Battle of Intermission
違う。こんなはずじゃなかったんだ。
廊下の天井を見上げながら、俺はため息をついた。
試合の後、あかりとの和解のために俺はチアキさんの部屋を訪れた。
元々チアキさんの部屋の一室にあったみつきちゃんの部屋は、今もそのまま残されており、寮に泊まりになった日はあかりもその部屋に泊まる。
そのチアキさんの部屋は現在小料理屋ちあきも兼ねているので暖簾がかかっているときは営業中となる。そして俺は暖簾がかかっていることを確認してからチアキさんの部屋に入った。
クドクドと状況説明をして、俺が何が言いたいかと言うと、要するに俺は悪くないということだ。
ドアを開け、部屋に入ると、丁度廊下にみつきちゃんが現れた。
「あ、お兄ちゃん。どうしたの?一緒にお風呂入る?」
そう言ってアイスを咥えながら手を挙げたみつきちゃんの格好を見て、俺は自分の運命を悟った。
(ああ……これ、あかんやつや)
みつきちゃんは生まれたままの姿にショーツだけを着け、上は首にかけたタオルだけというラフと言うか裸婦と言ったほうがいいような格好だった。
最近は慣れてきたおかげで女性の裸を見ただけで恥ずかしくて赤面するということは少なくなってきたが、それは俺の事情なわけで。
一緒の部屋で寝泊まりする予定のあかりが、同じような格好をして同じ部屋にいないという保証はないわけで。
「みつきー、ちゃんと髪を乾かさない……と」
みつきちゃんほどラフではないものの、逆にブラを着けているだけにかえって生々しい恰好のあかりが現れ、俺と目が合う。
「あー……あのな、あかり」
「死ねこのクソ兄貴!」
当たり前だが、我が妹は大変お怒りであらせられるようだ。
「ご、誤解だ!」
「誤解も六階もないっ!」
そう言いながらあかりはロケットパンチで俺を五回も六回も殴る。
「違うんだって、俺はただ、お前と話をするために……」
「うるさい!出てけこのスケベ変態ロリコンペド野郎!」
あかりのセリフに合わせてロケットパンチが繰り出すフック、ジャブ、ストレート、アッパーのコンビネーションをもろに食らい、俺は廊下に押し出された。
まあ、そんなことがあって、今俺はこうして廊下に大の字に寝転んでいるというわけだ。
「人の部屋の前でなにやってんの、あんたは」
ふっと影が差したなと思って上を見ると、買い物袋を持ったチアキさんが俺の真上でこちらを見降ろしていた。
ちなみにチアキさんは黒のレースだった。さすが大人の女。縞パンのみつきちゃん、リボンのワンポイントの付きピンクのあかりとはやはり違う。
「……ああ、何があったかは大体わかったからもういいわ」
こういう時チアキさんの読心魔法は非常にありがたい。
「いまさらだけど、一つ教えておくわね。暖簾が逆になっている時は準備中よ」
ああ、言われてみれば今は確かに暖簾が裏返っていてちあきの「ち」が「さ」になっている。
不思議なもので、こういうのって「ち」が「さ」なっていると裏返った文字で読むのに、他の文字は鏡文字になっていてもそのまま読んじゃうんだよな。例えばさんぽが―
「何があったかはわかったけど、あんたいったい何しに来たの?」
「あかりと和解しようと思ってきたんですけど、ラッキースケベというか、アンラッキースケベというか……まあ、どっちにしても失敗しちゃいました」
「はぁ…あんたって、間の悪さは精華並よね」
「失礼な。俺は精華さんほど空気が読めなくないですよ」
ちなみに精華さんはこの間、ひなたさんをさがしていて桜ちゃんとのラブシーンにでくわしてしまい、ひなたさんを巡って桜ちゃんと一触即発のところまで行ったらしい。それにしても二人は一体ひなたさんのどこがいいんだろうか。
「精華さん達のただれた関係とは違って、少なくとも俺はあかりともみつきちゃんともなんでもありません!」
「いや、あんたの場合、あの二人に限らずそういう疑惑は常に付きまとっているけど……で?わざわざいい服を着てるってことは、あかりちゃんを連れてどこか行く気だったんじゃないの?」
たしかにそのつもりだった。柚那には出かけると言ってあるし、今日はみつきちゃんにも遠慮してもらって、あかりと二人で出かけようと思っていた。
「そのつもりだったんですけどー、なんかもういいかなーって」
「何を変な拗ね方してるのよ」
