Mio sconosciuto cuore.(我が知られざる深層心理に眠るは)
「んーっ!」
反射的にエリアは膝を思い切り突き上げ、プロレスラーのように強烈な蹴りが鋭角で的確に男のみぞおちに入った。また同時にドレスも拳を勢いよく男の脳天に振り下ろしており鈍い破砕音と男の呻きにすら聞こえぬほど痛々しい声が男の口の隙間から漏れゆっくりと巨体を傾かせた。男の口から白く細かいものが零れ落ちていくのをエリアの眼が捉えていた。男が倒れる寸前でドレスがその服の胸元を掴んで倒れるのを防ぐとそのままゆっくりと倒して外へと引き摺って行く。巨体が倒れてこのボロ屋の壁を破壊でもして大きな音を立ててばれるわけにはいかないのだ。
「待ってろ」
そう告げて外へと戻るドレスにエリアは無言でうなずき返すと周囲を気にしつつ傍にあった壺の中へと潜んだ。流石に今度は中身を確かめたので空な壺に身を潜めた。壺は昨日隠れたものよりも一回り小さかったため長身のエリアは体を曲げて頭を隠していると向こうから戸の軋む音が聞こえ話声が近づいて来るのに気づき息をひそめてばれぬことを祈った。
「……ああ、エルメネフは少し遅れてるからあと少し遅らせるらしい」
一人の男がこの地方にしては聞き取りやすい英語でその名を口にした。エルメネフとは一体何だろうか、人名かそれとも何か重要な物体の固有名詞か……この場所のことを考えるに恐らく前者であろう。
「仕方ねえか、あの爺さんを蔑ろにゃあできねえしな」
どうやらエルメネフとはここの上客らしい、つまり今まで幾度となく捕らえられた女性を買っていったお言うことにもなる。エリアは下唇を噛むと彼らの会話に耳をそばだてる。足音はどんどん近づいて来る、そう言えばドレスが戻ってくる気配がないが男を隠すのに手間取っているのだろうか。彼女としては不安なので出来ればさっさと戻ってきてあの男二人を始末してほしいのだが。
「あの女は売れると思うか?あの変な腕っぷしの強い白人の」
(ライマ?)
腕っぷしの強い白人の女と言えば、この状況ではライマしか思い当たる節がない。より確かに聞き取るために彼女は息を止める。
「売れるんじゃないのか?あの爺好きものだしなあ……」
「ああー有りうる、いや確実に買うぜあの色ボケは」
「ちげえねえハハハハハ!」
そのまま男たちはエリアの潜む壺を素通りし先ほど倒した男が出てきた扉の向こうへと消えていった。何とかやり過ごしたようだと安心したエリアは恐る恐る壺から頭を半分だけ出して誰もいないか確認して外へと出た。
「おっとっと」
と、つま先が壺の口に引っかかり大きな壺はゆっくりと傾いていった。息を飲むエリア、慌てて引っかかった足を戻して足の裏で壺を戻そうと試みるも空しく壺は靴の裏の表面を滑っていく。万事休すか、エリアがつい目を瞑ったのだが、予想したような大きな音はならず代わりに静かに低い音が背後で鳴ったのみで、そっとに目を開けるとそこにはドレスが壺を元の場所に押し戻している姿があった。
「あ、ああ……」
ギリギリのタイミングで戻ってきてくれたドレスのおかげで危機は回避された。
「気を付けろ」
「ゴメン……」
若干理不尽だとは思いながらも彼に感情論でかみついても無駄だと理解しているエリアは、諦めてとりあえず謝っておくことにした。今は自分のことより優先すべきことがあるのだから。
「遅かったね」
確かにあの男は大きかったが、それでもドレスの力なら片手で持っていける程度ではあったはずなのになぜ遅れたのだろうか。その答えは実に納得のいくものであった。
「合図を出していた、ライマを見つけたという」
「ああ~」
すっかり忘れていた、ライマ発見と救出の合図の狼煙を上げなければいけないことに。ついライマを確保したいという気持ちが走ってしまったのだ。現在この建物の屋上からは赤い煙が細々と天に向かって伸びていっており、途中でそれは風によってかき消されてしまってはいたものの空を行くエマーヘルにはそれで十分であった。
「さて、行くか」
二人は再び入ろうとした扉の中へと進んでいった。エリアはあらかじめこの奥に二人の男が入っていったことを伝えておく。
