ある日の精華 ……と、朱莉
「どういうことなの」
「……いや、なんていうか、それはこっちのセリフなんですけど」
山間にある寮が朝晩めっきり冷え込むようになった朝のこと。
俺が腹の上に感じた重みで目を覚ますと腰のあたりに精華さんが乗っていた。
俺の腰の上にと言っても精華さんは当然布団の上に載っているし、何かいやらしいことをしているわけではないが、いきなりの寝起きドッキリを仕掛けられた俺はドキドキが止まらずにいる。
何がドキドキするって、今この瞬間に柚那が踏み込んできたらと思うと、気が気ではないのだ。
「とりあえず降りてもらっていいですか?このままだと起き上がることもできないですし、話するにしても落ち着かないんで」
「……わかった」
精華さんはそう言って、しぶしぶといった感じではあるが、俺の上から降りてローテーブルのそばに置いてあるクッションに腰をおろした。
もともとそんなに親しくもなかったが、精華さんとはアーニャ達との一件以降、ややギクシャクしたままだ。
寿ちゃんやこまちちゃんとは比較的すぐに仲直りできたのだが、どうにもこの人は子供っぽく、未だに俺に対して『恥をかかされた』とか思っているフシがあってうまく仲直りができていない。
「で、こんな朝早くからどうしたんです?」
ベッドを出た俺は部屋に備え付けのミニキッチンでコーヒーを淹れながら尋ねる。
「………」
「黙っていちゃわからないですよ。そういえば、さっき俺が起きるなり『どういうことなの』とか言っていましたけど、あれはどういう意味ですか?俺、なにかしました?」
「……きと…ちが……」
「え?なんです?」
「こと…こま…」
「聞こえませんってば」
別に意地悪で言っているのではなく、精華さんの座っている場所と俺のいるキッチンは少し離れているので、下を向いてブツブツ言われても本当に聞こえないのだ。
「寿とこまちが!最近全然私にかまってくれないの!」
「……はあ…そうなんですかすみませ……って、え?俺全然関係ないじゃないですか」
「そんな……酷い!仲間がこんなに困っているっていうのに」
『おう、ちょっと待て。俺はあんたに殺されかけたんだけど。しかも謝罪すらまともに受けてないんだけど』喉元まで出かかったそんなセリフをコーヒーと一緒に飲み込んで、俺は精華さんの前に来客用のマグカップを置いた。
「まあ、百歩譲って仲間が困っているということで何か手助けしようにも。寿ちゃんもこまちちゃんも別に精華さんをいじめようっていうつもりじゃないんですよね?だったら、ただ単に繁忙期というか、忙しいだけなんじゃないですか?ほら、ふたりとも妹持ちですし」
俺としては師弟という呼び名を推したのだが、都さんが『断然姉妹。姉妹以外認めない』とか言い出したので、愛純が言い出した制度は姉妹制度ということになった。一応指導役が姉、弟子が妹となっているが、こまちちゃんのところはセナのほうが普段はしっかりしているし、みつきちゃんとあかりのほうも、どちらかと言うとあかりのほうが姉っぽい。
「それに、寿ちゃんって東北の実務担当でしょう?なんか色々忙しいみたいですし、仕方ないんじゃないですか?」
この間グラビアの撮影で会った時に彩夏ちゃんが『今二人でやっている量を今まで寿さん一人でやっていたとか、あの人バケモンなんじゃないですかね』とか言っていたので相当忙しいんだと思う。
まあどの程度忙しいのかというのは、狂華さんの仕事っぷりをみているとなんとなく予想はつくが。……というより、今寿ちゃんと彩夏ちゃんがやっている仕事って、本来ならこの人がやらなきゃいけない仕事なんじゃないだろうか。
「な、何よ」
俺の視線に気づいた精華さんがそう言ってこっちを睨むが、おそらく俺が何を言いたいかわかったのだろう。すぐに目をそらしてしまった。
「じゃあ、あれですよ。寿ちゃんの仕事を彩夏ちゃんと一緒に手伝えばいいじゃないですか。そうすれば会話もできるし、コミュニケーションも増えるんじゃないですか」
「それは私も考えた……考えたんだけど」
「けど?」
「一回手伝ったあと、部屋に入れてもらえなくなった。『私と彩夏で十分だから、ゆっくりしててください』って」
猫の手も借りたいと言っていた寿ちゃんがそう言うということは、つまりは実質的な戦力外通告ということだろう。
「じゃ、じゃあこまちちゃんと遊べばいいじゃないですか。こまちちゃんは特に何もしてないですよね?」
「こまちは最近セナと二人で連携技の練習をしていて、それがすごくかっこいいの。二人で、背中合わせにぐるぐる回りながら両手の拳銃で次々にターゲットを撃ちぬいていったりしてね。それで、私も入れてもらおうとしたんだけど……」
運動神経0の精華さんのことだ。それ以上は聞かなくてもなんとなく想像がつく。
「ああ。もう聞かなくてもなんとなくわかりました。で、どうしたいんです?」
「彩夏とセナを排除――」
「お帰りください」
俺はそう言って部屋のドアを指差した。
寿ちゃんの負担が軽くなって、やる気のなかったこまちちゃんがやる気を出しているというのに、この人は一体何を言っているんだ。
「酷い!」
「酷くねえよ!つか、思った以上に腐ってるあんたの性根のほうが酷えよ!」
「だって寂しいのよ!?うさぎは寂しいと死んじゃうのよ!?」
「はあっ……じゃあ、都さんに言って、次に上がってきそうな子を早めに青田買いして、精華さんの妹にしたらどうです?そうすれば遊んでくれる相手もできるし、東北チームの戦力増強も図れるし、いいことづくめじゃないですか」
人員を補充したとは言っても関西も東北もあと一人二人はほしいところだろう。
「朱莉、あなた私に人の面倒が見れると思ってるの?」
思わない。っていうか、自分でそれ言っちゃうのかよ!
