Eria Diliso(エリア・ディリーゾ)
少女は通路を進んだ先、一つだけ異質な様相をしたドアの前に立っていた。窓に鉄格子のはめられた鉄の扉というだけでも、彼女にとっては異常なものであったが、それだけでなく感覚が異常を認知していた。その扉の向こうに、彼女の精神に語りかける何かがいた。どこか親しみを感じる一方で、何故か同時に憎しみを感じていた。本能が囁く、彼を救えと。
「彼?」
何故彼だと分かるのかは置いといて、早速ドアを開けようと試みた。当然鍵が掛けられており、びくともしない。今度はもう少し力を込めてノブを捻った。すると大きな金属音を立てて基部ごと折れてしまった。これではドアを開けることは出来ない。どうするべきか、一考して一つの案を思いつく。痛そうだが一刻を争う、手段を選んでいる暇は無いのだ。五メートル程後ずさると、タイミングを計ってドア目がけて突進した。激突の瞬間、思わず目を瞑る。重たい衝撃が肘や肩にもろに伝わり、予想以上の痛みが接触面を中心に体中を駆け巡った。歯を食いしばり涙目になりつつも痛みを堪えた彼女は、金具が千切れたドアと一緒に部屋の中に倒れこんだ。
「いったーい!……肘が、肘が……」
痺れる肘を摩りながら、彼女は立ち上がり顔を上げた。部屋には椅子と洗面台、そしてパイプベッドだけが置かれており、鉄格子の嵌められた窓からは、時折彼女を探すサーチライトの光が差し込んでいた。驚くほど殺風景な部屋であったが、彼女が気になったのはそこでは無かった。中心に据えられた椅子に、うなだれた状態で座っていた一人の男がおり、彼女の意識を一身に集めていた。男はおもむろに顔を上げると、口を開いてこう言った。
「初めまして、忌むべき少女」
少女は息を飲む。驚くべきことに、部屋が暗いせいと彼が黒人であったこととで詳細は不明だが、その男の耳は少女のように尖っており、額を覆い尽くすように不規則な模様が走っているように見える、また両目の色が左右で異なっていた。言葉を失った少女を尻目に、彼は続けた。
「俺は雷竜族の祈祷師、エマーヘル・カイブレイント。黒竜の少女であるお前を捜しに来たんだ」
彼は一体全体何を言っているのか、彼女には全く持って理解できなかったのだが、どうも冗談では無いようだ。いや、それ以前にこの男の話す言語は全く聞いたことのない未知の言語で、ドイツ語でも、スペイン語でも、日中耳にした言葉でもない。それにもっと恐ろしいことに、相手が何と言っているのか何の障害も無く理解できるのだ。恐ろしい。取り敢えず、名乗られたので、礼儀として彼女も自己紹介を手短にした。そして彼女は無意識の内に彼と同じ言語で名乗っていた。
「わ、私はエリア・ディリーゾ。ムゥロに住んでた」
見ず知らずの人間に名を名乗った自分に疑問を抱いたが、躊躇いもなく話したことに驚いていた。色々問い質したいことはあるが、それは後だ。立たせてみると、彼が思いのほか巨体であったことに驚かされた。恐らく二メートル前後はあるだろうと思われるその体は、濃緑色のゆったりとした服に包まれており、よりその大きさを強調しているように見えた。よく見ると、服にもアシンメトリーで不思議な線が象られていた。これにも何か意味があるのだろう。しかし今はそんなことを気にしている暇は無い。
「早く脱出しよう!」
「任せろ」
エリアがせかすと、彼はエリアを肩に担ぎとてつもない速度で走り出した。
「わっ、ちょ、ちょっとお!」
突然担がれたことにより、彼女は動転してビシバシと彼の背中を叩いたが、彼は構わず走り続けた。しかしこの速度がまた速いのだ。エリアもそれなり速く走るのだが、彼には到底敵いそうにない。エマーヘルは扉も兵士も関係なく薙ぎ倒しながら、出口を目指した。
