とにかく勝てない朱莉ちゃん 4
「おや、朱莉さん。今おかえりですか?」
研究所の裏口で翠と別れ、寮までの道を歩いていると後ろから朝陽が声をかけてきた。
「おお、朝陽。久しぶり……どうしたんだお前、その格好」
「え?何か変でしょうか?」
「いや、変ではないけど」
振り返った俺の目に飛び込んできたのは、サウナスーツに身を包み、髪と顔が汗でベタベタに濡れた朝陽の姿だった。というか、今もその場でジョギングをしているのに、声をかけてきた時も今もまったく息が上がっていないことにも驚きだ。
「つか、こうやって改めて見ると、痩せたなお前…」
「はい。朝夕のランニングと、筋トレ、それに銃器の扱いですとか、いろいろと狂華さんに教えていただいているんですの。結構ハードで5キロくらい落ちました」
そう言って笑う朝陽の顔には肉体的な疲労感や、イヤイヤやらされているといったストレスはなく、すっきりとした笑顔が浮かんでいた。
一回戦で負けて以来、朝陽が狂華さんに弟子入りを申し込んでいろいろ特訓しているのは知っていたのだが、正直言って、朝陽が二週間もつとは思っていなかったので、これは朝陽に対する認識を改めなければいけないだろう。
「そうそう、ちょっと見ていただきたいんですけど」
そう言って朝陽は、サウナスーツの前をたくし上げた。
「すこし、薄っすらとなんですけど、腹筋ができたんですのよ!」
朝陽の言うとおりそこには2週間前まであった、まるくてもちっとした下腹はなく、程よく引き締まってそれでいて柔らかそうな下腹があった。
「あと二ヶ月ぐらいでガチガチになるだろうと狂華さんがおっしゃっていたので、それまで頑張りますわ!」
「う…うん、でも俺は今くらいが好きかな」
楓さんの腹なんかは8つにバキバキに割れていたりするが、あそこまで行くと、もうなんか…正直怖い。
「ええ~…楓さんくらいまで頑張りたいですのに…」
「絶対やめて!」
「なぜですか?」
「女の子は少しふくよかなほうが人気が出る」
百人が百人ではないにしても『マッチョな女子大好き!』っていう人よりはそっちのほうがまだ多いだろう。
「人気がなくなると、給料減って好きなもの食べられなくなるかもしれないぞ」
実際には基本給は変わらず、グラビアとかの仕事の手当が減るくらいなので、そこまで一気に貧乏になるというわけでは無いのだけど。
まあ逆にスポーツ系のグラビアなんかが入ってくる可能性があるので収入はとんとんかもしれないけどこれは黙っておこう。
「うー…まあ、人気商売の辛いところですわね」
「商売、って言っていいかどうかは微妙だけど、まあそういうことだ」
良かった。チョロさは前の朝陽のままだ。
「そういえば皆はどうしてる?朝陽みたいに真面目に修行して劇的に変化していたりするのか?」
まあ、柚那と恋は強くなることにこだわるとか、そういうタイプではないし、愛純も努力、友情、勝利。とかそんな感じの性格ではないのでここは別に期待していないんだけど。
「……」
俺としては、本当に軽い気持ちで聞いたのだが、朝陽は俺の質問に答えず、気まずそうに目をそらす。
「あの……ですね」
「お、おう。どうした、深刻な顔して」
「大したことではないのですけど、その……愛純が」
「愛純が?」
「…かなり太りました」
大したことだった。
「あ、愛純が太ったの?」
「はい」
「どのくらい?」
「この二週間でのことなので、全盛期程ではないのですけど」
以前ひょんなことからみんなで愛純の過去の写真を見る機会…というか、子供の頃の写真を見せ合ったことがあった。
その時愛純が『なんかこういうの恥ずかしいですね』と言いながら差し出した一枚の写真。その写真に写っていたのは、空手着に身を包んだ少女。
そう、愛純は子供の頃から空手をやっていた。実力も折り紙つきで、その道では有名な空手少女だったらしい。だが、俺達が見た愛純の写真は、胸に有名な空手道場の名前が書いてあるにもかかわらず重量級の柔道選手と見まごうばかりの少女の写真だったのだ。
以来、愛純も含めて俺たちはその頃の愛純を全盛期と呼んでいるのだが、つまり愛純にはもともと太りやすいという素養がある。そのため俺が知る限り、彼女は食べる順番だとか咀嚼回数だとか、適度な運動だとかを心がけてケアをしてきていたはずだ。
「げ、原因は?」
「この大会、うちのチームで二戦とも勝ったの愛純だけですわよね」
「ああ」
二戦目は実力というか、こまちちゃんとの裏取引のおかげっていうのはあるが、確かに2勝しているのは愛純だけだ。
「それでその、ちょっと天狗になっていたところを柿崎さんにチクリとやられて大爆発。完全に不貞腐れてしまったんですの」
か、柿崎ぃぃぃっ!