「もう、チアキさんの料理でいいかなーって」
「……私の料理『で』いいってどういう意味かしら?」
「え?」
「私の料理が、その辺の料理屋に負けるとでも?代替品に過ぎないとでも?」
「そんなことはありません。チアキさんの料理は最高です、世界一です。ドイツの科学力並です」
この人今、俺を食材を見るような冷たい目で見てたぞ。
「よろしい。じゃあ仕方ないから私が協力してあげましょうかね」
「いや…でも今日はもう無理じゃないですかね」
あかりの怒り方は数分でどうにかなるようなものではないのを、俺はこの14年の経験で知っている。
「そんなこと言っているからいつまでたっても駄目なのよ。どうせ柚那に対してもそんななんでしょう?」
「う……」
「ちなみに柚那はあんたの鞄の中に何が入ってるか知ってるからね」
「それ、たとえ柚那が知っていたとしても俺に言います!?俺はサプライズプレゼントするつもりで……」
「サプライズのタイミングを完全に逸してるくせに何言ってるのよ。チラッと見えただけでも中に何が入ってるかわかるような箱を長々といつまでも入れてる時点でサプライズなんて成立しないのよ」
「……」
たしかに柚那に渡せずに既に一月近くたってるけど。
「まあ、それはいいわ。今日はあかりちゃんに集中しなさい」
「はい…」
「よろしい。じゃあちょっと待っていなさい」
そう言ってチアキさんが部屋の中に消えて5分。
しぶしぶと言った様子ではあるが、あかりが一人で出てきた。
「……」
やっぱりまだ不機嫌そうだ。
「ごめんな、さっきのは――」
「わかってる。お兄ちゃんの間の悪さは私が一番よくわかってるから大丈夫」
わかっているならあんな鬼の形相で怒らなくてもよかったじゃないか。という言葉は胸に秘める。
「で?今日はどこに連れていってくれるの?」
「とっておきの店だ」
そう言って俺は柚那からもらったインビテーションカードを渡す。
「ふぉっ!?ここ、この前テレビでやってた!会員制で完全紹介制のお店だよね!」
「ああ。それをなくすと入れないから、あかりがしっかり持っててくれ。もしもなくしたら今日の晩飯は越牛な」
まあ、兄妹で牛丼屋のカウンターで並んで食べるのもそれはそれでいいかもしれないが。
「わかった!でもお兄ちゃんにこんなスゴイお店を紹介してくれる知り合いがいるなんて……って、なんだ柚那さんの紹介か。そっか、そうだよね。お兄ちゃん友達少なそうだもんね。それに柚那さんなら納得だ」
失礼な、これでも俺は友達たくさんいるんだぞ。ほとんど仕事場でしか会わないけど。
「今日もうまかったなあ」
今日も、なんて言っているが、俺はまだこの店は二回目だ。
だが、二回目も柚那と一緒に来た一回目同様すごいクオリティだった。
食材、品数、味付け、提供タイミング。すべてが計算しつくされていて、それでいて計算高い感じを受けない。まさに最高の食体験だと言えるだろう。
あかりも試合の時や先ほどのチアキさんの部屋での不機嫌さはどこへやらといった感じで料理の皿が運ばれてくるたびにはしゃいでいた。
「お兄ちゃんって、いつもこんな美味しいところで食べてるの?」
最後のデザート皿に手をつけながらあかりが尋ねる
「いや。ここは特別なときだけ。普段はチアキさんの部屋で呑んでることが多いかな。とは言ってもチアキさんの料理も十分すぎるほど美味しいと思うけど」
「そうだよね。チアキさんの煮物食べたら、おばあちゃんの煮物がかすんじゃったもん。ああ、今日の食事でまたおばあちゃんの食事がかすんじゃう。ごめんなさいおばあちゃん。養親不幸なあかりを許して」
そう言ってあかりはふざけ半分に手を組み、ここにいないおふくろに謝った。
「まあ、チアキさんの料理もここの料理もおいしいけど、俺はどっちかって言えばおふくろの料理が食べたいかな」
あかりは俺のことを知っていてくれるが、俺の両親も、あかりの母親である俺の姉も俺がこうして生きていることは知らない。
「まあ、どっちもないものねだりだよね」
「だな…なあ、あかり」
「ん?」
「巻き込んでごめんな」
「………」
俺が謝ると、あかりはデザートを食べていた手を止め、フォークとナイフを置いて大きなため息をついた。
「はあ……まったくわかってない」
「え?」
「わかってないからその手つかずのデザートプレートは没収」
「ああ、それは別にいいけど」