「……いや、正直言って俺も思ってませんけど、それも含めて面倒見の良い子を選ぶとか。精華さんが成長するとか色々あるじゃないですか」
俺の言葉を聞いた精華さんは「えぇー……」とため息を漏らしながら空気が抜けたかのようにローテーブルにもたれかかって顎を乗せた。
「……面倒くさーい……」
ああ、こいつグーで殴りてぇっ!
「面倒くさがりのこまちちゃんですら、やる気出してるんですから少しはやる気出してください」
「私はやる気出さなくても強いから」
「…とにかく、妹探しに行きましょう。ね」
こんな人を押し付けることになるのはまだ見ぬ精華さんの妹には悪いが、俺としても精華さんが寂しがるたびに襲来されるのは勘弁して欲しいところなのだ。
「うー……わかった」
わかったと口ではいうものの、ローテーブルに突っ伏したまま動こうとしない精華さんを動かすのに、20分ほどの時間を要した。
企画趣旨を説明すると、都さんは即OKを出してくれ、めぼしい訓練生の資料も渡してくれた。
「気に入った子、います?」
今現在、研修生はチアキ先生による授業の真っ最中のため、下手に教室に乱入なんてしようものならチアキさんに本気で叱られてしまう。ということで、俺と精華さんは授業が終わるまで、都さんからもらった資料を図書室で読み込んでいた。
「………うーん」
「ピンときませんか?」
「あんまり……ねえ、もう諦めて帰らない?」
ほんとこいつなんなんだ?わがまま姫かなんかか?
「いや、都さんに資料を提供させておいて面談もせずに帰るっていうのはさすがにどうかと思いますよ。ほら、この子なんていいじゃないですか」
俺は精華さんの前に、ちょっとこまちちゃんっぽい雰囲気の研修生の資料を差し出す。
「……こまちとキャラ被ってない?」
「まあ、そのつもりで選びましたし」
「却下」
「じゃあどうしたいんですか」
「だからセナと彩夏を……」
「却下です」
「朱莉のくせに生意気!」
「生意気でも何でも、俺は真面目にやってる人間の味方です。ほら、そろそろ授業も終わりますし、面談してみましょう」
「あ……あのね」
「たいした人数じゃないし、すぐ終わりますって。何らかの形で子離れじゃないですけど、寿ちゃん・こまちちゃん離れしないと。ね?」
「う……うーん…」
精華さんも頭では解っているのだろう。迷っているようではあるが、嫌だとは言わない。
「会ってみたら意外にすんなり決まるかもしれませんよ。それに気が滅入ってる時はとにかく動いてるほうが気が紛れます」
「わ、わかった。が、頑張る」
……いや、頑張るのは面談を受ける研修生なんだけどね。
とはいえ、俺はこの時彼女の言った「頑張る」の意味を完全に履き違えていた。
この時は、てっきり『面倒くさいけど資料を用意してくれた都や寿。それに、こまちの手前頑張る』だと思っていたのだが……
「あ、ああああの、ご、ごひゅっ…ご趣味は?」
……こういう意味だった。
つまり、かつての俺が精華さんに対して思っていた『我が道を行く、ちょっと厨ニの入った口数の少ないミステリアスな女性』という認識は誤りで、実際は『厨ニはもちろん、人見知りでコミュ障のわがまま女』だったらしい。いや、コミュ障以外はなんとなくわかってたけど。
「趣味は身体を動かす事です。学生時代はずっとバレーボール部に所属してました!精華さんは、学生時代はどんなスポーツをやっていらっしゃったんですか?」
千夜ちゃんは面接慣れしているのか、それともただ図太いのか、回答した後にしっかりと切り返してくる。
「ふぇっ!?す、スポーツは……その……あの……」
どっちが面談を受けに来ているのかわからないくらい、精華さんはキョドっていて、逆に面談を受けている千夜ちゃんは堂々としている。
「……わ、私もバレーボールを……」
なんでここで嘘ついたあぁぁぁっ!?あんた前に学生時代はずーっと文芸部だったって言ってたじゃねえか!
