彼方の日向 此方の暗闇 2
「…おい」
「―で、これが口紅型拳銃で、この時計にはアラミド繊維が収納されているから、なんかの時につかってね」
「おい!なんだよこのゴミの数々は!」
こまちは目の前でビックリ日用品の数々を広げて一つ一つ楽しそうに説明をしていた都の言葉を強い口調で遮った。
「なによ。この口紅型拳銃だってれっきとした歴史の遺産なんだから」
「遺産っつったよな?今遺産っつたよなぁ?そんな装備であたしに一体なにをしろってんだよ!」
作戦開始前の最終ブリーフィングで渡された装備はどれもこれも一世代どころではないような昔のものばかりだ。
「そもそもこの国は表向きこういう作戦はとらない事になっているから、装備が古いのはご愛敬なのよ」
「だったらもうデリンジャーでもナイフでもいいよ、アソコん中でもケツん中でも入れてくからよ」
「やれやれ。困ったもんじゃな、うちの孫娘は」
「全くです。僕らとしても、もうちょっと品良くしてほしいんですけどね」
「そこ!ほのぼのしてんじゃねえ!」
こまちが学園で使用する肩書きは五十鈴陸将の孫娘という設定で、そのための身分証もこまちが到着する前にはすでに完成していた。そのため構内に潜入した後身分がどうこうということで疑われることはないだろう。しかし問題はこまちの言うとおり自衛のための武器だ。
「つーか、マジでどうすんだよこれ。こんなんじゃお嬢様の救出なんてできねえぞ」
「だから何度も言っているように、お前の役目は三人のガードなの。だから今回は別に犯人をどうこうする必要はないんだよ」
「あ、そうだった…でもさ、なんかの時に必要になるかも知れないだろ。せめてナイフとかさ」
「お前にナイフを渡すとすぐ相手の首切るからダメ」
「……だって相手はテロリストだろ?別に切ってもよくない?」
「ああ、相手はテロリストさ。ただし末端のな。俺達には末端の命よりも黒幕が誰かって情報が必要なんだよ」
「でもさあ、あたしの目の前で人質殺されちゃったらどうすんの?」
「んー…まあ、今回の人質はどうせ…」
「どうせ?」
「いや、なんでもない」
「……なんでもないならいいけど」
もう死んでいるとか、別に死んでもいいとか。どちらにしてもあまり気持ちのいい話ではなさそうだと察知したこまちは、そこで質問をやめた。
「人質救出がメインじゃないなら相馬サン達の目的はなんなんだ?」
「国民様に迷惑かけるテロリストがどこのどいつか探ることだ。俺達は公僕だからな。正直政治家の娘とか大企業の娘とか、別にどうでもいいのさ。三人の命と引き替えにテロを未然に阻止できて一万人の命が救えるなら最悪それでもいい」
「怖っ」
「まあ、アホみたいに実直な俺みたいな怖いのもいるし、利に聡いような、そうじゃない奴もいる。色々面倒なんだよ、大人の世界は」
「私も一万人のための生け贄の一人ってわけだ」
「ま、そんなとこだな」
自分で実直とか言うかねと思いながら、こまちが軽口のつもりで言った言葉に陽太はそう答えて悪びれること様子もなく笑った。
(やっぱりさっき私が怪我するのが心配だって言ってたのは嘘だったんだ…)
大人の嘘には慣れたつもりでいたけれど、それでも少しだけ陽太を信頼しかけていたこまちは、彼の言葉にやりきれなさを感じた。
「あーあー、男ってどうしてこうかっこつけたがりなんだろうね。しかもそのかっこつけが決まらないことのほうが多いし」
都はそう言って少し涙ぐんでいたこまちの頭を抱き寄せた。
「…宇都野二尉、かっこつけってのは俺の事か?」
「そうよ。心配しているならそう言えばいいのに、俺は心配してませんとか言っちゃって、誰得なのそれ」
「べ、別に俺はそいつの心配なんかしてないし…というか、そいつはどうせ普通にやって普通に帰ってくると思ってるから心配なんていらないんだよ」
「んじゃあ、信頼はしてるんだ」
「信頼…なら、まあ…してるかな」
「だってよ、こまちっち」
「こまちっちって…」
「あれ?気に入らない?コマちゃんのがいい?それともコマさん?」
こまちはなんとなくどっちも自分のキャラにあわない気がした……というよりも。
「気に入らないとか気にいるとかじゃなくて!…あんた、あたしが何したか知ってるんだろ?さっきから思ってたんだけどあんたはあたしが怖くないのかよ?」
「こまちっちがしたのはただのゴミ掃除でしょ?もちろん比喩的な意味でだけど…まあ、私達もゴミ掃除が趣味と実益を兼ねてる部分もあるし怖くはないわよ」
平然とそう言い放つ都を見て、こまちは薄ら寒いものを感じると同時に、ヘリの中で陽太がこの女を怒らせるなと言った本当の意味が、ここで初めてわかった気がした。
