彼女は友達が少ない
いつでも会いにいけるアイドルというキャッチコピーは聞いたことがあるが、こうも頻繁に会いに来るアイドルというのはどうなんだろうか。
そんなことを考えながら、俺はリビングのソファーに座っている、我々魔法少女の広報部長とも広告塔とも言える存在であり、かつアイドルのみつきちゃんの前にジュースの入ったグラスを置いた。
「…もしかしてみつきちゃんって暇なの?」
まあ、学校にも行かず、たまに狂華さんの特訓を受けているくらいで、彼女のように芸能活動もしていない俺が言うのもなんだなと思いながら、みつきちゃんに尋ねる。
「ひ、ヒマじゃないし!超忙しいし!」
「いや、でもこう毎日来られると心配になるんだけど」
お友達がいないとしても、芸能活動のほうは大丈夫なのだろうか
「学業優先だからお仕事は週末だけなの!」
「ああ、そうなんだ」
そうなると、それはそれで俺としては君の学校での人間関係が心配なんだが。
「そういえば委員長ちゃんの都合はどうだって?」
「できれば今週の週末がいいって言ってたんだけど。週末ってお兄ちゃんたちは撮影があるよね?」
「まあ、あるけど多分昼前には終わるよ」
その分午前中は学校内をあっちに行ったりこっちに行ったり、撮影シーンが前後して頭が混乱したりと、内容ぎっしりではあるのだが。
「むしろみつきちゃんの仕事は大丈夫なの?」
「こ、今週はお休みだから!」
…うん、この子の現状について今後深く聞くのはやめよう。なんか可哀想になってきた。
まあ、よくよく考えてみれば前シリーズで劇中での劇的な死を遂げて以来、みつきちゃんのテレビへの露出は減っている。
国、マスコミ、広告代理店をもってしても露出が減る、人気がでないということはないだろうから、彼女の言うように単純に学業優先ということなのかもしれないが……やめよう。詮索するのは。
「そういえば今度会う委員長ちゃんってどういう子なの?」
「面倒見はいいかな。でもなんか油断できないっていうか…うーんとね、チアキさんを10倍に薄めた感じ」
はっはっは、言うではないか中学生。
チアキさんが怖くて俺はとてもそんなコメントを口にできないぞ。
「…でもチアキさんって面倒見がいいか?」
油断できないっていうほうはなんか納得できるけど、あんまり面倒を見てもらった記憶が無い。研修中も授業が終わればさっさと帰っていたし、チアキさんに相談に載ってもらったというようなこともない。
「いいと思うよ。私も勉強教えてもらってたし、ボランティアとかもしているし」
「ボランティア?チアキさんが?」
「うん。養護院でボランティアしていたりするよ。あと、色々バイトみたいな仕事も入れているし。昼間あんまり寮にいないのはそのせいだよ」
「バイト?魔法少女の収入でお金が足りないってことはないよな」
何か急にお金が必要で希望をすればいわゆる地方の営業のような単発の仕事もあることはあるが、チアキさんの趣味ってお酒くらいなものだし、衣食住をカバーしてくれるこの寮にいる限りはお酒にもお金はかからないはずだ。
「ああ、それは寄付してるから」
「は?」
「チアキさんは魔法少女の収入を養護院に寄付してるの」
みつきちゃんの話を全面的に信じるとすれば、俺が悪魔、淫魔のたぐいだと思っていたチアキさんは大天使だったらしい。
「…まあ、その話はいいや」
にわかには信じられない話だし、興味のある話だが今はみつきちゃんのことだ。
「ところで、みつきちゃんはなんで寮に住まないんだ?秘密を話せる仲間もいるんだし、ここにいたほうが便利なんじゃないの?」
「そうなんだけどね、私はその…狂華が苦手だから」
そう言えば前シリーズの劇中でみつきちゃんが死んだのは狂華さんが見殺しにしたせいだった。自分を見殺しにするような人間と一緒に住むのは嫌だという彼女の気持ちもわからないではない。
戦闘の経過については編集することはできるが、さすがに結果の修正はきかないので、番組は実際の戦闘の結果に合わせてシナリオを変えるという手法をとっている。