「本当ですか!すごい奇遇ですね!ポジションはどこだったんですか?よかったら今度一緒にやりませんか?訓練生の有志で訓練も兼ねてバレー部作ったんですよ!」
「ほへっ!?い、いやその、私は……ひ、膝の古傷があるから!」
……いや、もし本当に古傷があったとしても魔法少女になった時点で治ってるだろうよ。というか、このまま精華さんに任せておいたら多分話が進まないな。
「……えーっと、千夜ちゃん」
「はいっ!」
「千夜ちゃんの得意な魔法はどんな魔法かな?」
「反射と増幅です!受けた魔法を増幅して弾き返すことができます!なので、精華さんの妹になれたら、バレーボール風の必殺技ができると思います!精華さんの魔法を私がレシーブ……あ、簡単ですけど解説図を描いてきたんです!まず、精華さんの……」
千夜ちゃんはそう言って、持ってきていたバッグの中からスケッチブックを取り出して、彼女が描いたのであろう棒人間による図解を見せてくれた。
「……と、言うことで、私達ならどんな敵でも倒せると思うんです!一緒に頑張りましょう!」
長年スポーツをやっていたというだけあって、体育会系のやや暑苦しいノリで千夜ちゃんがアピールしてくる。
精華さんこういうノリ苦手そうだなあと思って隣を見ると、案の定精華さんは眉をしかめ、若干顎と下唇が前に出ているというひどい顔で『お前みたいな奴お断りだ』オーラを出していた。
まあ、俺も体育会系って苦手だから気持ちはわかるけど。
「はい。じゃあ、面談は以上になります。結果は後日ということで」
その場で不合格というのも角が立つので、俺はそう言って面談を締めたが、状況を察したらしい千夜ちゃんはなおも食い下がってくる。
「あのっ!もし精華さんがダメでも、私の能力は応用が効くと思います!もしよろしければ朱莉さんの妹でも…」
「俺には愛純がいるから。ごめんね」
これは、大事なことなので、一応真顔で。
熱意はわかるし、そもそも都さんの推薦だから誰かにつけてあげたいけど、この子の魔法、応用は効くけど相性のいい相手が限られる能力なんだよなあ。近接主体の関西組との相性は最悪だし、中、長距離主体の北海道東北組は精華さん以外は二人とも相手がいるし。あえて言えば千夜ちゃんが自分で志願した俺だけど、俺のように中距離の必殺技が照射型だと反射した時に軌道が読まれ易すぎて多分使い物にならない。
残念だけど、研修生の中で彼女の魔法を活かせる子が現れることを祈るばかりだ。
「ありがとうございました」
最後の候補者がそう言って部屋を出ると、精華さんはすぐに机に突っ伏した。
「疲れたわぁ……」
「いや、あんた何もしてねえだろ」
千夜ちゃんの後、三人の面接をしたが精華さんは千夜ちゃんの時同様キョドってばかりで、文字通りまったくお話にならなかった。
「で?誰か気になった娘はいました?」
「どの娘もいまいちね。なんかこう…寿やこまちと出会った時のトキメキみたいのがないのよ」
「まあ、そういうの含めて縁ってやつですからね」
まあ至急精華さんの妹を見つけるようにと都さんから命令されたわけでもないし、一人で丸一日精華さんの暇つぶしに付き合うのが嫌だっただけで言った企画なので、俺としては別に精華さんの妹が見つからなくても良いのではあるが。
まあ、これで精華さんが寿ちゃんとこまちちゃん。ひいてはセナと彩夏ちゃんのかけがえのなさに気づいてくれるかもしれないし、そうなればこうして俺の、柚那も愛純もでかけていて完全フリー!という貴重な休日を潰されることもなくなるだろう。
「そうだ!朱莉が私の妹になればいいのよ!そうすれば私は暇が潰せるし洗濯も掃除もしないで済むじゃない」
「あんた絶対妹持っちゃいけない人だ!」
この人、妹を家政婦か何かと勘違いしてる!
