初めての実戦
国内外のマンガや小説を取り揃えている我が組織(一応戦技研という名前らしい)寮ではあるが、流石に海千山千の同人誌まではカバーできない。
もちろん、18禁のマンガを買うことはできないが、そういう用途でなくても面白い本というのは山ほどある。
シリアスな本編では描かれないような日常ネタのギャグ中心のパロディ本や、逆にギャグマンガの裏を読んだシリアス本。どちらの系統も作家によって十人十色。予想外のネタやストーリーが描かれていてかなり面白いものだ。
柿崎くんを「オークと姫騎士」を買いに送り出した後、珠玉の同人誌達を購入し、ホクホク顔で地下の店舗から出てきたところで、ショルダーバッグに入れておいた携帯電話がけたたましく鳴り響き、俺は慌てて端末を取り出して応答する。相手は狂華さんだった。
『ああ、朱莉か?実は非常にマズイことになった』
電話口の狂華さんの声色は少し強張っていて、後ろのほうで聞こえる音も大勢の人間のざわざわとした声で、言うとおり何か問題が起こっているだろうことを感じさせた。
「まずいことってなんですか?」
『奴らが来る。時間は30分後、ポイントは秋葉原中央通り。私達はこれから向かうが、どうやっても30分では到着できない。悪いが柚那と合流して二人で時間を稼いでほしい』
「奴らって宇宙人ですよね?丁度中央通りにいるんで、現場に行くのは問題ないですけど…俺、まだ変身できないですよ?」
『変身なしでも、普通の人間よりは頑丈にできているから大丈夫だ。こちらもヘリを出してなるべく早く現地入りできるようにするから悪いが頑張ってくれ』
「え、ちょ…」
『頼んだぞ。』
狂華さんがそう言い終わると同時に電話が切れた。
「おいおい、いきなり新人だけで実戦かよ…」
二日前には来襲が予測できると言われていた宇宙人。その宇宙人がどういうわけか、いきなり現れると言う。しかも迎え撃つのは実戦経験のない俺と柚那の二人だけ。
「うわあ逃げてえ…」
俺はそうつぶやくが、もちろん今の俺には逃げるなんて選択肢はない。戦うことを条件に助かった命だ、戦わずに逃げるなんて不義理をするわけにはいかない。
「まあ、最初の戦場がこの街っていうのも、何かの縁か」
俺はそうつぶやいて気合を入れ直すために両手で頬をパンと叩いた。
高校・大学が近かったおかげもあり、この街との付き合いはなんだかんだでもう20年近い。そんな勝手知ったる街だ。
だからこそ魔法が使えなくても、戦いようはいくらでもある……ような気がする。
そんなことをよしなしごとを考えながら歩いていると、相当な数のパトカーがけたたましいサイレンを鳴らしながら現れ、あっという間に歩行者や、ビルの中に至るまで避難誘導という形で誘導を始めた。
少し離れたところである程度人が引くまで時間を潰そうと、見事な手際で通りから民間人を追い出していく警察の誘導を眺めていると、俺は一人の巡査に腕を掴まれた。
「ここがテロで狙われているっていう情報が入ってね。危ないから君も早く避難するんだ」
(ああ、表向きはそういうことになるのか)
「ほら、早く」
巡査がそう言って俺の腕を強く引く。俺は事情を説明しようとバッグから身分証を取り出して巡査に見せる。
「防衛庁特戦技研、邑田芳……じゃないや。邑田朱莉三等特曹です。現場責任者の方に合わせてください」
ばっちりとは言えないものの事前に教えられていたとおりの名乗りをした俺を、巡査は不思議なものを見るような目で見る。
「…そういうの、学校で流行ってるのかな?でもこれは遊びじゃないんだ。あっちのおまわりさんの言うことをちゃんと聞いて避難してくれるかな」
そう言って巡査は俺の手を引いて避難誘導をしている別の巡査のところに連れて行こうとする。
「え、ちょ…いや、俺は…」
もう一度説明をしようと試みるが、巡査は「はいはい」と少し苛ついたような表情を浮かべながら俺を引きずるようにして歩いて行く。
「ああ君。その子はいいんだ。VIPだからこっちで面倒見るよ」
いきなりあわられたヨレヨレのロングコートを羽織った、ボサボサ髪の中年男性がそう言って自分の手帳を見せると、巡査は俺の手を離して「失礼いたしました」と言いながら慌てて敬礼をした。どうやら警察のエライさんらしい。
「いいよいいよ。こんなところにVIPがいるとは思わないだろうし仕方ないって。この子は俺の方で預かるから君は職務に戻りたまえ」
「は。失礼致します」
中年男性に言われて敬礼をした後、巡査は避難誘導をしている別の同僚のほうへ走っていった。
「いやあ、すまないねえ。機密漏洩の可能性があるから、警察の人間が誰も彼でも戦技研の事を知っているというわけじゃないんだよ」
吹き替え版のスティーブン・セガールのようなダンディな声でそう言いながら中年警察官はニッと笑いながら手を差し出してきた。
「私は戦技研専任警視の黒須浩太郎。まあ、現場での君たちのお世話係だとでも思ってくれればいいかな。もしも警察関係で厄介事があったら遠慮なく私を呼びつけてくれ」
