うちのタマ知りませんか
日曜日の昼下がり。玄関のチャイムに呼ばれた井上亜紀がドアを開けると、そこには彼女の従兄弟である井上和幸がビニール袋を片手に立っていた。
「やあ亜紀。こんにちは」
「や、やあ和兄。どうしたの、何か用?今日はうちの両親揃って出かけてるんだけど」
「知ってるよ。昨日から伯母さんちの方の法事だろ?で、そんな両親がでかけていて料理のできない亜紀にって、うちの母さんから」
そう言って和幸が差し出したビニール袋には、おかず入りのタッパウェアが幾つか入っていた」
「ありがと。じゃあ、叔母さんによろしくね~」
そう言って亜紀がドアを閉めようとすると、和幸が玄関に身体を滑り込ませてきた。
「………いるんだろ?」
「いるって、な……何がかなー?あ、もしかしてGの話?いるいる。超いるよ!うちの母さん掃除下手だから!」
「亜紀は昔からごまかすのが本当に下手だよな。僕がいるかって聞いているのは、Gなんかじゃなくて、お前の親友の多摩境さんのことだよ」
「ごまかす!?わたしかずゆきにいさまがなにをいっているのかまったくわかりませんのですけれども!?タマって誰ですか?」
「口調があやしすぎるだろ!はあ…とにかく上がらせてもらうよ。こっちはあんまり時間がないんだから」
和幸はそう言って靴を脱ぐとズカズカと廊下を歩き始める。
「ちょ、ちょっとまってよ、勝手に入ったらあれだよ!?ふほーしんにゅう!」
「井上先輩は、先輩のご両親から娘がちゃんと一人で留守番をしているか見てくるようにと頼まれているので不法侵入にはなりませんよ」
そう言って玄関に入ってきた千鶴はニコニコと笑う。
「ゲッ!あんたはたしか生徒会の……」
「はい。いつもタマ先輩がお世話になっています……ちなみに今日もお世話になっていますよね?いえ…正確には一昨日からでしょうか」
ニコニコと細めていた目をうっすらと開いて、千鶴が亜紀を見ながらそう言うと、亜紀はせわしなく目を泳がせる。
「やっぱりここでしたか。じゃあ、私もお邪魔しますね」
「はいはいー…って、なんで入ってきてんのよ!っていうか人んちのドア開けまくって勝手に奥に行くな和幸!」
「まあまあ、先輩。とりあえず、落ち着いてくださいよ」
千鶴はそう言って亜紀の腕を掴んで、亜紀が和幸の後を追えないように足止めをする。
「落ち着けとかそういう話じゃ…ああ!ホントダメ!二階に行かないで!逃げてタマ!」
亜紀は家の奥に向かってそう叫ぶが、その直後、観念したような表情を浮かべたタマが和幸に連れられて二階から降りてくる。
「……迷惑かけてごめんね、亜紀」
二階から降りてきたタマはそう言って、靴をつっかけて亜紀の横を通り過ぎた。
「タマ!」
「………」
「昨日も言ったけど、あたしはあんたが間違ったことをしたとは思わないから。だって私達子供じゃん!あたしだってパパやママに良いとこ見せたいって思うことあるもん!それの何が悪いの!?」
「あー……話しちゃったか…」
「話しちゃったみたいですね…」
亜紀の言葉でタマがどこまで話したのかを察した和幸と千鶴は、一度うなずきあった後で、タマの手を引いてリビングへと移動する。
「亜紀も来い。ちょっと話があるから」
そう言って亜紀を呼び、タマと二人でリビングのソファに並べて座らせて他のところを探していたメンバーに連絡を取った後、和幸と千鶴は現在の状況を話し、タマと亜紀の誤解を解いた。
「まあ、そういうわけで、タマ先輩がいないと真白先輩が死んでしまう確率が格段に上がるというわけです。ちなみに、真白先輩は『タマが気に病んでいるようなら無理やり来させなくていい。タマの好きにしていい』とか言っていましたけど、私としては今からでもみんなところに行って欲しいと思っています。真白先輩に勝ち逃げされるのは悔しいですから」
「勝ち逃げ?」
「ええ、どうせもうみんな知っていることだとは思いますけど、私は和ちゃんのこと好きなんですよ。で、今真白先輩に死なれちゃうと、和ちゃんの中で思い出の人みたいになって真白先輩には永遠に勝てなくなっちゃうと、そういうわけです」
「いや、全然知らなかったけど…そうなんだ」