「なんでよ!?寿は仕事を手伝わせてるじゃない!」
あ、もしかして精華さんって北海道東北チームの家事担当なのか?だとしたらまあこういうことを言うのも……
「寿もこまちもやってくれなくなったから私の洗濯物が溜まってしょうがないのよ」
「あんたホントに救いようがないくらい最悪だな!」
ひなたさんも家事炊事は桜ちゃんに任せっきりで相当なもんだったけど、一応書類仕事なんかの雑務は全部やっていた。
しかし、今の話を聞いた感じだと精華さんはおそらく徹頭徹尾何もしていない。
「そもそも私は洗濯も掃除もしてこなかったんだから、苦手でもしょうがないじゃない!今まで仕事だってやったことないんだし!」
「……あの。精華さんって実年齢いくつなんです?」
「………17歳」
それは劇中設定。俺が入ってすぐの頃にチアキさんが、未成年者は柚那とみつきちゃんだけって言ってたから、この人は少なくとも成人しているはずだ。
というか思い切り目をそらしてるし、ちゃんとわかって言ってるな、こいつ。
「いや、実年齢」
「17歳……と88ヶ月」
そう言って精華さんは居心地悪そうに視線をそらす。
「おうこら24歳。その年で掃除も洗濯もできないとかどういうことだよ。大体働いたこともないとか、あんたお金持ちのお嬢様かなんかか?」
「別に実家はお金持ちじゃないわよ。普通のサラリーマン家庭よ。普通の建売住宅に普通に両親と弟と住んでたし」
じゃあ、ただのニートじゃん。
いや、金持ちでもニートだけどさ。
「………あの、精華さん。それじゃあ寿ちゃんやこまちちゃんが愛想をつかして彩夏ちゃんやセナに目が向くのもしょうがないと思いますよ。だって、精華さん何もできないし、はっきり言えば魅力0じゃないですか」
「な……そ、そそんなことないわよ。私はほら、多少ズボラだけど超魅力的よ」
「いや、じゃあその魅力とやらを俺に教えてくださいよ」
「ほぇっ!?……えーっと……わ、若い?」
「みつきちゃんとあかりは14、朝陽は17。愛純は18ですよ」
別に24が若くないとかババアだとかそんなことをいうつもりはないし、俺から見れば全然若いのだが、正直若さだったらJC組とは10も違うし、朝陽も愛純もかなり顔面偏差値が高い。
さらに、愛純のひとつ上には我が恋人柚那が控えているのだ。24歳が若さを全面に出して甘えていられる環境ではないということはわかってもらいたい。
「ぐ……ぬぬ……む、胸がある」
「アンダーとトップの差だったらチアキさんのほうがありますし、楓さんもあれでなかなか大きいですよ」
普段はサラシで潰しているからわかりづらいけどね。
「む、無口キャラ」
「いや、あんたは口下手コミュ症なだけだろ」
「ミステリアス」
「いやいや、あんたの場合、頭がおかしくて何を考えてるかわからないだけだろ」
「う……じゃ、じゃあ…も……」
「も?」
「…喪女……」
それは魅力ではないと思う。というか、自ら魅力がないと言っているようなものではないだろうか。
精華さんも自分で言っていてそう思ったのだろう。がっくりと項垂れてしまった。
「とにかく、何か一つ魅力的な部分を作れば、セナや彩夏ちゃんがいても寿ちゃんやこまちちゃんも、またかまってくれるようになりますよ」
「ほ、ほんとに!?」
「………ま、まあ。多分」
俺の提案に目を輝かせている精華さんは、普段の陰鬱な雰囲気がまるでなく……いや、つべこべいう必要もないか。眼を輝かしている彼女はそれだけで十分魅力的だ。
基本的な顔の作りは可愛いんだから、ムスっとしてないでニコニコしてればいいのにな。
「どうしたの?」
「いえ、なんでもないです。まず魅力開発の第一歩として、前髪少し横に払うとか、上げるとか、ちょっとイメチェンしたほうがいいですよ。目元がよく見えると、それだけで印象違いますし」
「そう?じゃあそうする。他には何をしたらいい?」
前髪をヘアピンで留めながら精華さんが次を催促してくる。
まあ、ぶっちゃけ外見は特に直さなくてもいいんだよな。普通に可愛いんだし。
「ズボラなのを直しましょう」
「……」
「ちゃんとしたら二人はきっと精華さんのところに戻ってきますよ」
「……わかった」
何この子超ちょろい。
まあ、こういうやり方は好きではないが、これも彼女のため。何より俺の心の安息のためだ。
「洗濯や掃除はやろうと思えば出来るんですよね?」
「………」
それもできないのか……
「でも掃除は掃除機かけるだけでだいぶ違うし、洗濯なんて、基本洗濯機に放り込むだけじゃないですか」
「……掃除機のスイッチを入れると暴走して窓に突っ込むし、この間は何故か洗濯機が爆発したわ」
そう言って自虐的に笑いながら涙目になる精華さん。
「寮の洗濯機をあまりに頻繁に壊すから私だけ使用禁止になったし」
「精華さんの服って火薬か何かで出来てるんですか?」
いや、火薬だって洗濯したぐらいじゃ発火すらしないだろうけど。
むしろ湿気って爆発なんかしないだろうけど。
「じゃ、じゃあ料理は?精華さんって食べるの好きだし、美味しいものもいっぱい知ってますよね。それを作れるようになれば二人に喜んでもらえるんじゃないですか?」
まあ、フライパンから火柱を発生させて天井を焦がしたりしそうだけど。
「料理?………料理かぁ。そういえばやったことないわ。でも自分で作れるようになれば安上がりだし、二人にも喜んでもらえるかも」
お、意外に乗り気だ。
これはチアキさんに押し付けるチャンス!