「邑田朱莉です。よろしくおねがいします黒須警視」
俺は黒須警視が差し出した手を握り返しながらそう名乗るが、黒須警視は少し困ったような顔で苦笑いを浮かべた。
「何か?」
「いや、できれば黒須のおじさまと呼んでくれないかな?君みたいな若い子にそう呼ばれるのって、なんだか萌えるだろう?」
このおっさんも柿崎同様ちょっとした変態だったようだ。まあ、俺としてもその気持ちはわからなくもないけど。
「いや、でもそれはさすがに…」
「呼んでくれないなら、朱莉ちゃんのお世話だけ手を抜いちゃおうかな」
「子供か!っていうか、パワハラ…いや、脅迫じゃねえか!」
「んー、いいねえいいねえ。チアキや狂華ちゃんの言っていたとおりのツッコミ上手!」
手を叩いて呵呵と笑う黒須警視を見て、俺は思わず大きなため息をつく。
「いったい、どんな話を聞いたんですか…」
「聞きたいかい?」
「いえ、いいです」
にんまりと笑う黒須警視の顔を見て、聞かないほうがいいんだろうなと思い、俺は首を振った。
「さて、じゃあ指揮車のほうへ行こうか。もう一人の新人ちゃんももう来ているだろうし、作戦会議をしないとね」
そう言ってウインクをすると、黒須警視は踵を返して歩き出した。
「今回現れる敵性宇宙人は怪人級が1、戦闘員級が6。少数の部隊ですのでおそらくは偵察部隊だと思われます」
指揮車のオペレーターの女性がそう言いながら手元の端末を操作すると、ブリーフィングルームの大画面に最大望遠で撮ったのだろう、ややピンボケした特撮モノに出てきそうな宇宙人らしい姿が映し出された。
一度実際にみているし、教本でも見ていたものの、いわゆる戦隊物ではキグルミだから良いけど、生の素材でできたこういうデザインの怪人を見るとなんというか…やはりちょっとグロい。
「目標が着陸後、すぐにM-フィールドに隔離、魔法少女を送り込み殲滅。手順は普段通りですが…」
そこまで説明したところでオペレーターの女性が俺と柚那のほうを見る
「戦力に難あり。ですね」
「まあまあ、涼香ちゃん。そんなことを言っても戦力が増強されるわけじゃないし」
不安そうな、不満そうな表情で俺達を見るオペレーターに黒須警視がなだめるようにそう言った。
「それはそうですが…」
「なあに。二人は増援が来るまでの時間を稼いでくれればいいだけなんだから大丈夫だろ。なあ朱莉ちゃん、柚那ちゃん」
「はい!時間稼ぎなら任せて下さい!」
柚那が胸をドンと叩いて自信満々にそう言い放つ。確かに柚那の魔法は相手の動きを止めたりするいわゆる補助系の魔法と回復魔法が主で、時間稼ぎには向いているといえる。
だが、問題は柚那ではなく俺だ。
おそらくオペレータの彼女が言っている難のある戦力というのは俺のことだろう。
「…何か武器とかないんですか?お二人もご存知だと思いますが俺は魔法が使えません。だからせめて何か武器がほしいんですけど」
せめてわずかでも戦力になりたい。そう思って聞いてみたのだが、返答は無情なものだった。
「ありません。そもそも私達がなぜ魔法少女に頼っているか。それはあなた達の身体を構成するナノマシン、及び魔法でしか宇宙人に対して有効な攻撃をすることが出来ないからです。例え核兵器でも彼らに対して有効な攻撃にはならない。それが交渉に失敗した某国が唯一残した成果です」
「銃で撃つよりもぶん殴ったほうが有効ってことですか」
「そういうことだね。我々としても武器が用意できるなら是非用意してあげたいところなんだけどね。お世話係なんて言いながらそんなこともしてやれないんだ。すまない」
黒須警視はそう言って申し訳無さそうに目を伏した。
「いえ、殲滅しないでいいだけマシですよ。俺たちは狂華さんとチアキさんが到着するまで持ちこたえればいいだけですから」
宇宙人相手にパンチやキックで戦う。そんな状況にマシな部分はどこにもない。だが、それを嘆いたところでどうしようもない。
この世界とは少し違う次元に構築されたM-フィールドの耐久時間は40分。もちろん敵がフィールドを破壊することに専念すればその耐久時間はどんどん減っていく。それを防ぐためには素手だろうがなんだろうが戦う必要がある。
「何深刻そうな顔してるんですか?別に私達は死にに行くわけじゃないんですよ。勝ちに行くんです。せっかく自由になれたのに、いきなりこんなところで死んでたまるかっていうんです」
「自由?」
「…ええ、自由です。自分の稼いだお金で自分の好きなもの買って、自分の好きなところに行くんです」
柚那はそう自分に言い聞かせるように言った後で自分の手をじっと見つめる。
「私はもう子供じゃないんだ。私は好きな様に生きる」
柚那は少し異様とも思えるような形相でブツブツと、好きなようにとか誰にも邪魔させないとか言い続ける。
その様子にオペレーターは完全にドン引きしてしまい、黒須警視も少し困惑気味な視線を柚那に向けるばかりだ。
(これは、俺の役目かな)