そのため、あの戦闘パートでの出来事は実際に起こったこと、つまり狂華さんは何らかの理由でみつきちゃんを見捨て、その結果みつきちゃんは死なないまでも大きなダメージを受けたということだ。
もともと魔法少女になる前の俺が狂華さんについてあまりいいイメージを持っていなかったのはその件が原因だったのだが、今は実際に会って話した面倒見のいい狂華さんの印象が強くて、あの時の狂華さんとが同一人物だとはどうしても思えない。
「…なあ、みつきちゃん」
「ん?」
「あの時の戦闘で狂華さんと何かあったの?喧嘩していたとか、その前から狂華さんにその……いじめられてたとか」
もしかしたらこの事を聞いたら、俺は狂華さんと気まずくなるかもしれない。それでも俺はこの事を知っておかないといけないような気がした。
「あの時って?」
「…みつきちゃんが劇中で死んだ時」
「ああ、あの時ね…あれは私が悪かったんだよ。朝ごはんの時に私が狂華の鮭を食べたの。そうしたら狂華がマジ切れしちゃって。それでずーっと怒っていてさ。たまたまあんな冷たい顔で映っちゃったけど、狂華はそんなに冷たい人じゃないよ」
みつきちゃんはそう言って気まずそうに笑いながら後ろ頭をかいた。
「へ?そんな理由だったの?」
笑い話。でいいんだよな。大怪我をした本人がこうしてヘラヘラと笑っているんだから。
「お兄ちゃんも狂華の好物にだけは手を出しちゃだめだよ。あの人、結構根に持つから」
「…それだけ?みつきちゃんは別になんとも思ってないの?苦手なのってあの件があったからじゃないの?」
「え?うん。まあ、私は学生だし、もともと近いうちに引退というか、少し引くっていうことは言ってあったしで、きっかけとしては逆に丁度良かった感じかな。脚本家さんには迷惑かけちゃったけど。狂華が苦手なのは、チアキさんと違って言うこと厳しいから」
みつきちゃんはそう言ってケラケラと笑う。
あの件についてみつきちゃんは本気でまったく気にしていない様子だ。というか、あの展開の原因って本当にこんなしょうもない理由だったのか?
あのシーンで抜かれた狂華さんの表情って物凄く冷徹でみつきちゃんの事をゴミか何かのように見ていたんだけど。
「狂華さんって鮭がそんなに好きなの?」
「うん。寮で食事をしてない時はだいたい外に鮭を食べに行ってるよ。秋なんかは全国回るし」
なんか今日は俺の知らない仲間たちの一面がどんどん明らかになっていくな。
「どうしたの?変な顔して」
「いや、狂華さんってそんなに鮭が好きなのかと思ってさ。いつもお世話になってるし、お中元とかお歳暮で鮭でも贈ろうかな」
「前にプロデューサーから送られてきたお歳暮を見て『鮭に貴賎はないが人に贈る以上はそれなりのものが必要だと思わないか?』って真顔で言ってたけど大丈夫?お兄ちゃんは鮭の目利きに自信ある人?」
「…いや、自信ないからやめておくわ。ちなみに柚那にも俺の知らない一面があったりするのかな」
「柚那?うーん…実はあんまり面識ないんだよね。私の引退と入れ替わりで研修に入った感じだからそんなに一緒にいなかったし。むしろ、ひなたとか昔の関東メンバーのことなら教えてあげられるけど」
「ひなたさんか」
俺と同じく元男性だというひなたさんには元男性ならではの悩みや相談を聞いてもらったりと、わりと仲良くさせてもらっている。 その先輩の弱みになるかもしれない過去を聞くのは少しだけ気が引ける。
「ごめん。聞いておいてなんだけど、みつきちゃんの話を聞くと皆のことを色眼鏡で見ちゃいそうな気がするからもういいや」
「そう?じゃあ次は何の話する?」
「俺のファンだっていう委員長ちゃんの話に戻そうか。どういう子かわかっていればいろいろサービスもできると思うし」
「うーん…さっき言ったようにチアキさんを薄めたような感じの子だよ」
「名前は?ほら、名前がわかってればグッズにサインを入れてプレゼントとかできるじゃん」
「…知らないよ。みんな委員長って呼んでいるし」
それがアダ名みたいになって通じちゃうなら知らなくてもしかたないだろうし、柚那の話のとおりだとするとみつきちゃんには学校の友達がいないってことになるから、名前を聞き出すのも難しいんだろう。
