無印. 番外エピソード 時計
久々の朱莉達の話。
すこしインスピレーションを受ける出来事があって書きたくなったやつ。
◇
彼と二人でする生物として非常に健全な運動を終えた後、ヘッドボードの上に置かれていた彼の腕時計に目をやった私は秒針がまったく動いていないことに気がついた。
「これ、止まってません?」
私の言葉を聞いた彼は少し気だるげに体を起こしてヘッドボードに手を伸ばして腕時計を手に取る。
「ああ……本当だ。これももう古いからなあ」
「古いんですか?綺麗にしてるしそんなふうには見えないですけど」
「もともとじいちゃんの使っていたやつだからね」
そう言って彼は時計の横についているダイヤルのようなものをくるくると回す。
「うーん、だめっぽいな。修理に持っていかないと」
「あ、そうなんですね。じゃあ修理できるところ調べますよ」
「いや、こいつをずっと見てくれてる修理士さんがいるからそこ行くよ」
「ずっとってことは多分東京の実家の方とかですよね?ここから行くの結構面倒くさくないです?」
私たちのいる名古屋から東京へ行くのは新幹線に乗るだけだけだけど、されど新幹線で一時間少し。そこからタクシーでも柿崎家まではちょっと時間がかかる。正直面倒だと思う。
「まあ、近々東京に行く仕事もあるしその時にでも行くよ」
「そうですか。まあ、あなたがそうしたいなら……ってなんですか!?なんで心配そうな顔で人の額に手を当てるんですか!?」
「いや、愛純ちゃんの性格からして『えー、どうせならこの機会にスマートウォッチに変えましょうよー』とか言われるかなって」
「そういうの嫌うじゃないですか」
「わかってくれて嬉しいよ」
「ふふん、私だって成長しているんですからね」
付き合いたての頃に私がやらかした、『新車買ってあげますよ!』から始まった一連のやりとりで、この人は自分の気に入ったモノを長く使い続けたいタイプだということは理解した。そして、モノのストーリーと、ちょっとの不便を愛する性格だということも。
「……というか、私も実はちょっと最近思うところがあって」
「思うところ?」
「スマートウォッチってちょっと煩いんですよね。めっちゃくちゃ鳴るし、震えるし」
通知がすぐ見られるのは便利かなと思っていたけど、なんか口うるさいマネージャーが常に一緒にいるみたいな感じでかなり鬱陶しく感じているし、スタイル維持に役立つかなと思った運動管理系のアプリも、日課のルーティーンをこなすだけの毎日にはほとんど必要なかった。
「あはは、まあそういうものだしね」
「だからちょっと普通の、いわゆる腕時計が欲しいなって思ってまして」
「え?おねだり!?」
「じゃないですよぉ、ちゃんと自分で買いますって。その時計シンプルで品があるっていうか、レディースも可愛いんだろうなって思いますし、どうせ時計買うならおそろにしたいんでメーカー聞きたいなって。受け継いでるってことはあれですよね、ロレックス?とかそういう感じの高いやつですよね、きっと」
「………うーん……秘密で」
「ええっ!?なんでですか!私とおそろが嫌ってことですか?」
「そういうのじゃないんだけど……俺にも思うところがあるって感じかな」
「って感じでぇ、なんか教えてくれないしぃ、壊れてるからって金庫にしまっちゃってるからメーカーも調べられないしでぇ、さらに今日休みをとって一緒に修理行こうと思ってたのに『俺一人で行くから愛純ちゃんは柚那ちゃん達と遊んでおいで』とか言って置いてくんですよぉ?ひどくないですかぁ?」
「はいはい、かわいそうかわいそう」
咲月ちゃんを朱莉さんの実家に預けてきたという柚那さんは東京駅の中にあるカフェの向かいの席で私の愚痴を一通り聞き終わった後でそう言うと、カフェインレスコーヒーを一口飲む。
「まあ、それで諦めちゃうあたり、愛純はまだまだかなって思うけど」
「面と向かって『来るな』って言われたのにどうすればよかったっていうんですか。あの人、魔法少女じゃないのにやたら勘が鋭いから尾行とか無理ですよ」
「面と向かわずに行く。かな」
そう言って柚那さんはスマホを操作してからテーブルの上に置く。
画面に映っているのは標準のマップアプリだが、見慣れないアイコンが、いや、アイコンになっている顔自体には見覚えがあるというか―――
「これ、もしかして朱莉さんの居場所ですか?」
「そうそう。咲月の服につけてるタグと、朔夜と、あとは蜂子の位置情報なんかも登録してあるよ」
「あるよって……犯罪じゃないんです?大丈夫です?許可は取ってます?」
「蜂子の了解は取ってるし、そもそもOS標準の機能で家族の位置を知るのになにか問題が?」
まだ喋れない咲月ちゃんはともかく残りの二人は!?
