第一話
うん、やっぱり戦場で戦士に出される飯は美味くも不味くもない。
戦場を知らない頃は、やはり武器や防具の供給が優先で食料は二の次になって不味いのだろうかとか、はたまたもしかしたら最後の食事になるかもしれない戦士のために飯くらいは豪華な物が振る舞われるのだろうかとか、そういうことを考えたものだが、実際はなんのことはない普通の弁当だった。
最後に残しておいたアカマルの実を頬張り、弁当箱の蓋を閉じる。
実を飲み込みながら弁当箱を片付け、両腕を上げてぐっと伸びをする。
立ち上がり、アキレス腱も伸ばして、両手首と両足首をプラプラさせ、大きく深呼吸をすればそれで俺の防衛戦の準備は整う。
天幕の下、周囲の戦士達は全身に防具を取り付け入念に装備を整えている中、俺は特殊な素材と技法で作られた皮のズボンと普通の運動用のシャツのみの格好で、そばに立て掛けていた特別製の三叉槍を手に、天幕を出た。
機動性を重視しているのだが、初めて会う者は必ずと言っていいほど「あの戦場で鎧を纏わないなんて自殺行為だ」と言ってくる。
俺の答えは毎回同じで「わざわざ敵さんにくれてやる餌を増やすことは無い」なのだが、これまた必ずと言っていいほど意味がわからんといった顔で呆れられる。
天幕を出た俺の目の前に広がるのは緑の平原に広がる黒、黒、黒。これが件の敵さんである。
丘の上の本陣から敵の進行を眺めている形だが、先発部隊はすでに戦いを始めていて、本隊の準備が整うまでの時間稼ぎに徹してくれている。
圧倒的な数で平原を埋め尽くさんとする黒い敵の正体は『病魔』と呼ばれる化け物だ。
奴らと直接接触すると治療不可の病に罹ることからそう呼ばれている。
そのため、病魔との戦いでは鎧や盾が重要になる。
「おお、テッド! いつもの格好でおでましか。毎度ながらお前は準備に時間がかからなくてよいな」
「ロキンさん」
俺の名前を呼びながら、右手を挙げて近づいて来たのは、右腕部分とその付け根付近だけが削り取られたような、異様な仕様の銀鎧を着込んだ馬鹿デカい偉丈夫だ。
俺の身長が平均をやや下回ることを考えても、目線が胸にも届かないのはおかしいと思う。いつも思う。
「まあ、飯食うだけですからね」
「ふむ、しかしよく考えてみれば、その食った飯も、お前の言う『敵さんの餌』になるのだから食うだけ無駄になるのではないか?」
大きな兜を外し、歴戦を思わせる精悍な顔をあらわにして、白くなり始めた顎髭を触るロキンはたまに、こういう変なことを言う。
皮肉や嫌味ではなく純粋にして素朴な疑問なのだろうということはその表情と今までの長い付き合いでわかる。
「確かにそうかもしれませんが……飯くらい食わせてください。腹は減るんですから」
空腹だとイマイチ調子が出ないのだ。
それに、俺は食事自体が好きだ。
「ふっはっはっ! それもそうだな! いや、つまらんことを聞いた。許せ」
「いえ、気になるのはわかります。自分自身でもこの体の細かいことはよくわかってないですから」
鎧をガシャガシャ鳴らしながら大きな身体を震わせて豪快に笑うロキンにこちらも自然と表情が緩む。
初陣の時から、彼のこういった所に助けられてきた。今でこそ露骨に緊張したりはしなくなったが、元来俺はあまり肝が座った方ではないのだ。
「さあ、兵が揃い次第出るぞ。相棒よ今回はどう動く」
「いつも通りでいいと思います。あれが手っ取り早い」
「うむ、では親玉は任せるぞ」
「了解」
短いやり取りで方針を大まかに決め、俺とロキンは、大きさにかなり差のある拳を合わせた。
☆
「先発盾部隊、よくぞ持ちこたえた! 合図と共に一斉に槍部隊と入れ替われぇぇぇい!」
「はっ!」
大隊長であるロキンの人間離れした大声が平原に響く。
戦場であるが故にさすがに全ての戦士に指示が聞こえる訳では無いが、それでもこのよく通る声はかなりの広範囲に届き、それを聞いた各戦士が隅の方まで指示を浸透させる。
そして頃合を見計らって入れ替わりの合図となる角笛が吹かれる。
こちらも、ロキンの笛を聞いた各地点の担当の者が笛を吹き、さらに遠くの担当者に聞かせる。