嫌いではないが、そんなに執着するほど俺は甘いものが好きなわけではない。
「まずさあ、美味しい食事をしている最中に謝罪とかって、料理を作ってくれた人にも、それを楽しんでいる人にも失礼だと思わない?何より料理に失礼だと思うんだ」
「う…それは、まあ、確かに」
「それと、私が巻き込んだことを謝れって言った?」
「言わなかったっけ?」
「言ってない。私が謝れって言ったのは、お父さんのことと、みつきのこと、それに私の初恋のこと」
あ、初恋だったんだ。
「要するに理不尽な要求をぶつけて八つ当たりしたかっただけ。もっと簡単に言っちゃうと、兄妹げんかしたかっただけなんだから、余計なことを謝らなくていいの!……こんなこと言わせんな、恥ずかしい」
「そういう事か。まあでも、義兄さんの事とかみつきちゃんの事とかはともかく、初恋の件は悪いことしたなあ」
うっかり彼氏ができたりしなくて、お兄ちゃん的には願ったりかなったりだけど。
「別にいいよ。他の男子と一緒に、お兄ちゃんでエッチな妄想して盛り上がってる彼を見てたら冷めちゃったから。みんなでアイコラとか作ってくるんだよ。ほんと気持ち悪い」
「あ、そう……」
できればお兄ちゃんは男子中学生におかずにされてるなんて知りたくなかったなあ……。
「あれを私でされなくてよかった」
「いや、あかりは妄想されるほど何もなくないか?」
「え!?」
「えっ!?って、なんでそんなに驚いた顔してるんだ?胸も腰つきもまだまだ……」
「……」
「あ!うそうそ!さっきチラッと見えた時に胸とか腰とかセクシーになっててお兄ちゃん驚いちゃったなあ。ついつい思ってもいない憎まれ口を叩いちゃうのが俺の悪い癖だよな」
泣きそうな顔で自分の胸をペタペタ触るのは反則だと思う。
「いやあ、俺がおかずになることであかりをそんな目に合わせなくてよかったっていうのは、本当にこう……なんだ。あれだ、兄冥利に尽きる!」
男冥利には尽きないけど。
「だよね。お兄ちゃんったら相変わらず面白くないギャグを言うんだから。そうやって思ってもいないことばっかり言ってると、柚那さんに愛想つかされちゃうよ?」
本当のところを言うと、俺はさっきあかりの成長していなさにびっくりした。正直、あかりに比べたらみつきちゃんのほうが全然大人の身体つきをしている。うちの子は大丈夫なのだろうか。
「その憐れむような目は何?」
「いや、なんでもないけど。それより、戦いに巻き込んだこと、本当に怒ってないのか?」
「怒ってないってば。前にも言ったと思うけど、私にとっては、お兄ちゃんが生きていた事がわかったっていうほうが大きいもん。」
「そう言ってもらえると嬉しいやらありがたいやらだな」
「今回、実際に戦ってみて、意外に戦えることがわかったのは大きな収穫だったなあ。多分、今の私でも何かあった時に学校ぐらいは守れるよね」
「そんな必要はない……って言っても聞かないんだろうな、お前は」
「さすが。わかってるじゃん」
「当たり前だ。俺はお前の兄だぞ。最愛の妹のことならなんだってわかる」
「血はつながってないけどね」
「なにをいまさら。そんなの些細なことだろ」
「まあ、些細なことだけど」
そう言ってあかりは二っと嬉しそうに笑った。
「さて、じゃあそろそろ帰るか。今日はお前とゆっくり食事ができてよかったよ。みつきちゃんやら柚那やらがいると、こうは行かないからな」
「あ、二人がこの席にいないからって悪口を言うのは感心しないよ。壁に耳あり、障子に目ありって言うでしょ?」
「……まさかボイスレコーダとか、盗聴器とか持ってるのか?」
「いやいや、まさか」
「だったらいいんだけど」
「ちなみについでだから聞くけど、二人に不満とかあるの?」
「特にはないかな。みつきちゃんはあかり同様妹みたいでかわいいと思ってるし、柚那はちょっと嫉妬深いところがあるけど、俺はそこがかわいいと思ってる。……まあ、一言で言えば、俺は二人とも大好きだぞ」
「おーおー、惚気るね」
「惚気るさ。恋人だからな」
「みつきが喜びそうなこともサラッと入れてくるのが憎い」
「こんなので喜ぶのか?」
「喜ぶんじゃない?ねえ?」
「え?」
あかりの視線と声に不穏なものを感じて振り返ると、入ってきたときは無人だったはずの、簾で仕切られた向こうの席に柚那とみつきちゃんが座っていた。