とは言っても、これだけ仲間達の事を知っているってことは別に彼女がコミュ障というわけでもないような気もする。
「他のクラスメイトは誰と仲がいいとか、誰が好きとかなんとなくわかってきたんだけど、委員長は謎が多くて」
「え?友達いないんじゃないの?実はクラスに友達いるの?」
「いないよ。休み時間に寝たふりをして、みんなが教室で話をしてるのを盗み聞きして分析したんだ」
みつきちゃんはそう言ってエヘンと胸を張った。
前言撤回。この子早く何とかしないとだめだ。
「みつきの匂いがします」
みつきちゃんが帰った後で寮に戻ってきた柚那はリビングに入ってくるなり鼻をヒクヒクさせてそう言った
「匂いって…犬かよ」
一応みつきちゃんの名誉のために言っておくと、みつきちゃんは決して体臭が強いわけではなく、香水などもつけていないので普通にシャンプーの香りと制汗剤の香りくらいしかしない。
「浮気ですか!?」
浮気と言われても別に俺は柚那の旦那でも恋人でもないのだが。
「みつきの方が私より若いからですか!?若い娘のほうがいいんですか!」
柚那の場合、ここで言う若い娘が、文字通り若い『娘』だから本当にややこしい。
どちらかというとみつきちゃんは娘というよりは妹といったイメージなので、柚那は娘、みつきちゃんは妹と一応俺の中で住み分けはできているのだが柚那はそのあたりを理解してくれない。
「柚那って嫉妬深いよなあ…」
「なんですか?」
「いえ、なんでもないです。はい」
「柚那が嫉妬深いというよりは、君が迂闊なんだと思うけどな」
「あ、おかえりなさい狂華さん」
「ああ、ただいま。それより朱莉、みつきは一応ここのOGではあるけれど、現在の扱いとしては部外者だ。それをほいほいと寮に入れるというのはあまり関心しないな」
「…もしかしてまだ鮭のこと根に持ってるんですか?」
年端もいかない子供、しかもみつきちゃんはいわばここの卒業生だ。その彼女に対する言い方として冷たすぎるような気がして、俺は皮肉を口にした。
「…お前がみつきから何を聞いたか知らないが、騙されているんじゃないか?」
「騙されているって、みつきちゃんが俺に嘘をついたっていうんですか?」
「じゃあ言ってみろ、お前はみつきから一体何を聞いたんだ?」
「何って…みつきちゃんが戦闘不能に追い込まれたあの日、彼女が朝食の時に狂華さんの鮭を取ったからそれを根に持って…」
そこまで言って、俺は気がついた。
ここに来てから何度と無く狂華さんと朝食を共にしているが、彼女の朝食は基本的にパン、稀にシリアルだ。
つまり、俺は朝食で和食を食べている狂華さんを見たことがない。
「気がついたようだな。朝食に並ばない鮭をどうしてみつきが取れるんだ?」
「いや、でも昔は和食党だったとか」
「残念ながら私は今も昔も朝は鮭を食べない。それが事実だ」
「じゃあチアキさんのことは?」
「チアキのこと?」
「ボランティアで養護院に行っているって!寄付もしてるって!」
「そんな話は聞いたことがないな。まあ、朱莉が騙される気持ちもわからなくはない。みつきは劇中のリーダーという役柄と裏腹に普段の言動が幼い。そのギャップのせいもあって信用してしまいがちなのだろうがあいつを信用するな。そうでないとお前も傷つくことになる」
そう言って俺の目を見た狂華さんの目には、みつきちゃんに対する憎しみの色はなく、ただ俺を憐れんでいるような、同情しているような色を湛えていた。
多分、狂華さんは嘘を言っていない。でも、だったら―
「だったら、なんであの時あんな顔をしていたんですか?」
「あの時?」
「みつきちゃんがやられた時ですよ。なんであんな冷たい表情で見ていたんですか」
しょうもないいざこざで、ちょっと喧嘩して虫の居所が悪かった。あの表情も神様の気まぐれでたまたまそういうふうに映ってしまっただけ。みつきちゃんの言っていたことが嘘なら、なんで狂華さんはあんな顔をしていたのか。
「ああ…そんなの簡単だ」
そう言って笑う狂華さんの瞳からは光が消え、あのシーンと全く同じ表情が彼女の顔に浮かぶ。
