釣りバカ狂華さん
19/2/7 修正再掲
とある秋の夜。
俺がラウンジでコーヒーを飲んでいると、いつもかわいい狂華さんが、珍しく戦闘モードのキリッとした顔で大きな荷物を持ちタクティカルベストを着て現れた。
流石に寝間着ではないと思うので、外出するんだろう。
「おや、お出かけですか」
「ああ。ちょっと野暮用でこれから北海道に行ってくる」
「これから!?」
マジで!?もうすぐ深夜と言っても差し支えないくらいの時間なんですけども。
羽田空港はあいているだろうけど、札幌に行くのか函館に行くのか、はたまた旭川あたりに行くのか知らないが羽田から北海道に行く便は果たしてあるのだろうか。
「でもこんな夜中に北海道に何しに行くんですか?っていうか行けるんですか?」
「ここからヘリを飛ばすんだけど・・・・・・朱莉もくる?」
明日は特に用事もないし、柚那とも約束はしていないので行こうと思えばいける。
というか、最近ふにゃふにゃしていることの多かった狂華さんが戦闘モードで何をしに行くのか気になるし、ここは着いていく一択だろう。
「行きます」
「よし、40秒で支度して」
「え?俺ここに帰ってこれないんですか?」
それは困るんですけど。
「いいから早く支度してくる!」
「はいっ!」
あー・・・一緒に行くって言ったの失敗だったかも。
翌朝。
俺と狂華さんは北海道のとある川の河口付近に立っていた。
ちなみに寮からこっちの基地にヘリで飛んだ後、そのまま移動してきたのでほぼ寝ていない。
そんな状況にもかかわらず狂華さんはまんじりともせず、釣り人でごった返す川岸をキョロキョロと見回している。
ヘリの中で竿のメンテナンスをしていたのと、場所が場所なので釣りに来たのだろうというのはわかっていたのだが、一体この釣り人たちは何を釣りに来ているのだろうか。
俺が眠気と戦いながらそんなことを考えていると、狂華さんは10人ほどの釣り人グループに目を留め、キャップを浅くかぶり直して、手でかるく前髪を直すと今までのしっかりとした足取りはどこへやら、なんともあぶなっかしい足取りで川岸を歩いて目を留めたグループのほうに歩きはじめる。
一人にされても困るし寂しいので俺が後ろからついていくと、狂華さんは足をもつれさせグループのうちの一番大柄な男にぶつかって尻もちをつき、その拍子に帽子が脱げた。というか、今頭振らなかった?帽子が脱げやすいように頭振らなかった!?
「きゃっ・・・ごめんなさい」
え?『きゃっ、ごめんなさい』!?なに?狂華さん何してんの?っていうかなんで今の今まで教官モードだったのになんで急に猫なで声になってるの!?
「大丈夫かい?・・・・・・って、君は!」
「し、しーっ・・・!」
何してんの狂華さん。なんで、口の前で人差し指立てて『しーっ』とか言ってんの?
さっきまで目深にかぶってた帽子を脱げやすいようにわざわざ浅くかぶり直しておいて、『気づかれちゃったどうしよう』みたいなその表情はなんなの!?
「ええと・・・狂華ちゃんだよね?日曜朝にやっている、クローニクに出ている」
狂華さんのかわいらしい『しーっ』が聞いたのだろう。大柄な男は小さな声でそう確認し、狂華さんもおずおずと頷く。
「はい。ここでボクの大好物の鮭が釣れるって聞いて来たんですけど、人がいっぱいでどうしたらいいかわからなくて」
「なるほど、そういうことか。よし、お兄さんにまかせておきなさい」
「え・・・・・・?」
「今から場所をとるのは難しいから、ここで僕らと一緒に釣ろう」
「いいんですか?」
「もちろんさ!」
「あ、ありがとうございます!」
・・・・俺、今まで仲間内で狂華さんだけはチョロ・・・素直で良い子だと思ってたんだけど、そうでもなかったんだな。
「あの、実はここまで朱莉ちゃんに連れてきてもらってて」
そう言って狂華さんはこっちを見る。って、俺を巻き込むな!!
「おおおっ!」
「あ、どうもー」
気づかれてしまってはしかたない。
俺は営業スマイルで小さく手を振ってみせる。
「ちょ、ちょっと待っててね」
大柄な男はそう言って仲間をあつめるとヒソヒソと小声で相談を始め、少ししてから俺と狂華さんを呼ぶと小さな折りたたみチェアに座らせ、その周りに立って周囲からの視線を遮ってくれた。
なるほど、これなら周りの釣り人たちに俺達の正体がバレてパニックになる可能性は低いだろう。
「さて、じゃあこの餌を針につけるんだけど大丈夫かな?生の切り身だから手が魚臭く・・・くさっ!」
「あ、自分で餌持ってきているんで大丈夫です」
狂華さんがリュックから取り出したタッパーにはとてもにんにく臭い、おそらくは魚の切り身が詰まっていた。
「そ、そう。本格的だね」
「生餌より食いつきがいい・・・ですって、釣りの入門書で読んだんです」
今言い切ろうとしたよね?生餌より食いつきがいいって言い切ろうとしたよね?