「………聞いてたの?」
「…聞いてました」
「…聞いてた」
こころなしか、二人とも視線が泳いでいるように見える。
「えーっと……」
大好きとか言っちゃった手前、そういう態度取られるとなんか気恥ずかしいんだけど。
「あ、あの!私も朱莉さんの、女の子と見ればついつい下心丸出しで手助けするところも大好きです!」
いや、無理して悪いところを好きって言わなくてもいいんだぞ、柚那
「あ、あたしもお兄ちゃんのことお兄ちゃんぽくてすごくお兄ちゃんだと思ってる!」
お兄ちゃんはもう意味が解らないよ、みつきちゃん。
「大人気でよかったねえ、お兄ちゃん」
あかりはそう言ってニコニコと笑う。
「そういえばあかり」
「ん?」
「お前は俺の事はどう思ってるんだ?好きとも嫌いとも言われてないんだけど、俺はこのままでいいか?」
「えー……変態ロリコンペド野郎の事、好きって言わなきゃいけないの?」
「とりあえず、その一つも当てはまらない俺への侮辱をやめろ!」
そもそも俺は紳士だし、普通に法にひっかからない柚那くらいの子が好きだし、子供に劣情を催すこともない。ほら、一つも当てはまらない。
「うー……そうだなあ…まあ、好き?かな?」
俺のツンデレ好きは、あかりの影響が多分にあるんだろうなあと思いました、まる
「ま、いいや。じゃあ4人で帰ろうか……って、そういえば柚那。お前たちどうやってここまで来たんだ?」
「私の車です!」
赤い顔をして何を言っているんだこいつは。
「……お前、その顔呑んでるよな?」
「呑んでます!」
「運転してきた奴が堂々と呑んでますとか言うな!」
ちなみに、俺は一滴も飲んでいない。なぜなら帰る場所が入口ゲートの通過に身分証などが必要になる場所だけに運転代行を頼むこともできないからだ。
「……あ、そうだ。一人運転代行してくれて、中に入れる人がいた」
確か柿崎君が都内在住だ。寮に行った後のアシ車がないし、電車もなくなっちゃうから今日は帰れないだろうけど、まあ俺の部屋に泊めて、明日そのまま出勤してもらえばいいや。
「柚那、お前の車を柿―」
「NO MORE柿崎!私の車には乗らせませんよ!」
「早えよ」
お前は一体どんだけ柿崎君の事が嫌いなんだ。
「じゃあ、柿崎君には俺の車を運転してもらって、俺が柚那の車を運転してみんなを連れて帰るってことでいいか?」
「それならOKです」
「じゃあそういうことで」
柚那の了解もとれたところで、柿崎君に連絡しようとスマートフォンを取り出すと、俺が電話をかけるよりも先に電話が鳴った。
「はい」
「あ、朱莉さんですか?篠崎ですが」
電話の主は篠崎さんという都さんの下にいる長官の一人だった。篠崎さんのポジションは小金沢長官と同じ位置。根回しなどの交渉ごとを得意とする小金沢長官に対して篠崎さんは実務を得意としていて、都さんが不在の時に実際現場を取り仕切るのは彼女になる。
以前は顔出しせずに指示を出していたのだが、都さんの復活後、何かあった時に面倒だろうということで紹介された。
「ああ、篠さん。どうしたんですか?こんな遅くに」
「バカ二人が捕まらないのでご相談なのですが」
バカ二人とは、おそらく都さんと狂華さんのことだろう。篠崎さんは二人と同級生で、物言いに容赦がない。
「相談?仕事のこと?」
「はい。例の敵方の魔法少女。確か傲慢の魔法少女、アユでしたか。彼女から予告状というか果たし状というか、そういう類の文書が5分前に届きまして」
「予告状?」
「『今日これから都庁上空で邑田朱莉を待つ』だそうです。猶予は30分。無視した場合は東京を無差別に攻撃するとも書かれています」
「ハッタリやいたずらっていう可能性はありますか?」
「ありません。既に都庁上空に彼女の姿を確認済みです」
「了解です。じゃあ行きます。柚那とみつきちゃん、それにあかりを残しておきますんで、何かあった場合は指揮をお願いします」
「わかりました。何とか救援を送れるようにしますので時間を稼いでください」
さて、と
「ちょっくら用事ができたんで、出かけてくるな。少ししたら戻ってくるからジュースでも飲んでいてくれ」
俺がそう言って店を出ようとすると、柚那が服の裾を掴んだ。
「例の魔法少女が出たんですよね?私も行きます」
「いや、向こうは俺を指名してるし。大体お前空飛べないだろ」
