いつでも会いにくるアイドル
「どうした、もう終わりか?たいしたことはないな」
もうもうと上がる土煙の向こうからゆっくりと姿を現した彼女が、倒れた俺を見下ろしながら巨大な万年筆をこちらに向ける。
「魔力がみつきを超えたというのは計測機器の故障だったか?」
そう言って狂気すら感じる、意地の悪い笑いを浮かべる彼女にはまさに狂った華の名がふさわしい。
「く…」
「ふん…もう手詰まりなら、これで終わりにするか」
そう言って狂華さんは万年筆を振り上げるが、もちろん俺だってそのままやられるつもりなどない。
「このまま負けてたまるかぁっ!」
俺は自分の武器である箒をかざし万年筆を受けに行くが、箒が万年筆を受ける寸前、万年筆はスッと消え、そして―
「ぐえっ!」
自分でも驚くほどかっこ悪い声を上げてしまうくらい見事に万年筆が俺の頭にヒットした。
「コントロールが身につけばステッキの出し入れは自由だと言っただろう。つばぜり合いなんて狡いことを考えないで相手に確実にヒットさせることを考えろ。馬鹿者が」
殴られた頭を抑えて涙目になっている俺を見て、狂華さんがため息をつく。
「でもでもだって、それだと画面映えしないじゃないですか!」
「でもでもだってじゃない。普通の人間よりも死にづらいとは言っても、我々だって不死身じゃないんだ。確実に勝つための方法を身につけろ。いいな?」
「…はい」
俺がそう返事をすると、スピーカーから練習時間終了のチャイムが鳴り響く。
ここは、魔法少女の学園パートを撮影する魔杖学園の一画に建てられた魔法少女の練習用施設。
この建物には実戦で使うM-フィールドの技術を応用してあり、ちょっとやそっとのことでは壊れないようになっている。
「そもそも、私はどちらかと言えば天才型だからあまり人に教えるのは得意じゃないんだ」
自分で天才って言っちゃったよこの人。まあ、そう言えるくらい圧倒的な戦闘センスではあるんだけど。
「基礎訓練ならともかく、魔法の訓練とかコツとかそういう事は努力型のチアキにでも教えてもらえばいいだろう」
そう、意外なことだがコツコツ積み重ねて苦労していそうな印象の狂華さんが特に努力をしないでもコツをつかめる天才型。逆にちゃらんぽらんで努力には縁のなさそうなチアキさんがコツコツ積み上げる努力型なのだ。
だが、努力型が真面目で勤勉かというと別にそういうわけではないのが現実なわけで。
「一応頼んだんですけど『嫌よ面倒くさい』の一言で終わっちゃったんですよ」
「…君の声で聞いているはずなのに、チアキの声で容易に再生できるくらいしっくり来る話だな」
「そういうわけで頼めるのは狂華さんしかいないんです!」
「柚那と一緒に訓練するのもいいんじゃないか?まあ、頼りにされるのはやぶさかではないが」
「いやあ、柚那とはできませんよ。だって可愛い柚那に怪我させたら大変じゃないですか」
「ほう…」
なんとなく、本当になんとなくだが場の空気がピッと張り詰めた気がした。
「そうか、なら頼りになる私がもうひと揉みしてやろう」
そう言って狂華さんが万年筆を振るとペン先から飛び散ったインクがむくむくと盛り上がりペラペラで真っ黒なひょろっとした人型を象る。その数10体。これは狂華さんの魔法のうちの一つ『スレンダーマン』だ。
「私は昼食を食べに行くから、君は昼食の前にスレンダーマンをすべて倒すこと」
「え…いや、でも俺もう魔力が殆ど…」
「限界を超えなければパワーアップなんてありえないだろう」
自称文系の狂華さんは、バリバリの体育会系のような言葉で俺の言葉を打ち消す。
「そうだ。条件は厳しいほうがやりがいがあるよな。13時までに食堂に来られなければ今日の君の昼食は抜きだ」
そう言って変身を解くと、狂華さんは先ほどと同じ意地の悪い笑顔を浮かべて「ごゆっくり」と言い残して去っていった。
結局、スレンダーマンはすべて倒したものの、タイムアップにより昼食抜きとなってしまった俺は、一緒に夕食を外に食べに行く約束をしていた柚那と、少し早い時間から街にくり出した。
