Run Run Run!(逃げろ!)
「何、これ?」
それは例えるなら、そう車輪。荷馬車の車輪だ。一つしかないが、大きさは少女が立ったのと同じくらいの高さであった。車輪の中心には操縦席と思わしき座席と、前面に乗せられた機械、そしてバイクのようなハンドル。車体の右側には一メートル強の細長い筒が。その筒を上に押し上げ、車輪をまっすぐ起こす。座席の上に一冊の分厚い本が乗っているのに気付き、左手で車輪を抑えながら右手でそのページを捲った。彼女の分かる言語のページを開き、おおざっぱに読み進めていく。
そのマニュアルによると、この車輪の名前はPill Bugというらしく、最高時速百五キロで地面を走行するようだ。右側の筒は三十四ミリ無反動砲というらしいが、彼女には兵器の知識など全くなかったため、それが反動が無い大砲ということが曖昧に理解できたぐらいであった。両脇にレバーのついたステアリングで操作し、足もとのペダルで速度調節やブレーキを踏む。正面のモニタに機体の状態や付近の地形情報、接近する物体の表示などがされるようである。これらはあまりにも二十五世紀の田舎に住む少女には先進的過ぎた。まるで古い映画の世界であった。このようなものが遥か昔に地上を走り回っていたのだろうかと彼女は思いを馳せる。
マニュアルを読むのもそこそこにしておいて、起動の項まで一気に飛ばす。彼女はマニュアルの挿絵と実機を何度も見比べながら、慎重に操作していく。
「えーっと、まず空気圧の点検をし……なんだこれ!わかんない!ここじゃなくて……あったあった、なになに、キーを挿す」
レバーの右を見る。鍵らしきものは挿さったままであった。不用心だなとため息をつくと、次の段階に移行する。
「それで、次に第二モニタの下にあるレバーを左に思いっきり捻る。こうか!」示してあるレバーをグイと捻った。すろと爆発しそうなほど何度も破裂音を出しながら、エンジンが起動した。
「やっほい!」
嬉しさのあまり飛び上がるが、すぐにマニュアルを鞄にしまうと座席に跨った。実際に乗ってみるとなるほど正面がタイヤで見えない。だから四つものモニタがあるのかと感心していると、外が騒がしくなったのに気付いた。どうやらさっきの起動音を聞きつけてしまったらしく、周辺に兵たちが集まり始めた。特定されるのも時間の問題かもしれない。こうしてはいられない、すぐにでも脱出しなくては。
「さて、と……どうするか」
起動したはいいが、出口がない。一応あるにはあるのだが、ガラクタが邪魔をして進めそうになかった。エリアは脳に言い聞かせる。早く打開策を打ち出さねば一巻の終わりである、と。そして一つ名案を思い付いた。
「そうだ、壁を……」
座席の右側に備え付けられた三十四ミリ砲で壁を撃ち抜いて、そこから脱出すればいいのだ。壁も割と薄いようで、撃ち抜けそうである。嬉々としてボタンをいじくりモニタの一つに何やら表示が現れ、眉間に皺をよせ覗き込んだ。どうやら弾の種類を選ぶようだが、どれがどんな効果を持つのか分からない。Flare(照明弾)が燃える何かというのは分かるが、燃えてどうするのかは理解できない、放火でもするのか。それに一番下のHE(榴弾)とは何なのだろうか。勘がこれにしろと働きかけるが、本当にこれで壁を吹き飛ばせるのだろうか。半信半疑であったが悩んでいる暇はない、榴弾を選択すると照準を合わせ操縦桿とは別にあるレバーのトリガーを押した。
カチリという軽い音が鳴るかならないか、真横から大層大きな音を上げて砲弾が壁を吹き飛ばした。その衝撃にエリアは茫然としていた。
突然の爆発に、倉庫に基地内の全注目が注がれる。
「こっちだ、こっち」
「殺すな、取り押さえろ!」
近場の兵たちが黒煙の周囲に展開する。何かがガラクタ置き場で爆発したらしいということは彼らにも理解できた、恐らく標的がそこにいるだろうということも。しかし先程彼らはあろうことか竜のような生物を目撃していたため、いまいち踏み切れずに不安になっていた。
「こなくそー!」
少女の声がしたかと思うと、黒煙の中から巨大なタイヤが現れた。タイヤは確保のために包囲を狭めていた兵士たちを弾き飛ばし猛烈な速度で基地の真ん中を駆け抜けていった。それをぼーっと眺めていた彼らは我に返ると、急いで追撃部隊を出した。
「わわわわ!!ひいいいいいーーーー!」
ダメもとで倉庫を飛び出したエリアだったが、無事脱出出来たことに胸を撫で下ろしたくても、その初めての体験と速度に恐怖するのに忙しかった。のろのろとした農作物を積んだトラックの荷台に乗ったことはあっても、風景が一瞬で過ぎ去るほどの速度は体験したことがなかった。エリアを乗せたダンゴムシは所々アスファルトの剥がれた夜の道を遁走していく。すぐに後方から別のエンジン音が迫っていることに気付き、策を打つためモニタを見渡すが、何が何だかさっぱりわからない。マニュアルを取り出してわき見運転をしながら対策を考える。このダンゴムシは相当多機能らしく、加えてさっぱり理解できない燃料を使用するらしく、ガソリンや石炭を利用せずに半永久的に走り続けられるらしい。科学ってすごい!と半ば目を輝かせながら、マニュアルに従って装置を操作していく。
「ここをこうしてーの、こう?」
ぎこちない動きで操作をしていき手順の最後を履行すると、地図が三番モニタに表示され、最適な走行経路を割り出した。それだけでもすごいのに、もう一つボタンを押すと、自動で走行してくれるというのだから目玉がぶっ飛ぶというものだ。まだ慣れない振動を我慢しつつ、彼女は空いた手で肩に掛けていたライフルを両手に持ち、敵襲に供えた。どうにか戦わずに逃げおおせたかったが、悪路走破性は機体の特性上叶わず、四台の車両に追いかけられる羽目となった。
追跡者がじわりじわりと迫る。発砲こそしてこないが、逃がすつもりは毛頭ないらしいことが感じられた。そして遂にドライバーの顔が判別できるまでの距離に近づかれてしまう。マニュアルを開こうと手を掛けた時、小さな段差で車体が大きくはね、右手でつかんでいたライフルを取り落してしまったのだ。