ちなみに俺は最近、箒に乗って空を飛ぶという、魔女っ娘らしい技を彩夏ちゃんに習って身に着けたばかりだ。
「そう言う朱莉さんは空を飛んだら何もできないじゃないですか」
「できるぞ。魔力を箒の先端に集中して突っ込めば相手は木端微塵だ」
数日前に怪人クラスはなんとかそれで倒せたが、多分アユにはそこまでのダメージは期待できないとは思う。
「二人乗りしていけば問題ないですよ。それに私のパンチなら朱莉さんの体当たりよりもダメージが通ります」
「さっきも言ったけど、相手は俺をご指名なんだよ。それに柚那。お前、ここにあかりとみつきちゃんだけ残すのか?会員制だからめったなことは起きないだろうけど、それはやっぱり大人としてまずいと思わないか?」
「……」
「大丈夫だよ、俺は絶対帰ってくるから。大体、ここに襲撃をかけるんじゃなくて、わざわざ呼び出しをかけたんだ。案外話し合いかもしれないぜ」
「…朱莉さんの場合は、それでまた変なファンを増やして帰ってきそうなのが怖いんです」
酷い言われようだった。
「まあ、それでファンが増えたらそれはそれで、戦力増強ってことで」
「増やす気満々じゃないですか!」
「仲間が増えるのは歓迎だけど、俺は別に浮気するつもりはないって……あ、そうだ。じゃあ柚那、これ」
俺は鞄の中から包みを取り出して柚那に渡す。
「………」
「サプラーイズ!……って、あれ?何で三人とも変な顔してるんだ?」
「いや、それはないよお兄ちゃん」
「さすがに柚那さんがかわいそうすぎる」
「え?なんで?」
「これは一体どういった意味合いの物なんでしょうか朱莉さん」
いつも通りの口調だが、柚那の顔は真顔だ。
「そりゃあもちろん、柚那に対する愛を込めてだな」
「だからそれをこのタイミングで渡す意味がわからないんだってば!」
「そうだよ。大体、なにその『あ、お土産渡すの忘れてた』みたいなノリ!」
なんであかりとみつきちゃんがこんなにエキサイトしてるんだ?
「愛がこもったものなら、それなりのシチュエーションとか、セリフとか色々あるでしょ!?」
「シチュエーションだったらばっちりだろ!?死地に赴く俺、柚那に愛の籠った贈り物を残す!なあ、柚那?」
「いや……すみません。あまりのことに却って冷静になってるんですけど、これを今受け取るのはちょっと違うと思うので、帰ってきてからやり直しましょう」
「……そんなに駄目だったか?」
「ダメダメだよ!」
「ていうか最悪だバカ兄!ほら、柚那さんも言ってやって」
「……マジメな話、そろそろ愛想をつかしそうなんですけど」
いつもは笑顔で言っているそんな小言も、真顔だと超怖い。
「朱莉さんの性格的に、照れ隠しでみつきとあかりちゃんの前で渡すっていうのも解らなくはないんですけど、多分これって、そういう風に渡していいものじゃないですよね?」
怖いけど、全部見通されているっていうのはかえって清々しいな。
「だから、帰ってきて、それからやり直しをしてください。……ちゃんと二人の時に。もしそれでふざけるようなら本当に愛想をつかしますので」
「……わかった。でもそれは柚那が預かっておいてくれ。万が一落としちゃうと大変だからさ」
「わかりました。これは責任を持って預かります。だから、絶対無事に帰ってきてくださいね」
まだ夏の空気を残しているとは言っても季節は秋。上空に上っていくうちに風はドンドン冷たく、強くなっていく。
東京上空を覆っていた雲を突き抜けたところで彼女が待っていた。上空には月と無数の星、眼下に広がるのは一面の雲海。
ある種幻想的なその場所で所在なげにしていたアユは、俺の姿を見つけると仮面の上からでもわかるくらいに、喜びのリアクションをとってくれた。
「来てくれたんですね!」
「来いって言ったのはおまえだろ。わざわざ来ないと無差別攻撃をするなんて脅しまでつけて」
「そうでもしないと相手にしてもらえないかと思いまして」
「確かに、そうじゃなきゃ篠崎さんは相手にしなかったと思うけどな」
「おや、それだと朱莉さんは無視しないような言い方だ」
「無視なんかしないさ。俺は会いたいって言ってくれるファンは大事にする方なんでね。むしろ今後会いたいときは俺のアドレスに直で送って来い。どうせわかってるんだろ?」
「いいんですか!?」
「いいよ。いちいち篠崎さんの手を煩わせることでもないし」