ちなみに、俺と柚那は先週放送分の本放送から番組に出ているので、今や一応芸能人だ。街に出るにしてもそれ相応の変装が必要になる。
芸能界の先輩である柚那のアドバイスに従い、大きめのキャスケット帽を目深にかぶりメガネをかけた姿は逆に目立っているような気がしないでもないが、まあそれはいい。
「このお店にくるのは、業界の人ばかりですから変装をとっても大丈夫ですよ」
半個室の席に通された後、柚那に言われて視界の大半を塞いでいたキャスケット帽を脱ぎ、メガネを外す。
ここ最近裸眼で生活をしていたせいで、変装中、チラチラと視界に入るメガネのフレームが煩わしくてしょうがなかった俺は、視界が開けたことでほっと一息ついた感じだ。
「芸能人御用達のお店ってわけか」
「というより、このお店は基本的に会員制なので、会員と同伴かその紹介のある人じゃないと入れないんですよ」
「あれ?でもお前、名前も顔も変わっているよな?そうすると知り合いもいないんじゃないのか?」
「いえいえ、私が伊東柚那になっても、私を紹介してくれる人はいるんですよ」
「チアキさんとか狂華さんとかか?」
「いいえ。二人ともあまり芸能活動を…というか、番組以外には全くしていませんからそういう知り合いはいないと思いますよ」
「じゃあいったい誰に招待してもらったんだ?」
「下池ゆあですよ」
いや、それお前じゃん。
「…つか、下池ゆあって、死んだことになってるんだよな?」
「一応そうですね。失踪した後、自宅で首を吊っているのが発見されていますから。でもゆあが死んでも、彼女が持っていたインビテーションカードは生きていますから」
「に、してもだ。ゆあと一緒に来たことのない人間がいきなり来たら断られそうなもんだけど」
「私達は先週から国民的番組に出演しているわけですから、顔パスとまではいかないまでもわざわざ身分証明をしなくても、こちらのこともそれなりにチェックしてくれているんです」
「なるほどね。さすが芸能人御用達。ホスピタリティが行き届いているわけだ」
「ホス…?」
「簡単に言えばおもてなしの心遣いが行き届いているってこと」
「ああ、なるほど。朱莉さんって、時々難しい言葉使いますよね」
「まあ、それはヲタクの性ってやつだけど、ホスピタリティくらいは社会人だったら知っておかないと恥をかくこともあるからな。一応覚えておいたほうがいいぞ」
「あはは、本当にお父さんみたいですよね、朱莉さんって」
「まあ、基本的におっさんだからな。見た目は子供、中身はオトナってやつだ」
チアキさんあたりがいたら「中身も子供でしょ?性的な意味で」とか言われそうだが、柚那だけならそんなことを言われる心配もない。
「あれ?そういえばドリンク以外のメニューがないな」
「ああ、ここは食べ物は基本的におまかせコースだけなんです。食べられない食材とか、どうしても食べたいもののリクエストがあれば作ってもらうこともできますけど、なにかあります?」
「いや、特にはないかな」
「じゃあ飲み物だけ注文しちゃいましょうか。一応二人とも今は成人の身分証がないんでソフトドリンクだけなんですけど大丈夫ですよね?」
「ああ、もちろん」
まあ、17歳って事になっているのに車を運転してきているけどな。
この辺は後々問題になりそうだから、上に言って成年の身分証を作ってもらったほうがいいだろう。
ドリンクを注文してしばらくすると、和洋折衷でありながらも全体でどこかまとまりがあり、俺がやや苦手とする食材すら旨く食べさせてくれる至高の料理が、前菜からメインまで、すべて間が空きすぎることも、せかされるようなこともなく絶妙なタイミングでテーブルに届けられた。
それだけではなく、柚那のグラスが空いているなと思って少し視線を動かすと、すぐに店員と目があってドリンクの注文を聞きに来てくれる。
あたりまえのようでいて、その実非常に難しいオペレーションをすべてのホール担当者がこなしていた。
