこを始点にして地面が裂けて広がっていく。
グーフさんは『断裂の勇者』。あらゆる物質を踏み割ることができる能力。
底の見えない割れ目が俺の足元まで迫ろうとした時、俺は伸ばしていた槍を縮めながら跳んだ。
アレストラを林の方へぶん投げたメイシィが石突を掴んでくれているため、そのまま上昇し続ける。
「すみません、グーフさん。ご迷惑おかけします!」
最高到達点で槍を離してもらい、そのまま戦線離脱。メイシィも全力疾走でシュナンを振り切った。
「……やられたなぁ」
「ああああの男やっぱり裏切ったッ! あっちは外壁の方角……あの二人都から逃げる気だッ! 早く追いましょう! アレストラさんは何をやっているんですか!?」
☆
「このまま議場へ向かうぞ」
走りながら告げた俺の言葉に、メイシィはぎょっとしてこちらを振り向いた。
「勘違いするなよ。お前を突き出す訳じゃない。議長とメイシィと俺で、ちゃんと話し合うんだ。その為に他の勇者には俺たちが『外に逃げた』と思わせておいた方が良い」
「ああ、なるほど。確かに、シュナンみたいに問答無用で襲って来られたら話し合いなんてできないもんね……」
「だからまずは議長と話をつける。そこで和解出来れば一件落着、できなかったらまた逃げないといけないからそこでもやっぱり他の勇者は居ない方が都合が良い」
「あの状況でそこまで……頼りになるよ」
逆に言えば、現在の情報で俺が考えられるのはそこまで。
感心した様子で微笑むメイシィだが、その顔からは疲労感が見て取れる。
やはり、並々ならぬ出来事がこの半日の間に彼女に押し寄せたのだろう。
「だから、聞かせてくれ。お前と議長に何があったんだ? どうしてこんな状況になった?」
問いかけに、メイシィは目を伏せた。
少しの間そうしていたが、やがて顔をあげるとおもむろに左腕を差し出した。
見ると上腕に一本の細長く浅い傷が入っていた。
「本当に、今でも信じたくない。勘違いだと思いたいよ。けれど、そんな気持ちをこの傷が否定するんだ」
――数時間前――
朝、研究所で目を覚ました私は、いつも通り勇者候補達の宿舎に向かった。
こんな状況だから行くかどうか迷ったけれど、博士が「わしのことは気にせず、気になるなら行ってくればいい」って言ってくれたし、なにより皆が心配だった。
先生も忙しくしてるだろうし、きっと不安になってるはず。そう思うと、大人しく研究所にこもってはいられなかった。
テッドとの約束があるけれど、いつも通りの時間に戻れば待たせることはないだろう。
――――この時はまだ、そう思っていた。
宿舎につき入口から入ろうとすると、扉の鍵が閉まっていた。
普段ならもう皆起きて各々活動し始めている時間で、鍵も開けてあるはずだったけど……この状況だから先生が戸締りしておくように言いつけているのかもしれない。
そう思い、ノックする。
……返事はない。
「おはよーう。メイシィだけどー」
声をかけながら数度扉を叩いたけど、まったく反応がない。
――――おかしい。
もし「誰が来たとしても開けてはならない」と先生に言いつけられているとしても、私の声を聴けばなにか反応があるはずだと思った。それなのに、扉に耳を当ててもまるで何も感じられない。
嫌な予感が胸をよぎる。
私は鼓動を早める心臓を落ち着かせるように胸に手を当てながら裏口へ回った。
当然裏口の扉にも鍵がかかっていたが、換気窓の小屋根の裏に手を伸ばしてそこに刺してあった鍵を抜き取り、そのまま裏口を開錠した。卒業生の特権だ。
中に入っても、子ども達の声はおろか物音一つ聞こえなかった。
まるで皆が寝静まった深夜のような静けさが、もう日が出ているこの時間において訪れていることが、言葉にしがたい違和感を感じさせる。
「だ、誰か……!」
誰でもいい。
ミアンでも、セネットでも、ドグラでもイリーニャでもいい。
お願いだから返事をして。
泣きそうになりながら、裏口から一番近くの部屋に入った。
「……………………え?」
そこでは私が求めてやまない未来の勇者達が、寝間着姿のままそれぞれの寝台でぐっすりと眠っていた。
「っちょ、ちょっと全員寝てるの!? 大丈夫なの? ねえ!」
状況が掴みきれない私は、とりあえず年長者のミアンを揺さぶった。
ミアンは始めは無抵抗に揺れながらもしぶとく眠り続けたので何か悪い術でもかけられているのかと不安になったけれど、しばらく呼びかけ続けていると呻き声を出し始め、ついには「うっとおしい!」と怒鳴りながら強烈なストレートパンチを食らわせてきたから内心ほっとした。とってもいいパンチだ。教えた人が優秀なのだろう。もちろん私だ。
