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俺は簡単に髪を乾かすと、手早くジャージに着替えて居間に戻った。
あゆが、パソコンの前の椅子に腰掛けて、何やらはしゃいでいる。インカムをつけて、マウスを激しく動かしている。さっき「狩り」って言ってたのは、ネトゲの事だったんだな。こいつは、暇さえあればゲームばっかだな。
まあゲームはいいとしてだ。ショーツとキャミだけって格好はどうなのよ。ついでに言えば、髪は生乾きだ。
そりゃ、相手からは、姿までは見えないだろうけど、その辺もちゃんとして欲しい訳よ。家族として兄として。あ、片膝を抱えて、斜めに座りなおした。だらしないにも、程があるよね。
俺は、後ろから近づいて、モニターを覗き込んだ。あゆは、仲間数人と、ダンジョンを攻略中らしい。てきぱきと、指示を飛ばしながら、自分では剣で何かをガンガン殴っている。よっぽど夢中になっているらしく、真後ろに立っている俺のことには、まるで気付かない様子だ。ま、いいけどね。
俺は、冷蔵庫から牛乳を出してマグカップに注いだ。そういえば、初音はどうしたんだ? 風呂待ちじゃなかったっけ?
「おい、あゆ。初音は?」
あ、インカムしてたら聞こえるはずもないか。
「もう寝るっつってたよー。あ、右減りすぎ。下がって回復して」
うお、聞こえてるのか? それもゲームに熱中しながらかよ。すごいね。
「まだ十時前なのに、もう寝るのか? ていうか、風呂は?」
「初音は八時間寝ないとダメな人だから。風呂はー、朝シャワー浴びるんじゃないの? あぁ、うん。なんでもない。今のはうちの兄貴」
八時間も寝るのか。変な奴だな。それと、あゆの聖徳太子プレイにもびっくりだ。なかなか、侮れない奴だ。
今までの俺は、記憶がなくなったせいで、自分のことで精一杯になっていた。だから周りが見えていなかった。でも、冷静になって俯瞰から見ると、うちの奴等は、変なのばっかりだよな。
もっとも、俺も記憶喪失だから、変なのの筆頭なのかもしれないが。
俺は、テレビでも見ようと、ソファーに腰掛けて、リモコンを手にとろうとした。すると、すぐ横に置いてあった俺のスマホに、何かの着信があった。とりあえず俺は、そいつを手に取った。どうやら、メールの着信だったらしい。着信音は、すぐに止まった。俺は、慣れないスマホを、たどたどしい手つきで操作した。
「差出人 川越一高物理部」
「件名 SHALL WE PLAY A GAME?」
これは、迷惑メールというやつだ。俺は、ムッとして放り出そうとしたが、ちょっと気になって思いとどまった。差出人にある『川越一高』というのは、俺が今日入学したばかりの学校だ。しかし、それは今年からの学校名だ。去年までは『川越一女』だったはずだ。だから、このメールは、その辺の事情にも詳しくないと出せないはずだ。ひょっとすると、迷惑メールじゃないのかもしれない。なんとなく興味を引かれた俺は、とりあえず本文も見てみることにした。
「親愛なる日下部剛健様。突然のメールで失礼致します。今回メールを差し上げたのは、あなたがた新入生に素敵なゲームをご案内するためです。そのゲームとは、ウィッシュ・オブ・ウィザーズです。ウィッシュ・オブ・ウィザーズ(通称ウイッシュ)は、スマホを通じて行う対戦型のゲームです。魔法を駆使して、相手のシールドを早く減らす事を競う簡単なゲームです。しかし、多種の魔法、多伎にわたる戦略、自由度の高いオプションルールによって、奥の深いゲームとなっております。新入生の皆様方は、まずは、このゲームを通じて、お友達作りをなさってはいかがでしょうか。もちろん費用は一切かかりません。お気軽にご参加下さいませ。皆様と対戦できることを心よりお待ち申しております。川越一高物理部一同 『ダウンロードはこちら』」
学校以外にアドレスを教えた覚えはない。しかし、迷惑メールにしては、事情通すぎる。どうしたもんだろうか。削除すべきなんだろうか。いや、俺が記憶をなくす前に何かに登録したのかもしれない。
そんな事よりも、このゲームって奴にちょっと興味がわいてきてしまった。物理部って書いてあるから、部活動で作ったゲームなんだろうか。だとしたら、高校ってのは、中々に自由で楽しそうな場所に思える。