そう思った俺はまだブツブツと言い続けている柚那の手を引いて指揮車の外に連れだした。
俺達が外に出ると、少なくとも見渡せる範囲にはすでに何の気配もなかった。真っ昼間の秋葉原だというのに車一台、人一人見当たらない。
ただ、避難の時にそのままにされたのだろう量販店のテーマソングや店頭に置かれたデモ用のディスプレイだけがけたたましく音楽を吐き出し続けていた。
「柚那、お前いったいどうしたんだ?」
「どうしたって、何がですか?」
先ほどまでのようにブツブツとひとりごとを言ってはいないものの、それでも柚那の様子はどこかおかしいように見えた。
「自由ってなんだ?何か悩み事か?」
俺の質問を聞いた柚那は、一瞬だけハッとしたような表情を浮かべると、いつもの柚那に戻って「なんでもないです」と短く答えた。
だがその表情には影がある。
「なあ、お前が俺を嫌いなのはいい。普段はどんな扱いをしてくれてもいい。でも、仕事をするときは別だ。何か悩みがあるなら話してみろ。それでスッキリして仕事に集中できるようになるかもしれないんだから」
柚那は一瞬だけ迷ったような素振りを見せてから口を開いた。
「別に、お給料いっぱいだし、買い物もし放題。こんないい生活手放したくないじゃないですか。ただ、それだけのことです」
柚那はそう言って笑うが、その笑顔は、作り物のごまかし笑いにしか見えない。
明らかに柚那は嘘をついている。
理由も嘘の内容もわからないけれど、俺はそう確信した。
「柚那」
「だから別に私は―」
「お前の過去に何があったのかは知らないし何に苛ついているのかも俺にはわからない。でもそんなことはどうでもいい。今の生活や自分が大切だと思うなら過去のことを考えるな。そういうのはダメだ。そういうのは、目を曇らせる。今、ここでどう戦うかだけを考えろ。それで一緒に生き残ろう」
俺は柚那の両肩に手をおき、自分でも驚くような真面目な声で柚那にそう言った。
いきなり肩に手を置くなんて、問答無用で殴られるかもしれないと思いながらの行動だったが、柚那の反応は俺の予想とは少し違っていた。
「…邑田さんは、なんでそんなこと言うんです?私の事なんにも知らないのに」
「何言ってるんだよ。一緒にチアキさんや狂華さんのシゴキに耐えてきた仲じゃないか。俺達は、いわばもうとっくに戦友だよ」
「戦友ですか。…悪くないですね。ねえ、邑田さん」
「ん?」
「昔の私が何者でも、今までと同じように接してくれますか?」
「そりゃあ、まあ。別に柚那の過去が何者だったとしても、柚那は柚那だろ。大体、過去の事なんて言い出したら、俺なんて中身は大した稼ぎもなく、嫁も子供もいない30代のおっさんだったんだぜ」
なんだか自分で言っていて悲しくなってくるが、事実だから仕方がない。
「もしかしたら連続殺人犯かも」
「今この状況においてはかなり心強い相棒だな」
「ゴリラみたいな女子プロレスラーかも」
「はっはっは。連続殺人犯と並んで心強いぞ」
「…なーんて、実際はただの女の子で戦うこともできなくてブルブル震えているだけしかできないかも」
「そうなったら最悪俺の後ろに隠れてろ。俺が囮になってなんとか時間を稼いでみせるから」
「とか言って、実はトップアイドルかも」
「まあ、柚那は俺以外には普通に礼儀正しいし、普通に可愛いからトップは無理でもアイドルにはなれるかもなあ」
「普通普通って言わないでください!」
「いや、褒めてるんだぞ。まあ、でも連続殺人犯だろうがトップアイドルだろうが、柚那は柚那だ。お互い過去のことはリセットして知り合ったんだから、過去のお前がどんな人間だったとしても俺にとっては、ケンカ友達で同期の伊東柚那だよ」
「……ですか」
柚那はそう言って、先ほどの笑顔とは違うはにかんだような表情で笑った。
「邑田さんて、ちょっと変な人ですよね」
「自覚はあるよ」
「何か、色々損してそう」
「…自覚あるよ」
俺は自分がいわゆるお人好しと言われる人種であることは自覚しているし、実際そのせいで損したことも両手の指では数え切れない。とは言え、改めて他人から指摘されると苦笑いと溜息をつくのが精一杯だ。
「よし。じゃあ邑田さんがこれ以上損しないように今後は私が色々教えてあげます。こう見えて私、修羅場とか世間の裏側にはちょっと詳しいですから。そういうところも含めてちゃんと指導してあげます!」
そう言って柚那は肩に乗っていた俺の手を取ると自分の手で包み押し抱くようにして胸元に持っていった。
「柚那?」
「……邑田さんと話してちょっと気が楽になりました。ありがとうございます」
「お、おう」
こんな時にこんなことを考えるのは良くないことであることは十分に自覚している。だが…
(柚那の手、超柔らけえ。そして微妙に触れている胸もまた…)
自分の胸にも付いているには付いているが、自分のを触るのと他の女の子のを触るのとでは、なんというか…こう。自分のはポヨンで、柚那のはホニャンとしているというか…とにかく違うのだ。