「…すごい店だな」
最後に選べるデザートプレートの注文を取って去っていく給仕の男性の背中を見ながら、俺は感嘆のため息をもらした。
「さっき言っていたホスピタリティってやつがですか?」
「ああ。もちろん料理の味もすごくいいんだけど、付かず離れず、痛くなく痒くなく絶妙な距離感と気遣いだと思う。こういうプロ意識のある現場に触れると、身が引き締まる思いがするよな」
「意外と真面目ですよね、朱莉さんって」
柚那は俺の言葉に、一瞬きょとんとした顔をしたあとでそう言って苦笑した。
「意外じゃないだろ。俺は真面目が服を着て歩いているような人間だぞ」
「…ま、隣に女の子が寝ていても手を触れようともしないですしね」
「え?」
「なんでもないですよ。それより、なんだっていきなり特訓なんてはじめたんですか?最初の変身以降、魔力も安定していますし、ちゃんと戦えていると思いますけど」
「ん…まあ、ちゃんと戦えてはいるんだが「戦えている」だとちょっと不足かなと思ってさ。ほら、俺ってイメージカラーが赤で一応リーダーだろ。隊長は狂華さんがやってくれているから雑務はないけど、やっぱり戦闘でリーダーらしいところを出したいっていうかさ」
「なんかウソっぽいですね」
そりゃあ嘘だからな。
俺は声に出さずに心の中だけでそう答えた。
「別に嘘じゃないぞ」
「いえ、絶対嘘です。私は伊達に朱莉さんの娘をやっているわけじゃないんですよ。」
そう言って柚那は身を乗り出して顔を近づけてくる。
「さあ、本当のことを白状してください。いったいどういう心境の変化なんですか?」
「だから別に…」
「白状してください」
「いや、だから…」
「…どうしても駄目ですか?私、心配なんです。いきなり強くなりたいとか、もしかしたら朱莉さんが何か思いつめていたりするんじゃないかって。もしかしたらそれが元で朱莉さんが傷ついたりするんじゃないかって…私…心配で…」
そう言うと柚那は両手で顔を覆って声を殺して泣きだした。
「わかった、わかった。話すよ。…そんな大したことじゃないんだ。なんていうか…俺と同じ名前の女の子からファンレターが届いてさ」
「え?もうファンがついたんですか?早くないですか?」
柚那はそう言って涙の跡などみじんもない顔を上げる。
「ああ、確かに早いな…っていうかお前、泣いていたんじゃないのか?」
「え?…えーっと…涙は女の武器、みたいな?」
そう言って柚那は某ケーキ店の店頭に置いてあるマスコットの人形のような顔で目をそらした。
…いや、いいけどね。嘘泣きでも。嘘泣きに引っかかったおれが間抜けだってだけの話だし。
「まあ、わたしの嘘泣きのことはいいじゃないですか。さあ、続き続き」
「嘘泣きって言っちゃったよ!…まあ、それで同じ名前の…その子はひらがななんだけど、あかりちゃんが、『同じ名前の魔法少女がでてきて嬉しいです!たくさん活躍してください』って手紙に書いてくれていてさ。こうストレートに応援されたんじゃ頑張るしかないかなって思って、それで狂華さんに特訓を頼んだんだ」
「邑田って結構特殊な字ですけど、同じ字なんですか?」
「ん?ああ…まあな」
「ふーん…」
背中に嫌な汗をかいているのが自分でわかる。
俺はまだ柚那に伏せていることがあるのだ。それに気付かれまいと嘘と真実をまぜこぜにして信ぴょう性を上げるつもりだったのだが、柚那の表情を見る限り、今のは迂闊だったかもしれない。
「…もしかして、娘さんがいたりします?」
「独身の俺に娘がいて、親権を持っていないなら母親の苗字になるだろう?」
「戸籍に載ってなくても、隠し子とか、精子バンクとか。それに女性の苗字って、離婚した後も別に戻さなくても平気なんですよ。喧嘩別れとかした人なんかは苗字が嫌で戻しますけど、もともとの実家が嫌とか、仕事上の付き合いで今更もとの苗字に戻すとややこしいとか色々な理由で戻さない人はいるんです。現に私の母親がそうでしたから」
