白い旅人
「行き倒れ…かしら」
「行き倒れ…だねえ、多分」
そろそろ初雪も降りそうな10月下旬の札幌。
寿とこまちは路地裏ででっかいスーツケースと一緒に行き倒れている女の子を見つけた。
現代日本、地方都市とはいえ、都会の一角とは思えないような光景に、二人は言葉を失う。
女の子は苦しんでいるような様子もなく、乱暴されたような形跡もないため、事件性はなさそうだが、このまま一晩ここで行き倒れていれば明日の朝には事件になってしまうだろう。
「救急車呼んで騒ぎになっても面倒だし、病気とかじゃなかったら拾って帰ろっか。どうせ精華さんの部屋空いてるしさ」
「いや、あんたそんな人間を子猫みたいに…ていうか、勝手にそんなことできないでしょ」
北海道のPRイベントに呼ばれていた東北・北海道チームが仕事を終え、さあ食事でも行こうかという段になって、精華は『寒い無理死ぬお家帰る』と早口に言ってチームの寮のある仙台に帰ってしまった。
そのため、こまちの言うとおり今日精華が宿泊予定だった部屋は空いているのだが、その空いている部屋はあくまで観光協会が用意してくれた部屋。勝手に見知らぬ女の子を放り込んでいいという道理はない。
「だから、寿ちゃんが観光協会の人に交渉して」
こまちはそう言って、寿の携帯電話を差し出した。
「あんたって、本当に手癖が悪いわね」
「テクニシャンと呼んでほしいなっ!もしくはベッドの魔術師!」
こまちはそう言って両手の指を起用にワキワキと動かす。
「はあ…今言及しているのはあんたのスリの腕の話でしょうが。まあいいや。交渉するからあんたはその子の様子を見てて」
「ほいほーい。ほら君起きてー、こんなところでそんな格好で寝てると凍死しちゃうよ…ぉぉっ!?」
こまちが少女を抱き起こすと、ジャケットの間からTシャツ越しにもわかるほどの確かな重量感を持ったおっぱいが姿を表した。
「こ、これはチアキさん級!?いや、チアキさんを超えた超チ級!?」
東北チームへの志願理由が『リーダーの精華さんのおっぱいが大きいから』という程のおっぱい星人であるこまちは驚きながらも、両手をジャケットの内側に差し込みすごいスピードで彼女の胸を揉みしだく。
「うっはぁ、すっご!これすっご!うっひゃひゃひゃー」
「すっご!じゃない!人が電話してる隙になにやってんのあんたは!」
ゴンっと鈍い音を立てて寿がこまちを携帯で思い切り殴った。
「いったー……私はただ、心音の確認とか体温の確認とかしてただけだよ」
「どこの世界に朱莉みたいな眼の色で人の胸を揉みしだく確認法があるのよ!」
「ここにあるよ!」
そう言ってドンと胸を張るこまちの顎を、寿は無言で蹴りあげた。
「……で、生きてんのね?病気とかそういう感じもない?」
「生きてるし、寝てるだけだと思うよ、私もこの子も」
痛いのが大好きとは言っても、蹴られればその分のダメージを普通に受けるこまちは仰向けに倒れたままでそう答えた。
「じゃあ、運ぶか……ほら、あんたいつまでもダラダラ寝てないで手伝いなさいよ」
「やーん、寿ちゃんたら傍若無人で素敵…っと」
気合を入れて飛び起きたこまちは、寿の反対側から行き倒れの少女を支えた。
「胸は大きいのに、ウエストがくびれてて…すごく男好きしそうな身体してるね。朱莉ちゃんとか超好きそう」
「またあんたはそんなところばっかり見て……」
「おおっ、でも顔は中性的でタチっぽい!」
「あんたの頭の中はそればっかりか!」
口ではそんなことを言っているものの、少女は短めのボブカットでややボーイッシュな顔立ちをしていて、それでいて肌が抜けるように白い。
寿から見てもこまちの言うとおり女子校なんかでは人気が出そうな印象を受ける容姿をしていた。
「…ん……」
「あ、起きた。大丈夫?どこか痛かったり、具合が悪かったりしない?」
少女を座らせてこまちが尋ねると、焦点が定まらないような状態ではあったが彼女はぽつりと何かつぶやいた。
「……た」
「え?何?」
「お腹……すい…た…」
寿の質問に少女はそれだけ言って、再びがっくりと首をもたげて気を失った。
「マジの行き倒れかい!」
「それで、この子ホテルに連れて行ってOK?他に部屋とった方がいいの?」
「ああ大丈夫よ。観光協会の佐々木さんからフロントに言っておくって」