「でもこうして二人で会っていたっていうことがバレたら、裏切り者扱いされませんか?」
「そうしたら、そっちの仲間に入れてもらうさ」
「そうしたら、なんて言わずに、今すぐでも大歓迎ですよ」
「遠慮しておくよ。俺は今いる場所に大切なものや人が多いからね」
「例えば?」
「まずは柚那だな。あとはあかり、それに魔法少女の子たち。今のチームメイトの愛純、セナ、彩夏ちゃんなんかも大事だな」
「そう……ですか」
仮面に隠されて俺の言葉を聞いたアユの表情は見えないが、なんとなく寂しそうな、それでいてちょっとうれしそうな雰囲気に見えた。
「それで、何か用か?」
「いえね、ここのところちょっとサボりすぎて上司に尻を叩かれまして」
アユはそう言って構えを取る。
「それなりにやっているところを見てもらわないといけないんですよ」
「俺、空中戦は苦手なんだけど」
「だからここで挑んだんですよ」
アユはそう言って普通に地面を蹴るかのように、空を蹴って距離をつめてくる。
「殴っても蹴ってもいいけど、俺は箒から落ちたら死ぬから落とさないように気を付けてくれよ」
「あはは、じゃあ落ちないように頑張ってください!」
まだ数歩分の距離があるところでアユは腰を落として拳を振りかぶり、綺麗な正拳突きを放つ。
勿論俺には届かない。と、思った瞬間、一瞬遅れて衝撃が俺を襲う。
箒から落ちるほどの衝撃ではないものの、まったく予期していなかった衝撃に、俺は箒ごとグルっと一回転させられてしまった。
「ソニックブームが出るほどのパンチってどういうことだよ。綺麗な型だなとは思ったけど、そんなに早くなかっただろ」
「あ、さっきの正拳は演出です。普通に魔法なんで、別に正拳しなくても出ますよ」
アユがそう言ってタクトを振るように指を振ると四方八方から衝撃が襲う。
心の準備ができていればグルグル回されるほどの衝撃ではないが、それでも痛いものは痛いし油断をすれば身体が持って行かれそうになる。
「耐えますね」
「死にたくないからな」
「大丈夫。大事な朱莉さんをみすみす死なせたりしませんよ。落ちたら私が回収してこちらの秘密基地に連れていってあげます」
「秘密基地っていう言葉の響きはちょっと魅力的だけど、その提案は却下だ」
俺は箒にしがみつき、強引に衝撃波の嵐を抜けて距離を取る。
しつこく続いた衝撃波の嵐は、アユから30mも離れると襲ってこなくなった。
単独の衝撃波がどこまで届くかはわからないが、さっきの衝撃波の嵐は30m程度の射程とみてよさそうだ。
「今日の目的は、俺を連れ帰ることか?」
「察しがよくて助かります」
「俺は今の場所を出る気はないって言ってるだろ」
「別に出なくてもいいですよ。スパイとして入っていてもらえれば」
「みんなを裏切るようなことできるか!」
「でも、そういう事をしている人もいますよ」
「は?」
「スパイをしている人はもうすでにいます。その証拠に、そうですねえ……今日の準決勝の試合結果でもお伝えしましょうか?」
最高機密とは言わないが、もろもろの事情があるため、寮や学園の上空はヘリなどの飛行も制限されているし、勿論歩いての侵入は不可能だ。つまり、今日あの場にいなければ詳細な情報は入手不可能ということになる。
「柚那さんとチアキさんのチームの試合は、3-0で柚那さんのチームの勝ち。いやあ、戦力差があるにも関わらずああいう形で勝つとは思いませんでした」
「ああいう形って?」
スコアくらいならハッキングでもなんでもすればわかる。
「徹底的に弱点を狙い撃ちしたところですよ。精華さんに対しては接近戦が得意な小花さん。なまじ打撃に対して耐性が高いせいで受けることに慣れ過ぎたユーリアさんに対しては、手数で文字通り押せるこまちさんで押し出して場外勝ち。最後は技の後の隙が大きいみつきさんに対して柚那さん自ら出てこれもまた場外に投げ飛ばして勝ち。ほぼ弱点のないひなたさんとチアキさんの出番はなしでしたからね」
……どうやら細かすぎるってくらい詳細をご存知のようで。
「あ、動揺してますね。ちなみに朱莉さん達の試合は、3-2。先鋒次鋒が無様にやられちゃいましたから気が気じゃなかったんじゃないですか?敵の中堅である寿さんが降参してくれたのはよかったですね。あれ、寿さんがやる気だったら、負けてたかもしれませんし」