「ううーん。あれ、メイシィ教官? なんでいるの?」
まだ眠気が抜けきってない様子のミアンが目を擦りながら不思議そうに尋ねてくる。
私たちが騒いでいるのがよっぽどうるさかったのか、彼女が起きたのを皮切りに他の子たちも起きだした。
「なんでもなにも、もうとっくに起きる時間でしょう? 皆の様子見に来たのに入口は閉まったままだし、読んでも誰も出てこないしで心配になったから秘密の鍵で入ってきたのよ」
「ああ、秘密の鍵ね、教官もここにいたから知ってるのか。てか、もうそんな時間なの? お休みだからってちょっと気が緩みすぎちゃってたかな……」
彼女は寝台の上で体を起こすと長くてつやつやした髪をまとめながら話す。
「お休み?」
「うん。昨日の夜先生が言ったんだ。訓練も授業も仕事もお休みにするから一日宿舎の中で大人しくしていなさいって。男子達ったら、もうはしゃぎにはしゃいで……寝られたもんじゃなかったよ」
「それで皆ねぼすけさんなのか……でも、全員ぐっすりで誰も起きないなんて変ね」
「毎日ずぅっと一緒にいるから、そういう事もあるんじゃない? さて、チビ達が起きちゃう前にご飯の用意しちゃわないと。教官も食べてく?」
しっかり者のミアンの魅力的な提案に私は頷いた。
予想外の出来事に少々取り乱しはしたけど元々の目的は子ども達が不安になっていないか様子を見る事だった。一緒にご飯を食べれば皆の顔が見られるしちょうどよかったのだ。
決して朝食を食べ忘れて来たからお腹が空いていた訳ではない。
★
簡単な朝食をとりながら皆の様子が思いのほかいつもと変わらない、いやむしろ滅多にない休みにいつもよりいくらか興奮気味なことを確認して、それから一応私からも絶対に外に出ないようにと重ねて注意してから宿舎を後にした。
今宿舎で暮らしている子どもの中で一番しっかりしているミアンが一番実力もあるので、彼女に任せておけば安心だろうとも思ってはいたけれど。
日を見上げて、その位置からいつも帰っている時刻まではまだまだ余裕があることを確認した私は目と鼻の先にある議場へと足を向けた。
私にはどうしても自分の目で確かめたいことがあったからだ。
――――マル兄は本当に殺されてしまったのか。
いや、今思えばこの時はもうほとんどわかっていたのだろう。
勇者総動員での厳戒態勢に、『白マント』を追っている時のテッドの必死な表情。
それに勇者候補達を引きこもらせて先生は議場に泊まり込み。
この一日で見てきた全ての出来事が勇者マルファスは殺されたと教えていた。
でも、それでも私はこの目で見るべきだと思った。
この手で触れるべきだと思った。
幸いにも、マル兄の遺体が安置されている場所はテッドから聞いていた。
『光』の間。
かつて、私のそれまでの全部を否定した場所。
あの『授与式』の日から、あそこには一度も入っていない。
テッドやマティ姉なんかは、祈り続けていればいつか能力を授けてくれるかもしれないなんて言って励ましてくれて『光』の間に行こうと誘われていたけど、私はそうは思わなかった。
彼らのように勇者になれた者は授かった瞬間に授かった事を自覚するそうだけど、私は反対に自分は授かれないと、頭のどこかで確信していたし、私が授かれなかった事知った時の先生の私を見る眼は、もうすでに諦めていたから「ああ、本当に私は勇者にはなれないんだ」って理解したから、わざわざ祈りに行こうなんて思わなかった。
それでも、私が立ち直れたのは皆が居たのと、先生が博士を紹介してくれたからで……。
ともかくあまり良い思い出がある場所ではないことは確かだったから正直誰か一緒に来てほしかったのだけれど、今議場にいる勇者は皆パトロールの合間の休憩中で付き合わせるのは申し訳ないし、私は仕方なく一人で『光』の間へ続く階段を上った。
――――ひそひそと囁くような低い声と、それとは対照的な上擦った高い声が聴こえて、私は咄嗟に身を隠した。
誰も居ないと思っていた驚きと、誰にも言わずに勝手に入ってきた後ろめたさが合わさった行動だったのだろうけど、実際この時隠れていなければもしかしたら私はもうマル兄の隣に並んでいたかもしれない。
様子を伺うと、『光』の柱の下で話しているのは二人。
一人はひそひそ声の主で白い髪と髭を伸ばした姿勢がいい老齢の男性。そう、先生だった。
そしてもう一人。
まだ若いだろうに異様なほど痩せぎすで青っ白い顔の青年は白いマントを羽織って、宙に浮いていた。
煌黒龍を狩っていて投稿が遅れました。