そうして次々に盾部隊と槍部隊が入れ替わっていけば今度はこちらが攻勢に出る番だ。
交代と同時に弓部隊も射撃を開始する。
戦士達の、地が揺れているかと錯覚するほどの気合いの雄叫びを聞きながら、俺は前線よりはるか後方、丘の中程あたりに残り、病魔の群れを観察していた。
子どもの身長くらいの直径の球体。
その全面からウネウネと伸びる無数の触角。
細く鋭い牙が剥き出しにずらりと揃った大きな口。
触角よりやや太めの、縄のような二本の足。
そんな、見る者の不安を掻き立てるようなおぞましい姿をした化け物、病魔。
その大群を端から順番に見ていく。
千里鏡と呼ばれる、覗くと遠くの景色が大きく見える筒を使って群れの中から目標を探しているのだ。
しかし、見やすくなるのはいいが、代わりに見える範囲が狭まるので手っ取り早く探し物をするのに向いているかと言われると微妙なところではある。
今度博士にイチャモンをつけてやろう。などと考えていると、
「……見つけた」
群れの真ん中あたりに、ソレはいた。
通常の病魔が黒色なのに対して、『親玉』だけは赤黒い赤褐色をしており、サイズも他と比べて僅かに大きい。
親玉がいる方角と距離を確認した俺は、丘を滑るように下る。
「ロキンさん! 発見しました」
「そうか、よし」
短いやり取りを済ませるとロキンはすぅ、と大きく息を吸う。
俺は耳を塞ぐ。
「『親玉』を発見ッ! これより作戦を開始する!」
再びロキンの大声が響きわたる。
それから一瞬遅れて戦士達の雄叫びが返ってくる。日頃からの信頼もあって一声で士気を上げられるロキンは大隊長としての天賦の才があるのだろう。
「それで親玉は?」
「ここから見てプレント山山頂の方角。距離は百五十。群れの真ん中あたりにいます」
俺は親玉がいた方向を指差しながら告げる。
「わかった。もう行けるな」
「はい、行けます」
よし、と頷いてロキンは目を瞑る。数秒集中を高めたのち彼がふんっ、と気合を入れると唯一鎧に包まれていない右腕の肩から先がみるみる膨張していく。
そして十秒もしないうちに俺の背丈と変わらない大きさにまでなってしまう。
『剛腕の勇者』ロキン。それが彼の二つ名だ。
「よいぞ」
そう言ってロキンは手のひらを上にして地面に手を下ろす。俺はそれに乗り、しゃがんだ体勢で槍をしっかりと握り直して身構える。
俺が乗ったのを確認したロキンは軽く腰を落とし、親玉のいる方角に対して半身になる。投擲の構えだ。
「では、いってきます」
「うむ、我が相棒テッドよ、健闘を祈る!」
ごう、と風を切り割って振られたロキンの極太の腕。
当然それに乗っていた俺はものすごい勢いですっ飛んで行く。
ちなみにロキンの作戦開始の掛け声と同時に弓部隊の攻撃は停止しているので俺が蜂の巣になる心配はない。
今でこそ目標の方角に目掛けて無回転で飛べているが、初めてこれをやったときは俺もロキンも慣れておらず酷いものだった。
あさっての方向に飛ぶわ、ぐるぐる回ってどっちに飛んでいるのかわからなくなるわ、挙句の果てに着地に失敗して全身の骨を盛大に折りまくるわの大惨事である。
自分で投げてくれと言った手前文句を言うこともできなかったのだからやるせないことこの上ない。
さて、上達したとはいえ見えない敵の所へざっくりとした方角と距離だけ聞いて寸分の狂いもなく目標の場所に投げられるほどではない。
見たところ今回は親玉にわずかに届かない場所に到着しそうだ。もちろん、着地点にも周囲にも病魔共がビッシリである。
ではどうするか。
蹴散らすしかない。
目もないくせに飛来する人間を敏感に察知した着地点の病魔共が牙を光らせる。
顔の表面(顔と呼ぶのが正しいかはさておき)に対して並行に生えている牙は盾に対して極端に無力である代わりに近づく者を簡単に噛みちぎれる鋭さを持っているため、リーチの短い武器では戦いにくい。
そのため、病魔との戦う際の武器は基本槍か弓であり、俺もその例に漏れず、自分の身長よりも頭一つ分長い槍を持っている。
「またアホみたいに口開けて待ってんな」
手にしている三つ又の槍を真下に構え、着地点の病魔の大きな口に突っ込み、踏みつけながら着地する。