そう、多分寿ちゃんは勝てるわけないからやめたのではなく、面倒くさいからやめたんだと思う。彩夏ちゃんの銃の数は確かに脅威的だったけど、こまちちゃんの因果応砲のようにものすごい威力があるというわけではない。
必殺技がなく、決め手に欠ける寿ちゃんではあるが、別に動きが悪いというわけではないので、銃弾をよけて彩夏ちゃんと接近戦をするという選択肢もなくはなかったはずだ。もしそうなっていたら、彩夏ちゃんは多分負けていた。
「朱莉さんはさすがでしたね。妹さんを傷つけずにどうやって勝つか。まさかああいう抜け道があるとは思いませんでしたけど、お見事でした。大将戦は……まあ、なんというか。ジャンヌさんが不憫でなりません」
「ジャンヌに関してはなあ……楓さんがあそこまで無茶苦茶だとは思わなかったよ。あの人、優勝した時のお願い事もちょっとアレだからな」
「観客一人だけのみゃすみんライブでしたよね」
ちょこちょこと普通じゃ知りえない情報を挟んでくるなあ。そんなんじゃすぐに誰がスパイかばれちゃうぞ。
「いや、それはちょっと古い情報だな。実は楓さん、みゃすみんとのデートを画策している」
「ひぃっ!気持ち悪い!」
うん。それは俺もちょっと思った。口には出さないけど。
「イズモちゃんにも絶対怒られるのにな」
「彼女も楓さんの何がいいのやら」
「ああ、それは俺も思ってた」
うーん……こうして話をしていると、アユって普通に気が合う感じなんだよなあ。
「なあ、アユはなんでそっち側にいるんだ?」
「世界が嫌いだからですよ」
所謂中二病で言うのは簡単だが、世界に敵対してやろうという行動を伴うほど嫌いと言うのはさすがに重い。
アユはそのサラッと答えるには、ちょっと重い回答をサラッと返した。
「でも朱莉さんは好きです」
「そりゃどうも」
「柚那さんも結構傲慢なところがあるんで好きですよ。二人で一緒にこっちにきません?ちょうど嫉妬の枠が空いていますし、柚那さんならぴったりだと思いません?」
「おいおい、じゃあ俺はどうするんだよ。そっちに行って下っ端やるのなんて嫌だぞ」
普通FAで移籍したらそれなりのポジションを用意してもらえるものだ。
「じゃあ、私と柚那さんのペット枠とか」
「それはそれでおいしいな」
冗談じゃない!
「そんな険しい顔でおいしいとか言われても……多分、心の声と実際に口に出している言葉が逆になってますよ」
恥ずかしいなあ、もう。
「……さて、寒くなってきましたし、そろそろ終わりにしましょうか。スパイが嫌だというのであれば、洗脳でもなんでもしてこちら側に引き込ませてもらいます。そうでないと、上司におこられてしまいますので」
その上司に怒られる、というのもアユが嫌っている世界と同じ仕組みなんだが。
「なあ、アユ。お前、俺達の中にいて、それでもまだ世界が嫌いか?」
仮面の下にあるのが仲間の誰の顔かはわからないが、多分、スパイはこの子自身だ。
「……嫌いです」
一瞬だけ、動揺したようにビクっと体を震わせたあと、彼女は弱々しい声でそう呟いた。
「そっか。なら……俺達は世界を好きになってもらえるように頑張るしかないわな」
俺は今まで横座りだったのを箒にまたがるように座り直し、柄をしっかりと握りなおす。
「万が一気絶して落ちそうになっても、俺がキャッチしてやさしく親身にかいがいしく、時にやらしく介抱してやるからな。あんまり無理して立ってくるんじゃねえぞ。せっかく仲間にしても要介護じゃシャレにならん」
「は……ははははは!面白い冗談ですね!いいでしょう、じゃあ私はあなたをやらしくみだらに気持ちよく介抱してあげますよ!」
アユのその言葉を合図に俺はさらに上空に向かって飛び、アユは両腕を開いて後ろに振りかぶる。
「ブレイジング・コメット!」
それっぽい名前を叫んでみるが、俺の攻撃は要するに上空から急降下しての突撃だ。
「エピカ・ディ・ルチーフェロ!」
対してアユは広げた腕を思い切り振りぬき、その直後、衝撃波が飛んでくる。
自分自身についた速度の勢いもあって、先ほどよりも強烈な衝撃が身体を襲うが、そんなことに構ってはいられない。
服があちこち破け、腕や体にも何か所か切り傷ができたが、なんとか12発の衝撃波を潜り抜けアユに迫る。アユは二発目を撃とうとして腕を開いていたが、慌てて腕を閉じて防御に転じようとする。
「遅い!」