「…ごめん、もうちょっと詳しく」
「最初は、勝ったことをほめてくれないどころか態度を諌めた柿崎さんに対して憤っていたんですけど、そのうち『一緒や!勝っても!』なんて言い出して、引きこもってお菓子を貪るようになって…一週間ほどしたら…もう…」
これは柿崎君というよりは、完全に愛純が悪いな。いや、チームリーダーなのに勝ててない俺も悪いんだけど。
「戦えそう?」
「私としては、戦えるとか勝てる勝てない以前に、愛純の名誉のために、それと番組的にも明日の試合は棄権させて、ダイエットさせるべきだと思いますわ」
あ、これ真面目にあかんやつや。
「わかった、調整する」
とりあえず、愛純の棄権とチアキさんの一敗で一勝一敗。朝陽が勝ったとしても、深谷さんか俺が勝たないともうどうしようもない。柚那でもいいけど、対JCで考えた時にガチでやりあって柚那が勝てる相手ってパワーアップしてない状態の真白ちゃんとあかりくらいなので期待薄だ。キレ柚那はあくまで柚那がリミッター振り切って彼女なりの全力を使うだけ。キレることで少しだけ動きがよくなるので、それで不意打ち的な効果があるというだけのものなので地力が段違いの相手だったり、種が割れていたり、恐怖を感じない相手には効果が薄い。
いっそ柚那と俺がペアでチアキさんには恋に負けてもらうか。もともと、そういうつもり……いやまてよ、柚那か恋にチアキさんの勝ち星がつけばいいとか考えていたけど、それだとあからさま過ぎて絶対都さんに気づかれる。前回は愛純とこまちちゃんだったから不自然じゃなかっただけで、攻撃手段が柚那との合体魔法しかない恋や、地力が違いすぎる柚那がチアキさんに勝つのはありえない……いや、そうか。チアキさんにも棄権してもらえばいいんだ。そうすれば一勝一敗もしくは一分け同士という状況が自然に出来上がる。それなら2勝できれば最低でも引き分けにできる。
「…急に黙りこんでどうしたんですの?なんだかすごく下衆な表情していますけど」
ゲス顔言われた!