「ゆ、柚那…あのな」
理性が飛ぶ前に手を離してもらおうと俺が口を開きかけた時、空気の読めないというか、空気を読まないというか、とにかく雰囲気をぶち壊しにしてくれる後輩の声が聞こえた。
「邑田さーん!」
振り返ると、飼い主のところにしっぽを振りながら駆け寄ってくる犬よろしく、こちらに走ってくる柿崎くんの姿が見えた。
「……誰ですか?」
「あれ?柚那は知らないのか。俺が魔法少女になる前からの知り合いで、組織の下っ端の柿崎くん」
「魔法少女になる前からの知り合い…?そんなのありなんですか?」
「彼の場合、俺と一緒に狂華さんの戦闘に巻き込まれたんだけど、彼は特に大怪我しなかったらしくて。でも元通りの生活に戻るのが嫌でそれでそのまま組織に入ったんだってさ」
「…ふうん、そうなんですか」
そう言って柚那は納得行かないような表情で駆け寄ってくる柿崎くんを見ている。
「まあ……狂華さんも…でも…うーん…」
そう言いながら柚那は俺の手を話すと腕組みをしてブツブツ言いながら考え事を始めてしまった。
「邑田さん、買ってきましたよ『オークと姫騎士』。いやあ、まいりましたよ。これ買ってすぐ避難誘導が始まっちゃうし、すぐに連絡したのに話し中で邑田さんに連絡取れないし」
「ああ、ごめん。ちょっと狂華さんと話しててさ。お金は帰ってからでいいかな?」
「全然OKっす…それよりもいよいよ実戦なんですね」
「実戦って言っても俺は変身もできないし、柚那に頼り切りになっちゃいそうだけど」
「それでも実戦は実戦っすよ。俺達の運命、邑田さんたちに託しますから頑張ってくださいね!」
「まあ、今回は時間稼ぎが仕事だからそんなに大げさなものじゃないと思うけど頑張るよ」
そう言いながら柿崎くんからオークと姫騎士を受け取った瞬間、ズンと、嫌なプレッシャーのようなものを感じた。
柚那の方を見ると、どうやら柚那も同じプレッシャーの気配を感じたらしく俺と目があった瞬間、柚那はすぐに魔法少女に変身した。
「これって、指揮車と柿崎くんもろともM-フィールドに入っちゃってるんじゃないか?」
本来であれば魔法少女と宇宙人。それに撮影、指揮用のカメラ以外が座標の外に退避した後にM-フィールドが展開される手はずになっている。だが、今現在この空間には柿崎くんと指揮車も存在している。
「手違いでしょうか…」
柚那は武器である蔦の巻きついたロッドを胸の前に抱くようにしてあたりを伺いながら俺に尋ねるが、俺だってそんなことわかるわけがない。
「わからないが、せめて宇宙人が入っていてくれることを願うばかりだな。これで俺たちだけM-フィールド、宇宙人は元の世界っていうんじゃ被害が拡がるばかりだ」
俺はそう言いながら柚那と同じようにあたりを伺うが、宇宙人の姿は見当たらない。
そうこうしているうちに、指揮車から黒須警視とオペレーターの涼子さんが降りてこちらに駆け寄ってくる。
「ここって、もしかしてM-フィールドかい?」
「俺達もシミュレーターでは何度か体験しましたけど実際に入ったのは初めてなんで、多分としか言い様が無いですが」
「ふむ…涼子ちゃん、宇宙人の反応は?」
「今調べます」
そう言って涼子さんは小脇に抱えていたノートタイプのPCを操作してレーダーのようなものを立ち上げた。そして、そのレーダーを見た涼子さんの顔がすぐに真っ青になり、ガタガタと震えだす。
「どうした、涼子ちゃん」
「敵…直上です」
涼子さんの言葉を聞いた全員が上を見上げると、俺達の10メートルほど上空に、洞窟の中にいるコウモリのように逆さまになった宇宙人達の一団が居た。
宇宙人達は丁度俺たちと鏡合わせのように首から上だけでこちらを見下ろしていて、その中で一体だけやたらとゴテゴテしていて気持ちの悪い怪人クラスの宇宙人がニヤァと、口を大きく横に広げて笑った。
その口の中からは光が漏れている。
「柚那!」
「はい!」
俺は柿崎くんと黒須警視を、柚那は涼子さんを抱えて横に飛ぶ。その直後、今の今まで俺たちがいたところに怪人が放った光線が降り注ぎ、地面に大きな穴を開けた。
「あっぶね…」
その大穴を一瞬だけ見た後、次の攻撃に備えるために俺はすぐに宇宙人達のほうに視線を向けた。
しかし、怪人クラスの宇宙人はその場にとどまったまま動かず、戦闘員だけが下に降りてきて俺たちを取り囲む。
「なるほど、タメが必要ってわけか」
10秒か、1分か、10分か1時間か。その時間はわからないが、どうやら怪人が先ほどの光線を放つためには”タメ”が必要なようで、怪人は降りてくる気配も攻撃を仕掛けてくる気配もなく上空で目を閉じたまま動かない。
「千載一遇だ!」
俺は近くに迫った戦闘員を殴り飛ばしながら言う。もちろん千載一遇などといえるほどの時間、怪人が動かないかどうかはわからない。しかし自分を奮い立たせるためにそんな軽口を言う。
「邑田さん、そっちは任せてもいいですか?」
「おう、任せろ!」
