つきは東に陽は西に 2
カレーを食べ終わった後、キッチンでクッキー作り教室を開いているみつきと、それを受講している桜を横目で見ながらひなたはソファーでくつろいでいた。
(ああ…なんかこう…俺、今もしかしてリア充なんじゃないか?)
今ひなたのうちには、娘がいて、恋人がいて。しかもその二人が仲良くキッチンでお菓子作りなどしている。
これがリア充と言わずしてなんというのか。ひなたはそんなことを思いながら心の中で朱莉に感謝した。
それと同時にひなたはふたりに失礼だとは思いつつも、ついつい(今ここに陽菜がいれば完璧なんだけどなあ)などと考えてしまう。
しかしこれは過去に妻に先立たれ、娘とは引き離されて生活していたひなたの境遇を考えれば仕方ないことなのかもしれない。
「ひなた。クッキー試食の時間だよー」
そう言ってみつきはキッチンから持ってきた山盛りのクッキーが乗った皿をひなたの前のテーブルに置いた。
「……ずいぶんいっぱい作ったな」
甘いモノは嫌いではないひなただが、それにしてもちょっと見ただけで胸やけを起こしてしまうくらいの量だ。
「あはは…すみません、私もみつきもちょっとテンション上がっちゃって」
みつきの後からやってきた桜がそう言って苦笑いをしながら紅茶を置く。
「まあ、結構日持ちするから今日のうちに全部食べなくてもいいんだし、しばらくおやつ代が浮くって思えばいいじゃん」
そう言いながらみつきは早くも最初のクッキーを口に放り込む。
「それもそうだな。桜が山程お菓子買ってくるからそれが浮くのは助かる」
「うわっ!ひなたさんがそれ言うっすか!?自分だって変なお菓子買うし、っていうかお菓子だけじゃなくてなんか変なもの見つけると電化製品だろうと衝動買いするじゃないですか!」
「俺は知的探究心が旺盛なんだよ。だいたい金額はたいしたことないし、部屋が散らかっているわけでもないんだから別にいいだろ」
とはいっても何事にも飽きっぽいひなたは、ある程度飽きてくるとすぐに売ってしまうので、大した損害にはならないし、売れないものも譲ってしまうので部屋がもので溢れかえるようなこともない。
「そういう問題じゃないっす!ひなたさんの変な収集癖の話をしてるんです!」
「ああもう、うるせえなあ…いいだろ別に。あと収集はしてない。すぐ処分してる」
「論点はそこじゃないっす!」
「んー…でもさ、無駄使いがよくないとか、変なものを集めるのが嫌だと思っていても桜はひなたのことが好きなんだよね?」
「うえっ!?う…まあ…そう、ね」
「それってなんで?」
「なんでって……なんでだろ。ひなたさんって、女癖悪いし、家事もしないし、仕事もしないで朱莉さんと電話してたりするし、私にお金も集るし…うん?…あれ?なんだこの人。ダメ人間じゃないか?」
「お……おいおい桜。ダメ人間は言いすぎじゃないか?」
「……」
「……」
「なあ、みつきもフォローしてくれよ。俺、ダメ人間じゃないよな?」
「…はは……」
ひなたの質問に、みつきは引きつったような笑いで答える。
「なんだよその苦笑い!」
「ひなたさん!」
「お、おう。なんだよ」
「私、暫くの間休みますから」
「は…?」
「仕事はもちろんですけど、ひなたさんの恋人も休みます。あ、寝室は私がつかうのでひなたさんはどうぞそこを使ってください。みつきは今まで通り客室を使ってね」
「え…えーっと……どういういうことだ?」
「平たく言うと家庭内別居っす。少し一人で頭冷やしてください」
「か…」
家庭内別居という言葉を聞いてひなたの頭の中は真っ白になったが、すぐに謝らなければと思い直し、ソファから飛び降りてそのまま土下座をした。
「待ってくれ桜。謝る、謝るからさ。この通りだ、すまなかった。でも一つだけ弁解させてくれ。確かに声をかけたりはしていたけど、俺は別にマチュアともアイナともゾーナともなんでもないんだ!」
「事務所の人間全部じゃねえか!」
国連から派遣された魔法少女は、広いアフリカ全土に散っているので一つの事務所にいるのは小隊単位程度の人数だけだ。
しかし、少ない人数故に、妙ないざこざが起きれば組織は崩壊する。そのためそういったいざこざが起きないよう、桜は赴任した初日にひなたに対して、かなり厳しく釘を差していたのだがどうやらひなたには効果がなかったようだ。
「だから、違うんだって。あれはその、職場の人間関係を円滑にするための手段というかなんというか」
「ふうん…じゃあ日本にいた時に口説いていた九条真希も砂川凛も枕木真帆も全部人間関係を円滑にするためだったと」
「なんで知って…いや!ち……違うんですよ桜さん。っていうか、これは誤解だ!罠だ!」
「うるさい!とにかくしばらく一人で反省してください!それも嫌なら都さんに全部話して明日にも私はみつきと一緒に日本に帰ります!」
「う……す、すみませんでした。しばらく反省させていただきます」
そう言ってひなたはもう一度深々と頭を下げると、大きく肩を落とした。
