恋の魔法 1
温泉旅行が終わった当日の夕方。俺は一度関東チームの寮に戻った後、最低限の身の回りのものだけを持って、東北寮にやってきていた。
「えー……っと、今日付けで東北、北海道チームでお世話になることになりました。邑田朱莉です。よろしくお願いします」
俺が丁寧に挨拶をして頭まで下げているというのに、寿ちゃんを筆頭とした東北、北海道チームの面々は『何言ってるんだこいつ』という顔をしたまま黙っていて、歓迎の声どころかよろしくの一言もない。
もしかしてこれが噂に聞く職場いじめか!?
温泉旅行二日目の夜、都さんの問に対して俺が出した回答に対する都さんの答えがこの東北、北海道チームへの異動だった。ちなみに現在関東チームのリーダーは柚那になり、俺と入れ替わりの補充戦力として彩夏ちゃんが編入されている。
ちなみに都さんによる完全な独断なので辞令は追って出るらしい。ていうか最高責任者の一存だけでこんな簡単に動かされるとかどんなブラック企業だよって感じだ。
しばらくの沈黙の後、それまで黙りこくっていた寿ちゃんが口を開く。
「聞き間違いかしら?朱莉がうちのチーム?いったいどういうこと?彩夏はどうしたの?」
「彩夏ちゃんは俺と入れ替わりに関東チームに配属になりましたよ、お姉さま」
「ちょ…やめてよおぞましい。彩夏の代わりに入ったからってそんな部分まで引き継ごうとしなくていいから」
「そんな、酷いですお姉さま、俺、色々とお姉さまに教えていただきたいのに」
俺はそう言いながら寿ちゃんを上目遣いで見つめた。
ちなみに俺のほうが身長が高いのでわざわざ屈んでいたりする。
「やめろっ!本当にやめろ!ちょっとこまち、あんたも見てないで何とか言いなさいよ」
「うーん……あのね朱莉ちゃん。一人称が俺なのはその口調にあわないから直したほうがいいかなーとは思うよ」
「そういうこと言ってんじゃないわよ!ちょっと桃花、どういうこと?このバカの言ってること本当なの?」
「え…あ、はい。本当です。朱莉さんはその…都さんに対する態度があまりよろしくないって言うことで、その…左遷ということに」
「左遷って…それじゃうちが関東に比べて劣るみたいじゃない!」
「そ、そんなこと私に言われても…」
「まあまあ寿さん。桃花さんが悪いわけではないですから」
半ば八つ当たり気味に桃花ちゃんに詰め寄る寿ちゃんをセナが羽交い締めにして引き離す。
「むしろこれはチャンスですよ。朱莉さんを更正させて立派な人格者に矯正すれば、東北チームの教育は素晴らしい、寿さんの指導力はすばらしいっていう話になるじゃないですか」
「ん…ま、まあそうね」
セナの奴、寿ちゃんの操縦がうまくなったなあ。こういうところは伊達にこまちちゃんの妹じゃないなと思う。
「じゃあ、セナ。悪いけど施設を案内してあげて」
「あ、その役目、私がやりますねー」
「恋か……まあ、朱莉とは同期だし、ちょうどいいか。うん、じゃあ頼んだ」
「かしこまりー」
恋はそう言ってニコニコと笑いながら寿ちゃんに向かってかなり崩した敬礼をしてみせた。
「こちらがシャワー室になっておりまーす。東北寮には大浴場がなくて、部屋ごとにお風呂はありますけど、交流の場ということでみなさんこちらで入ることが多いですねー。ちなみに私も大体東北寮にいることが多いですよー」
「あのさ、恋。さっきから気になってたんだけど、そのキャラ何?」
ヘラヘラ笑いながら『かしこまりー』とか、語尾を伸ばして話すとか俺の知っている恋のキャラとは大分違う。
恋のキャラは丁寧な口調と柔らかい物腰。そして一番の魅力はの裏に潜む影だ。
「……仕方ないのですよ朱莉。所謂キャラ付けというやつで、私もこまちさんからの先輩命令で仕方なしにしているだけなのであまりツッコまないでいただけると助かります」
恋は一瞬だけ真顔になってそう言うと、すぐにヘラヘラとした表情に戻って歩き出す。
ていうか、こまちちゃんの命令って…意外に体育会系なんだな東北って。
「それよりどうして左遷なんてことになってしまったんですかー?朱莉ちゃんのミスで離れ離れなんて柚那ちゃんかわいそうですよぅ」
いや、ほんと誰だお前。
「まあ、俺達の運命なんて都さんの指先一つでどうとでもなっちゃうっていう寒い現実をつきつけられただけの話だよ……あ、そうか。むしろ恋」
「なんですかー?」
「ここなら松葉とか深谷さんとかいろいろ言う奴もいないし、俺と付き合わないか?」