柚那と涼子さんの前には二人の戦闘員。一方俺達の周りは四人の戦闘員が取り囲んでいる。
正直に言ってしまえば任せろなんて言えるような状態ではない。一般人よりちょっと強いだけの俺と、一般人の男性二人。
戦力的に言えば柚那に四人担当してほしいところだ。
だが、ここでそんなことを言ってしまえばよしんばこの戦闘を乗り切ったとしても、柚那はもちろん狂華さんやチアキさんからも冷たい目で見られかねない。そんな自体だけはなんとしても避けたい。まったく男の子は辛いぜ。
「二人とも、悪いけど手伝ってもらえるかな?」
「はっはっは、任せてくれ。おじさんはこう見えても柔道4段、剣道3段、空手3段の腕前だ!」
そう言って黒須警視は構えをとるが、その構えは柔道のような、剣道のような空手のようななんとも微妙な構えだった。
「俺、今の邑田さんのためなら死ねますから。それに俺、こう見えても大学時代プロレス研だったんすよ」
そう言って柿崎くんのとった構えもなんとなく微妙に間違っているような構えだった。
「勝てる気がしねえ…」
小さな声で俺がそう呟いたのが合図であったかのように、戦闘員が一斉に襲いかかってくる。俺は襲いかかってきた戦闘員に訓練期間中に教わったコマンドサンボのコンボをお見舞いして打ち倒すと、柿崎くんとも黒須警視とも対峙していない一人に襲いかかる。
「やれる!俺たちやれるぞ!」
思わず声を出してしまったために先ほどのように瞬殺とはいかないが、それでも俺は優勢に勝負を進める。
チラリと横目で黒須警視の様子を見ると、警察の面目躍如。攻撃自体の効果は見えないものの、黒須警視は華麗な体捌きで攻撃をかわしつつ時折投げ技なども織り交ぜながら戦っている。
「さすが警察官!」
激励の意味も込めて声に出し、次に俺は柿崎くんの方へ視線を向ける。
柿崎くんは戦闘員のパンチをモロに食らって綺麗な放物線を描いで宙を舞っている真っ最中だった。
「か、柿崎ぃぃぃっ!」
俺は目の前に居た戦闘員に先程よりも素早いラッシュをかけて打ち倒し、柿崎君に追撃をしようとしている戦闘員に飛びかかり、同じように瞬殺した。
「無茶しやがって…!柿崎、柿崎くん!大丈夫か、おい!」
倒れた柿崎くんを抱き起こすと、柿崎くんの口から一筋の血が流れる。
「す…すみません。俺…足、引っ張っちゃいました…ね。それに、ゲームも灰になっちゃ…ました」
苦痛に顔を歪ませながらも、柿崎くんがそう言って精一杯の笑顔を俺に向ける。
「そんなことない!そんなことないぞ!君は立派に時間を稼いだじゃないか」
「でも…結局、邑田さんの手をわずらわせちゃって…」
「いいんだ、そんなことは。それよりもう喋るな、傷に障る!」
「実は俺…邑田さんにガチで惚れてるんすよ。男として尊敬できるし・・なにより、今の邑田さんかわいいし」
「…そういうことを言うなよ。今後やりずらくなるだろ」
柿崎くんはきっと今後のことなんて考えてない。考えないでいいと思っているから言っている。俺はそのことにうすうす気づきながらも、いつものように、ツッコミをいれる。しかし、平静を装おうとすればするほど、視界がぼやける。
「邑田さん…お願いがあるんですけど」
「なんだ?なんでも言ってみろ」
「抱きしめても、いいですか?」
「ああ、いくらでも来い、俺で良かったらいくらでも抱きしめろ」
「はは…そんな積極的に来られると…嬉しいやら…ちょっと複…」
俺を抱きしめようと伸ばしていた柿崎くんの腕は、言葉が途切れると同に力なく地面に落ちた。
「柿崎…クソっ…待ってろ、すぐに終わらせるからな。そうしたら一緒に帰ろうな」
俺は服の袖で乱暴に目の周りを拭くと、黒須警視と対峙していた戦闘員に跳びかかり躊躇なく全力で殴り飛ばした。
戦闘員は俺のパンチの勢いで二度三度と地面で跳ねると街路樹に激突して止まった。
起き上がってくる気配はない。
「大丈夫ですか、警視」
「ああ、私は大丈夫だ。それよりそっちの彼は?」
俺は警視の質問に、首を振って応えた。
「そうか…朱莉ちゃん。辛いと思うけど、気を強く持ってな」
「はい…」
「邑田さん、そっちは片付きましたかー?」
俺たちと少し離れたところで戦っていた柚那が大声でジェスチャを交えながら聞いてくる
「ああ!片付いた!あとは怪人だけだ…」
と、そこで俺は怪人が元いた場所に居ないことに気がついた。慌てて周りを見渡すが、怪人の姿は見当たらない。
「柚那、怪人の姿が見えな――」
言いかけたところで、俺は怪人が柚那の頭上にいるのを発見した。怪人の口は先ほどと同じように大きく開かれている。
「上だ!逃げろ柚那!」
「っ!」
柚那は先ほどと同じようにとっさに涼子さんを庇って横に飛ぼうとするが、怪人の光線は先程のものよりも威力が大きいのか柚那は逃げ切る事ができずに光に呑まれる。
「柚那あああああっ!」
光が消えた後、柚那と涼子さんは地面に倒れていた。
二人とも、一応五体満足であるように見えるが、ぴくりとも動かない。