なんでこの子はそういうところだけ妙に大人かなあ…
「実際どうなんです?別に怒りませんから正直に言ってください」
「いや、だから本当に娘はいないって」
あと、柚那が怒る意味がわからん。
「今、『娘は』って言いましたよね?じゃあ何ならいるんですか?息子さんですか?あかりくん…まあ息子さんでもなんとかなりそうですけど…」
「だから子供なんていねえよ!この歳で中2の子供がいてたまるか!」
「えーっと…うちはそんな感じでしたけど」
「いや。お前の家はかなり早いほうだからな?俺はお前のお父さんとお母さんが出会ってデートをしたりして青春を謳歌していた頃には、男子校のテニス部でひたすらボールを追いかけていたっての」
さらに言えば俺は未だに年齢イコール彼女いない歴だし、精子バンクなんかに登録できるほど上等な経歴も持っていない。
「テニス部!?かっこいいですね!すごくモテそう!」
まあ、たしかにコートの中でボールを追ってたレギュラーの奴らは他校の女子からモテていたさ。でもな、俺は三年間ボール拾いのモテない側の住人なんだよ!ちくしょう。
「ていうか、そのファンの子って中2なんですか?…まあ、番組自体が老若男女問わず世界中でかなり浸透していますし、実際邑田さんや柿崎さんのような大きいお友達もいるわけですし、無くはないでしょうけど…」
「けど?」
「姪っ子?」
「ぐ…」
一旦話がそれたかと思ってホッとしたところに来た不意打ちでズバリ言い当てられ、取り繕うことも出来ず、モロに自分の顔に動揺が浮かんだのが、鏡を見るまでもなくはっきりとわかる。
「ええっ!?朱莉さん、姪っ子の名前を自分で名乗っているんですか?」
「ん…まあな」
どこから聞きつけてきたのか知らないが、チアキさんにはもうすでにバレているので、遠くないうちに柚那にもバレていたかもしれない。だがそれでもなんとなく姪っ子、しかも女子中学生のために頑張っていると柚那に知られたくなかった。
ちなみに、姪っ子は3人姉妹で上から「あかり」「千鶴」「沙織」という。
あかりは長女らしく一番面倒見がよく、千鶴がクールに見えて、ややドジっ子で気分屋。沙織はわりと体育会系だ。
チアキさんには『順番逆じゃない?』と言われたが、義兄がそう名付けてしまったのだからしかたがない…というか、チアキさんはそっち方面に造詣が深すぎる気がするが、一体何者なのだろうか。
「さすがにちょっと引くんですけど」
「別に姪っ子に対して変な気持ちがあるとかそういうことじゃなくて、あの時は他に名前が思いつかなかったんだよ」
「いや、そんな力いっぱい弁明しなくてもいいですけど。そうだったんですか、自分の名前を使った叔父さんに対して、あかりちゃんはそれと気付かずファンレターを出してしまったと」
「ああ。名乗り出られないのはわかっているけど、それでもやっぱり子供の頃から娘のように思っていた姪っ子が喜んでくれるなら頑張らなきゃなと思うだろ?そういうことだよ」
「…なんか、ちょっと嫉妬しちゃいますね」
「嫉妬って、なんか怖いんだけど…」
仲良くなってみて初めて分かったが、柚那はかなりヤンデレの気が強い気がする。
「やきもちのほうが可愛いですか?」
「そっちのほうが可愛いけど、なんであかりに嫉妬するんだ?」
「ま…朱莉さんにそこを期待してはいないですからいいんですけど」
そう言って柚那はなにかを諦めたようにハァっと盛大なため息をついた。
ドルチェ(デザートと言ったらわざわざ柚那に直された。別にデザートでもスイーツでもドルチェでもたいして意味は変わらないのに柚那はドルチェと呼ぶことをご所望だった)を食べ終わり、店を出たところで店の黒服と一人の少女が押し問答をしていた。
「このあたしの顔を知らないなんて、あんた潜りなんじゃないの!?」
「そちらの顔を知っている知らないではなく、当店は会員制かつ紹介制となっておりますので」