何だろう、スマホで対戦って事は、ネットゲームの一種なのかな。ゲーム通のあゆにちょっと聞いて見たい所だけど、さっきから狩りに夢中で話し掛けづらい。とりあえず、ダウンロードだけでもしてみようかな。ただって事になってるしな。テレビを見てるよりは、いくぶんか楽しそうだ。俺は、ダウンロードのボタンに触れた。ダウンロードは二秒ほどで終わり、インストールするかどうかを聞いてきた。迷わずイエスのボタンにタップする。すると、アプリの一覧に、Wの花文字をあしらったアイコンが追加された。ふむふむ。俺はそのアイコンに触れて、ウィッシュ何とかを起動した。
「初回起動です。ユーザー登録を行いますので、指紋認証を行ってください」
白地に黒のゴシック体で、文字だけ表示された。ずいぶん飾り気の無いアプリだね。とりあえず、俺はスマホの指紋認証部に親指をこすりつけた。
「日下部剛健さんのユーザー登録を完了しました。続いて免責事項を確認して下さい。了解した場合は、承諾のボタンをタップしてください」
いきなり、細かい文字が大量に表示された。ちょっとスクロールしてみたが、とても読みきれる量じゃないので、とりあえず承諾のボタンを押した。
「ウィッシュ・オブ・ウィザーズの世界へようこそ」
相変わらず、白地に黒文字だけの画面だ。けれんみの、かけらも感じられない。これが対戦ゲームだとは、ちょっと信じられないな。画面の下の方には、五つの選択肢があった。
「ヘルプ」
「ルールブックを読む」
「チュートリアルを始める」
「対戦する」
「終了する」
わけが分からな過ぎるわ。とりあえず、こういう場合はチュートリアルだよな。ルールブックなんて読んでられないだろ。俺はチュートリアルのボタンに触れた。
「チュートリアルを開始するには広さが足りません」
元の画面に戻ってしまった。何度もチュートリアルのボタンを押したが、結果は同じだ。広さの意味が分からないよな。この部屋が狭いって事なのか? あゆに聞こうにも、まだ狩りの真っ最中だ。しょうがない。表に出てみるか。
「あゆー。ちょっと外で涼んでくるわ」
「んー」
一応話は通じているようだ。お前はその格好で寒く無いのかと問いたいが、既に熱くなっているようなので、そっとしておくことにした。玄関を開けて外に出ると、なにげにいい月が出ている。ここは、十四階建てマンションの十四階だ。夜景も悪くはない。俺は、玄関前の通路で、再度チュートリアルのボタンに触れてみた。
「チュートリアルを開始するには広さが足りません」
おいおい、どんなブルジョワがやるゲームだっていうんだよ。俺は仕方なく非常階段を使って屋上に出た。風が心地良い。さすがにこれだけ広ければ文句もありますまい。俺はもう一度ボタンに触れた。
「単位ナル・フィールドを展開します」
スマホにそう表示された途端、俺の周囲に金色の火花が走り回り、夜の闇を切り裂いた。同時に金属的な効果音も響く。そして、火花はすぐに十二本の光の骨組みとなり、俺を取り囲むように大きな半透明の立方体が形成された。
「ちょちょちょちょっと待って!」
うろたえるあまり、間抜けな声を上げてしまった。スマホのゲームなんだから、スマホの画面だけで遊ぶものだと思うのが普通だろう。いきなり現実世界に、変なモノを出現させないでほしい。驚くじゃないか。
しかし、たいしたもんだね。立体映像って奴なのかな。このちっぽけなスマホにそんな機能が備わっているとはね……。
でもおかしいな、記憶が無い。スマホアプリでこんなことできるんだったっけ? 過去の出来事は忘れていても、一般常識は大体覚えているはずだったのにな。よりによって、こんなに面白そうなことに関して記憶が抜け落ちているなんて残念すぎる。ふとスマホに目を落とすと、表示が変わっていた。
「ナル・フィールド展開完了。バトルドレスを具現化してください」
して下さいと言われても困る。バトルドレスと言われても、意味が分からない。キャンセルのボタンが無いから、このまま進めばいいんだろう。俺は、さらにボタンをタップした。すると、まばゆい光の束が、周囲から湧き上がり、螺旋を描きながら俺の体にまとわりついてきた。
「ひぃっ!」