入門書がどうこうって絶対嘘だよね、熟練者とは言わないまでも中級者くらいのレベルだよね!?
「狂華ちゃんは勉強家だなあ」
「そんなこと・・・って、あれ?お兄さん去年のCD発売イベントの握手会に来てくれた人じゃないですか?」
「え?覚えててくれたの!?」
「もちろんです。たしかその時に釣りの話もしましたよね?」
狂華さんが明らかにこの人のこと覚えてて狙っていってたみたいだったからなんでだろうと思ってたけどそういうことか。
「そうそう!感激だなあ!あ、握手してもらってもいいかな?」
「はい」
「俺も!」
「俺もお願いします!」
「はいはい」
狂華さんはにこやかだし、狂華さんのファンらしい男たちも、他の男たちも交代交代に握手してもらってにっこにこだけどこのへんめちゃくちゃにんにくと生魚のにおいがしてるからすごいシュール・・・・・・。
そしてそんなシュールな空間に溶け込まずに少し離れたところでこっちを見ている男が一人。
「あれ?あんたは確か」
「朱莉姐さん・・・・・・まさか拙者のことを覚えていてくださったのですか?」
よく見たら救いのない女である俺がいいとかなんとか言ってた、握手会皆勤賞のビームサーベル氏じゃないか。
ちなみに流石に今日はリュックに竿をビームサーベル状態にしているということもなく至って普通の釣り人の格好だ。まあそのせいで気づくのが遅れたんだが。
「もちろんだよ。久しぶりだね・・・ええと・・・・・・確か・・・ラジオネーム・・・」
「悪の十字架でござるよー。もー、あえてちょっとボケるとか朱莉姐さんはおちゃめさんでござるなー」
ごめん。普通に名前忘れてた。
「ははは・・・ちなみに悪の十字架さん、ちょっと聞きたいんだけど、もしかしてここに居る人達みんなクローニクファンなの?」
「そうでござるよ。というか全員あの時のイベントの全国行脚組でござるからな。あそこで知り合って、たまたま釣りが趣味で気があったメンツがこうして釣りサークルを作って一緒に釣りをしているというわけでござる」
「そうなんだ。知らなかったよ。でも俺達の活動でファンの友達の輪が広がるって、なんか嬉しいな」
「やっぱりご存知なかったでござるか。一応、公式のほうには届け出ていたのでありますが公認は取れなかったのでしかたないですな」
「え?届け出たの?」
「出ましたぞ。サークルのホームページもありますし」
そうか。
じゃあおそらく狂華さんは予め今日ここにこのサークルが来ることを知っていたな。
黒い。黒いぜ狂華さん。
なんか楽しそうに竿を振ってるけど、あの人がその笑顔の下で何を考えてるのかって考えると超怖い。
「ちなみに朱莉姐さんは釣らないのですかな?」
「俺は見てる専門かな。狂華さんが釣った魚でもちょっともらって・・・ってか鮭なんて本当に釣れるの?ここに来るまで鮭を釣るなんて聞いてなかったんだけど」
「入れ食いとはいいませんが、結構釣れますぞ。まあ我らは皆独り身故、そんなに釣って帰っても仕方ないので一人一匹釣ったら撤収しますが」
「そっか」
鮭って結構食いでがあるもんな。
昔親父がお歳暮で荒巻鮭もらった時なんて一月近くずーっと鮭が続いたくらいだしな。
「独り身でなくなればもう一匹くらい釣ってもいいかなと、デュフ、思いますがな、デュフフ」
「そっか。はやくいい人見つかるといいな」
「ぐっはあ、笑顔でそんな天然発言されると惚れてしまうでござる」
「いや、もう惚れてるだろ。それをわかった上での発言だよ。あんたが嫌いとかじゃなくて、俺には柚那がいるしさ」
「はっはっは、番組設定を持ち出されて体よくふられたのはずになぜか清々しい・・・・・・不思議な女人でござるな、朱莉姐さんは」
「俺だけじゃなくて、うちは不思議ちゃんばっかりだよ」
「いや、そういうことではなくて、本当に敵や宇宙人を味方に引き入れてしまう力がありそうだなということでござる」
「だといいけど」
鋭いなあ。この人。
「まあ、拙者はこの先もああいう路線を期待しているでござるよ」
「期待に応えられるよう頑張るよ・・・って、狂華さんの竿が引いてる!」
「お、意外に早かったでござるな。もう少し朱莉姐さんと語らいたかったでござるが致しかたなし」
「狂華ちゃん巻いて巻いて」
「っしゃらこーーーーーーー!!」
何その掛け声。
そんでなんで長靴なんか釣ってるの狂華さん。
結局、半日粘ったものの一匹も釣ることができなかった狂華さんはヤケクソになって川に入って手づかみしようとするのをサークル全員+俺に止められ、翌朝の朝市で鮭を買って帰りましたとさ。
名前の響きが似ているというだけで昔書いた作品。
後悔はしている。