「……」
おおっ、恋の口元から笑いが消えて、いつもニコニコと細められている恋の目が開いた。
「それ、本気で言ってるならこちらも本気で怒りますよ」
「冗談ですごめんなさい……とは言っても俺ってパートナーみたいな人が絶対必要なんだよ。恋人じゃなくても秘書というか、アシスタントというか。俺って自分の身の回りのことほとんど何もできないし、そういうのやってくれる人がさ」
「あははー……それはパートナーじゃなくて家政婦とかそういう類のものですよ。なんですかー?女の子なめてるんですかー?」
だから真顔になって目を開けるなよ怖いなあ。
「というか、それを私にやらせようとかあなた一体、何を考えているんですか……あははー」
もうキャラ付けが無理やり過ぎてやる意味なくないかこれ。
「でもこの施設も民間人は入れないんだろ?だったら家政婦さん雇うわけにもいかないしなあ…」
「わ、私がやります!」
突然後ろから聞こえた声に俺と恋が振り向くと、そこには桃花ちゃんが立っていた。
「私、バディだなんて言ってたのに温泉では朱莉さんの足を引っ張っちゃって、なんの役にも立てなくて…でも…でも私…」
「桃花ちゃん…」
「……えーっと、桃花。ごめんなさい、私ちょっとあなたの言っていることが理解できなくて…真面目な話をするからよく聞いてくださいね。あなた朱莉のことどう思ってるのです?」
「好きです!」
「はあ…聞き方が悪かったですね、朱莉のことをどういう人間だと思ってるのですか?」
「日本で最強クラスの魔法少女で、その…有言実行でかっこよくておちゃめで素敵な人だと思ってます!…キャーっ、言っちゃった!」
桃花ちゃんは俺を褒め殺す気か!?
「違います、日本で最強クラスのクズでかっこ悪い言い訳ばかりしてユーモアのセンスが全くない最悪な人間です!…すみません、つい言ってしまいました」
恋は俺を言葉で責め殺す気か!
「…桃花ちゃん、俺は恋の言うとおり確かに人よりちょっとだけアレかもしれないけど、それでも好きだって言ってくれるの?」
「みんなは見る目がないだけです!私にはちゃんと朱莉さんの良いところが見えてます!」
うん。最初からそんな気がしてたけど、この子ダメ男メーカーだ。でも今はそんな彼女の性質がすごくありがたい。
「朱莉、柚那を捨ててその子を選ぶなら私はあなたを軽蔑しますよ」
「あのなあ恋……捨てたのはむしろ柚那の方だからな」
「え?」
「あいつは左遷されるような人間には興味ないんだとさ」
「ゆ、柚那はそんな子じゃありません!」
「だったら柚那に聞いてみればいいだろ。絶対今俺が言ったのと同じことを言うから」
「わかりました、だったら確かめてみます!」
こまちちゃん命令のキャラづくりはどこへやら。恋は素の表情で怒りを露わにすると、肩を怒らせて歩いて行ってしまった。
「まだ説明の途中なのになあ…」
「だったら私がご案内します!」
昨日の今日なのに元気だなあ桃花ちゃん。
「それはありがたいけど身体は大丈夫?真白ちゃんに変な魔法をかけられてたんだし、今日は安静にしていたほうがいいんじゃないの?」
「大丈夫です。朱莉さんの身の回りのお世話も含めて、すべて私に任せておいてください」
「えっと、それって俺のパートナーになってくれるってこと?確かに俺はさっき恋に身の回りの世話ををお願いしようとしたけど、よく考えれば恋も桃花ちゃんもご当地魔法少女なんだから、秋田とか福島に常駐だよね?」
「東北は違うんですよ。一応担当地域は決まっていますけど、作戦の展開がちょっと違っていて、みんなここに常駐していて、予報が出た段階で移動します。万が一突然宇宙人が出たら担当地域のご当地は何をおいてもスクランブルで飛んでいって、その後を後詰で他のご当地、最後に主力の寿さんたちが準備を整えて現地に入って片付けるっていう感じなんです」
「ここから飛んで行くって…みんなそんなに早く飛べるの?」
「あ、違います。寮の裏に滑走路があるのご覧になりませんでした?」
「ああ、そういえばあったかも」
「アレを使って先発はF2でビューンと、あとはハーキュリーズですね。一応二機あって、寿さんたちが乗る機体は内装もかなりカスタマイズされてある種の司令室みたいになってます」
「なるほど、地域色がでるなあ」
ちなみに最近の関東は予報が出た段階で分析して適宜俺達の中の誰かが応援に行くものの、基本はご当地にお任せ。一人二人の応援じゃ無理っぽいとなったら全員で出張ることになる。移動方法もヘリだったり車両だったり、途中から自力で飛んで行ったりといろいろだ。