「と、止まれ!」
出口の前に、青年兵が拳銃を構えて立ちはだかった。青年は猛然と迫る大男に怯えつつも、一歩も動かずに立ちはだかったのだ。もしかすると恐怖で足が竦んでいたのかもしれないが、彼の名誉のために抵抗したということにしておく。エマーヘルは口角を上げると、大量の空気を吸い込みとてつもない怒声に変えて吐き出した。
「うおおおおーーーーーー‼‼‼」
「わわわあああーーー‼‼」
恐怖に駆られた青年兵は、今にも泣き出さんばかりの悲鳴を上げて拳銃を取り落としUターンして逃げ出した。が、我を失っていた為に、前後の区別がつかずに壁に勢いよく衝突してそのまま目を回してしまった。
「見ろエリア!見たか、え?」
彼は担いだエリアに問いかけるも、至近距離で彼の雄叫びを喰らった彼女の耳はマヒしており、返事どころでは無かった。そんなことは知らない彼は、その巨躯をコンテナの影に潜めると、エリアを下ろして頬をピシャリと叩いた。
「いだいっ!」
痛い。軽く頬をはたいたようにしか見えなかったのに、父のビンタくらいに痛いのはどういうことなのか。
「よし、手短に話そう。まず俺が敵を引きつけるからお前はすぐに飛んで黒海を目指せ。そこで落ち合おう」
そう言って陰から飛び出そうとしたエマーヘルの服の裾をひっつかみ、彼女は引き止めた。
「どうした」彼が尋ねる。彼の目はエリアではなく周囲を引っ切り無しに見回しており、先程とは違い余裕がないことを窺わせる。
「飛ぶってどうやって」
昨晩から沢山の処理しきれないような出来事が立て続けに起こり、彼女の理性は限界に達していた。そこにこのよくわからない黒人が意味の分からないことをいうものだから、戸惑うほかなかったのだった。
「はあ?」
その質問に度肝を抜かれた彼は、数秒彼女が何を言っているのか理解できなかった。が、理解するや否や、見る見るうちに顔が青ざめていった。
まさか、彼は続きを口走る。
「変身できないのか?」その問いに若干戸惑いつつ彼女は頷いた。それを聞いて彼は汗を拭うように顔を両手で覆った。その眼からは失望の色が隠せていなかった。何故か自分が悪いことをした気分になったエリアは、罪悪感に苛まされる。やがて彼はもう一つの案を提した。
エリアがうんともすんとも言う間もなく、彼は飛び出し走り去ってしまった。見つけたぞ!という男の声とともに、大量の足音が彼と同じ方向へと走り去った。彼が作ったチャンスを無下にするわけにはいかない。少女はコンテナの隙間を縫いつつ、ジープが走って来た方向へと進んだ。時折戦車の真下に潜り込んでやり過ごしながらも、彼女はハンガーの真横へとたどり着いた。だがこれ以上は進めそうになかった。何故なら、十人近い兵士たちがハンガーの周囲を囲っていたからだ。これではよしんば一人を打倒して侵入できても、動かしかたを調べる前に捕捉されてしまう。それでは意味がないため、彼女はハンガーへの侵入を断念。ひとまず今いる小さな倉庫の中へと、半開きのドアから侵入した。
「と、飛んだぞ!」
「化け物だあ!」
そんな悲鳴が飛んできた。恐らく彼なのだろう。化け物という意味がいまいち分からないが。エリアは予め川で汲んでいた水をがぶ飲みすると、倉庫の中を見渡した。倉庫中に機械や武器の類が散乱しているが、残念ながらどれもこれも壊れているか、部品だけであった。
「これも、駄目。あれも……エンジンだけ、かあ」
そろそろ本当に駄目かもしれない。諦めかけ、後ろに手を突こうとした時、何かごつごつとしたものが手に触れた。壁かと思っていたのだが、どうやら別の物があったらしい。どうせこれもゴミだろうと、半ば期待せずに掛けられていた布を取り払うと、砂埃が一斉に舞うと同時に、見たことも無い歪なマシンが姿を現した。