「柚那…」
俺は、崩れ落ちるようにして地面に膝をついた。
俺が魔法少女の出来損ないなばかりに、柿崎くんを死なせ、柚那に大きなダメージを負わせてしまった。
「なん…なんだよ…こんなんじゃ、魔法少女だとか、世界を守るだとか…何にも出来てねえじゃねえかよ」
ふつふつと自分の中に怒りが湧いて来る。
自分の不甲斐なさに、M-フィールドの展開のミスに、予報の不確実さに。
柚那を傷つけた怪人に、柿崎くんを殺した宇宙人に。
今まで感じたことのないような、言いようのない、例えようのない、純粋な怒り
その怒りはやがて殺意へと姿を変える。
「殺して…やる」
嘘や冗談の延長ではない、明確な殺意。
今まで自分の中にはなかったその感情に、俺は恐ろしさを感じると同時に少しの心地よさを感じていた。
度の強い酒をストレートで一気に煽ったような、カッと燃えるような熱さと、その直後にくる酩酊感。
熱さと酩酊感の中で自分の中からこんこんと力が湧いて来る。
今まではどうしたらいいのかわからなかったことが、簡単に理解でき。実行できるだけの実力が自分にあるという自信を得た。
そして俺は、魔法少女になった。
朝の光の眩しさで目を開けるとそこは寮の自室だった。
首を動かして目を開けて最初に目に入った天井に貼られたアニメキャラクターのポスターから壁へと視線を移す。
「……夢オチ?」
そんな益体もないことを考えながら身体を起こすと、首や肩、それに肘や腰など全身の関節という関節が悲鳴を上げた。
(昨日ってそんなにきつい訓練をしたっけかな)
俺は覚えのない痛みに首をかしげながら私服に着替えて部屋を出た。
隣の部屋の柚那はまだ寝ているのかそれともいないのか、部屋の中に気配がない。
(夢だ夢)
自分に言い聞かせるように心の中でつぶやいて足早に柚那の部屋の前を抜けて寮の共同リビングへと向かう。
リビングのドアを開けて中に入ると中にはいつものようにチアキさんと狂華さんが居た。
「もう大丈夫なの?」
そう言っていつもとは少し違う、優しい笑顔を浮かべながらチアキさんが駆け寄ってきて肩を貸してくれた。
「最初のうちは変身すると体力を使うからな。無理をしなくても大丈夫だぞ。予報は出ていないし、何かあれば私とチアキで対応するからな」
そういえば、研修の時うまく変身できてもその後ドッと疲れが来ていたっけ。確か出力の安定方法がわかるまでは疲労感を感じやすいとかなんとか。
(と、いうことは俺はやっぱり変身したのか?あれは…夢じゃなかったのか?いや、それより)
「待ってください!なんで狂華さんとチアキさんなんですか?」
「なんでって、朱莉はこんな状態だし、そりゃあ私と狂華でやるしかないじゃない」
「二人でやるしかないって…そんな…」
じゃあ、柚那は…
俺はめまいがして柚那の名前を言葉に出すこともできず膝から崩れ落ちた。
「ちょ、大丈夫!?…ほら、ソファまで運ぶから狂華も手伝ってよ」
「まったく、世話のやけるやつだ」
狂華さんはそう言って読んでいた本を閉じるとチアキさんと一緒に俺をソファまで運んでくれた。
「あの…俺…一体」
「ああ…そっか、覚えてないんだ」
チアキさんはそう言って狂華さんのほうを見る。
「さて、何から話したものか」
「…俺、昨日はどうしてたんですっけ?」
「寝ていたな。丸1日」
「言葉足らずよ、狂華。朱莉は秋葉原での戦闘の後、丸3日寝ていたの」
チアキさんはそう補足してくれるが、俺の求めている答えにはまだ足りない。
「3日…柚那は!?それに指揮車のオペレータの人と柿崎くん!」
「怪我はしているけど、三人とも無事よ。安心して」
「そっか…よかった…二人が間に合ったんですね?」
俺の問いかけにチアキさんは苦笑しながら首を横に振る。
「私達が到着した時にはもう片付いた後だったわ。朱莉、あなたが撃退したのよ」
「新人が初陣、しかも一人で怪人を撃破するなんてすごい快挙なんだぞ」
「そう言われてもまったく自覚がないというか…」
「まあ黒須の話だと怒りで我を忘れていたみたいだししかたないかもね。すごかったらしいわよ『俺の大切なものを傷つけたお前を許さない!』とか言っちゃって」
「…そんなこと言ったんですか?」
全然全くこれっぽっちも覚えていないのだが。
「らしいわよ。それだけじゃなくて魔力の瞬間最大出力値なんか今まで最強だったみつきを抜いて歴代最高値を記録しちゃったしね」
「それで、その…柚那は?」
「まだ部屋で寝てるわ。私達の身体って下手に治療するより安静にするほうが治りが早いからね。それとあなたの後輩の柿崎って子は全身打撲で入院中。特に命に別状はないから安心して」
「オペレーターの人は?」
「生きてるわよ。ただ、本人の希望で配置転換になったから、記憶の操作を受けて入院中。一週間くらいで退院するだろうけど、そういう事情だから面会やお見舞いはできないわ」
記憶操作と聞いて、俺は少し薄ら寒いものを感じる。やはり機密保持のためにはそういうこともやむをえないことなのだろうが、それでもちょっと怖い。