「ちなみに乗り物に弱い精華さんは東北時代はよっぽどのことがなければ動きませんでした」
「ああ、温泉行くときのヘリも大変だったみたいだもんね」
ちなみにその日の精華さんの朝飯はハヤシライスという、もはやフラグの回避が不可能なメニューだったらしい。
「まあ、それもこれも、私達が関東のご当地や朱莉さんたちみたいに強くないからなんですけどね」
「いや、その連携が東北の強さなんだと思うよ。それに、別に寿ちゃん達は弱くないしね」
アホみたいな破壊力のあるこまちちゃんの砲撃、例の空間に引っ張り込ままれればほぼ無双状態の橙子ちゃん。それに接近戦から銃撃戦まで中近距離が得意なセナ、手数の多い彩夏ちゃん。なにより当たれば勝ちの寿ちゃん。この面子がそろってて弱いなんて言ったら日本に強いチームなんてなくなってしまう。
「寿さん達は弱くなくても、私達が……」
「なにいってんの。本当に弱くて見込みが無いなら都さんがご当地に選ぶわけ無いだろ」
「そうでしょうか」
「そうだよ。ちなみに桃花ちゃんが得意な魔法って何?」
「一応水を使った魔法が得意なんです。空気中の水を凍らせてナイフみたいにしてぶつけたりとか」
「それ、結構強そうだけどな」
「あ、でもそのうまくいかない時も多いんで、そんな、本当に私、強くなんかなくて!」
体の前でブンブンと手を振って否定する桃花ちゃんはなんだか小動物みたいでかわいかった。
「だったら、一緒に強くなろうか。俺も別にこのまま終わるつもりはないし、全国の魔法少女の中で一番強くなれればさすがの都さんも俺の意見を聞いてくれるだろうしね。…桃花ちゃん、改めて俺のパートナーになってもらえるかな?」
俺はそう言って桃花ちゃんの方へ手を差し出し
「……はいっ、よろしくお願いします」
桃花ちゃんは俺の手を握り返して嬉しそうにそう言った。
桃花ちゃんと組んでからは非常に順調だった。
彼女は順調に成長していって、二週間もしないうちに、他のご当地より頭ひとつ抜きん出た存在になっていた。
「あんたに人を育てる才能があるとは思わなかった」
寿ちゃんの部屋に招かれた俺は、出されたおしるこを一口飲んでからお椀を置いた。
「寿ちゃんにおしるこづくりの趣味があるとは知らなかったよ。美味しいね、これ」
「まさかおしるこオンリーでお茶なしっていう状況をスルーされた上に褒められるとは思わなかったわ」
寿ちゃんはそう言って席を立つとキッチンから急須と湯呑を持って戻ってくる。
「さて、そろそろ説明して欲しいんだけども」
「寿ちゃんが掴んでいる情報以上のことなんて俺も知らないよ」
「ふざけないでよ。あんたが東北に来てうちの戦力は上がったけど、それはあんたの働きじゃなくて、桃花が強くなった分。あの子を育てて一体何をするつもり?」
「魔法ックス」
「は?なにそれ」
「魔法を使ったハードなセッ……」
無言で真正面から顔をグーで殴られた。
「冗談は顔だけにしなさいよ。柚那とは別れたらしいし、桃花とどうなるかはあんたの勝手だけどそんなことのためにわざわざ桃花を強くしたとは思えない。恋も最初はあんたたちに食って掛かってたのに今はおとなしいし」
「それはほら、俺と桃花ちゃんがベストカップルだから」
「そのベストカップルって言葉が夫婦漫才って意味ならあんたは柚那とが一番お似合いよ」
「寿ちゃんはこまちちゃんとお似合いなくらい?」
「そうね、楓さんがイズモとお似合いなくらいね。まあ、楓さん達は結局まだ仲直りしていないらしいけど」
折り悪く悪く俺と柚那も別れちゃったし、イズモちゃんの性格からして完全に仲直りのタイミングを失ったんだろうな。まあ、あの状況でイズモちゃんから歩み寄らなきゃいけないっていうのも問題といえば問題なんだけど。
「はあ…率直に言うわ。私は彩夏が恋しい」
「ああ、仕事大変そうだもんね」
「そう思ってても手伝ってくれない隊長経験者がいるからでしょうが」
「隊長経験者だけど、今はただの下っ端だからね。ま、そう遠くないうちに彩夏ちゃんは戻ると思うよ。俺が関東に戻る算段がついたからね……おしるこのおかわりある?」
「あるけど、気に入ったの?あんたチョコ以外あんまり甘いものすきじゃないでしょ」
「このおしるこ、チョコ入ってるでしょ。主張しすぎないチョコっていうのも凄くいいと思う」