「……な、ないですねぇ。でも、うちは登録とかしてないですし今そんなことを言われても」
「今日、久しぶりのお休みだったのに、家族を置いてどこかに行った薄情な夫がいるとするじゃない?」
するじゃないっていうか、それは十中八九朱莉さんのことだろう。
「で、偶然その夫の友人が上京してるとするじゃない?」
「は、はぁ……」
「タイミング的にも多分一緒にいると思うよ?さっき愛純に呼ばれるまで、朱莉さんの車がたまたま私の前を走っていたし」
はっ!!まさか柚那さんが今日たまたま東京駅の近くにいたのってそういうこと!?
「……行きましょう!ガソリン代は私が持ちます!」
「高速代とここの払いもお願いね」
「もちろんです!」
◇
「……色々迷惑かけちゃってすんません」
今日の目的地である時計店の駐車場で、助手席に座っていた柿崎くんが申し訳なさそうに言った。
「いいって。その時計が壊れた原因も俺にあるかもだしさ」
柿崎くんの壊れた時計は一番最初に狂華さんの戦闘に巻き込まれたときも、俺のデビュー戦である秋葉原での戦闘の時も身につけていたもので、壊れた直接の原因ではなくても遠因とか、一因くらいにはなっているかもしれない。
それがなくても柿崎くんがあの時計を大事にしているのはよく知っていたので故障したから助けてくれとだけ言われていても俺は多分手伝っただろ…………いや、今日のこのおでかけのために柚那からねだられたものの値段を考えるとやっぱり故障だけだったら手伝わなかったかもしれないな、うん。
「それより、どう?修理が終わるまで追いつかれたりしなさそう?」
「柚那ちゃんがいい感じに遠回りしてくれてるんで、大丈夫そうっす」
俺のスマホの画面を見て、ホッとしたような顔で柿崎くんがそう言った。
「そっか。愛純があんまり都内の道に詳しくないのが功を奏してるな」
今回のこの件、柿崎くんと俺と柚那はグルだ。
どうしても時計の修理に愛純を連れて行きたくない柿崎くんと、どうしてもついていきたがるだろう愛純。
こんな状況で普段だったら、絶対に愛純の味方をする柚那が俺と柿崎くんに味方する理由、それは俺が柚那のおねだりをOKしたからというだけではない。
「すっごい今更なんですけど……これ、嫌がられたりしませんかね」
「おいおいおいおい!今更そんな弱気になるのやめてくれよ!君がやりたいって言うから俺も柚那も手伝ってるんだからな?」
「それはほんと申し訳ないというか助かってるんですけど、やっぱりなんかこう、俺のキャラじゃないというか、愛純ちゃんのキャラじゃないというか」
「キャラとか関係ないって。というか、基本みんなのやりたいこと全肯定おじさんの俺だけじゃなくて普段だったら君のアンチの柚那ですらアリだって判定したんだからアリなんだって。自信持てって」
「うす……」
柿崎くんの家が昔から世話になっているという時計修理士の爺さんは、意外な事に俺のことを知ってくれていてサインをねだられた。
俺は店にあった色紙にサインし、どうせサインを置いていくのならとついでにサインに添える写真も撮り、修理してもらっている間に印刷をしにコンビニへ。
印刷を終えた俺はさらについでにと時計店への差し入れ用にお菓子やお茶を適当に買って、柿崎くんにメッセージを投げてから店を出る。
「……みつけましたよ」
「おお、どうしたんだ愛純。こんなところで会うなんて奇遇だな」
コンビニを出る前からわかっていたことだけど、俺の車の運転席の前に殺気モリモリの愛純が立っていた。
今さっき買ったばかりの時計に目をやると、ちょうど店主の爺さんから聞いていた修理完了時間。時計店に戻る時間もあるし、もうこのまま愛純を連れて帰っても良いのだけど、完璧を期すためにはもうちょっとだけ時間を稼ぎたいところだ。
「奇遇だな、じゃないですよ!私たち、最近仕事が忙しくてあんまりデートの時間も取れないんですから貴重なデートの機会を奪わないでくださいよ!」
「いや、忙しくしているのは柿崎くんだけじゃね?あと朝陽か?誰かさんがもうちょっと仕事すればその二人も暇ができそうな気がするんだが?」
「う……正論言えばいいってもんじゃないですからね!?」
いや、そこは反論せずにこれから心を入れ替えて働きますだろ。そういうとこだぞ愛純。
「大体……ああーーーっ!!そ、その時計!うちの人と同じ時計!!なんで朱莉さんが!?」
やべ。見られた。柚那さんフォローお願……あ、『自分でなんとかしろ?』了解です……。
値段が値段なので、急いで外してすぐにくる愛純の攻撃に備えなければ。そう思って俺が時計に手を伸ばすと、外す間もなく愛純の攻撃が――こなかった。
以前だったら怒りのままに飛びかかってきたであろう愛純は、その場にへたり込んで肩を落としていた。
「よりによって朱莉さんとペアとか……てか、おかしくないかな、なんでよりによって浮気相手が朱莉さんなの。いや、わかる、わかるよ、私だって私の面倒くささわかってるしさぁ、でも朱莉さんはおかしくないかなぁ。そりゃ私だって面白がって彩夏の描いたマンガとかでキャーキャー言ってたことあるけど現実にそんなことあると思わないじゃん……」
おっと、普段は嫌なことがあっても外向きに発散して後を引かない愛純が珍しく内向きでバッドな方向に入ってしまったぞ。
てか、俺と柿崎くんなのか、柿崎くんと俺なのかはわからないけど、そんなマンガが存在してるんですね。彩夏先生は今すぐそのマンガ抹消してどうぞ。
じゃなくて――
「あ、愛純?違うからな?俺と柿崎くんはそういうんじゃないからな?」
「言い訳とかいらないです。あることないこと週刊誌にリークするんでせいぜいあの人と二人でお幸せに」
誰も幸せにならないからやめて!?