陽動として陽太が正門で降伏勧告を行っているどさくさに紛れて、校舎内への侵入に成功したこまちは、一人、放課後で人気のない廊下を歩いていた。
(さて、適当なところで見つかって他の人質と合流しないとな)
こちらの存在を知らない相手に対しては、見つからないように隠れるよりも、見つかるように隠れるほうが難しい。夏とは言っても、もう日も暮れかけていて、相手がこちらを探そうとしなければ普通にしていても見つからないかもしれないだろう。かといってふらふら歩いているのでは明らかに不自然で警戒されてしまう。
こまちは余計な警戒をされずに、あくまで逃げ遅れた一生徒という役を演じなければいけないのである。
(…に、してもテロリストの人数少なくないか?)
校舎を丸々ひとつ占拠するつもりなら、すくなくとも各入り口に見張りを置いて、校舎周りの各辺にも一人ずつラインマンのように配置するのが常套手段だろう。
もしくは、せめてカメラなりなんなりで出入り口や資格になりそうな箇所は見張るのが当たり前だ。
(手口が素人臭いというか、なんというか…お粗末だなぁ)
こまちは自分が玄人だとは思っていないが、それなりの修羅場をくぐってきたという自負はある。その修羅場をくぐってきた自分の直感が今回のこの現場を生ぬるいと感じているのだ。
実際、念入りに調べて開けたドアにはクレイモアなどの対人兵器が設置されているわけでもなく、対侵入者用のワイヤーなどが張り巡らされているわけでもない。この現場は直感に頼るまでもなく明らかに生ぬるい。
「こんなん、別に私がなにかするまでもなく公安のおっさん達でも自衛隊のおっさん達でも普通に歩いて簡単に犯人の所にたどりつけるんじゃねえか?」
こまちがそんな事を誰にいうわけでもなくつぶやきながらそぞろ歩いていると、廊下の向こうに人影を見つけた。
(チャーンス!)
人影が幸いにもこちらに向かってくる様子なのを確認してから、こまちは手近な教室に素早く転がり込むと、教壇の内側に身を隠した。
そして人影が教室の前にくるのを見計らって教壇の足を蹴ってわざと物音を立てる。
「誰かいるの?」
教室の外から聞こえてきたのは女性の声だった。
(さらにチャーンス。これならいきなりヤられることもないだろうし、アソコん中のナイフもバッチリ隠しておけるぜ)
最悪、一時的に靴下の中にでも隠そうと思っていた、内緒で持ち込んだ折りたたみナイフをそのまま携行できそうな事態に喜びを隠しきれなかったこまちは、教室に入ってきたその女性にあっさり見つかった。
カッチリとしたスーツを着てはいても、年はせいぜいこまちの一つか二つ上くらいに見える、明らかにテロリストではない女性に。
「……あなた、大丈夫!?」
「え…あ、はい…大丈夫です」
「私は、教育実習生の赤路さより。今この学校はテロリストに占拠されているわ」
『うん、知ってる』などと言うわけにもいかず、こまちは小さく震えてみせながら演技をする。
「ど、どういうことですか先生…」
「テロリストがね、人質を取ってこの校舎に立てこもっているの」
「……先生は捕まらなかったんですか?」
こまちが陽太や都から聞いていた情報ではこの女性はテロリストに捕まっていたはずだ。しかし彼女は今さっき普通に一人で歩いてきた。
これはいったいどういうことか。こまちはまずそこをしっかり見極めることにした。
「私は…あはは…まあ、普通の学生だからね。人質の価値がないんだってさ」
さよりはそう言って笑いながら頭を掻いた後、大きな溜息と共に肩を落とした。
「…それで犯人にほったらかしにされて校内をうろついていたんですか?逃げたら良かったんじゃ…」
「ダメよ。私はこれでも先生の卵。生徒を見捨てて逃げたりできないわ」
(ああ…こういうタイプね)
今の一言で、こまちは彼女ががテロリストであるかどうかは関係なく、信じないと決めた。
(この手のタイプは自分にできることを過信していて、そんなはずじゃなかった、こんなはずじゃなかったって言って、最終的に逃げを打つに決まっている)
「そういうわけで、私はこれから人質の三人を助け出しに行くから、あなたは逃げなさい。テロリストは人質の価値がない人間には手出ししないみたいだから」
「ふうん…随分生ぬるいテロリストだな…」
「え?何?」
「い、いえ。なんでもありません」
こまちは慌てて取り繕うが、さよりのほうは不信感を抱いたのか、少し怪訝そうな顔でこまちを見つめる。
(まずいな…騒がれても邪魔されても面倒だし、殺さないまでもちょっと寝ててもらうか?)