そう、このおしるこの中でのチョコの役割はまるでバラの花束に添えられたかすみ草のような役割。あくまであんこの引き立て役でありながら、それでも確かにそこにいる。そんな感じだ。
「……まさか気づかれるとは思わなかったわ。オッケ、気がついたご褒美に鍋ごと持ってっていいわよ」
「マジで!?」
本気で嬉しいんだけど。
「もちろん。その代わりあんたが何を考えてるか教えること」
「いやいやおしるこくらいでそんな俺が何を企んでるかなんて教えられるわけないじゃないか。もし教えたら超怒られるのが目に見えてるし」
「なるほど、あんたが怒られるのを怖がるくらいの人間と一緒になにか企んでるわけね」
「は、謀ったな寿ちゃん!」
「いや、完全にあんたが一人でずっこけたんでしょうが。…で?」
「でって?」
「こっちもなんか手伝う?」
「いや、俺と桃花ちゃんだけでケリを付けられるから大丈夫。ああ、でも一応スクランブルの用意だけはしておいて。もしかしたら出動して貰う必要がでてくるかもしれないから」
「スクランブル?どこか行くの?」
「ちょっと奥羽山脈までね」
「奥羽山脈なんて何しにいくの?っていうか、あんなアホみたいに長い山脈の一体どこにいくのよ」
「秋田のあたりかな」
「……まさかあんた」
寿ちゃんは俺が目的地とする場所でだいたいのことを悟ってくれたらしい。
「そう、そのまさかだよ。俺が東北に派遣されたのは都さんの怒りを買ったからじゃない。買わなかったから。目的は真白ちゃんの事件のホンボシを見つけてとっ捕まえる。もしくは抹殺すること。犯人を油断させるために、この件を知っていたのは俺と都さん。それにこの話をした時にその場にいたチアキさんと狂華さんと佐須ちゃん、それに柚那だけだけどね」
そういう設定だったせいでみんなと一緒のバスで帰れなかったのが非常に悔やまれる。柚那から来たメールには何やら楽しそうなことをやっている写真が添付されてたし。それに対して一人で電車を使って帰らざるをえなかった俺の悲しみと来たら。
「ああ、あとユウも知ってるか」
「ユウって、あの…あいつよね?」
「そう、あいつ」
イズモちゃん同様、寿ちゃんもユウに関してはあまり良いファーストインプレッションではなかったからか、少し顔をしかめた。
ちなみに、旅行一日目に『今月仲間に入らないからな!絶対はいらないからな!絶対誘うなよ!?』とかなんとか押すな押すなフラグを立てていたユウはものの見事に仲間になった。
これについては確かにユウが自主的にということではなく不可抗力なのだが、フラグって本当に恐ろしいなと思わされる出来事だった。
「そんな顔するなって。あれで結構人間味があっていいやつなんだよ、あいつ」
クリスマスには男漁りに出かけるし、正月にはおもちだって食べるし、バレンタインにはヤケチョコしたりする。ある意味とても欲望に忠実で誰よりも人間臭い。
「橙子の話を聞いている限りだとそうかもしれないけど…でもなに?あいつ仲間になったの?」
「まあ、その辺は全部終わってから説明するよ。……明日さ、万が一M-フィールドが敗れても周りに迷惑にならなさそうな場所に恋を呼び出してあるんだ」
察してくれてはいるのだろうが、もう少し説明する義務がある気がして、俺は少しだけ具体的なことを話すことにした。
「そう……」
寿ちゃんはそう言って複雑そうな表情で俯いた。
寿ちゃんからしてみれば、恋も桃花ちゃんも自分のチームの一員だ。しかも一緒に暮らしている彼女たちとの繋がりは俺たちと関東地方のご当地の子たちのそれとは比べ物にならない。
「ごめん、私の監督不行届だね。あんたの同期をあんたの手で始末させることになるなんて」
「いや、寿ちゃんのせいじゃないよ」
寿ちゃんにそんな悲しそうな顔で見られたら。俺の腹の中を全部ぶち撒けたくなっちまうじゃないか。
「ねえ、本当に手伝えることはない?恋を捕まえるなら私達がやってもいいんだし―」
「寿ちゃんは優しいね。でも大丈夫、この件は俺の手でケリをつけなきゃいけないんだ」
というか、そのためにこれまで仕込みをしてきたんだ。寿ちゃん達の実力を疑っているわけじゃないが、それでも万が一にも犯人を逃がすことになっては大変だ。
「万が一俺が失敗するようなことがあれば、後のことは頼む」
「わかった……頑張ってね」
寿ちゃんはそう言って下唇を噛んで悲しげに笑うと、俺を抱きしめた。
あー……嬉しいけど、俺、このフラグで死ぬかも。