「一応、最後にあなた宛に「ありがとう」っていう伝言を受けてるわ。…よくやったわね、朱莉」
そう言って笑うチアキさんの笑顔は普段の俺をからかっている時とは違う、年上特有の優しさを秘めていて、俺はなんとなく照れくささを覚えた。
「柿崎くんはちょっと遠いところに入院しているが、柚那は自室だ。そろそろ起きる頃だろうし、少し話をしてきたらどうだ?」
「そうですね、じゃあちょっと話を―」
俺がそう言いかけた時、リビングの扉が開く音がした。そして
「邑田さん……」
入ってきたのは、柚那だった。
「おお、元気そうだな柚那」
「む…邑田さーんっ!」
柚那は俺の名前を呼ぶと、腕をいっぱいに広げていきなり飛びかかってきた。
「甘い!」
「え!?」
しかし俺も伊達に厳しい訓練を積んできたわけではない。俺は痛む身体に鞭打って柚那の攻撃をひらりとかわしてみせる。
「ちょ…なん―」
思い切りすかされて宙を舞った柚那は俺に対する文句を言おうとするが、言い終わらないうちにドーンといい音をさせてソファを飛び越え、その前に置いてあったテーブルに激突した。
「なにやってるのよ…」
「本当に君ってやつは…」
そのやりとりを見ていたチアキさんと狂華さんが同時にため息をつく。
「え?なんで俺が悪い感じになってるんですか?」
「そこは抱きとめてやりなさいよ」
「え?え?」
「はぁ…君たちがいうところのフラグが立ったというやつだ」
「…えーっと…」
恐る恐る柚那のほうに視線を向けると、壊れたテーブルのところで頬をふくらませ、目に涙を溜めた柚那がこちらを恨めしそうに睨んでいた。
「フラグなんて全然たってなくないですか?」
「今あんたが自分でポッキリ折ったのよ!…ま、あとは若い二人でどうぞ。いくわよ、狂華」
「ん」
チアキさんの言葉に短く答えて頷くと狂華さんは読んでいた本だけを持って立ち上がる
「邑田」
「はい」
「強く生きろよ」
そう言ってサムズアップすると狂華さんはチアキさんに続いてリビングを出て行った。
そういう縁起の悪い最後の言葉、本当にやめてほしい。そう思いながら柚那の方へ視線を戻すと、先程までとは打って変わって、柚那は今にも泣き出しそうな顔で俯いていた
「あ…あの、柚那?大丈夫か?」
「大丈夫なわけないじゃないですかっ!」
「その…すまん、いきなりだったんでびっくりしたんだ」
「もういいですよ…それより手」
「ん?」
「悪かったと思ってるなら手を貸して下さいよ」
そう言って柚那がこちらにむかって手を差し出した。
「ああ、すまん」
俺はすぐに柚那の手をとって立ち上がらせる。
立ち上がらせる時に握った柚那の手はすごく柔らかくて、すごく熱かった。
「ここ…」
「ん?」
「ここに座ってください!」
ソファに腰を下ろした柚那はそう言って自分の隣を乱暴にポンポンと叩いた。
「わ、分かったよ…なに怒ってるんだよ…ったく」
「何か!?」
「なんでもないです!」
柚那に睨まれた俺は慌てて柚那の隣に腰を下ろした。
「なんだかすっごい嫌そうですね!」
「嫌なんじゃねえよ、柚那の隣で緊張してるんだよ!…その、まだやっぱり女の子の隣とかあんなまり慣れてないからさ」
自分で言っていて顔が赤くなるのがわかる。
「プっ!狂華さんとお風呂入った人がいうセリフですか、それ」
「それとこれとは話が別だろ!…って、なんでその話…」
「女子の情報網を甘く見ないでください。……それはともかく。今回はありがとうございました。本当に助かりました」
柚那はそう言ってソファの上で正座して俺に向きなおった後で深々と頭を下げた。
あまりの丁寧さに加えて所作の綺麗さもあり、俺はなんだか恐縮してしまう。
「あ…ああ。まあ俺は全然覚えてないからあんまり実感がないんだが、みんなを助けられたならよかったよ」
「具体的には誰を?」
「え?」
「邑田さんは具体的には誰を助けられて良かったと思っていますか?」
狂華さんの言うとおりフラグが立っているとすれば、ここは柚那と答えるのが正解だ。二次元美少女一本釣りにかけてはちょっとうるさい俺の勘はそう告げている。しかしここでそれを素直にやってしまうのもいささか素人くさいというか癪に障る。
「柿崎くん」
「……は?」
ふざけて答えた俺は視聴者がこの先絶対に見ることができないだろう柚那のすごい顔を見た。
というか、マジで怖い。
「…いや冗談だ。柚那の事を助けられてよかったと思ってるぞ。柿崎くんのことももちろんだけど、一番は柚那だ」
「そうですか…」
そう言って顔を赤らめる柚那の表情は先程のすごい顔の人物と同一人物とは思えないくらい初々しく、そしてなにより美少女だった。 もしかして柚那は魔法少女になる前は女優かなにかだったんだろうか。…もしくはヤンキーか。
「それでその…もし邑田さんさえ良かったら…」
「良かったら…?」
俺は思わず生唾を飲んだ。これはあれか、いわゆる告白というやつか?
