ピカピカ
僕はピカピカの黒板が大好きだ。
黒板消しを叩いて叩いて、手に粉が付かなくなるまで叩いたら、一番上から下まで一直線に何度も何度も拭きあげる。
黒板は深い緑色を帯びる。そして窓から差し込む朝日を受けて輝きだすんだ。
まだ誰も来ない、僕だけの宝の時間。
僕は運動場へと走り出す。
下駄箱から桜の木まで息を止めたまま走れないかな、三十二回目の挑戦も失敗に終わってしまったけれど。
桜の木には、深い緑の葉っぱが茂る。黒い木の実もちらほら見える。サクランボだよねと食べてみたことがあったけど、甘いような苦いような、もう食べないなと思うような味だった。でも桜の木ってすごいんだ。花がきれいなのはあたりまえ、葉っぱも真昼の強い日差しを受けると、透きとおってピカピカだ。
目の前で桜の木を見上げる男の子、同じクラスの木村君だ。
「おはよう。今日は早いんだね」
ただの朝の挨拶だ。深い意味はない、はずだけど。
「オレが早くて悪いのかよ。」
木村君は眉を吊り上げて行ってしまった。なんでだろう。
木村君はいつもそうだ、この前はプリントが満タン入ったダンボールをよろよろと運んでいたから「手伝うよ。」と手を出したら
「さわるな、じゃまするな。」だから。
朝からイヤな気分になりたくないから考えるのはもうやめだ。
教室に戻ると女の人が教卓の横に立っていた。クラス担任の先生だ。
「先生おはようございます。」
僕は深々と頭を下げる。
「おはよう、毎日黒板をきれいにしてくれてありがとう。おかげで気持ちよく授業ができるよ。」
先生はお母さんよりずいぶん若い、そんな女の人から褒められると、嬉しいようで恥ずかしいようで。
とりあえず、プラスマイナスゼロってやつなのだろう。
いつもどおりの朝の会、そして授業が始まった。
木村君は僕のひとつ前の席だ。なんだか気まずいけれど、僕が前の席じゃなくてよかったと心から感じる。後ろから見られていると思っただけで授業に集中できやしない。
僕の使っているイスはかなり大きい。おしりがつき出るくらいに深く座ると、床に足が着かなくてブランブランしてしまう。ダメと分かっているけれど、行儀が悪いと言われても、こればっかりはついついやってしまう。
なんだか空を飛んでる気分なんだ。特に僕の席は一番後ろで目立たないし。
そう、この時もブランブランしていたんだ。
木村君が消しゴムを落とした。(何の変哲もない四角い消しゴムだけど、スリーブにかわいいウサギの絵がついている。それが木村君は嫌そうだった。かわいいと思うけど。)その消しゴムは床で跳ねて、あろうことか僕の机の下に飛んできた。
ぱかぁん
僕のブランブランしている足に当たった消しゴムは、勢いよく黒板の下まで飛んで行った。前の席の木村君も合わせて五人の足の間を抜けて飛んでいったんだ。これがサッカーなら超絶シュートってやつなのだろう。
先生が消しゴムを拾い上げた。クラスのみんなは笑っている。しかし次の先生の言葉に空気は一変した。
「だれですか。今は授業中ですよ。」
先生の声が響き渡る。みんなたちまち黙りこんだ。
「ごめんなさい、僕です。木村君が落とした消しゴムを僕が蹴ってしまったんです。」
僕は立ち上がって深々と頭を下げた。
「わざとじゃないのね。」「はい。」
僕はおそるおそる顔を上げた。そこにはいつものにこやかな先生がいた。
「座ってよろしい。授業を続けますよ。木村君は消しゴムを取りに来てね。」
僕はホッと胸をなでおろした。そしてイスに腰かけたとき、木村君が口を開いた。
「先生、ぜったいわざと蹴ったんです。」
僕は驚いた。どうしてそんなことを言うのか分からなかった。先生も同じだったようで、優しい声で聞きかえした。
「木村君はどうしてそう思うのかな。」
「だって、オレのことを嫌っているから。」
僕はますます驚いた。そして立ち上がると叫んでしまった。
「僕が木村君のこと嫌ってるって、反対だろ、木村君が僕のことを嫌ってるんだ。」
そうだ、ずっとモヤモヤしていた。でもこれでハッキリした。僕は嫌われていたのだ。
僕は今、鬼のような形相になっているかもしれない。木村君もきっとそうだろう。こちらからは見えないけれど。
「二人とも座りなさい。」
先生は僕の方を見て、諭すように言った。どうして僕の方を見ているんだよ。
「お昼休みに職員室に来なさい。」
優しい顔をしているけれど、やっぱり僕の方を見ている。
その後の授業は頭に入らなかった。五分休みも十五分休みも、僕も木村君も席を立たなかった。
そして昼休みがやってきた。僕は木村君に目もくれず、職員室へと駆け込んだ。そこで待っていたのは先生の予想外の言葉だった。
「木村君は君のことを嫌ってなんかいないからね。ちゃんと仲直りするんだよ。」
どうしてそんなこと言えるんだろう。不満が顔に出ているようで、先生は話を続けた。
「今朝、木村君が先生の所にお願いに来たの。君が毎日黒板キレイにしてるから誉めてやれって。」
そうなんだ、でもそうしてそんなことを。
「木村君は君みたいになりたいって。黒板や葉っぱがピカピカに見える君が、素直にごめんなさいが言える君が、木村君にとってピカピカに見えるみたいだよ。」
「それならそうと言ってくれれば良いのに。絶対嫌ってるって態度でしたよ。」
先生はくすりと笑った。
「それが言えないから君が羨ましいんだよ。」
そう言って目配せした先には木村君が立っていた。木村君の目は真っ赤で腫れている。そうか泣いていたんだ。
「ごめん。」
かすかに聞こえる木村君の声。
「僕の方こそごめんね。」
僕は満面の笑みを浮かべた。
「今の木村君もピカピカだよ。」なんて言ったらもっと泣いちゃうかな。
読んでいただき、ありがとうございます。
他にも書いていますので、よろしければ読んでみて下さい。
重ねましてありがとうございました。