Quillie Quell KQuelii(クイリ・ケル・クェリ)
キニエイテンテス村での二日目が始まった。目覚めて目に映る壁はやはり倉庫の壁で、客間のそれに変わっているということなどなかったのである。一旦目を閉じてため息をつくと、目を開いてすぐに跳ぶように立ち上がった。外からは小鳥のさえずりと虫の鳴き声が耳に入り少しばかり煩わしい。
昨晩と変わった様子はないが、よく見ると枕元に丸っこいパンのようなものと何かの干し肉が二切れ、木の皿に盛っておかれていた。恐らく寝ている間にライマが置いてくれたのだろう。ということは彼女は既に起きてしなければならないことでもしているのかもしれない。
自分は何かすることがあるのだろうか、考えては見るもののこんな場所で缶詰にされているのでは、出来ることを見つける方が難しいというもの。せめて何か手仕事でも与えてくれれば、と思っていたがドラクラットが闇竜族の女に仕事を任せるはずもなく、エリアはただ隅っこに座ってぼんやりと壁を見つめているほかなかったのである。少しずつ長い時が流れる中で、家族のことや故郷のこと、秋の収穫のことなどを考えていたが、それもじきに考え尽いてしまい、いつしか無心で佇むようになっていた。
昼を過ぎたあたりだろうか、廊下を歩く二つの足音で彼女は三時間ぶりに動いた。首だけを戸の方に向けて耳を澄ませていると、やがて足音は倉庫の前で止まった。下の隙間からも誰かがいる証拠に影がちらついている。一体誰なのだろうか、ライマとエマーヘルの二人でないことは、入ってこないことと微かに聞こえる小声での会話で分かる。二人は女性のようだから、片方はライマかもしれないが、ならばもう一人は誰であろうか。寧ろライマでもなかったなら。
「……エリア、入りますよ」
ライマの声だ、これで一人はライマだが……
「あっ、うん」
彼女の返答すぐに静かに戸が開けられる。
「エリア、紹介します。この子はクイリ・ケル・クェリ」
ライマの後に入ってきたのは、背の低い炎竜族の少女であった。歳はそう変わらないようだが、なんだかとても大人しそうというか、怯えているように見える。怯えているのはエリアが闇竜族だからというのもあるかもしれないが、それだけでなく彼女はすべてのものに恐怖しているようにも見えた。ぼさついた髪は無造作に短く肩のあたりで切られており、間近で見るととても傷んでいるのがわかる。それに手や顔に痣を確認し、エリアはなんとなく察した。ライマの表情もどことなく後ろ暗い。
「この子はあなたとの話し相手になってくれるそうです。歳も近いので打ち解けられると思いますよ。では私はあなたの服を繕っているので」
そうぎこちなく微笑むと、ライマはそそくさと退室してしまった。二人の沈黙に、ライマの遠ざかる足音だけが存在していた。そしてそれもすぐに聞こえなくなると、本当の沈黙が訪れた。
どう話したものか、とりあえずエリアは挨拶をすることにした。
「こ、こんにちは」
恐る恐る声をかけたが、彼女としてはとても慎重にかけたつもりであったのだが、クイリという少女にはそれでも大きかったようで、びくんと肩を震わせると同時に手で体を守るようにして壁際にうずくまってしまった。
「ひうっ……」
目には涙が浮かんでいる。ああ、そうだ彼女も。
「私はエリア、まあご覧の通り闇竜族っていうのみたいなんだけど……その……」
クイリの様子を窺うが、彼女はまだ震えてしゃがみ込んだままだ。こういう時の対応の仕方がわからないエリアは、とりあえずそこで口をつぐんでおくことにした。下手に声を上げないほうがよさそうだと判断したためである。彼女は体育座りをして顔を膝にうずめるつもりをしつつも、こっそりとクイリのことを観察していた。顔の全体は見えないが、右目は少なくともカーマイン、紋章は額あたりに広がっているようだ。来ている服は竜人族のセジエだが、裾はところどころ破れておりあちこちが泥や何かで汚れている。臭いも少し鼻を突くほどではっきり言ってとても汚らしい。恐らく、いや確実に彼女は周囲のドラクラットから迫害を受けているのだろう。それがいじめならまだましであるが、このやつれた時代、そしてドラクラットという種族、とてもただのいじめには見えなかった。多分、同年代だけでなく大人からも。
ムゥロでは当然いじめくらい起きていた。しかしこれほどの仕打ちを受けたものはこれまで見たことがなく、エリアはムゥロは比較的文化的街であったことを認識したほどであった。
「……あ、あの……」
蚊の鳴くような声で気が付かなかったが、クイリが声を発したのだということに気づき目を丸くして答える。
「な、何?」
彼女の口がゆっくりと形を変える。何を言おうとしているのか。
「あ、あああなたは私を……なぐなぐ殴らないののの?ころす、殺そうとしな、しないいいののの?」
とても聞き取りづらいが、言わんとしていることはわかった。そしてエリアはその内容にも困惑したが、少し考えた後、首を横に振ってこう答えた。
「クイリこそ、私を殺そうとしないんだね」
そう言われて彼女は目を泳がせて手を震わせ始めた。しくじったか、そう思ったがそうでもなかったようだ。眼をあちらこちらに泳がせたあと、彼女は非常にぎこちなく首を横に振った。会話を聞いていなければ彼女がロボットだと思うくらいには。
「そんなこととこととかかん考えたこと、うっ……ないない、な、ない、ないよ皆わ、私が死ぬべき、べきってい、言うから私、さ最……低だってだかららら」
「そうなんだ……」
エリアは少しいたたまれない気持ちになって、そしておもむろに彼女の手を握った。
「あああっ!!!!」
突然の出来事に飛び上がったクイリは、しこたま体を木箱にぶつけるとよりいっそう角に縮こまってしまった。彼女は必至にエリアの手を振り払おうとするも、弱って力の入らないために自分の手を優しく握る少女の腕さえ振り払うことができなかった。
(細い)
手に収まる彼女の痩せた腕が、とても悲しかった。ろくに食べ物にありつけていなかったのだろう、肌に潤いは無く、肉は削げ血管がところどころ浮き出ていた。それも力なく細く見える。しかし根拠はないが、何も最初からこういう扱いを受けてきたようには思えない。この時代にそんな扱いを受けていたのなら、彼女はここまで育つ前にとうに命を落としていたはずだ。それにどことなくかつてはやせ衰えていなかったような体つきをしている。だとすると、彼女は最近から何らかの理由によりこのような事態に陥っているようである。何故彼女がこうなったのか、エリアは知りたかった。




