シマイノカタチ 3
コロコロ視点が変わります。
「精華さんのチーム、そろそろ試合開始のはずだけど、寿ちゃんとセナは勝てるかなあ」
私達の試合開始まであと1時間ほどというところでこまちさんから振られた話に、私は思わず体を強張らせ顔をひきつらせてしまった。
「さ、さあ…どうですかね」
「あれ?なんか冷たい?私何かした?それとも寿ちゃんと喧嘩でもした?」
「い、いえいえ!そんなことないですよ!」
どういうことだ?あれからもう数週間も経っているというのに寿さんはこまちさんに姉妹関係の解消をしたという話をしていないのだろうか。
寿さんとの姉妹関係解消後も、結局私は東北の隊長補佐を続けているし、寿さんも普通に私に仕事を言いつけるので、傍から見ているとなにが変わったということはないのだけれど、二人っきりでいる時の寿さんの態度は今までとは全く違うものになっている。
今までは仕事に対して厳しい部分はあったものの、基本的には楽しく優雅に書類仕事を片付けていたのだけど、近頃はそれがない。書類仕事をしているときは無言。私がお茶を入れても『ありがとう』とだけ言って無言で口に運び、飲み終わると自分でカップを洗って食器棚に戻す。
それにいままでは三日に一度くらいは寿さんがお茶を淹れてくれて『今日はとっておきのチョコがあるのよ』なんて言い出すこともあったのに、それもない。
いや、あんな喧嘩別れしたみたいな姉妹関係の解消をしたのだからお茶を淹れてくれるなんていうことがあるはずはないのだけど。
「ねえ、彩夏ちゃん。今日ちょっと変だけど何かあったの?」
「なんにもないですって。むしろ、こまちさんのほうこそソワソワしているっていうか、ちょっと落ち着かない感じがするんですけど」
「う…ま、まあね。ちょっと色々あって」
い、色々ってなんだろう。まさかこまちさんは全部知っていて、私がヒヤヒヤしているのを心の奥底でほくそ笑みながら楽しんでいるんじゃないだろうな。
で、私が追いつめられてどうしようもなくなったところで、種明かしをして私を精神的にも物理的にも地獄に突き落とすつもりだったりして。
怖い!自分で考えておいてなんだけど、すごく怖いぞそれ!『寿ちゃんを泣かしていいのはベッドの中の私だけなんだよ』とかなんとか言いながらこまちさんに喧嘩でも売られたら、私はその場で乙女の聖水を漏らす自信がある。
とは言ってもこのままでは埒が明かない。私は不可抗力で姉妹関係の解消をしたと入っても、寿さんとの復縁を狙っているんだから!まずはこまちさんにきちんと説明しないと!
「こまっ…」
「さや…」
「あ…先どうぞ」
「いや、別にそんな大したことじゃないから…」
やばいやばいやばい。なんか色々考えていたらこまちさんがものすごい怖い人に見えてきたぞ。いや普段はいい人だけど本当は怖い人だし実際怖いっていう感情は間違ってないんだと思う。というか、私そんなにこの人と親しい訳じゃないんだった!
どうしよう。こまちさんは『チームメイトだからこの大会期間中は喧嘩売られることはないだろう』なんていう一般論が通じる相手じゃないぞ。
もう一度こまちさんの様子と内心を探るためにちらりと目を向けると、こまちさんは口を真一文字に結んで、なんだか変な顔をしている。
もしかしたらもう切れる寸前なのかもしれない。ああ、どうしよう…
セナと正式に付き合いだすようになって数週間。
セナに対して「わたしから話すから」と言ってしまったものの、彼女との関係について誰から話をしていくのが正しいだろうかということを必死に考えて、結局彩夏ちゃんに相談して協力を取り付け、うまい具合に空気と場を整えてもらうのがベストなんじゃないかという結論に落ち着いた。
落ち着いたんだけれども。
「――さあ、どうですかね」
世間話で振った寿ちゃんとセナの話題についてものすごい淡白な反応が返ってきてしまった。いやもうこれ淡白とかそういうレベルじゃない。もはやなんか彩夏ちゃんに軽蔑されている気すらする。
いや、されている気がするというか、されていてもおかしくないなというようなことをたしかに私はこの数ヶ月の間やってきている。
彼女が徹夜で仕事をしている時に寿ちゃんをかっさらってベッドでイチャイチャしていたりとか、セナの部屋のベッドに潜り込んで朝イチで彼女が訪ねてきた時にシーツの中でセナの下半身に色々したりしていた。きっとそれが彼女の私に対する反感になり、そういうものが積もり積もってさっきの返答になったんだろう。 ああ、こんなことなら日頃からちゃんと先輩らしくしているべきだった。
「ねえ、彩夏ちゃん。今日ちょっと変だけどなにかあったの?」
「なんにもないですって。むしろ、こまちさんのほうこそソワソワしているっていうか、ちょっと落ち着かない感じがするんですけど」
「う…ま、まあね。ちょっと色々あって」
見破られているっ!?しかもやっぱり言い方が冷たい!