俺だけじゃなくて柚那も咲月も朔夜も巻き込みそうな盛大な自爆しようとするの本当にやめて!?
「話を聞いてくれ愛純、本当に俺と柿崎くんはそういうんじゃ――」
「愛純ちゃん!!」
柿・崎・到・着!!!
このタイミング、ここしかない。マンガの引とかなら最高といえるタイミングで柿崎くんが息を切らせて到着した。
「ああ……柿崎さんじゃないですか。どうしたんですか?心配そうに私の名前なんて呼んじゃって。あなたの本命がそこにいますけどいいんですか?」
昏い目で柚那みたいなキレ方すんのやめろよ!!
「本命……?」
愛純の視線を追った先に俺がいたことで『本当に何を言ってるんだ?ありえないだろ』みたいな顔をする柿崎くん。いやまあ、実際そのとおりなんだけど、とはいえ流石に失礼じゃない?
「何を怒っているのかわからないけど、俺の本命は愛純ちゃんだよ?というか、愛純ちゃん以外いないからね?」
「どうだか。私には時計のメーカーも教えてくれないのにその女とはペアで持つとか、どう考えたって信用できないでしょ」
「え?邑田さん、さっき買った時計つけてるんですか!?」
「いや、ほら。買い物するとテンションあがるし、せっかく買ったなら早くつけたいじゃん?」
スマホとかも買ってすぐSIM入れ替えたいじゃん?そういうのあるじゃん?
「わからないでもないですけど、タイミング最悪っすわ!そういうところっすよ、邑田さんは!!」
コラ。なんでお前まで深く頷くんだ柚那。
「買ったんだ……買ってあげたんだ……やっぱり私じゃなくてその女とペアなんだ……」
愛純はさっきから俺のことその女って言うのやめてくんない?なんか地味にダメージくるから。
「違うから!あれを買ったのは邑田さん本人で、俺がペアのものを持ちたいのは愛純ちゃんしかいないから」
そう言って柿崎くんは慌ててバッグの中から修理とメンテナンスが終わったばかりの時計が入った箱を取り出して愛純の前で開いて見せた。
「これ、じいちゃんの時計とペアのばあちゃんの時計なんだけど、よかったらもらってほしい」
箱の中には普段柿崎くんがしているものと、それよりも一回り小さいレディースの時計が並んで入っている。
「でも、おばあちゃんはまだ――」
「愛純ちゃんならいいよって言ってくれた。だからその、なんというか。これから先も、ずっと一緒にその、俺と」
「はいっ!」
柿崎くんの言葉を最後まで聞かずに、愛純は柿崎くんに抱きつきキスの雨を降らせる――って、おい。その先しようとすんな、公共の場だぞここ。
「丸く収まりましたね。朱莉さんと柿崎さんの浮気疑惑が出たときは脳が破壊されるかと思いましたよ」
ニコニコと笑いながら近づいてきた柚那がそんな風に嘯く。
「俺も柚那がフォローを断って来たときは終わったと思ったぞ」
「そんなひどい女だと思ってたんですか?ショックだなー、あらかじめ柿崎さんに『早く来い』ってメッセージ送ってあげたのに」
そう言って少しドヤ顔でスマホを振って見せる柚那。
最高のタイミングでの柿崎くんの登場には柚那が一枚噛んでいたらしい。
「いや、最高の嫁だと思ってるぞ。それで柚那、約束の――」
「そういえば」
柚那は俺の言葉を遮るようにそう言ったあとで、さらに語気を強めて続ける。
「どこのだれだか知らないですけど、婚約指輪を投げて渡したり、プロポーズをそのへんの公園でした男がいるらしいんですよ」
………………なぁにぃ?やっちまったなぁ!
「まさか三度目はないと思うんですけどね。あ、そうそう。さっき紫さんが『今日は泊まりで大丈夫そうだ』ってメッセージくれました」
「あー……ちょっと待っててな」
男は黙ってディナーとホテル予約……っと。
名古屋に帰った後、愛純が聞きかじった時計知識を披露して朝陽にうんざりされるまでがセット。