「だから、ツレが中にいるって言っているじゃん!一回店に入れてもらえればわかるから!」
「それであれば申し訳ございませんが、お連れ様にご連絡をしていただくださいと申し上げております。中でご申告いただければ、迎えのものが来るようになっておりますので」
「だから、ツレだけど電話番号なんて知らないんだってば!」
「ですからそれはお連れ様とは言いません」
「だァーッ!もう!あんたじゃ話にならないから責任者出しなさいよ!責任者!」
そう言って、少女は黒服の上着の襟を掴んで力任せにガクンガクンと前後に揺さぶった。
「なあ、柚那…あれ」
「…知らないふりをしたほうがいいんじゃないでしょうか」
「まあ、俺は実際知らないと言えば知らないんだけどさ」
彼女についてチアキさんはお子様と評し、狂華さんはモンスターと評した。
クラスメイトや関係者に聞いても返ってくるのは色々な意味で問題児だったという旨の評判だけ。
現在俺たち以上にきちんと芸能人をしているはずの彼女がなぜこの店の前で先ほどのような押し問答をしているのか。それは考えるまでもなく誰の紹介も受けていないからということなのだろう。そして、彼女の言うツレは恐らく…
「あ!邑田朱莉!それに伊東柚那!」
…俺達のことだったようだ。
「お連れ様ですか?」
「あ、は――」
「いいえ、違います」
黒服の質問に、俺が答えるよりも先に柚那がそう答えて踵を返し、俺の腕を引っ張って歩き出す。
「おい、ちょっと柚那」
「ダメです。あの子にちょっとでも甘い顔したら…」
「したら、なによ!」
いつの間にか、俺達の前に少女が立っていた。
「いくらなんでも酷くない?か弱い年下の女の子が助けを求めているっていうのに、ほったらかして逃げちゃうなんてさ」
身長155センチとやや小柄な柚那よりもさらに小さなその少女は人指し指をこちらに向け、頬をふくらませて抗議の声を上げる。
「はあ…邑田さんのせいですよ」
「俺のせいか、そうか…」
なんとなく釈然としないものがあるが、今日は奢ってもらってしまったので柚那様のいうことは絶対だ。
「責任取ってみつきの相手をしてくださいね」
「…わかったよ。えっと…みつきちゃん」
彼女の身長に合わせるように屈んで話しかけた俺は、顔面に前関東チームのリーダーみつきちゃんのグーパンチを食らった。
「ちゃんじゃねえよ、さんをつけろよこのデコスケ野郎!」
反射的に殴り返したくなるような挑発的な表情と声色でみつきちゃんは俺を睨みつける。それと俺は別にデコは出していない。どちらかと言うとそれは関西のひなたさんにこそふさわしい称号だ。
「お前ら後輩のクセに生意気だぞぉ!」
みつきちゃんはそう言って先輩ぶろうとするが、いかんせん声にも姿にも威厳がない。同じくらいの身長の狂華さんと比べると月とすっぽんだ。いや、狂華さんもあんまりないけど。
実際、抗議の声を上げながら両手をブンブンと振り回す姿は、チアキさんのいう通りお子様で、狂華さんのいう通りモンスターだ。
「…みつきさんは、どうしてあんなところにいたんだい?」
そして本日二度目のグーパンチ。
「敬語使えよこのカマ野郎!」
とりあえず彼女の事は放っておいて、俺は鼻血を拭いて立ち上がり、柚那の方に向き直る。
「柚那」
「だから私はほっとこうって言ったんですよ」
「…帰るか」
「はい」
「ちょっと待てって!まーってーよー!」
そう言って歩き出す俺と柚那の上着の裾を掴んで足を踏ん張るが、二人の力にはかなわないらしく、みつきちゃんはズルズルと俺たちに引きずられる。
「頼みがあるんだよー」
「人に頼み事をするんでしたら、それなりの態度があるんじゃないですか、みつきさん」
「う…」
そう大人らしく諭しながらもこっそり敬語&さん付けなのは、彼女のパンチが意外に痛いからだ。
「お願いがあるんです。少しお時間いただけないでしょうか…」
「やればできるじゃないか」