っていうか、もしかして気づかれている!?私とセナの関係に彩夏ちゃんは気づいていて、それで自分のお姉様である寿ちゃんを私が蔑ろにしているとかそういうことを考えて、すごく怒っているとかなの!?
だとしたらちゃんと説明を――
「こまっ…」
「さや…」
「…先どうぞ」
「いや、別にそんな大したことじゃないから…」
絶対怒ってるーーーーーー!!
何!?どっから漏れたの?セナにはかなりきつく口止めしてあるし、私は寿ちゃんには全く言っていないし、もしかしてまたひなたさんか!?いや、でもひなたさんにも言ってないし、むしろひなたさんの前ではここのところセナといちゃつくのも控えてたし。
どうしよう、彩夏ちゃん絶対協力してくれない。そうなると、寿ちゃんもキレるだろうし、精華さんめちゃめちゃ暴れるだろうし。セナも私も無事で済まないかもしれない。
うう…もういっそ二人で関東か関西に異動願いだそうか。
でもそうなると今度はセナが前に好きだった朱莉ちゃんがいるから私の気が休まらないし。だからやっぱり――
説得しなくては!そう思ってちらっと彩夏ちゃんの様子を伺うと、彩夏ちゃんは口を三角にしてこっち睨んでいた。
駄目だーーーーーーーーーーっ!なんかちょっと白目まで剥いてるし完全に私を威嚇してる!
こまちと彩夏の些細な行き違いから10分。なかなか集合場所にやってこない二人を呼びに控室に桃花がやってきた。
不幸にもこまちと彩夏が完全に行き違っているところにやってきた桃花は妙な緊張感をもっている二人の間に入ってしまったと気づいた瞬間「アチャー…」と思ったが、時すでに遅し。
逆にこまちと彩夏からしてみれば二人の間の膠着状態を打破する、しかもちょうどこまちと彩夏の間の世代である桃花の登場は非常に有りがたいものだった。
「桃花ちゃん!」
「桃花さん!」
「え…えーっと…どうしたんですか?喧嘩ですか?それとも色恋沙汰での揉め事とかそういう感じの…?」
桃花としては特に根拠など無い、たんなる思いつきに近いような形で適当に言っただけなのだが、その二つが見事に二人の言いたいことにマッチしてしまった。
「そう!それ!」
「そうなんです!」
「ど、どうなんです?」
「誰にも言わないでほしいんだけど」
「誰にも言わないでほしいんですけど」
「言いませんけど…どうしたんです?」
「実はセナと付き合いだしたんだけどどう説明したら良いかわからないんだけど、寿ちゃんにもちゃんと説明したいから彩夏ちゃんに手伝って欲しいんだ!」
「実は寿さんと姉妹関係解消しちゃったんだけど、元の関係に戻りたいんです!なのでこまちさんに協力してもらいたいんですけど!」
「…え?」
「…は?」
お互いに言った言葉を聞いて、こまちと彩夏は顔を見合わせた。
「えっと、寿ちゃんと姉妹関係解消したって…何?」
「こまちさんこそ、セナと付き合いだしたってどういうことですか…?」
二人の頭の上にたくさんのクエスチョンマークが浮かんでいるのを見て、二人以上に状況の飲み込めていない桃花は少しパニックになりかけたが、ここは自分がなんとかしなければと思い直して口を開く。
「なんだか東北チームの危機になりそうな話ですね…まだ試合までは30分くらいありますし、ちょっと整理しましょうか。まずこまちさんから話をしてみてください」
桃花はそう言って椅子を持ってくると二人の間に座った。