「みつきが嫌いだからだよ」
そう吐き捨てるように言うと、狂華さんはリビングから出て行った。
狂華さんは本気でみつきちゃんの事を嫌っている。狂華さんの表情を見て俺はそう確信した。だが、狂華さんがみつきちゃんを嫌う理由がわからない。子供に少しくらい嘘をつかれたとして、それであそこまで人を憎めるものなのか。
「なあ、柚那…みつきちゃんは狂華さんに何をしたんだ?」
「私もあのころは入ったばっかりだったんで詳しいことはよく知らないんですよ…ただ、狂華さんも最初からみつきを嫌っていたわけじゃないと思うんです。私が入ってきた時に一緒に行動していましたし、歓迎会の時も仲がよさそうでしたし…」
「そっか、柚那も知らないか…」
なら、聞けるのはあの人だけか。
俺は今のところ本性が大天使か悪魔なのかの判断を保留にしている先輩魔法少女の顔を思い浮かべた。
思えばここで暮らし始めて結構経つのに俺はこの部屋に入ったことがない。
柚那の部屋にはお茶やおやつでお呼ばれすることがあるし、狂華さんの部屋には本を借りに行ったり返しに行ったりするが、チアキさんの部屋には用事がないのだ。
一応、チアキさんとは飲み友達ではあるが、飲むときは迷惑そうな狂華さんの視線と、仲間に入りたそうな柚那の視線にさらされながらラウンジや共用リビングで飲むことが殆どだし、その他は外飲みになる。
「いったいどんな部屋なんだろうか」
ノックをしようとした手を止めて俺は柚那と狂華さんの部屋の様子を思い出す。
柚那の部屋はいかにも女の子といった感じで、内装の色合いは白を貴重として、時々淡いピンクが差し色のように使われている。置かれている家具も全体的に角のない丸っこい家具がメインで、小物類も曲線を取り入れたものやふわふわしたものが多い。
唯一部屋の真ん中には四角いミニテーブルが置かれているがそのミニテーブルの足もいわゆる猫足というやつでやはり曲線が用いられている。
対して狂華さんの部屋は柚那に比べて飾り気がなく、普通のシングルベットに本棚、本棚本棚…一応おまけ程度に文机がおいてあるといった感じで、どちらかと言えば男友達の部屋のイメージだ。
さて、以上を踏まえてチアキさんの部屋を予想してみる。
チアキさんと言えば酒。しかもワインなどの洋酒ではなく、日本酒や焼酎などの和酒だ。おそらくワインクーラーのような洒落たものがおいてあるのではなく、棚いっぱいに酒瓶の並んだ、まるで酒屋さんのような部屋に違いない。
「そんなんじゃ地震が来た時に大変でしょうが」
そう言って中からチアキさんがドアを開けて顔を出した
「あ…すみません。聞こえちゃいました?」
「しらじらしい。わざと思考が漏れるように考えたでしょう」
チアキさんの得意魔法の一つがテレパシー。効果範囲は半径5m程度高その範囲にいる人間が何を考えているかわかるという便利な魔法だ。
こちらの考えていることが筒抜けなのは面白くないし恥ずかしいが、逆に言えば言葉に出さなくてもわかってもらえるというのは、どう筋道をたてて聞いたらいいか迷うような今回みたいなケースでは非常に都合がいい。
「ええまあ」
「まったく悪びれもしないとはね。で?みつきと狂華のことが聞きたいって?」
「ええ、教えてもらえますか?」
「教えてほしいったって、朱莉の中でまだ何を聞きたいか固まってないじゃない。そんな漠然としたイメージのこと教えようがないわよ」
「何を聞きたいか固まってないから何でも話して欲しいんです。予報もでてないし、時間ならあるでしょう?」
そう言って俺は後ろ手に隠していた一升瓶をチアキさんに見せる。
「あんたっていい性格してるわよね。まあ、ここのところそういうことをする人がいなかったから一周回って新鮮といえば新鮮だけど」
そう言ってチアキさんはドアをいっぱいに開いて俺を中に招き入れた。
……ここのところということは、以前はいたのだろうか。そういう「いい性格」している人が。
チアキさんに招き入れられて部屋の中に入ると、意外や意外。お酒の瓶が並んでいるというようなことはなく、程よく片付いた3LDKほどの広さの普通の…3LDK?
