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Schwarz Drache ~黒き竜の少女と果て無き旅の果てに~  作者: 戦艦ちくわぶ
Ⅰ La ragazza nera(黒き竜の乙女)
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Wooden emulsion(樹乳液)

 翌朝、未だ誘拐グループに捕らえられ監禁されているライマは、冷たい地べたの上で目覚めた。起きてすぐに彼女を不快な思いにさせるのが部屋の片隅の穴から絶えずこみ上げてくる汚臭だ。トイレとしてあてがわれているその穴の悪臭が、この夏の気温と湿気によってその悪質さを増して鼻を自らもぎ取りたくなるほどの悪夢を呼び起こす。そのせいだろうか、彼女が昨晩見たのは自分が腐った魚を沢山入れた穴に落ちて抜け出せないという酷い夢を見たのは。

 人間よりも幾分か感覚の研ぎ澄まされているドラクラットの鼻に、これはあまりにも耐えがたいものであった。さらに屈辱的なのは、自分さえもこの悪臭の一要因となってしまっていることである。生物、生きてれば物は食うし水も飲む。そうすればその分出さなければいけないのはドラクラットとて同じこと。いくら同性とはいえ他人にそのようなところをみられるという辱めに彼女の心に強大な破壊衝動が急速に芽生え始めていた。ああ、この自分を閉じ込める壁や天井が脆い木でできていたのならば今すぐにでも変身して辺り一面を破壊し尽くしてやるというのに!

「皆……探してくれているのでしょうか」

 ふと、つい皆を疑う気持ちが芽生えてしまった。捕らえられてからまだ恐らく三日は経ってはいないだろう、そこまで長い時間が経過したというわけではない。だが今の彼女にとっては二日という日にちすらまるで一カ月のように思い込んでしまう程に、心に影を落としていた。

「マニュティ(おばあちゃん)……」

 そう呟いていると、ふと部屋の反対側に年端もいかぬ幼きリガーラの少女が丸くなっているのが見えた。屈んで体を丸めているためはっきりと予想はつかないが恐らく十かあるいはそれ以下の齢、痩せた手足と薄汚れたその姿が、ライマの心に憎しみから悲しみへとシフトさせる起点となったのだった。

 まさか、あの子もこうして自分のように連れ去られてこうしてここに入れられているのだろうか。例えそれがリガーラだとしても、子供をそのように扱うということが彼女には、いやドラクラットには許しがたい行為であった。何の故か、子供を身ごもりづらいドラクラットにとって子供は何よりの宝。しかも女とあってはつまり将来同じように新たな子を成し育てられる更なる宝であるのだ。それを、何のためかはしらないがこうしてろくな食べ物も与えず汚らしい場所でこのようなことを!!

 再び怒りのこみ上げてきた彼女は冷静に務めようと深呼吸を繰り返すと、静かに立ち上がって少女の隣に歩み寄った。ライマが隣に立つと、少女は一瞬だけ顔を上げてまた抱えた膝との間に臥せてしまい、ライマはだまって少女の隣に腰を下ろした。

「こんにちは」

 ライマは竜語でそう声をかけたが、彼女も始めからこの少女が自分の言葉を理解してくれるとは思ってなどいない。それでも、言葉は通じなくともそうやって声をかけることが大事なのではないだろうかと彼女は考えていた。

 少女は挨拶にも反応せず、やはりうずくまったまま動こうとはしない。それに構わず彼女は声をかけ続けた。

「私はドラクラットのライマ。竜に変身できるの、信じてもらえる?まあ無理よね……あなたの名前は何かしら?……あなたはどこから来たの?私はクラットリアっていう村から来たの」

 やはり、返事はなく彼女は一瞬言葉に詰まってしまったがめげずに何度も話しかけ続けた。子供の頃のことや村であった面白可笑しいこと、そして今している旅のこと。彼女自身も心に傷を負っているはずだが、せめてものこの空気を明るくしたい、そしてこの子供に少しでも笑顔をとり戻してもらいたいという彼女なりの心遣いからこの行動は来ていた。