「そう、じゃあとりあえずホテルに戻ろっか」
意識を取り戻した少女、橙子は寿が思わず食べるのを忘れてしまうほどの全く遠慮のない食いっぷりで、ルームサービスを平らげていく。こまちもなかなかの大食漢なのだが、そのこまちと同等か、それ以上の食べっぷりで、すでに彼女の前には多くの皿が積み上げられているというのに、まだ食べ続けている。
「……さすがにこれ以上は私達の自腹を切ったほうがいいわよね」
「いいんじゃない?キャバクラとか行って接待されてるわけじゃないし、偉いおじさん一人呼ぶよりお金かかってないよ。私達」
ルームサービスを含めた宿泊費は観光協会持ちとなっているが、すでにかなりの額になっているはずで、それをまるまる観光協会に回すのはさすがに気が引ける。寿はそう思ったのだが、こまちは違うらしい。
「まあたしかにそりゃそうかもしれないけどさ。でも、どうせあんたたちまだ食べるんでしょ?」
「食べる!」
「ふぁべうー!」
「橙子はしゃべる時くらいスプーン放しなさい!…はあ、なんでこんなこまちが二人になるような事態に…」
寿は頭を抱えてため息をついた。
「いいじゃない。寿ちゃんいっぱい食べる女の子好きでしょ?」
「そりゃ好きだけど……」
こまちが精華の胸を目的に東北チームに志願したように、実は寿が東北チームに志願した理由には精華とこまちが沢山食べるのを眺めていたいというのも含まれている。要するに北海道東北チームはフェチの集まりだ。
「じゃなくて、たとえあんまりお金がかかってなくても、少しくらい遠慮しなさいって」
「いいじゃん」
「いいひゃん」
「橙子!」
「…ごめんなさい」
二度目なので、寿が少し強めの口調で注意すると橙子はしゅんとしてスプーンを置いて謝った。
「はあ……このままだとキリがないから、二人ともあと一品だけね」
寿はそう言って立ち上がると備え付けの受話器を手にとった。
「えー」
「えー…」
不満を口にしつつもすでにメニューに目を落としているあたり、二人の食欲の凄まじさが伺える。
「よし、じゃあ私は北海道産仔牛のフィレ肉ロッシーニ風」
「私は蝦夷鹿のポワレ エシャロット風味」
「また高いものを……」
「「……を5皿!」」
「一皿だっつってんだろ!」
寿は5皿という二人の言葉を却下して1皿ずつ注文し、ついでに自分のデザートも頼むと受話器を置いた。
「それで、橙子はなんであんなところで行き倒れていたの?」
「え?あー…朝ごはん食べてから何も食べてなくて。私燃費悪いんだよねー……」
橙子はそう言って苦笑しながらドリアを口に運ぶ。
「その燃費の悪い原因はそのけしからん胸にあると思うよ」
「ああ、そうかも」
「ちなみにその胸を好きなだけ触らせてくれたらこの後私が今夜一晩食べ放題飲み放題でおごっちゃうけど」
「あんたそんなお金あるなら私が貸してる分早く返しなさいよ…」
「まあまあ、そのうち返すから。どうかな橙子ちゃん」
「え?まじで!?オッケー!どうぞどうぞ」
そう言って橙子はTシャツをペロンとまくって胸を露わにする。
「さっき気絶してるに思ったけどやっぱりこれはチアキさんよりも大きい!超チ級!ヘタすると精華さんよりでかい!超セ級!」
遠慮無く正面から手を当て、まじまじと顔を近づけて見ながら自称おっぱいマイスターのこまちが感想を述べる。
「あんたその妙な表現やめなさいよ。ていうか橙子もなんで胸出してんのよ!」
「いや、女同士だし。それに別に減らないし」
「物理的に減るかどうかじゃなくて、いろいろこう……とにかく、よろしくないから早くしまいなさい!」
「じゃあ、向こうの部屋に言って、お姉さんとちょっと色々しようか」
「すんなこのバカ!」
バシン!といい音を立てて寿のハリセンがこまちの頭にヒットする。
「そういえば二人はどういう仕事してるの?あ、もしかして芸人さん?なーんて……」
「は?」
「え?」
関西や関東方面でならその質問もわからなくはないが、ある意味ホームとも言える札幌でそういうことを言われると思っていなかった二人は思わず言葉に詰まる。
「どうしたの?…もしかして人に言えないような仕事!?ま、まさか私の事をなんかいかがわしい組織に売るつもりなんじゃ……」
橙子の顔が青ざめるのを見て、寿が慌てて否定する。