短い廊下を抜け次の扉の前に来ると、エリアが扉に耳を当てて向こうの様子を窺い誰もいないことを確かめるとそっと音を立てぬように扉を押すとそこには衝撃の光景が広がっていた。
「そんな……」
思わずエリアは口元を抑えその先の言葉を失う。ドレスもまた鼻を突く悪臭とその光景に不快そうに顔をしかめて鼻を袖で覆った。
彼らが目にしたのは檻の中に閉じ込められた何人もの女性の姿であった、そうライマがつい今しがたまで閉じ込められていたあの部屋だ。部屋の中に並んだ四つの檻の中にはライマ含む三人が連れ出された後も尚十人以上の女性たちが閉じ込められたまま俯いており、一人が現れた二人のイレギュラーに気づき顔を上げたもののすぐにまた力なく項垂れてしまった。恐らく二人を男たちの仲間と新たに連れられてきた女だと思ったのだろう。
「これが」
エリアはこみ上げる吐き気を押してようやく声を絞り出す。これが、きっとサビーナや八百屋のおじさんが言っていた拉致された女性たちなのだろう。若い女性を中心にまだ幼い少女すらいるではないか。この町の腐りきった現状と闇に耐えがたい怒りを覚えたエリアは鬼のような形相をしてずんずん檻の方へと歩み寄ると一番手前の檻の一番歪んでいる格子へと手をかけた。
「流石にそれはお前では……」
直径1.5センチはありそうな鉄の棒はいくらドラクラットとはいえ少女のエリアには力づくでも曲げるのには無理がある。せめて竜に変身しなければ。
だが、エリアは本気のようだ。突然恐ろしい表情で現れた彼女に檻の中の女性たちは彼女の行動をいぶかしみながらもその場からゆっくりと離れていく。
「ふんっ……んんっ!」
やはり、格子はビクともしない。素直に鍵を探すべきだと伝えようとしたドレスだったが耳に入った金属の擦れる音に伸ばしかけた手を止め目を細めた。
「無理だろう……流石に女では」
だが、その言葉とは裏腹に彼の心はエリアの可能性を見たがっていた。次第にミシミシと音を立て始める格子、エリアは顔を真っ赤にしていまにも頭の血管がはち切れんばかりだがそれでも彼女は込める力を緩める気配は無く絶対にこの檻を歪めて見せるという鉄の意志が感じ取れた。
「……待っていてくれフェトクレーラ、君を奴らの生贄なんかに……」
まただ、ドレスはエリアがまた何者かになっていることに気づく。フェトクレーラは中欧あたりにすむドラクラットの女性の名だ。だがかなり古い名でその地方の老人ですら今まで一人の老婆でその名を持っている女性としか出会ったことしかない。そんな珍しい古い名をエリアが知っているはずがないのだ。
などと彼が思い悩んでいる間に、更に格子は軋んでいき遂にゆっくりと少しだけ曲がっていた格子が更に曲がり始め隙間を広げていったのだ。それも、彼の眼には信じられないことであった。女性のドラクラットがそこまでの力を持つわけがないのだ、ある程度の太さや厚みを持った鉄を曲げるなど男のドラクラットでもかなり厳しいものがある。無論彼女にもないことは今までの彼女を見ていればすぐにわかること。ならばなぜ。
(やはりあの子の中には何かがいる……)
疑念が少しずつ確信に変わっていく。きっと彼女はただの闇竜族ではない、予知に選ばれるだけの何か理由を秘めているのだ。
「あああっ……うんんっ!!」
乙女の呻きと共に遂に二本の鉄格子が曲げられ通常の体型の女性なら体を横にすれば通れる隙間が生じた。
「くうう……はあっ、はあっ、はあ……」
あまりに一度にポテンシャル以上の力を発揮したエリアはその場にへたりこんで大きく肩で息をする。その前を、信じられないといった表情で恐る恐る通り抜けていく囚われていた女性たち。彼女たちは未だ自分たちがまだ仮であるが自由を取り戻せたことに実感が湧いていないようで呆けた表情で当たりを見回していた。
「よくやった、休んでいろ」
そうドレスは告げると部屋の反対側にあるドアへと向かっていった。
(後の始末は俺がつけておこう)
ドレスは一人、奥の部屋へと進む。少女にあれほどの力を見せられたのだ、アーティアイアの名を持つ自分が生半可なところを見せるわけにはいかない。
扉の向こうへと消えたドレスは三分ほど後に血に濡れた鍵の束を片手に戻ってきた。こうしてこの部屋の囚われの女性たちは全員が解放され残すところは直前に連れていかれたライマたちであった……