「いや、勝つための戦略を考えてたんだよ。ちなみに朝陽、お前誰になら勝てる?」
「誰にならって…魔法少女同士の戦いに絶対はないと思いますけど」
おお、意外な意見。俺や楓さん、それにひなたさんは実力差でほぼ決まると思っているんだけど、朝陽がこういうことを言うっていうことは、狂華さんは違う考えっていうことなんだろうな。
「でもまあ、チアキさん以外になら」
「自信満々だな。みつきちゃん相手でも行けるか?」
俺の質問に、朝陽は自信満々の表情で胸を叩く。
「この秋山朝陽、まだまだ後輩に抜かれるほど弛んではいませんわよ」
みつきちゃんは一応先輩だけどね。
「頼りにしてるぜ、朝陽」
「お任せください」
朝陽はそう言ってもう一度胸を叩いてみせた。
「と、いうことでして」
『と、いうことも何もないわよ。私は負けるとは言ったけど、棄権するとは言ってないわよ』
現状を話して、テレビ電話で土下座までしてみせたのに、チアキさんはまったくつれなかった。
「いや、でも万が一八百長がバレるとチアキさんもまずいんじゃないっすか?」
『まずいけど、それはそれ、これはこれ。棄権するとなると体調不良とかそういうことになるでしょう?そうなると現場に行けなくなっちゃう』
「そりゃそうですね」
『チームリーダーとしてそれはいかがなものか。試合当日に体調不良、しかも検査を受けない程度。そんな理由で現場に現れないチームリーダーって朱莉的にはどう?』
「まあ、確かに嫌ですね、そんなリーダー」
返す言葉もないくらいの正論だった。
『ましてや、和希があんたをぶちのめせるかどうかの瀬戸際。こんな面白い見世物見逃す手はないでしょ』
一瞬尊敬しかけた俺の気持ちを返していただきたい。
「瀬戸際って…そんなに弱くないですよ、俺は。和希くらいならまだ…」
『”和希くらいならまだ”ね』
しまった。俺の弱体化を気づかれたっぽい。
『夏樹と一緒に真白を連れだしてなんとかっていうメーカーに行ったことと関係があるのかしら?』
「……わかりました、認めますよ。俺は今弱体化してます。夏くらいから調子悪いです」
『だったら、さっさと治せばいいじゃない』
「原因不明なんですよ。医療研に言わせれば健康体、基礎研のコウさんに相談してるんですけど、初めてのケースらしくて、原因が全くわからない。藁にもすがる思いでたまたま真白ちゃんとか深谷さんとか佐須ちゃんがパワーアップしたっていうドリンクを貰いに行ったんですけど、それも効果なし」
『恋の魔法は?』
「え?」
『多分恋は医療研よりも魔法少女の体調不良に詳しいでしょう、自分自身が魔法少女なんだし、実体験がある分、医療研や基礎研とは違う見解が得られるんじゃないの?』
「あ…そうか。そういえばそうだ。わかりました、明日の試合の後、恋に相談します。それでその……」
『はぁ…で?恋はシングルスいくつ?』
「4です」
『じゃあ、体調悪いチアキさんはシングルス4で試合開始直前に棄権すればいいのね?』
「さすがチアキさん!」
そこにシビれる!あこがれるゥ!
『まあ、こっちから持ちかけた取引だからこれくらいは良いわよ。ただ…和希をあんまり舐めてかからないようにね』
「え?」
『柚那と組んで、和希と真白と戦うならそれ相応の覚悟はしておいたほうがいいわよ』
「は…はあ」
いや、確かに真白ちゃんは多分俺のこと好きだったんだろうけど、そんなの前のことじゃん。今は和希と付き合ってるじゃん。
『ああそうだ、一つあんたに聞いておきたいことがったんだ』
「なんです?」
『あんた、真白のことどう思ってんの?』
「好意は嬉しいですけど、俺には柚那がいますから。それはセナの時とか、朝陽の時と同じです」
『面白がったりとかしてない?』
「上からモノを言うつもりはないんですけど、例えば真白ちゃんが俺に正面からぶつかってきたらちゃんと受け止めますし、そうじゃないなら、そっとしておきますよ。そういうのを面白がられるのがどれだけ嫌なことかっていうのは、俺が一番良くわかってますから」
高校は男子校だったのでそういうことはほとんどなかったが、中学校時代や、大学時代は酷いものだった。
特に大学時代、面白半分に茶化されて、告白もしてないのに拒否されてゼミやらサークルでいたたまれなくなることのなんと多かったことか。なんでああいうのを面白がる連中って小中学校の頃から成長しないんだろう。
『…そうよね、あんたはそういう奴よね。だとしたら柚那が…いや、でもなあ…』
「なんの話ですか?」
『ううん、なんでもない。忘れてちょうだい』
気になるなあ。でもこういう風に言うってことは聞いても教えてもらえないんだろうし、忘れるしか無いは。
『じゃあ、また明日会場でね』
「はい、おやすみなさい」
ま、明日和希に聞けばいいか。
その時の俺は軽くそんなことを考えていたくらいで、翌日自分や和希、それに真白ちゃんの身に何が起こるかなど知る由もなかった。