前シリーズナンバーワン人気だったのもうなずける可愛さを持ったみつきちゃんが胸の前で手を組み、上目遣いにお願いしている姿は、なんというかもう、抱きしめたくなるほどで、ついつい顔も緩むというものだ。
「鼻の下!」
緩んだ表情が気に触ったのか柚那が俺の鼻の下を思い切りつねる。…正直かなり痛い。
「それで、お願いってなに?」
俺に任せていると話が進まないと思ったのか、柚那がみつきちゃんにお願いの内容を訪ねてくれた。柚那のこういうところ、お父さんは大好きだぞ。
「だから、私のほうが先輩…」
「はあぁっ?」
「ひっ…なんでもないです」
前言撤回。年端もいかない幼子にそういう威圧的な態度を取るのは良くないと思うな、うん。
あと、せっかく普通に可愛いんだからそういう顔するな。
「で?頼みって?」
「おま…柚那さんじゃなくて、朱莉さんにお願いがあるんです」
今、絶対柚那のことお前って言いかけたね、みつきちゃん。
「俺?」
「うん、朱莉さんのファンの子が学校にいて、ぜひ会ってみたいって」
「ああ…そっか」
そういえば狂華さんが、みつきちゃんは俺達のように義務教育終了組じゃないって言っていたっけ。
「ははーん…」
みつきちゃんの話を聞いた柚那が意地悪そうな笑みを浮かべる。
「みつき。あなた新しい学校で友達づくりがうまくいってないんでしょう」
「はうっ!…そんなことないし。友達100人できてるし」
そこで100人とかっていう人数を出してきちゃうのが、もうなんというか。
「それで、朱莉さんのファンの子から手始めに友達にしようっていう魂胆ね」
「う…」
「ダメよ。あなたの友達づくりのためにその都度誰かが会っていたらきりがないもの」
「うう…」
柚那はさっきのような威圧的な態度ではなく、諭すように言っているものの、みつきちゃんの目には涙が浮かんでいる。
最初にみつきちゃんが威圧的な態度を取っていたのは、柚那にこういうことを言わせる間を持たせないためだったのかもしれない。
…まあ、でも。しかたないよな、こういう場合。
「いいよ、会うよ。」
「朱莉さん!?」
「本当っ!?」
「ああ。でも今回だけな。それと他の人には絶対内緒にすることを、その友達とも約束してからにしてくれよ」
「うん!うん!ありがとうお兄ちゃん!大好き!」
「…お…おう」
30過ぎとはいえ、妹萌えをこじらせている俺のようなヲタクにはみつきちゃんの言葉は効果ばつぐんだ。
「それで、何人と会えばいいんだ?クラス全員とかなら、どこかに集まってもらって一気に…」
「一人」
「一人でいいの?」
「うん。委員長と仲良くなれば、他の人とも仲良くできると思うから。将を射んと欲すれば先ず馬を射よだよ。チアキさんが教えてくれたんだ」
「ちょっと違うかな。この場合、将は委員長で、どちらかと言えば馬と仲良くならなきゃいけないんだから」
「…よくわかんない」
「まあ、わからなくてもいいんだけど。俺もうまい例えとかことわざが浮かぶわけでもないしね」
一応物書きの狂華さんあたりならうまいこと言えるのかもしれないけど。
「携帯は持っている?」
「持ってる!」
「じゃあ赤外線こっち向けて」
「うん!」
ボタンを押してこちらの番号を送ると、すぐにみつきちゃんの番号が送り返されてきた。
「ファンの子の予定がわかったら電話して。なるべく予定を合わせるようにするからさ」
「わかった!えへへへ」
友達ができるのが嬉しいのか、みつきちゃんは携帯を見ながら二へへと笑っている。
「友達、いっぱいできるといいね」
「え?…あ、それもそうなんだけど、私、お仕事じゃない電話番号もらったのって初めてだから」
その言葉を聞いた俺の目頭が熱くなる。
「…柚那」
「ええー…」
俺の言わんとする事を察した柚那が、嫌そうな声を上げるが、しばらく唸った後で大人として振る舞うと決めたのか、自分の携帯を取り出した。
「みつき、私とも番号交換しようか」
「え?柚那のは別にいらないよ」
次の瞬間宙を舞ったみつきちゃんの飛距離が意外に出たのは、みつきちゃんが軽いからか、柚那の力が強いからか。