「じゃあチアキさんに習いに行きましょうか」
「そうね!うん!頑張ってみる!」
精華さんをチアキさんに預け、俺がちょっとした買い物を済ませて寮に戻ると、小料理屋ちあきことチアキさんの部屋からいい匂いが漂ってきていた。
普段この部屋から漂ってくるのはカツオ出汁や昆布出汁。それに醤油や味噌の匂いが主だが、今日はちょっと違っていてそれらの匂いだけではなくコンソメやトマトの匂いもしている。
匂いにつられてチアキさんの部屋の呼び鈴を押すと、中からもっちゃもっちゃと口いっぱいに料理を頬ぼっている朝陽が出てきた。
「あら、朱莉さんでしたか。どうしたんです、呼び鈴なんて鳴らして」
「いい匂いしてるけど、まだ開店してないの?」
「あ、そういえば暖簾出てませんでしたね。今日は精華さんのおごりで食べ放題だそうですから中へどうぞ。すごいことになってますからびっくりすると思いますよ」
そう言って朝陽は俺を廊下に上げると暖簾を持って出て行った。
朝陽はご飯を食べてたし、中へどうぞと言われた以上、特に遠慮する必要もないのでいつものリビングへ向かい扉を開けると、そこには洋の東西を問わずありとあらゆる料理が並んでいた。
「あら、いらっしゃい朱莉」
リビングに入った俺の姿を見て、チアキさんが寄ってくる。
「……これ、どうしたんですか?もしかして、精華さんの飲み込みが悪くて作って見せているうちにいっぱいできちゃったとかですか」
「うーん……まあ、普段精華の不器用さを見ているとそういう発想になるのかもしれないけどキッチン見てみて」
チアキさんに促されてキッチンに目を向けると、そこでは中国の李小花指導のもと中華鍋を振る精華さんの姿があった。しかも鍋の中身は焦げ付いているということもなく、精華さんの腕の動きに合わせて、空中をきれいな弧を描いて回っている。
「うそーん」
正直言って、チアキさんに精華さんを預けた時の俺の心境は、もう面倒臭い。これで失敗すればさすがに少しくらい謙虚になるだろうという感じだった。しかし、精華さんは失敗するどころか、素人目から見ても、中途半端な中華料理店の店主よりもしっかり中華鍋を振っている。
「……もしかして、この料理全部精華さんが?」
「和食は私が指導して、洋食はさっきまで狂華が教えてたの。それで中華は小花が今教えているでしょ。正直和食は狂華より上手いし、洋食は私より上手いわよ。多分中華は私より狂華より美味しくできると思うわ」
「あの精華さんが!?」
正直、絶対失敗すると思ってたのに。
「料理って包丁なんかの基本的な技術以外、下ごしらえの加減や火加減、味付けなんかはセンスだったりするからね。特にあの子の場合、味付けに対する経験値が半端ないから」
「いや、でも今日はじめて料理するんですよね?それなのに経験値?」
「よっぽどの天才でもない限りは、味付けについては食べるのも修行よ。その点あの子は経験値が高いっていうわけ。それに頭が悪いわけじゃないから、醤油を焦がすとこういう風味になるよって教えてあげると、じゃあアレも作れそうだ、コレも作れそうだってなるわけ。で、実際作っている最中に、そういえばこの料理はちょっと甘かった辛かった。じゃあコレを入れようってね」
「……長年修行するのが馬鹿らしくなっちゃう話ですね」
「天才型ってそういうもんよ」
諦め半分といった表情でチアキさんが肩を竦める。
「さて、じゃあこれ食堂のほうに運んじゃいましょうか。私達だけじゃ食べきれないし、研修生にも振る舞いましょ」
そう言ってチアキさんは料理にラップをかけ、どこから持ってきたのかわからない料理用のカートに皿を載せ始めた。
「あ、手伝います」
「ありがとう。……で?今回はどんな風に誑したの?」
チアキさんは手伝おうとした俺の手をつかむと、ニヤニヤとした笑いを浮かべながらそう聞いてきた。
「誑してませんよ。人聞きの悪い」
「あら、そう?精華が『朱莉が私のために考えてくれたことだから頑張らなきゃ』って言ってたから、また誑したのかと思っていたけど」