思わず声が出てしまった。ある程度予想はしていたものの、心臓に悪い。俺にまとわりついた光は徐々にターコイズのハーフコートの様な衣類に変化した。それに続いて、スマホの表示も変化した。
「バトルドレス具現化完了。シルードチャージ中」
画面の下の方、にシールドと書かれた横向きの棒グラフが現れた。棒は急速に伸びて行き、横幅いっぱいまで伸びきると停止した。同時に、シールドのグラフの下に、マナと書かれたグラフが現れた。こちらは、最初から満タンのようだ。しかし、どちらも味気ないただの黒い棒だ。立体映像の派手なエフェクトに比べると対照的だ。でも、なんとなく、雰囲気は分かった。この、マナというのを元に、魔法を使って、対戦相手のシールドを削り切ったら勝ちって事なんだろう。
なんだか面白くなってきてしまった。動悸がする。わくわくしてヤバイ感じだ。
今度はスマホの画面が上下に分断され、メッセージが出ているウインドウの下に、魔法の書のウインドウが現れた。
「魔法の書から、ファイアの魔法を選択してください」
俺は魔法の書のページをめくった。魔法の書はアルファベット順に並んでいるようだ。それにしても、いかんせん数が多い。何ページもめくって、やっとファイアの項にたどり着いた。すると、メッセージが変わった。
「魔法の書を参照し、動作のひとつもしくは任意の組み合わせを完成させてください。
・アイコンのタップ
・チャント(発声)
・ジェスチャ(動作)
・プレイ(祈り)
完成されしだい、魔法がキャスト(投射)されます」
魔法の書には右掌を前に出す動作が模式的に書かれていた。そして、その下には、なぜか英語で細かい説明が書かれていた。固有名詞が多くて良く分からないが、射程や効果範囲について書かれているようだ。でも、今はそんな説明なんかは要らない。どんな魔法が飛び出すか試すだけだ。
俺は手を前にかざし、アイコンをタップした。すると、真っ赤な炎が右手から噴き出した。リアルで派手なエフェクトだ。暗闇に目が慣れていたせいか、かなりまぶしい。ついでに、それっぽい効果音もちゃんとついている。俺は迫力に圧倒されてしまった。
こんなカッコいいゲームがあっていいのか。しかし、残念な事に、火はあっという間に消えてしまった。まぁ、火炎放射器じゃないんだから出っ放しって事はない。
俺はもう一度掌を前に突き出すと、今度は「ファイア」と呪文を唱えてみた。燃えさかる炎が再び現れる。いい感じだ。もうこれはゲームとしてじゃなくて、花火として遊んでいても飽きないレベルだ。俺は立て続けに呪文を唱え続けた。
「ファイア」
「ファイア」
「ファイア」
景気よく燃え上がるもんで、うっかり少年の心を取り戻してしまった。ニヤニヤしながら格好つけて呪文なんかを唱えている俺は、ちょっと気持ち悪いかもしれない。ふとスマホの方を見ると、マナの棒グラフが半分以下になっていた。さすがに連射しすぎたようだ。グラフを凝視していると、一応少しずつではあるが自然回復している事が分かる。だが、俺は、せっかちな性分なんで待ちきれない。マナの回復を早く出来ないものかと考えていたところ、メッセージに変化があった。
「以下の姿勢を保つことで、マナの回復速度を上げることが出来ます」
魔法の書のあった部分に、マナ回復姿勢についての説明書きが、重なって表示された。足を少し開いて立ち、両こぶしを握り込む。これだけでいいようだ。
目をつぶると、更に回復速度か速まるらしい。とりあえず俺は、スマホを腋の下に挟んでこぶしを握り込んだ。二~三秒遅れて、床面からほのかに光が立ち昇る。腋のスマホを見やると、マナのグラフが、いい感じに回復していくのが分かる。
俺は、さらに目をつぶった。多分立ち昇る光も、少しは勢いを増したはずだが、目をつぶってしまったので分からない。マナの回復速度も、分かりようが無い。それ以前に、目をつぶるのは、実際の対戦では致命的になるだろう。相手の動きが分からなくなる以上、無防備にならざるをえない。まず使う事は無いだろうな。そんなことを考えながら目を開けると、マナはフルチャージされていた。更に、新しいメッセージも表示されていた。