「ここ、嫌よね」

 ライマはしゃがんだまま部屋の中を見渡してそう愚痴る。きっとこの醜悪な部屋とも呼べぬ部屋に対しては、いかなる人物でさえ嫌悪感を抱かずにはいられないだろうという確信は持てるほどに、彼女はいやでいやでたまらなかった。

 ドラクラットに「衛生」という言葉こそなかったが、この汚らしさに健康上の危険を感じざるを得なかった。

「外はもっときれいだったと思うのだけれど、人は多かったけどね……あんなにたくさんの人を見たの初めてだったのよ、だってドラクラットってあまり数がいないものだから。だからこそこうして旅をしているのだけれどね。あなたは旅をしたことある……ってまだないよね。流石に」

 ライマは時折話を切りつつも、すぐに何かしらの声をかけ続けていたのだが、ようやくそれが功を奏して少女が顔を上げてくれたというその時であった。荒々しく扉が開いたと思ったら、昨日の男が苛立ちを隠せない表情でずかずかと歩み寄ってきたかと思うと、すぐ近くに落ちていた鉄の棒を拾い上げて檻を叩いたのだ。

「ヒッ!」

 悲鳴を上げるライマ、彼女だけでなく他の女性たちも同じように怯えた様子で身をすくめている。

「ベラベラベラベラうっせえんだよ!!このクソアマ!てめえは黙って明日までまっときゃいいんだよこのクソが!!」

 そう怒鳴り散らすともう一度、今度はより強く檻を殴りつけると、その辺に棒を放り捨てて鼻息も荒くまた向こうの部屋へと戻っていってしまった。

「な、なんだったの……」

 言っていることはまったくわからないが、もしかすると状況から察するに話声が耳に触ったのかもしれないと感づいた彼女は、やむを得ないが黙っていようと考え一度は口をつぐんだ。しかし、そのあとすぐに訪れた静寂に、死のような静けさを感じこれではいけないと判断してもう一度口を開いた。だが、今度はもう少し声量を落として。

「……ふう……怖かったね。ああいうすぐ怒る男なんてダメよ、将来選んじゃ。ああいうのってもし結婚したらその声が向けられるのは自分なんだから」

 男がいたことがあるわけでもない自分がそんなことを語るのはどうかと少しばかり気が引けたが、今は言ってしまえと判断しそのまま言い切ってしまう。すぐにドアのほうに眼をやって耳をそばだてるが、あの男が来る気配は無いようだ。

 ひとまず安心すると、彼女は三度少女に話を振り続けていくが先ほどのようについつい気分が乗ってきて大きな声を出さないように注意を払わなければならないことは、十分に留意していた。うっかり忘れない限りは。

 そうしてしばらく声量を落として話しかけ続けていると、遂に少女はうっとおしくなったらしく耳を塞いでより頭を深く足の間に押し込んでしまった。

「あ……」

 ついつい自分が少女のことを考えずにしつこくお喋りを押し付けてしまったのだと気づくことのできたライマは、あからさま気を落として話していた口を半ば閉じて顔を伏せてしまった。励まそうと思っていた少女にこのような対応を取られるのはかなり傷つく。

「……ご、ゴメンなさいね………」

 直前とは打って変わってすっかり落ち込んでしまった彼女は、しょんぼりとうなだれたまましばらく口を開くことは無かった。

「はあ……」

 黙ってしまうと、やはりどうしても故郷のことや家族のこと、そしてエリア達のことを思い浮かべてしまってしょうがない。彼女が励ますつもりで少女に話しかけ続けていたのは、もしかすると自身の抱える寂しさと恐れをごまかすためのものだったのかもしれない。

 こうしてまた少しずつ時間が過ぎていく中、囚われている建物の遥か上空を一頭の竜が旋回していることを彼女はまだ知らない。それは彼女のよく知る雷竜族の祈祷師エマーヘルの変身した姿であることを。そして、明日、自分が競売にかけられることも……

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