わりと適当な思いつきで言ったんだけど……そんな風に思われていると思うとちょっと心が痛む。
「別に。寿ちゃんとこまちちゃんの、あとセナと彩夏ちゃんのためですから」
「はいはい、ツンデレツンデレ」
カートに料理を載せ終わると、チアキさんはポンと俺の肩を叩いて「よろしく」と言った。
どうやら食堂まで運ぶのは俺の役目のようだ。
「食堂に狂華がいるから配膳なんかは狂華と相談して。あと、さっきからつまみ食いばっかりしている朝陽も連れてって頂戴。なくなりはしないだろうけどちょっと邪魔だから」
「了解っす、じゃあ行ってきます」
「……あ、そうそう朱莉」
「はい、なんでしょう」
「あんたは、自分が思っている以上に周りのことを助けているからもう少し自信持っていいのよ。例えば深く考えなかったことでも相手がそれで救われるなら正解。逆に考えぬいた結果救われなければ不正解。かけた時間や気持ちなんてあんまり関係ないんだからね。……というか、まじめに考えたのに言い訳みたいな憎まれ口叩きながら後悔と無力感に打ちひしがれるのはそろそろやめなさい。っていうか、あんたって、失敗する前から言い訳したりせず、もっとドーンと構えてればいい男だと思うわよ」
真顔でそういうこと言わないでほしいんですけど。
「……肝に銘じておきます」
「よろしい。一回目の分、配膳終わったらちゃんと戻って来なさいよ。あのペースだともう2、3往復しなきゃいけないだろうからね」
「はーい」
カートを押してチアキさんの部屋から廊下に出ると、朝陽はおらず、廊下には寿ちゃんが一人でいた。
「あれ、どうしたの寿ちゃん」
「うちの隊長がこっちにいるって聞いたから引き取りに来ただけよ。それと、朝陽が狂華さんの手伝いに行くって伝言残してったわ」
なんだ、朝陽の奴俺が言うまでもなくちゃんとやるべきことがわかってるじゃないか。
「了解。お迎えは寿ちゃん一人?」
「こまちは食堂でお腹鳴らしてる。セナと彩夏は研修生と話してるわ」
「全員集合ってわけだ」
「……まあね」
立ち話をしていては折角の料理が冷めてしまうし、あまり戻るのが遅くなるとチアキさんに小言を言われかねないので、寿ちゃんを促して食堂へと向かう。
「なんだかんだ言って、寿ちゃんたちって精華さんのこと好きだよねえ」
まあ、好きじゃなきゃアーニャの事件の時にあんな裏切りはしないだろうけど。
「あら、もしかしてうらやましい?」
「まあ、俺には柚那と愛純がいるから、精華さんのことがすげー羨ましいとは言わないけど、ちょっとだけ羨ましいかもな」
二人がいない完全フリーな休日!と思っていたが、いなければいないで物足りないものだ。
「あんまり精華さんに寂しい思いさせないでやってよ。そうじゃないと俺の貴重な休日が潰される」
「いや、普段は私かこまちかどっちかが相手をするようになっているんだけどちょっと今日は立て込んでいてね。ま、迷惑かけて悪かったわよ」
「そう思ってくれてるならいいけどね。なんだかんだで、俺も結構楽しめたし」
精華さんと過ごす休日が楽しくなかったかというと、実はわりと楽しかったりした部分もなきにしもあらずだ。
「……ちょっと」
「ん?」
「楽しんだって、あんた精華さんに何したのよ……」
「えーっと、朝起こしてもらって、一緒にコーヒー飲んで、それから……色々わがまま言われたりとか、逆に俺が無理やり色々やらせようとしたり」
「朝一緒にコーヒー?ていうか……無理やり何をやらそうとしたの?一体どこに行ったの?まさかあんたずっと二人で部屋にこもって何かしてたんじゃないでしょうね?事と次第によっちゃここで消滅させるわよ!?」
「え?ちょっと。なんで寿ちゃん変身してるの?それになんで俺すごい睨まれてるの!?」
「……あんた、あの人に手を出したんじゃないでしょうね?」
「だ、出してない出してない!無理やりやらせたっていうのは、妹選びの面談!」
「本当でしょうね」