青い黒い血液が飛び散る中、槍の先端が病魔の中の心臓部分を貫いた感触を確かめる間もなく周囲の病魔共が飛びかかってくる。
それに対して俺は頭だけを庇いながら右腕の槍を逆手に持って病魔の横から殴りつけるように突き刺した。
そのままの勢いで回転しながら串刺しにする。
しかし、それで周囲をびっしりと覆い尽くす量の敵全てを捌ける訳もなく、鎧を纏っていない俺は体のいたるところを簡単に噛みちぎられる。
まあ、全方位から圧倒的な量で囲まれているこの状況では鎧も意味をなさないだろうが。
だから俺は鎧を着ない。
最初に食われたのは頭を庇っていた左腕だ。
それからほぼ同時に両脇腹と右膝を食われ、そこから先はどこをいつ食われてるのかわからなくなった。
さらに、食われた箇所から黒々とした痣がじわりと広がる。病魔が病魔たる所以の病だ。
病魔の青い血と俺の赤い血が混ざりまざって平原を染めていく。
多勢に無勢。槍を持っていようが持ってまいが、この異形の化物の大群のど真ん中にあっては関係ない。
一体二体は殺せても、すぐにこうして群がられ、無数の病魔に為す術もなく貪られて死を待つのみだ。
では、俺は自殺志願者か。
それとも、無策で、無謀で、無能な愚か者か。
違う。
これは作戦だ。
俺の体は普通じゃない。
俺の噛みちぎられた部分はぼんやりと光り、即座に失われた肉を再生させていく。
失血死することもない。
病による痣も光によってキレイさっぱり消える。
結果、病魔たちはついさっき自分が食ったのと同じ部位の肉を食い、また再生し、また食う。
そのサイクルを悠長に繰り返している間に俺は二体の病魔を串刺しにした。
棍棒のようになった槍を、手のひらからエルを送り込みつつ回りながら力いっぱい振り回す。
横薙ぎに回転する槍は、徐々に伸びながら周囲の病魔を蹴散らした。
エルに反応して大きさを変える素材を使用しているこの槍は、最大で十倍の長さまで自由に伸ばす事ができるのだ。
周りがスッキリしたことで、赤黒い色をした一回り大きい病魔。『親玉』を目視できた。
「そこにいたか」
俺は一振で串刺しにしていた病魔の死体を振り飛ばして親玉に向かって疾駆する。
しかし、もちろん敵も無抵抗ではない。
見た目の割にずいぶんと軽いが、多少ふっとばした程度で死ぬほど奴らの生命力は弱くない。
「ヤァァァァァァ!」
親玉が触覚を逆立たせておぞましい叫び声をあげた。
すると、再び大量の病魔が殺到する。
自分を狙う異物を排除させようとけしかけたのだろう。
このまま突っ込めば数秒前の焼き回しになるが、親玉が視界に入った以上、ベテラン親玉ハンターの俺はそのような二度手間はかけない。
「『不屈の勇者』テッドだ。大人しく死ね」
俺は早口でそう呟いて、真っ直ぐ構えた槍に両手から思いっきりエルを送り込んだ。
ものすごい勢いで伸びた槍の先端は、親玉の中心に突き刺さり、ボリン。という手応えを伝えた。
心臓を的確に貫いたのだ。
ギャギャギャ、と不快な断末魔をあげた病魔共の親玉は、ドロドロと溶けていき、瞬く間に赤黒い血溜まりのようになってしまった。
普通の病魔は殺してもそのまま死体が残るのに、何故か親玉だけは毎度こうして溶けてしまうのだ。
そして、親玉が溶けると、病魔の軍勢は先程までの好戦的な態度はどこへ行ったのか不思議になるほどピタリと大人しくなる。
大群全てがだ。
そして、回れ右をして元いた場所に帰っていく習性がある。
詳しい理由は解明されていないが、リーダーを失って一時撤退。といったところだろうとされている。
しかし毎度のことではあるものの、気味が悪い習性ではある。
帰ってくれるに越したことはないが、今までそうだったというだけで、次もその次も同じという保証はどこにもないのだ。
ともあれ、今回はこれで終わりのようなので、とりあえずよしとする。
「任務完――」
了。と言い切る寸前。
山の向こうに帰って行く病魔の大群の中、何者かの急激な接近を察知した俺は、振り向きざまに斜め上方に向けて長さを戻したばかりの槍を突いた。
しかし、槍に獲物はかからず、代わりに俺の腹が裂けた。