ハナコトバ 3
そろそろ稽古が終わる時間だからと、那弥さんに連れられて来た道場で、イズモちゃんと師範代の地稽古を見た俺は思わず息をのんだ。
魔法少女としてのイズモちゃんはめちゃくちゃ強いわけではないが、魔法なしで戦うのであれば俺たちの中では中の上くらいの実力がある子だ。つまり、そこそこ強い。
だというのに、そのイズモちゃんが地稽古で同年代と思わしき子に防戦一方。いや、防戦すらままなっていない状態だった。
師範代の薙刀はまるで魔法でも使っているかのようにイズモちゃんの薙刀をすり抜けて彼女の面、小手、すねを捉え、時には難しいと言われている胴までも打つ。
審判を立てずに二人きりで行っているので、旗があがることも一本をとられることもないが、師範代は素人の俺が見てもはっきりと一本だとわかる打突を無駄なく繰り出している。
対してイズモちゃんは無駄な動きが多く、師範代に動きを読まれている感じだ。
きれいな姿勢から無駄のない動きで的確に打突を繰り出す師範代に比べると、はっきり言って全体的に所作が汚い。
「これは……」
酷い。と言葉に出すのがはばかられて、那弥さんのほうを見ると、那弥さんは腕を組んでうんうんと深くうなずいていた。
「酷いでしょう。これでもよくなったほうで、最初は一年ちょっとでここまで基本がだめになるのかと驚いたのよ。前はイズモももう少しきれいだったのだけれど」
那弥さんはそう言ってため息をついた後「やめっ!」と今までのおっとりとした口調からは想像も付かないような音量の声で二人の地稽古をやめさせた。
「凪美、一周走って体捌き30分」
「はいっ」
那弥さんの指導に対してイズモちゃんは息も絶え絶えながらもそう返事を返して道場をを出て行った。
「ごめんなさいね。本当は切り上げさせても良いのだけど、大事な局面だから」
「いえ、今日は…というかしばらく予定ありませんから大丈夫です」
休暇の残り日数も潤沢というわけではないし、イズモちゃんを鍛え直すという観点から言えば手を抜くことができない段階なのだろうし、しっかり基礎をやり直してイズモちゃんに強くなってもらった方が俺たちとしてもありがたい。
「あら、じゃあ泊まって行きなさいな」
「え?いや……さすがにそこまでお世話になるわけには」
あまり長居するとイズモちゃんににらまれそうだし、何より柚那様が非常に怖い。
「でもこのあたりは街灯がないから、日が暮れると下に降りる道は真っ暗になってしまうけど大丈夫?」
「う……」
途中車幅ギリギリの場所があったので真っ暗となると不安は不安だ。万が一崖下に落ちても俺自身は多分死なないが、約一年乗ってきた愛車がおシャカになるような事態は避けたい。
「すみません、お世話になります」
まあ、柚那にはメールしておけば良いだろう。
……と、思ったのに。電波が届かないでござる。
マジか。山の中とはいえ、人口カバー率ほぼ100%のこの時代に全然電波が届かないなんて事あるのか。
夕食の後、まったく入ってくる気配のない電波を探すためにスマートフォンを持ち上げて出雲邸の中をうろうろしていると、お風呂上がりのイズモちゃんと出くわした。
「あれ、こんなところでどうしたの?」
「え?いや、柚那にイズモちゃんちに泊まるってメール送っておこうと思ったんだけど電波がなくてさ」
「ああ……芽依の部屋ならWi-Fiがあるからメールくらいなら送れると思う。頼んであげるからついてきて」
そう言ってイズモちゃんは先導するように俺の前を歩き出す。
風呂上がりの香りと、月明かりに照らされてちらちら見えるうなじがまぶしい。
「芽依さんって、もうずっとここに住んでるの?」
「そ。もともとお手伝いさんの娘だったんだけど、薙刀初めてそのまま居着いてうちにお手伝いさん兼師範代で就職しちゃったってわけ。今じゃあ孫の私よりもお祖母ちゃんと仲が良いくらいよ」
そう言ってイズモちゃんは肩をすくめる。
「まあ、私は死んだことになってたし仕方ないんだけど」
「そういえばご両親は?」
「とっくに鬼籍よ。だから、この二年くらいは芽依がお祖母ちゃんの面倒を全部見てくれていたわ」