「僕も全く知らなかったよ…」
「そもそも真白先輩とか和ちゃんってどの人?」
「えっ!?………コホン。と、とにかくですね、色々あって、真白先輩に死なれると私が嫌なので、今からでも行ってくれませんか?」
ごまかすようにそう言った千鶴の言葉を聞いて、亜紀がポンと手を叩く。
「あ!あたし気づいちゃった。これってあれっしょ?ツンデレとか言う奴」
「おお!」
「なるほど!」
亜紀の言葉に、和幸とタマもポンと手を叩く。
「違います!というか、そういう言い方しないでください!」
「ツンツンデレツンデレツンツン…」
「タマ先輩!」
「すみません。調子に乗りました」
「まあまあ落ち着いて。それで多摩境さん―」
「行きます。千鶴の言う和希先輩の中でどうこうという話はどうでも良いとしても、私は真白先輩にはいくつも借りがあるし、そんなのがなかったとしても真白先輩に死んでほしくない。私が行くことで少しでも先輩が生き残る可能性が上がるなら、喜んでいきます」
千鶴に怒鳴られて肩を落としたタマを慰めてから、和幸がタマの意思を確認するとタマは間髪入れずにそう答えた。
その答えを聞いて和幸と千鶴はほっと胸をなでおろすが納得しないのは亜紀だ。
「いやいや。そのなんとかって先輩の周りにはタマより強い人がいるんでしょ?だったらタマが危ない所に行かなくてもいいんじゃない?」
「いや…いやいや亜紀。ちゃんと聞いていたか?多摩境さんが行かないと、日本自体も危ないかもしれないんだぞ。もちろんそんな危ない所に彼女を行かせるのは申し訳ないとは思うけど――」
「でも、もっと強い人達がいるならタマが行かなくてもおんなじなんじゃないの?」
「だから……」
「井上先輩、正常性バイアスです」
「あ……そうか。ごめん」
身内の気楽さから、普段はそんなことをしない和幸が少し声を荒げそうになったところで、千鶴が研修で習ったことを耳打ちする。
「というか、タマがいなくても三割助かるんだよね?だったら多分大丈夫じゃないかな。だって、野球で三割バッターってかなり期待できるじゃない」
いわゆる脳筋の亜紀の反応は、冷静になった和幸にとっては予想の範囲内だったが、こんどは千鶴のほうがカチンときた。
「………あのねえ、井上先輩。三割が期待できるっていうなら、もしタマ先輩が行っても、真白先輩はその期待できる確率で死んじゃうんですよ。わかります?しかもタマ先輩が行かないと、その期待できる数字の倍以上の確率で死んじゃうんです!」
「あ……そうか、ごめん」
千鶴の指摘を理解した亜紀はそう言ってうなだれた。
「亜紀は悪く無い、亜紀は普通の女の子なんだから。むしろあの時逃げ出した私が悪い。ごめんね千鶴。私はちゃんと行くから亜紀を責めないで」
「いえ…すみません、私も少しカッとなりました………ごめんなさい、井上先輩」
「いやいや、あたしが悪かったんだって。ほんと、バカでごめん…」
「それで、私はどうすればいいですか?」
千鶴と亜紀が和解したところで、タマは和幸にそう尋ねる。
「もうみんなはすでに輸送機で現場の海域に行っているから……あ!」
「どうしたんですか、井上先輩」
「いや……多摩境さんはどうやって現場に行けばいいんだろうって思って…」
「ああっ!」
「え……どこかに輸送機とかヘリとか用意してあるんじゃ…」
千鶴と和幸が慌てているのを見て、最初は冗談だろうと思っていたタマの表情が引きつる。
「いや、全然聞いてない。いや、もしかしたら来宮さんが聞いているかも」
「聞いてないわよ。…ごめんなさい、勝手に上がらせてもらったわよ」
自己申告の通り勝手に上がってきたくるみは、家主である亜紀にそう言って軽く頭を下げた。
「高橋は何か聞いている?」
「いえ、自分も多摩境の移動手段については何も」
「はあ、役に立たないわね」
くるみがため息混じりにそう言うと、高橋は「すみません」と言って申し訳無さそうに頭を掻いた。
「あれ?そういえば会長、高山先輩はどうしたんですか?」
「え?連れて行ってないわよ。千鶴のほうと一緒に行くって言っていたし」
「いやいや、会長と行くって言ってましたよ」