「ないない、マンガの読み過ぎよ。私達は日曜朝に放送している魔法少女クローニクに出演している……女優…?よ」
「そうそう女優さん。あと、最近はラジオなんかもやってるよ」
「へえ、じゃあ有名人なんだ」
「まあね。ていうか本当に一回も見たことないの?」
「ごめん、テレビもラジオもあんまり興味なくて。というか、見られないんだよね。私、旅人だから」
「旅人?」
「うん。自分が生きているこの国ってどんなところだろうって思ってさ。日本中を旅して回ってるんだ」
「へえ、楽しそうだね」
「まあ、楽しい半面、今日みたいに行き倒れちゃうこともあるんだけど。その度に二人みたいないい人が助けてくれるから何とか旅を続けられてるんだよね」
そう言って、橙子は照れ笑いのような笑顔を浮かべる。
「今後のコースとか回る予定とかって決まってるの?」
「一応このまま稚内経由で道東に向かって、北海道をぐるっと一周した後に太平洋側を通って本州を行こうかなって思ってる」
「この時期に行くなんて、結構チャレンジャーね…人気のないところで今日みたいに行き倒れたら死ぬわよ」
「まあ、別に歩いていくわけじゃないし」
「ならいいんだけど……」
「革ジャンの前を開けてヒッチハイクすると結構停まってもらえるんだよ!」
「風邪ひくから今すぐそのクソみたいなビッチハイクの旅をやめなさい!」
「は、はいっ!」
橙子は寿の剣幕に思わず背筋を伸ばして、今日一番いい返事を返す。
「何?お金がないわけ?」
「まあ、そんなにはないかなあ。でも私って身体は丈夫だからね。そう簡単に死にはしないから大丈夫だよ」
「だから、そういう問題じゃなくてね……収入は0なの?」
「一応旅をしながらその先々でちょこちょこ仕事してって感じかな。とある会社から土地の調査とかを委託されてるんだ。ただまあ、そんなに収入が多くないから旅費と食費ですぐ使いきっちゃうんだよね」
「はあ……」
「お、寿ちゃんの『はあ…』が出た!」
「しかして私また、怒られちゃう?」
「まだ6時か。よし、ちょっと買い物行くわよ」
「え?何?ご飯?」
「違うわよ。これからの季節、そんな格好で北海道を旅したら風邪ひくでしょ。だから服買ってあげる」
「え!?いいよそんな、悪いし」
「いいから」
「甘えておきなよ橙子ちゃん。寿ちゃんは意地悪そうに見えて実は結構情に厚いんだよ」
「意地悪そうに見えては余計よ!ほら、いくわよ」
「いや…でも…」
「気にしなくてもいいわよ、服くらい買ったってどうってことないんだから。女優の経済力なめないでよね」
「いや、そうじゃなくて、さっき頼んだルームサービス食べてからでいい?」
三人は頼んでいたルームサービスを食べ終えてからホテルを出て夜の街に繰り出した。
夜と言ってもド深夜ではないので、まだやっている店も多く選択肢は広い。
寿はネットを駆使してテキパキと必要なものが買える店をリストアップし、無駄なく回る。
30分もしないうちに、温感のあるインナーや新しいブラとショーツ、パンツとセーターなどを一週間のローテができる分買い集め、残りはアウターだけになった。
「なんだかんだ言って、寿ちゃんって世話焼きだよねえ……」
大きさのわりにスカスカだった橙子のスーツケースに買った服を押し込み終えたこまちがそう言って笑う。
「袖触れ合うも他生の縁、情けは人のためならず。よ」
「でもこんなにたくさんっていうのはさすがに…」
「いいのよ。私も昔は旅好きで日本を一周したから橙子の気持ちはよくわかるしね。だから、旅が好きっていう子がいたらなるべく手伝いたいのよ。その子の旅がいい思い出で終われるようにしたいの」
「でも……」
「いいの、私はスポンサーで、あんたは日本中を回るっていう仕事をする。それでいいのよ。……そうだ、どうしても気がとがめるっていうなら、行った場所の写真を撮って送ってよ。それで私もそこに行った気分になれるし、ウインウインでしょ」
「そんなこと位なら喜んで」
「じゃあ、メールアドレス渡すから、メールにつけて送って頂戴」
「うん、わかった……って、あ……」
「どうしたの?」
「委託元の会社が一回戻って来いって…うへっ明日の朝一!?もう今日帰らないとだめじゃん……」
「そう……」
寿はハンドバッグの中からメモ帳を取り出して用紙を一枚切り取ると、サラサラとメールアドレスを書いて一度折ると、そのメモ用紙に財布の中から取り出した紙幣を何枚か挟んで橙子に差し出す。