「そっか。ごめん、変なこと聞いて」
「別に良いわよ。お祖母ちゃんも芽依もいたから親がいなくても別に寂しくなかったし…芽依、お願いがあるんだけど今ちょっといい?」
「んー、どうぞー」
イズモちゃんが障子の前で声をかけると部屋の中からとても先ほどの凜とした立ち姿の女性のものとは思えない、間延びした返事が返ってきた。
さきほどの食事中にわかったが、どうやら芽依さんは薙刀をやっているときと普段とでスイッチが切り替わる、俺たちで言えば狂華さんタイプの人らしい。
イズモちゃんが障子を開けると、キャミソールにショーツ姿という、ちょっとだらしない格好の芽依さんが座椅子に座ってノートPCをいじっていた。
「どしたの?」
「朱莉がメール送りたいって言うからWi-Fi貸してもらっていい?」
「ああ、はいはい。じゃあちょっとスマホ貸してねー」
俺がスマホを渡すと、芽依さんは手早く操作してWi-Fiを設定して返してくれた。
「おおっ、電波が来てる!電波届いた!」
「Wi-Fiだからアプリじゃないと通話はできないけどねー」
取り戻した文明に喜んでそんな話をしてのもつかの間。メールボックスを開いた俺は顔から血の気が引くのを感じた。
「……未読メール250通…」
「え?250?25とかの間違いじゃなくて?」
俺の言葉を聞いてびっくりしたイズモちゃんがスマホをのぞき込んでくる。
「うわあ…やっぱり全部柚那だ……」
「怖っ!大丈夫なのあの子」
とりあえず古い方からメールを開いてみると最初のメールは『謝るなら今のうちです』とかなんとか、仲直りしたいんだけど謝りたくないから俺から謝れという内容のメールがほとんどだった。それが時間が経つにつれ『無視するならもう仲直りしませんから!』となり、やがて『無視しないでくださいよー』と弱気になった後『ごめんなさいごめんなさいごめんなさい…』と画面一杯にごめんなさいと書かれたちょっぴり狂気を感じるメールへと変わっていった。
「………不安定かわいいな」
「は?」
「いや、なんでもない。ちょっと廊下で電話してくるね」
そう言って廊下に出ると、俺はメッセージアプリの通話機能で柚那に電話をかけた。
「あ、柚那?」
『あがりざぁぁん』
ワンコールもしないうちに電話に出た柚那は号泣というかもう泥泣とでも言うべきような涙声で電話に出た。
『ごべんなざぁぁい、別れたくありばぜぇぇぇぇん』
こんな風に泣いてる柚那もかわいいな。ちょっと今の柚那の顔は想像もしたくないけど……って、いや。かわいいったらかわいいんだってば!どんな柚那でも愛してるぞ、俺は。
電波が届かない不可抗力があったためとはいえ、いつもは喧嘩をしても柚那が謝るように促せばすぐに俺の方から謝って仲直りしていたのに、その俺が謝るどころかまったく返事をせず、さらに電話もつながらないとなれば、こうなってしまうのもしょうがないというものだろう。だから別に全然怖くないよ。
……ホントダヨ
「心配しなくても俺は柚那と別れたりしないよ。今はホテルにいるのか?」
『はい…』
「そっか。ちょっと今日は帰れないけど、明日なるべく早く帰るようにするから、そしたらちゃんと仲直りしような」
『はい…』
「それで…いろいろあって、今日イズモちゃんの実家に泊まるから」
『はい、わかりました…』
イズモちゃんの実家に泊まるなんて言ったら何かか言われるだろうと思って身構えていただけに柚那の反応が予想外だった。
「…いいの?」
『はい。朱莉さんと別れずに済むなら、もう二号さんくらいまでなら受け入れようと思って』
「そういうんじゃないからね!?」
というか、二号さんとかイズモちゃんに失礼でしょうが。
「ひなたさんに頼まれてた件だよ。別に俺はイズモちゃんとも芽依さんとも那弥さんとも何にもならないって」
『……芽依さんと那弥さんって誰ですか?』
「あ……」
余計なことを言ってしまった気がする。
『イズモちゃんだけなら嫌だけど我慢しようかなって…チアキさんが『女にはそういう度量も必要よ』なんていうから我慢しようと思っていたのに』
チアキさんはチアキさんで一体何を言ってるんだ!?