生まれてこのかた俺に縁のなかった告白というやつなのか?俺の心は初めてのイベントに色めき立ったが、しかしそんな俺の淡い望みは柚那の一言にかき消された。
「私の過去の話を聞いてもらえませんか?」
「…ああ、柚那が話したいなら喜んで聞くぞ」
俺は自分の浅はかさに心の中で頭を抱えながらも、必死で平静を装ってそう言った。
告白でなかったことはともかく、俺だって柚那の過去に興味がないというわけではない。
告白でなかったことはちょっと残念ではあるが、そこは気持ちの切り替えが大事だろう。
「私の家って、そんなに裕福でもなくて、お父さんとお母さんもそれぞれ忙しくてあんまり家にも居なかったんです」
放置子ってやつだろうか。独り身で、いわゆる今時の家庭の事情ってやつに疎い俺でも、柚那の表情と話の内容からあまり幸せな子供時代を送っていないだろうことは想像できた。
「まあ、それもこれもお金が無かったのが原因だったんですけど、ある時家の経済状況が好転したんです」
「宝くじでもあたったのか?」
空気が読めていないことは自分でもわかっている。だが、こうして悪ふざけでも言っていないと、こういう重そうな話を聞き続ける自信がなかった。
「だと、よかったんですけど。私が街でスカウトされたんです。…TKO23のメンバーとして。下池ゆあって名前で、一応センターだったんですよ」
「なるほど、それでTKO23の握手会に行ったことがある。か」
「嫌な思いもいっぱいしましたけど、お金は稼げたんで頑張ったんです。…でも、お金ってあったらあったで争いの種になるんですよね。そのうちお父さんがギャラを管理していたお母さんにもっとお金をよこすように言い出して、お母さんもそれに反抗して。結局離婚です。親権はお母さんにいったんですけど…男性関係で借金までしちゃって、ますます私のギャラをあてにするようになっていったんです」
それが、あの時言っていたやっと自由になれたっていう言葉の理由か。
「その上…私に自分の恋人の相手をしろっていうんですよ。あはは、もう笑っちゃいますよね」
そう言って笑う柚那の笑顔は乾ききっていて、見ていて痛々しい。
「それで―」
「もういい!」
俺は淡々と話し続ける柚那を抱きしめた。しかし柚那はなお話しつづける。
「なんとか逃げ出してプロデューサーに相談したら、そんな男と寝るくらいならもっといいコネを紹介してやるって。結局その話は色々あって無しになりましたけど」
母親の恋人といい、プロデューサーといい、まだ若い女の子が男の嫌な部分だけをモロに見せられたようなものだ。これは柚那が男嫌いになるのも仕方ない。
「…もういいんだ。もうお前は下池ゆあじゃないんだ。伊東柚那だ。もうその話はするな。もう忘れろ」
「邑田さん…」
「これからは俺が守ってやる。例え俺が駄目だったとしてもチアキさんや狂華さんが柚那のことを守るから。もう昔のことは忘れろ」
そう言って、俺は柚那を強く抱きしめる。
抵抗されるかもしれないと思ったが、それは杞憂だった。
抱きしめた柚那の身体は、思っていたよりもずっと華奢で力を入れたらあっさりと折れてしまうのではないかと心配になるほどだった。
「…ねえ、邑…朱莉さん」
「ん?」
「私、朱莉さんのこと…」
柚那の表情と言葉から、不謹慎だとは思いつつも、俺は心の中で(キタ━━━━(゜∀゜)━━━━!!)と叫ばずには居られなかった。
だって、来たんだもの。ついにきたんだもの。人生初告白だもの。
「…お父さんだと思ってもいいですか?」
「……はい?」
お父さんってなんだっけ?と思わずすっとぼけたくなるくらいのダメージを精神に負いながら、俺は必死に平静を取り繕う。
「その…戦っている時の朱莉さんの背中すごくかっこよくて、頼りがいがあって。こんな人がお父さんだったらいいのになって思って。だからその、あの…やっぱり変ですか?」
自分で言っておいて、若干パニック気味になっている柚那の照れたような拗ねたような怒ったような顔をみて、俺はもうなんか告白とかそういったことがどうでも良くなってしまっていた。
いや、はっきり言ってしまえばこれはこれでいい。いいというか、この状況はおいしい。
だから俺は間髪入れずに「いいぜ」と答えた。恐らくその時の声も笑顔も今までの俺の人生の中で一番のものだったろう。
だって仕方ないじゃないか、可愛いは正義なんだから。
柚那みたいな美少女に『あなたのことを頼りにしてお父さんと呼びたい』『娘になりたい』そんなことを言われて抗える紳士がいるか?
断言しよう、いるわけがない。
「…いいんですか!?本当に?」
「ああ。仲間でも、友人でもお父さんでも、形はどうあれ柚那が俺に親しみや信頼を持ってくれるのは大歓迎だからな。ただ、間違ってもチアキさんや狂華さんの前でうっかり「お父さん」なんて呼ぶなよ。からかわれるぞ」
「し、しませんよ。そんな小学生じゃないんですから」
「そういえば柚那って結局いくつなんだ?」
「え?19ですよ」
「…10代かよ」
若いんだろうなとは思ってたけど、それほどとは。…そういえば夕食の後俺やチアキさんが酒を飲んている時も柚那は烏龍茶を飲んでいたっけ。
「ちなみに両親は36歳です」
「ああ…それでお父さん。ね」
確かに俺と柚那の歳の差を考えれば、恋人というよりはお父さんと呼んだほうが柚那的にはしっくりくるだろう。
残念ながら狂華さんが言っていたようなフラグは立っていなかったようだが、それでも柚那との距離は確実に縮まった。
それだけで俺は満足だ…いや、本当に満足だから。悲しくなんかないからな!