こまちがそんな自問自答をしていると、さよりが優しい目でこまちを見つめながら抱きしめてきた。
「ちょ、なんですか先生!」
「わかってる、わかってるわ。あなたあれでしょう?思春期なんでしょう?」
(何一つわかってねえ!)
果たしてこれは僥倖なのかどうなのか。こまちが判断しかねていると、ハグを解いたさよりがガシッとこまちの両肩をつかむ。
「悩みがあるなら先生に相談して!」
そう言って目を輝かせているさよりを見て、こまちは自分の手札に最悪のカードが紛れ込んでしまったのだと気がついた。
……
「なるほど、面倒ごとを背負い込む体質というか、面倒ごとが舞い込んでくる体質は今と変わってないってわけですね」
彩夏の指摘にこまちは苦笑いをしながらうなずく。
「まあねえ。燈子の事は確かに面倒ごとだったよね。でもあれは私というか、寿ちゃんじゃない?」
「いや、それだけじゃなくて、この間朱莉さんに揺すられたDの件とか。他にも色々やっているじゃないですか」
「さすが実質的な東北のサブリーダー。隠しきれないかぁ…」
「まあ、そっち方面は主に私がニアさんとやりとりしているんで、お姉様は今現在、こまちさんが何を抱えているかは知らないですけどね」
「え?彩夏、お姉様って何か危ないことしているの?私何も聞いていないけれど」
「危ないことと言えば危ないことだけど、悪いことじゃないよ。まあ、東北版朱莉さんだと思って貰えればいいかな」
「その例えはさすがに嫌だなあ。せめてこう、ああ…でもなんかこう、手頃な例えがなくて、彩夏ちゃんの言うように東北版朱莉ちゃんっていうのが一番しっくりくるかも…」
「でしょう?」
しょんぼり、しぶしぶといった風ではあるが、自分が朱莉に似ていることを認めたこまちを見て、彩夏が得意満面に笑う。
「買い物行ってきたわよ…って、あら。こんなところで三人そろって話をしているなんて珍しい」
そう言いながらノックもせずにこまちの部屋に入ってきた寿は勝手に冷蔵庫を開けて自分の持ってきた買い物袋の中身をしまうと、冷凍庫から箱アイスを取り出して三人に一本ずつ投げてよこした。
「で、なんの話をしていたの?」
アイスを勝手に振る舞ったことに関して特に謝りもせずに寿がこまちの横に腰を下ろす。
「五十鈴こまちちゃんの大冒険」
「あー……その話か」
「知っているんですか、お姉様」
「まあね……じゃあ今日のお昼は豚キムチにするのね?」
「うん。お願い」
「はいはい。了解」
寿はそう言って席を立つと、エプロンを着けて冷蔵庫から肉とキムチ、それに味噌と野菜を取り出すと、包丁できざみ始めた。
「…なんで豚キムチなんですか?まあ、私は好きだから別に構わないですけど」
「この話のオチが豚キムチだからだよ」
(オチを先に言うなよ!)
セナと彩夏はそうツッコミを入れたかったが、話の腰を折るわけにも行かず黙って曖昧な笑みを浮かべていた。
あとで、『ここでしっかりツッコミを入れておくべきだった!せめて豚キムチは回避するべきだった!』と後悔することになるとも知らずに。
豚キムチは脂身たっぷりが至高。モモ切り落としとか言語道断だと思います。