「ブロックについて説明します。以下に示す姿勢を保ってください。これにより、即座に半径二メートル以内の物理的障害が排除されます。また、魔法による攻撃の八割を軽減します。なお、ブロック中はマナを急速に消費しますので、使用には注意が必要です。また、ブロック動作は、すべてのキャスト(投射)を中断しますので注意が必要です」
ブロックは、拳を握り、顔の前で手を交差させればいいらしい。俺は早速やってみた。一瞬で、青白い光が、俺を中心として膨張し、空間が球状に切り取られた。球体の内部は完全に無音だ。外界から物理的に遮断されている事がうまく表現されている。しかし、マナの減り方が尋常じゃないので、すぐに解いてしまった。さすがにこれは、緊急回避にしか使えないな。
「以上でチュートリアルは終了です。お疲れ様でした」
金色の光の柱は消え、俺を包む半透明の立方体も消失した。着ていたハーフコートもいつの間にかなくなっている。スマホの表示も始めの選択画面に戻ってしまった。
俺は、急に現実に放り出されて、少し寂しくなってしまった。結構盛り上がってたのに、いきなり終わるとはね。四月の夜風は、ちょっと熱くなっていた俺の温度を静かに下げてくれた。
でもまあ、これは遊ばない手は無いよな。あゆでも誘ってちょっと遊んでみるか? いやいや、魔法の書のページ数を考えると、まだまだ奥が深いゲームに思える。ここはもうちょっと練習して、あゆをフルボッコにしてやるのも面白いかもしれない。俺はそう思って、スマホを見た。表示がさっきと若干違っている。「チュートリアルを始める」が無くなって、その位置に「プラクティスモードで始める」が追加されている。俺はためらわずに、プラクティスモードのボタンを押した。
「展開するナルフィールドのサイズをリストの中から選択するか、ボイスコマンドで決定して下さい」
さっきとはちょっと違うようだ。俺は選択しようとリストを眺めたが、とんでもなく種類が多いので面食らった。まず、フィールドの大きさの刻みが細かい。その次に、フィールドの種類の選択もある。フォレスト、プレーン、グレーブヤード、バンプドグラウンド、ボルケイノ、等々。もう細かい事はどうでもいいか。俺は観念して、さっき聞いた言葉をそのまま口にした。
「単位ナルフィールド展開!」
再び金色の光が交錯し、立方体の空間を形作った。何だ、簡単じゃないか。そして次なる指示は……。
「ボイスコマンドでバトルドレスを具現化してください」
どうやら、このゲームはボイスコマンドの使用を推奨しているようだ。とりあえず適当に何か言ってみよう。
「バトルドレス装着!」
さっきと同様、金糸銀糸が湧き上がり、まとわりついてくる。そして光の中からハーフコートが生成された。適当でもなんとかなるもんだな。スマホでは既に魔法の書が開かれている。準備は整ったようだ。俺は、魔法の書を大雑把にめくった。思った通り、魔法の種類は異様なまでに多い。分かりやすいものも、分かりにくいものも、子供だましのものも、おどろおどろしいものも、たくさんある。しかし、字が細かかったり、説明文が英語だったりで、大雑把にしか理解できない。
俺は、その中で、ウインドブーメランという項目に目を引かれた。右手をサイドスローのように振ると、かまいたちみたいなものが出るらしい。俺は早速実践した。
「ウインドブーメラン!」
右手を振ると、緑色のブーメランが飛び出した。そいつは、回転しながら弧を描いて飛び、ナルフィールドの壁に激突すると爆音を立てて消えた。俺はてっきり、まっすぐ飛ぶものだと思っていたから、ちょっとあせってしまった。まぁ、ブーメランって名前なんだから曲がって飛ぶのはあたりまえだよな。これは、相手を横から攻撃できるわけか。このゲームの奥深さが分かるいい例だな。あとは……、説明も読んでおかないとまずいな。それぞれの魔法の利点と弱点を理解しておかないと、戦略で負けてしまう。
その後も俺は、魔法の書をめくっては説明を読み、呪文を唱えては効果を確認した。飽きもせず、延々その作業に没頭した。時間を忘れて、カッコいい俺ごっこに、夢中になってしまったのだ。
しかし、無理からぬ事だとは思う。こんなにリアルでかっこよさげなゲームが他にあるだろうか。あゆのやってるネットゲームなんぞと比べたら、それこそ月とすっぽんだ。俺は、とにかく呪文を唱え続けた。夢中になってしまっていた。そう、日付が変わったことにも気がつかないほどに……。