「えっと…チアキさんの部屋、ちょっと広くないですか?」
ちょっとどころではない。俺や柚那、それに狂華さんの部屋はちょっと広めのワンルームに申し訳程度にダイニング・キッチンがついた1DKで、やや手狭だ。そのため大画面のテレビなどはラウンジや共用リビングのものを使っている。
「まあ、あんたたちの部屋よりは広いわね」
「どうしたんすかこの部屋。増築とか可能なんですか?」
なんということだ。知らなかったけど劇的な感じで匠にリフォームとか頼めるのか、この寮。
「そうじゃなくて、もともとみつきと一緒に住んでいたからその見返りというか、オプションね。まあ私はここでのあの子の保護者役だったってわけ」
みつきちゃんが現在中学二年生ってことは、バリバリの現役だった去年が一年生。さらにもう一年前の研修期間はまだ小学生だったということだ。そりゃあ一緒に住む保護者も必要だっただろう。
「晩御飯まだでしょ。つまみ作るから座ってて」
そう言って俺にソファーを薦めると、チアキさんはエプロンをつけてキッチンに立った。
戦闘中メイド風の衣装を身にまとうチアキさんがエプロンをつけている姿は見慣れているはずなのだが、やはり普段着にエプロン、しかも彼女の部屋ということを考えると、感慨もひとしおだ。そもそも俺はチアキさん派だったわけだし。
「チアキさんって、魔法少女になる前ってなにをやってたんですか?」
「あら、聞きたいのは狂華とみつきの話じゃないの?」
「それも聞きたいですけど、エプロンとか料理している姿があまりに様になってるもんで気になっちゃって。やっぱり何かお店をやってたりしたんですか?」
「…まあね。小料理屋の女将兼板前をやってたのよ。おいしい料理を作って、お客さんと一緒に飲んで」
「だったら変身後の衣装も着物にすればよかったのに」
動きづらいという難点はあるが、関西チームには巫女服になぎなたというおよそ魔法少女とは違った何かのような人もいるし、中国地方にはガチの巫女さんだっている。
「前に言ったでしょ。私の設定は殆ど当時の長官が作ったから私の意思はあんまり反映されてないのよ」
そう言ってため息をつくチアキさんからは、成熟した女性独特の色っぽさのようなものが感じられた。
「もしも衣装を自分で決められたら、着物がよかったですか?」
「うーん…まあメイド服は選ばないとしても、着物も選ばないかしらね。なんだか元の人生を引きずっちゃいそうだし」
そう言いながらチアキさんは手際よくイカを捌いてあっという間に刺身にしてしまった。
「俺なんかは変身後の武器も箒だったりしますけど、別に引きずっていませんよ」
「清掃業で使うポリッシャーと箒はちがうでしょう。箒は立派に魔法少女の武器よ」
イメージ的にはね。と言いながら、チアキさんは手元を見もせずに刺し身にしなかったゲソを刻み、刻んだゲソと肝を包丁で叩いて和えて行く。正直ものすごくプロっぽい。
「あとは…作りおきの煮込みとかでいい?」
「大歓迎っす」
リビングで飲んだ時に何度かご相伴にあずかったチアキさんの牛すじ煮込みは、生姜が効いた醤油ベースの煮込みで、隠し味の味噌がいい仕事をしているという絶品料理だった。
その煮込み料理なら作りおきだろうが、多少腐ってようが大歓迎だ。
「失礼な!腐ったものなんて出さないわよ!」
おっと、うっかり心を読まれてしまったようだ。
宴もたけなわとは言わないが、二人とも大分酒が入って気持ちよくなってきたところで、チアキさんがそれまでしていた他愛もない話を打ち切り「よし、じゃあ話そうか」と言ってからダイニングチェアに座り直して姿勢を正した。