「ほ、ほんとほんと。…ってか、あの人ももういい年の大人なんだし、たとえ俺とどうなろうが別に寿ちゃんがどうこういうことでもないだろ」
「何言ってんのよ。あの人は実は全く経験なしのくせに耳年増で、男女についてわかったようなことを言う割に、リアルな話を振ると真っ赤になって俯いちゃったりするから可愛いのに、それがなくなっちゃったら魅力半減でしょうが!絶対あの人を女にしたりしないでよ!?」
……歪んでるなあ寿ちゃん。
「私とこまちの楽しみ奪ったらただじゃおかないわよ」
訂正。歪んでるなあ、寿ちゃんも、こまちちゃんも。
まあ、ある意味愛されてはいるんだろうけど。
食事会が終わり、俺が自室のベッドでマンガを読みながらくつろいでいると、先に帰ってきた柚那が布団に潜り込んできて、その後やってきた愛純が見事なルパンダイブで布団の上から俺達に覆いかぶさってきた。
はっきり言って至福のひとときだが、あかりに絶対見られたくないシーンだ。
みつきちゃんは、苦笑いするくらいだが、前にあかりに見られた時は軽蔑しきったような、夏の終わりに進行方向に死にかけのセミを見つけちゃった時のような顔をしていた。
「ん……?朱莉さんなんか女臭いですよ」
クンクンと鼻を鳴らして愛純がそう指摘すると、柚那も鼻を鳴らし始める。
「あ、ほんとだ。なんか他の女の臭いがする」
なんなの君たちは。麻薬犬か何かなの?
「今日は一日精華さんの暇つぶしに付き合わされたからな。そのせいだろ」
特にやましいこともないので、俺は正直に申告する。
「ああ、確かに精華さんの匂いだ」
一応精華さんの名誉のために言っておくと、彼女の匂いというのはシャンプーの香りの事で、体臭で区別が付くほど彼女が臭うというわけではない。
「どんなことしてたんです?」
「精華さんの妹探しと料理修行。料理修行のほうはチアキさん達がやったんだけどな。で、精華さんが頑張り過ぎちゃったらから研修生を招いて、今日はちょっとした食事会だったってわけだ」
「ああ、朝陽から来てた、早く帰って来られないかっていうメールはそれの事だったんですね」
柚那がそう言いながらパジャマを脱いで身体を寄せてくる。
「そんなメールしてたのか。意外にマメだな、朝陽のやつ」
「そりゃあ朝陽は私の舎て……妹みたいなものですからね」
舎弟かよ……まあいいけど。
「柚那さん羨ましいなあ、愛純にはそういうのしてくれないんですか、お姉さまぁ」
愛純はそう言いながら柚那と反対側から布団に侵入して、柚那と同じように身体を寄せてくる。
別にいやらしいことをしなくても、お互いの体温を確かめ合うような距離はなんとも言えず心地よく、その心地よさに身を委ねているとやがて睡魔がやってくる。
最初柚那は愛純が入ってくることを嫌がっていたが、寒くなってきたこの季節三人分のぬくもりを持つ布団の誘惑には勝てず、三人で一緒の布団というところは譲歩したほどだ。
すでに柚那は左側から。愛純は右側から俺を抱きまくらのようにホールドしてうつらうつらとしているし、かく言う俺も段々まぶたが重くなってきていた。
もう今日はこのまま寝るか……そう思って枕元に置いてあるシーリングのリモコンに手を伸ばした時だった。
部屋をノックする音と共に、今この瞬間ここに来てほしくない人間の声が聞こえた。
「お兄ちゃん、わたし。あかりだけど」
「ちょ、ちょっとまてあかり、待て、まだ入るなよ」
運の悪いことに、さっき愛純が入ってきた時から鍵は開いたままだ。俺は急いで柚那と愛純のだいしゅきホールド天国。もとい、ベッドからの脱出を試みるが、掛け布団はどけたものの、柚那と愛純のホールドからは全く脱出できてないうちに部屋のドアが開かれ、来訪者が姿をあらわす。
「なーんちゃって。あかりちゃんだと思った?残念!私でし………」
姿を表した精華さんは、下着姿の俺たちを見ると、ボン!と火が出るのではないかというくらい顔を真っ赤にしてキョドり始める。