衝撃波で勢いがそがれたが、それでも当たれば気絶させるくらいはできるはず。
「かっ…」
箒の柄はアユのガードを弾いてみぞおちにめり込む。その衝撃で一瞬目を見開いた後、アユは勢いよく地上に向かって落ちていく。
「ブレイジング・コメット!!」
俺はもう一度魔法を発動させ、アユを追う。
雲を突き抜け、あと少しで俺の手がアユを掴むというところで、文字通り横やりが入り俺は横向きに吹っ飛ばされた。
「はーい、キャーッチ!」
声のした方を見ると、ユウが両手を触手に変化させてアユを受け止めたところだった。そして、それとは別にもう一人。横やりを入れてきた魔法少女が俺と二人の間に割って入った。
「私は、憤怒の鈴奈」
短くそれだけ名乗ると、鈴奈と名乗った少女は持っていた槍を構える。
正直、二回も大技を使った後で二人を相手にするのはかなりきびしい。
アユがいるので、ユウは静観するとしても、フルパワーの魔法少女と、もう残りかすしか残っていない俺では勝負になんてならないだろう。
「仲間の仇、ここで撃たせてもらう」
「ちょっと鈴奈ぁ、別にこの子死んでないんだから仇とかそんな大げさなこと言わなくていいのよぉ。さ、用事は済んだし帰りましょ」
ユウがそう言って鈴奈の肩を引くが、鈴奈も引く気はないようだ。
「いや、今ここでこいつを討っておけば後々……あ、ちょっと、やめろ。触手を服の中に、ふぁ……やめ…だめ…あああぁっ!」
鈴奈の身体がビクンっと跳ね、くったりとしたところを、ユウが触手でがんじがらめにして回収する。
「んふ、感情が高ぶってる人ほどイカせ易いものなのよ」
「いや、聞いてねえし」
鈴奈が離脱したとは言っても、ユウも決して侮れるような相手ではない。
同じように触手で絡めとられてしまえば、俺はいともたやすく連れていかれてしまうだろう。エロ同人誌みたいに。
「そう警戒しなくても大丈夫だってば。今日は見逃してあげる。けど、これは貸しだからいつか返してね」
「……いいのか?」
「いいわよ。この子に手加減してもらっちゃったし」
確かに俺は手加減をした。
二回目のブレイジング・コメット。実はあの分を一回目に回すことも可能だったが、それではさっきのように落下するアユを追いかけることができなくなってしまう。そのため二回に分けたのだ。
「でも、手加減してくれた分を差し引いてもまだこっちの貸しのほうが大きいってこと忘れちゃダメよ」
「どうやって返したらいいか、見当もつかないけどな」
「あら、あなたが一晩相手してくれたらそれでいいわよ」
この人俺に何かする気だ!エロ同人誌みたいに!
「……興味がないわけではないけど、そういうのはどっちかって言えば見てるほうがいいや」
「別に他の子を差し出してくれてもいいわよ」
「マジか!?」
よし。こまちちゃんを差し出そう。あの子ならこういうのも好きだろうし。
「他の子を差し出してくれるなら、端っこで見学しててもいいわよ」
「マジでか!?」
それは是非とも後学のために拝見したい。
「意外と食いついてくるわね……まあ、それはそれとして。今日のところはお開き、痛み分けっていうことでいいかしら?」
「もちろん……ところでチアキさん」
「は?……ああ、そういう解釈もあるわけね。この子にもよく雰囲気が似てるって言われるけど、私は潜入なんてしてないわよ。そんなことしている時間があったら遊びたいもの」
いや、雰囲気っていうか、似ているのは時折隠し切れずに滲み出すおばさん臭い所なんだけど。
「違うなら良いんだけど」
「あはは、仲間を疑っちゃダメよ。じゃあ、またね」
「なあ、ユウ」
俺は立ち去ろうとしたユウを呼び止めた。
「ん?」
「一つ聞きたいんだけど、お前もこの世界が嫌いか?」
「ん?んー…そうね…好きよ。超愛してる」
「だったらなんで世界を嫌っているアユと一緒にいるんだ?」
「持っている感情が違ってても、望む未来が一緒なんだからそりゃあ一緒にいるでしょう」
「望む未来?」
「ええ。私はこの壊れた世界が大好き。大好きな相手の大好きなところは伸ばしてあげたくなるでしょう?だからもっと壊れてもらいたいのよ」
そう言って笑ったユウの笑顔は、どこか歪で、彼女が愛している世界のように壊れているような印象を受けた。
何気にシリーズ始めてから半年なんですねー。
ちょっと感慨深いです。