「…朱莉が魔法少女になったきっかけって、狂華の戦闘に巻き込まれたからよね」
「え?あ、はい」
「柚那のきっかけは聞いた?」
「確か、芸能界のしがらみと母親から逃げ出したくてって話ですよね」
「そう。じゃあ柚那がいったい誰に誘われたのかは聞いた?」
「誘われた?柚那がですか?」
「そう。本来魔法少女候補者には素質があると判明した時点で担当のマネージャーがつくのよ。何にでも化けて対象の近くに入り込み、交渉し、契約を促す。うちの組織にはそういう人たちがいるの。契約が終われば担当を外れるからどっちかっていうと、プロ野球のスカウトみたいなものかしらね。やり方はかなり悪質だけど」
「悪質…ですか」
「まあ、願い事を叶える代わりに命がけで戦えっていうのは、アニメやマンガでもおなじみの手法だから、悪質と断じていいかどうかは契約者次第といったところではあるけど」
そう言ってイカ刺しを一切れ口に放り込んだ後でチアキさんは『別に力尽きたからって私達が宇宙人になるわけでもないしね』と付け加えて笑う。
「ちなみに私は朱莉と似ていて。お店に突っ込んできたトラックに潰されて、死ぬか生きるかっていうところを当時マネージャーだった人に助けられたの。まあ、それ以前にがんで余命いくばくかっていうところだったっていうのもあったんだけど」
そう言って笑うチアキさんの顔は少し照れているようで、どことなく嬉しそうな表情にも見えた。
もしかしたらそのマネージャーはチアキさんの恋人、いや、もしかしたら旦那さんだったのかもしれない。
「あ、一応言っておくと、私は未婚だから」
「…軽々しく心を読まないで下さいよ。情緒ってものがなくなるじゃないですか」
「人の人生を妄想してニヤニヤするのは情緒って言わないの」
「それはさておき、俺より年上で未婚っていうのもちょっとあれな気がするが」
どうせ心を読まれるならと思って開き直って口に出した俺はチアキさんのげんこつを脳天に食らった。
「口に出して言えばいいってもんじゃないのよ」
「すみません、調子に乗りました」
「じゃあ、話に戻るわよ。そんな感じで魔法少女のプロトタイプとも言うべき狂華にもマネージャーがついてたの…まあ、マネージャーっていうか、彼女と狂華とあと二人いて、その四人が創設メンバーなんだけど」
「え?狂華さんがプロトタイプなんですか?」
「…ちゃんと最初の授業で教えたはずなんだけど」
「そうでしたっけ?」
「はぁ…狂華がプロトタイプ、関西のひなたがテストタイプ、東北・北陸の精華が先行量産型とも言えるパイロットモデルね。今度はわすれないように」
「なんか、そういう言い方って嫌ですね」
機械とか、兵器として扱われているみたいで。と、口にだすのが憚られた俺は心のなかだけでつぶやく。
「似たようなものだからね」
言葉にしなかった部分も汲み取ってくれたのだろうチアキさんは話を続ける
「狂華のマネージャーは狂華の親友だったの。もちろん、さっき言ったような、作られた存在としての親友じゃなくて学生時代からのね。狂華に素質があると解った時、彼女は悩んだそうよ。仕事とは言え、こんなことに狂華を巻き込んでいいのかってね」
「ちなみに、狂華さんの望みってなんだったんですか?」
「彼女と親友のままずっと一緒にいることよ。結果的に今もその望みは一応叶えられつづけているわ」
親友と一緒にいたい。それだけのために命をかける。俺にはちょっと理解できないレベルの友情だが、そういう友情の形もあるのだろう。ただ、この話がどう狂華さんとみつきちゃんの不仲の話につながるのかがわからない。
「まあ、あわてなさんな」
そう言って笑うと、チアキさんはグラスをあおって中身を飲み干した。