「それじゃこれ、飛行機代」
「え!?いや、さすがに現金をもらうのは……」
「スポンサーが現金出すのは当然でしょ。ただ、絶対写真送りなさいよ。それと、困ったことがあったらすぐに言うこと」
「困ったことって?」
「お金が尽きた、お腹が減った、宿が見つからない。なんでもいいわよ。困ったときはなんとか手配してあげるから。言っておくけど、あんた女の子なんだから絶対野宿とかダメだからね」
「なんで、私なんかにこんな」
「言ったでしょ。袖触れ合うのも他生の縁よ。それに、あんたの旅が無事に終わったら……」
「終わったら……?」
「ううん、なんでもない。とにかく楽しんで。私にはもうそういう長旅できないからさ。それとこれ。私の着古しで悪いけど、こまちと着回せるように大きめのサイズを買ってあるから橙子でも着れると思う」
そう言って寿は自分の着ていたファー付きのダウンコートを脱いで橙子に差し出す。
「……いいの?」
「良くなきゃ脱がないわよ」
「じゃ、じゃあこれ使って」
「それこそいいの?あんたの一張羅でしょ?」
「だから寿に預けるよ。旅が終わったら、恩返しに寿に会いに行くから。そうしたら、その時返して」
「わかった。そういう事なら預かるわ」
「タクシー捕まえたよー」
気を利かせて大通りに出てタクシーを捕まえに行ったこまちが手を振りながら大声で叫ぶ。
「ほら、飛行機なくなっちゃうわよ」
そう言って寿は橙子を連れて歩き出す。
「ねえ、寿……」
「ん?なに?」
「……なんでもない。色々ありがとう。元気でね」
「橙子もね。それより道中気をつけてね」
「じゃあ、東京についたらメール送るから」
「はいはい。早く行きなさいって」
そう言って寿は手をシッシと振って早く行くように促す。
「本当にありがとう!じゃあ」
橙子は最後に深々と礼をすると、こまちが捕まえたタクシーに乗って去っていった。
「……さて、帰ろうか」
「ん」
「いい子だったね、橙子ちゃん」
「そうね……そういえばあんた今日はヤキモチやかないのね」
「うーん…寿ちゃんが橙子ちゃんに私を重ねたり、他の誰かを重ねたり、橙子ちゃんが好きだーってなってたら、多分ヤキモチ焼いたかな」
「知ったようなことを」
「だって、私は他の誰よりも寿ちゃんのこと知ってるもん。先月に比べて寿ちゃんのちっぱいが1cm大きくなったこととかね」
「……付き合いが長い相手って面倒よね。体重が2kg増えたこまちさん」
「あはは、お互いねぇ……はあ…そろそろ本気で痩せないと、冗談じゃなくて本当に精華さんみたいになっちゃうなあ」
こまちはそう言って憂鬱そうに肩を落とすと、大きな白い息を吐いた。
寿に弟子入りしたことで東北に配置後、必然的に雑務を手伝わされている彩夏が書類を持って寿の仕事部屋を訪ねると、寿は携帯を見ながらニヤニヤしているところだった。
「寿さん、ここのところの経費なんですけど…何見てるんすか?」
「え!?ああ、友達からのメール。あっちこっち旅してるから、その地方の風景を送ってきてくれるのよ。ほら、初雪の写真」
「へえ、なんかいいですね、そういうの」
「こら!話聞いてんの?」
ユウに丸めた資料の束でポコンと殴られた橙子は慌てて携帯を背中に隠した。
「い、いや、別に何もしてないよ」
「この忙しいのに何もしてないなら大問題だけど。ほら、次の作戦の資料」
「ああ、ごめん。ありがとう」
橙子はそう言って資料を受け取るがどことなく上の空だ。
「一応言っておくけど、もう潜入要員はいらないからね」
「は!?はぁ!?別に私、仙台に行きたいとか言ってないっしょ」
「まあいいわ。ほら、さっさとロケハン行っといで」
「はーい。じゃあ外回りいってきまーす」
橙子はそう言って寿からもらったダウンコートを持って部屋を出て行く。
「おーい、今度は食事にお金使いすぎるんじゃないわよー」
ユウはドアの方に向かってそう声をかけるが、橙子に聞こえているのかいないのか、返事はない。
「ほんと、あの子の暴食どうにかならないものかしらねぇ。まあ、うまいこと向こうの戦力を食ってくれればそれでいいんだけど、あの子そっちはさっぱりだからなあ……」
ユウはそう独りごちてから大きなため息をついた。