「この間、私とセナは南アフリカに出張に行ったんだけど、そこでちょっとした事件に巻き込まれてね。で、その戦闘中にセナに告白されて、ちゃんと付き合うことにしたんだけど、自意識過剰っていうわけじゃないけど私って、結構人気者じゃん。特に寿ちゃんとか精華さんとかあたりはセナに対していい感情を持たないかなって思って、それでその、できれば彩夏ちゃんに場を整えてもらってそれで皆に宣言しようかなって思ってたんだけど…彩夏ちゃんったら相談しようとすると睨むんだもん」
「いやいや、私睨んでませんよ!」
「ああ…まあ、後ろ暗いことがあるとそういう風に見えちゃうかもしれませんよね。彩夏さんの言っていた話はどういうことなんですか?」
「私のはその…ちょっと前に寿さんと口喧嘩しちゃって、それでちょっと懲らしめてやろうと思って姉妹関係解消の紙を取りにおね…蒔菜さんのところに行ったんですよ。そうしたら、蒔菜さんが『それなら私の妹になりなさい』って言い出して、タイミングの悪いことにその場に寿さんが現れて蒔菜さんを殴っちゃったんです。それでチアキさんとか都さんに怒られて、結局私達の姉妹関係は解消。今は蒔菜さんをお姉様って呼ばなきゃいけない状況なんです…あ、でも私やっぱり寿さんの妹が良くて、だからその仲介をこまちさんにお願いしたいなって…すみません。こんなこと頼めるほどこまちさんが私のこと好きじゃないのはわかっているんですけど」
「いや、そんなことはないよ。確かにあんまり直接の接点はなかったけど、セナの親友で寿ちゃんの妹だもん。そういうことなら協力する!…と言いたいところなんだけど、よりによって蒔菜か…」
「こまちさん、蒔菜さんと何かあったんですか?」
桃花の質問に、こまちは腕組みをして唸り声を上げる。
「桃花ちゃんには後で説明するけど、彩夏ちゃんは知ってるよね、研修生時代に私が寿ちゃんの障害になりそうな人間をクラスから排除してたっていう話」
「あ、はい」
「あれの第一号が蒔菜なんだよね。だから私がなにか言ったところで蒔菜は絶対聞いてくれないと思うし、逆に私がなにか言ったら絶対に姉妹関係を解消してくれない」
「じゃあ…」
「ごめん。手伝えることはない。というか、手伝ったらより酷いことになると思う」
「そんな、だって私だけじゃ…」
「彩夏遅いわよ…あら、能代さんもいたのね、こんにちは」
突然現れた蒔菜がそう言って彩夏の手を取る。
「…時間止めて入ってきておいて、よくもまあそんな白々しいことが言えたもんだ」
「あ、あの、やめましょうよ。昔何があったかはよくわからないですけど、今は同じチームなんですから、そういう過去の因縁とかは置いておきましょうよ」
「えっと……あなたは確か元TKOの…若松桃太郎君」
「本名呼ぶんじゃねえよ!」
本名に若干のトラウマがある桃花は蒔菜の言葉を聞いて一気に感情のメーターが振りきれたが、すぐに我に返って若松桃花の仮面をかぶり直す。
「…じゃなくて。時計坂さんもこまちさんになにをされたのかわかりませんけど、とりあえず大会期間中だけでも仲良くしましょう。ね?」
「私は特に誰かともめているつもりはないけれど。能代さんは誰かともめているの?」
小馬鹿にしたような笑いを浮かべながらそう言い放つ蒔菜に切れかけながらも、こまちはなんとかその怒りを収める。
「…ま、今現在もめているってわけじゃないから良いんだけどね。昔のことは謝るよ。ごめん、桃花ちゃんの言うとおり昔のことは置いておいて仲良くしてもらえると嬉しい」
こまちはそういって蒔菜に頭を下げ、そのままの姿勢で彩夏のほうに顔を向けるとウインクしてみせる。
(こまちさん、私のためにそこまで…)
(いいんだよ、彩夏ちゃん。…このままだと私もセナも寿ちゃんに縊り殺されちゃうしね)
アイコンタクトでそんな会話を交わしたこまちと彩夏の間には先程まではなかった絆が生まれていた。