「ち、ちちちちがうのよ。わ、わたしは邪魔をしようとかそういうつもりじゃなくて寿が朱莉にお礼を言いに行けって……ていうか、毎晩そういうことしてるの?い、妹ってそういう……??やっぱりき、気持ちいいの?」
ああ、これがさっき寿ちゃんが言ってた『かわいい精華さん』か。確かに見ようによっては可愛いといえなくもない。
「…ただの人間行火ですよ、感覚的にはお風呂に入っているのと変わらないです。残念ながら精華さんが考えているようなエロエロな関係じゃありません」
まあ、嘘だけど。
「で、どうしたんです?」
身を捩らせて二人の抱擁を抜けだすと、俺は手近にあった上着を手にとって精華さんのところに歩み寄った。
「もうそろそろ帰るから。今日ことで朱莉にお礼を言おうと思って。その……ありがとう。ちょっと自分に自信がついたし、寿とこまちも、忙しくても構うからもう家出なんてするなって言ってくれて」
家出だったのかよ24歳。
「まあ、結果オーライですね。妹が見つからなかったのはちょっと残念ですけど、まあそれは次の機会にでもっていうことで」
「そうね。これから寒くなるし、一緒に寝てくれる妹がいれば寒くないかも」
「いやそういうことじゃなくて……」
妹ってそういうものじゃないと訂正しようかと思ったが、両拳を胸の前でぐっと握って「頑張る!」と鼻息も荒く決意表明する精華さんが馬鹿で可愛くて……いや、馬鹿に可愛くて訂正するのをやめる。というか、むしろ精華さんの満足度を上げ、あかりの声真似をしながらノックするなんて悪知恵を吹き込んだであろう寿ちゃんにちょっとした復讐を思いついた。
「妹は、姉に従うのが基本的な決まりなんですよ。だから、妹が入れば人間行火として使うこともできます」
「そうよね!仙台って冬場は結構寒いから重要だわ!早く見つけなきゃ!」
「いやいや、精華さんにはもう妹がいるじゃないですか」
「え?いないわよ」
「寿ちゃんとこまちちゃんは精華さんにとって妹のような存在でしょう?」
ズガーンと、雷に打たれたような表情で固まる精華さん。
「セナと彩夏ちゃんも精華さんにとっては孫のようなもの。好きにして、いいんですよ」
ここで、俺はニッコリと笑い精華さんの手を取る。
「い、いいの?」
「いいんです」
セナと彩夏ちゃんには悪いが、巻き込ませてもらう。万が一寿ちゃんやこまちちゃんが精華さんに対してもよおしてもセナと彩夏ちゃんがその場にいればさすがに本番突入とはなるまい。寿ちゃんめ、じっくりと生殺しを味わうがいい。
「わかった!頼んでみる!ありがとう朱莉!」
精華さんはそう言って踵を返すと部屋を出て行った。
「あーあ、あんなこと言って。知りませんよ、こまちちゃんたちに怒られても」
布団を被り、顔だけ出してこちらを向いた柚那が少し呆れたような視線を向ける。
「いいんだよ。ドッキリ返しなんだから。俺にドッキリしかけるほうが悪い」
「いや、柚那さんの言いたいことは違うと思うんですけどねえ」
「え?」
「ま、いいです。今日はもう寝まふぁぁ……」
「私達一日動いていたからもう眠くて眠くて……」
「え、お前らもしかして一日一緒だったのか?だったら俺も呼んでくれればよかったのに」
今、ちょっと精華さんの気持ちがわかった気がする。
「何言ってるんですか。二人共出かけるってわかった時『柚那も愛純もいない休日ひゃっほー』とか思ってたくせに」
「……ごめん。そんなこと考えておいて勝手な言い分だと思うけど、実は今日二人ともいなくてかなり寂しかった」
「わかればいいんですよ、わかれば」
「ほらー早く来てくださいよー。間が空いていると寒いんですから」
「ん。じゃあ今日は早く寝て明日はどっか飯でも食いに行くか」
すっかり定位置になった場所に落ち着いた俺は、まどろんで薄れゆく意識の中で二人がそばに居てくれる幸せを噛み締めながら眠りに落ちた。
余談ではあるが、翌朝、寿ちゃんとこまちちゃんそれぞれから俺宛に『精華さんなら私の隣で寝てるぜ』というキャプションの入ったドヤ顔の写真付きメールが届き、俺はなんか負けた気分になった。