翌日。本当に休みを取った桜は、みつきと一緒に近くの観光スポットへと繰り出し、最高の景色を堪能した。
そしてその帰り道のこと。
「昨日はなんかゴメンね、ひなたと喧嘩させるようなこと言っちゃって」
「いや、あの件に関してはむしろ感謝しているくらいだから。落ち着いてよくよく考えてみると…ううん、考えるまでもなくあの人ダメ人間だからちょっと反省したほうがいいんだよ」
「あはは…まあ、否定はできないけど…ってあれ?事故かな?」
そう言ってみつきが指差した先には路肩に寄せて停まっている車があり、その側には困惑した様子で車の横で首をひねっている女性の姿があった
「あ。本当だ。でも一台だけだし故障か…まあ、もしくは親切な人を狙った強盗か」
桜はそう言いながらゆっくりと一度故障車の横を通り過ぎ、車内に隠れている人間がいないかを確認した後、故障車のすぐ前に停車した。
「故障ですか?」
車を降りた桜がそう言いながら故障車に駆け寄ると、ドライバーらしきスーツ姿のz黒髪の女性はパッと表情を明るくさせた。
「あ…はい。突然動かなくなってしまって」
「ちょっと見せてもらってもいいですか?」
「はい!是非!」
桜は少し歳の離れた兄によく面倒を見てもらって育ったため、女の子らしい遊びの代わりに機械いじりをして育った。そのため機械系に強く、公安時代などは機械音痴の夏樹に車の整備や家電製品の配線などを頼まれたりもしていた。
「あ…駄目だこりゃ」
桜はオーバーヒートくらいならしばらく一緒にいて、エンジンが冷めたらラジエーターを見てなどと考えていたのだが、エンジンルーム内はあちこちから焦げ臭い匂いがしていて、パッと見でわかるくらいのダメージを受けていた
「ヒューズが全部切れているし電気系がダメっぽいですね。普通はこんなにならないと思うんですけど…雷でも落ちました?」
桜は冗談めかしてそんなことを言うが、女性は神妙な表情で唸っている。
「いえ…今日はすごく晴れていますし、雷が落ちたっていうようなことは無いと思うのですが…」
「いや、ジョークですよ。ジョーク」
「あ!そうなんですか。すみません、私そういうの疎くて」
(この人、天然っぽいなあ)
「あの…人違いだったらごめんなさい。もしかして春井桜さんですか?」
ちょっと苦手なタイプだと思いながら桜が心のなかで溜息をついていると、女性は突然英語から日本語に切り替えてそんなことを聞いてきた
「え?あ、はい。そうですけど…」
「すごい!私あなたのファンなんです!握手してください!」
彼女が日本でクローニクを見ていたとして、ひなたや楓、イズモくらいまでならともかく、ほとんど実戦に出ない役回りだった桜のファンというのはちょっと考えにくい。
なので、彼女はたまたまタレントに出会ってファンでもないのにファンだという、ミーハーな人なのだろうと桜は思った。
(…とことん苦手なタイプだなあ)
初対面の時にひなたに対して行ったアプローチからもわかるように、目的を決めたら一直線というタイプである桜は、何かのファンになるとそれ以外には興味がなくなる。
彼女がどのくらい一直線・一筋かというと、柚那に進められてやった恋愛シミュレーションゲームなどで、気に入った一人のキャラクターを攻略したら、たとえ他のキャラクターが残っていようが、その中に例えメインのキャラクターがいようが攻略しないという程で、そのため桜は誰にでも『ファンなんです!』と言うような『自称みんなのファン』は苦手なのだ。
「ええと…別に無理して私のファンだとか言わなくていいんですけど…」
「いいえ!あなたのファンなんです。是非握手してください!」
断ろうとしている桜の雰囲気を物ともせずに、女性はそう言って半ば無理やり桜の手を握った。
(何!?熱っ…くない?)
桜は一瞬、肌が焼けるような熱さを覚えたが、その痛みのような熱さは次の瞬間にはなくなっていた。
(あれ?錯覚
「どうかしましたか?」
「ん?ううん…気のせいかな。それより、このままここにいても直せそうにないですし、一度ホテルまでお送りしますよ。どこのホテルですか?」
「あ、実は私、観光でこの国に来ているのではなくて、この国に住んでいるんです。それで、できれば自宅まで送っていただけると助かるのですが」
「いいですよ。どのあたりです?」
「えっと、フカミインダストリはご存じですか?」
「ああ、あのでっかい工場ですね。とりあえず工場のあたりまで行って細かいところを教えてもらうっていう感じでいいですか?」
「と、いうか。フカミインダストリの社員寮に住んでいるんです」
「じゃああの会社の社員なんですか」
「いえ、社長です」
「え!?社長さん!?私とあまり変わらないくらいに見えるのに!?」
「社長と言っても、父が会長をしているので、お飾りですが。……申し遅れました。私、フカミインダストリ代表取締役社長、深海一美と申します。以後、お見知り置きください」
一美はそう言ってニッコリと笑いながら名刺を差し出した。