「まさかあいつ、プレッシャーに耐え切れずに逃げ出したとかじゃないでしょうね…まあいいわ。とりあえずあのバカは放っておいて、今は先生たちとか朱莉さんに連絡をとって輸送機なりジェット機なり戦闘機を手配してもらいましょう」
くるみはそう言って携帯を取り出して夏樹と霧香に電話をかけるが、当然非常事態の今は二人とも電話を携帯したりしていないし、本部の連絡先は留守電になってしまっている。
「つながらないわ」
「じゃあ本部に直接行くしかないかな」
和幸の提案に、タマも頷く。
「アーニャさんが本部に残っていればワームホールで島まで送ってもらうこともできると思う」
タマは静佳の一件の時のことを思い出してそう言った。
「でも確か今日って作戦の影響であっちこっち通行止めになってますよね、それにそろそろ作戦開始時刻だから、万が一にそなえて、都内と近郊の電車は全部回送になって一斉に止まるんじゃなかったでしたっけ」
千鶴がそう言うと同時に、全員の携帯電話やスマートフォンに列車運休のお知らせが届き、けたたましく着信音を鳴らす。
「なるほど、線路点検のため…ね」
携帯の画面を一瞥してから、くるみはそう言って大きなため息をつく。
「ねえ、タマ。あなた走って本部まで行けないの?」
「行けなくはないけど……その後が続かないと思う」
『猫』形態のタマは瞬発力には優れるが、一瞬に力を込めて動くので持久力には乏しい。例えば全力のジャンプを繰り返してビルからビルという風に飛び移っていけば本部にたどり着くことはできるだろうが、おそらくそこで全力を使い果たす。
「じゃあうちのお母さんの車で行けるところまで行きましょう。それでそこからはタマ先輩に頑張ってもらう感じで」
千鶴がそう提案すると、高橋が「うーん」と唸った。
「万が一に備えて、都内の環状線や首都高が通行止めになって、それぞれに自衛隊が配備されているはずだから、下道は渋滞していると思うんだ。そうなると、高速を使って一回東北方面に向かって、そこからグルっと回ってっていう形になるだろうから、距離が伸びて時間が厳しいし今の道路状況がわからないから、行ける最終地点がここよりも遠くなって逆に多摩境の負担が増えるかもしれない」
「じゃあどうしろって言うんですか!」
「だから俺も今考えている!」
「はあ…二人共喧嘩しないの。井上くんはなにかいい案ない?」
喧嘩を始めた千鶴と高橋を軽くたしなめてから、くるみは和幸に話を振った。
「うーん…例えばブースターとか、極端に言えばカタパルトとか大砲のようなもので多摩境さんを本部方面に向かって撃ちだすとか…いや、例えばの話ね。考え方っていうか、そうできれば多摩境さんの負担も減るし、距離も稼げるなって…でもそういうことができる設備とかって無いしなあ…魔法少女もこの辺にはいないし」
「つまりタマを人間大砲にするってこと?……あんた顔に似合わず怖いこと考えるわね。さすが静佳の彼氏」
「いや、確かに言っていて自分でもどうかなと思うけど、別に今静佳は関係ないよね」
「はいはいそうね、ごめんなさい。じゃあ、あなたは?あなたは何かアイデアはない?」
「え!?あたし!?」
くるみからいきなり話を振られた亜紀がびっくりして自分の顔を指差す。
「そう、あたし。えっと……」
「あ、井上亜紀です。そこの怖い考えしている井上和幸の従姉妹です」
「そうなんだ。じゃあ亜紀」
「って、言われてもよくわからないですけど…例えば和幸の言うようなことを誰かがしてあげれば良いのかなって。例えばあたしがタマを背負って走って、途中で誰かにバトンタッチして、みたいな」
「それだと結局通行止めのところは超えられないからねえ…」
くるみがそう言ってから腕組みして唸ると、全員が同じように考えこむ。
「とにかく、近づける方面にいけるだけ行ってみましょう。その後のことはその時に決めるっていうことで」
しばらく考えた後、くるみがそう言ってみんなが頷く。
「じゃあ私はお母さんに連絡してきます」
みんながうなずいたのを見た千鶴はそう言って急いで廊下に出ようとして、廊下に立っていた人物にぶつかり床に尻もちをついた。