『三人ってどういうことですか三人って!今夜はお楽しみなんですか!?』
「いや、だから別に二人とは何でもないんだよ。ただイズモちゃんの家の人っていうだけで…」
『二人とはって言った!イズモちゃんとはやっぱりなんかするつもりなんだ!』
「しねえよ!だいたいあの子になんかしたら楓さんに膾切りにされるわ!それに那弥さんはイズモちゃんのお祖母さんだぞ!?」
『恋愛の対象がゆりかごから墓場まででおなじみの朱莉さんならお祖母さんでも全然余裕で守備範囲な気がします!」
「……」
まあ、那弥さんなら余裕だけど。もちろん芽衣さんもバッチコイだ。
『黙らないでくださいよ!電話越しだと心読めないんですから不安になるじゃないですか!』
「冗談だよー」
『冗談に聞こえません!』
「ジョーダンだYO」
『冗談みたいな言い方で冗談って言われても納得できません!』
「悪い悪い。柚那の反応が可愛くて、つい」
『そんなこと言ってもごまかされませんから』
「ごめんって。明日帰ったら柚那が一番だってちゃんとわからせるように頑張るから許してくれよ」
『むー…』
「愛してるよ」
『……今回だけですからね』
今回だけ今回だけとなんだかんだで毎回許してくれる柚那が大好きだぜ。
「ああ。それじゃあまた明日な」
おれはそう言って電話を切り、スマートフォンをポケットにしまってから芽依さんの部屋へ戻る。
「モテる男はつらいよ」
「柚那限定でしょうに」
「まあね」
いやいや、これでも結構モテるんだよ。なんて言っても白い目で見られるだけなので曖昧な返事を返す。
「さて、それはそうとイズモちゃん」
「なに?」
「楓さんとのことなんだけど、仲直りするつもりはない?」
「楓と仲直りするのはいいんだけど…というか、もう全然怒っていないけど、今のままだとちょっと戻れない」
イズモちゃんはそう言って俺から目をそらした。
今のままではというのは、おそらく先ほどの芽依さんとの稽古の惨状のことだろう。
実戦で計り知れないほどの経験値を得ているはずのイズモちゃんが師範代とはいえ、実戦経験ゼロの芽依さんに全く歯が立たない。この状況では帰りづらいだろうし、そもそも楓さんあたりにバレたらまた笑われること必至だ。
「楓さん、来月異動になるって聞いてる?」
「…内定しているっていう話は聞いてる」
「そう、じゃあ繰り上がりでイズモちゃんが関西リーダーになるっていう話は?」
「………」
イズモちゃんは黙ってこくりとうなづいた。
まあ、あの思ったことがそのまま口から出ちゃう楓さんが黙っていられるわけないよな。
「楓さんが何か言ってた?」
イズモちゃんは首を横に振る。
「喜乃ちゃんと鈴奈ちゃん?」
「鈴奈がね…」
やっぱり鈴奈ちゃんか。多分これまでも楓さんに力尽くで無理矢理引き混まれて、彼女としては不本意な思いがくすぶっていたんだろう。そんな納得のいっていない状況で、さらに楓さんよりも…いや、十中八九自分よりも数段劣るイズモちゃんの下につけとなったらそりゃあ納得しないだろう。
「喜乃ちゃんならいいとかそんな感じ?」
「鈴奈は私がやるくらいなら自分がやるって。さらにそこに松葉まで絡んできちゃって」
「松葉がやるって?」
「うん」
あの脳筋娘め。話をややこしくしおってからに……
強い誰かが引っ張っていくという楓さん方式を継続するならそれでもいいんだけど、問題はイズモちゃんはもちろん松葉も楓さんほど強くないというところだ。そしてそれは鈴奈ちゃんにも言えることで、それが喜乃ちゃんだったとしてもかわらない。楓さんがいない穴を考慮せずに今までと同じやり方でやろうとしてもどこかで行き詰まることになるのは目に見えている。
だからこそひなたさんや都さんはイズモちゃんを指名したのだろう。力押しだった関西のやり方を変えて組織的に動けるようにする。そのためには弱いなりの戦い方を知っているイズモちゃんがベスト。そんなところではないだろうか。
「あのさー、その鈴菜ちゃんって槍の子だよね?」
今まで黙って聞いていた芽依さんがおもむろに口をひらく。
「要するに槍の子に凪美が勝てば良いんでしょ?」
「勝てますかね?」
「勝てるよ」
勝てるらしい。
「いや、そうは言うけどそんな簡単な話じゃ…」
「私ね、これでもクローニクは欠かさず見てるんだ。OSAKAは戦闘シーンが近接メインで面白いし、勉強になるから」
確かにTOKYOは俺がビームでボーンとか愛純がパンチでドカーンとか朝陽が電気でビリビリとか柚那が力任せに敵をビリビリとかばかりだし、SENDAIは彩夏ちゃんが雑魚を一掃してその日の気分でこまちちゃんだったりセナだったり燈子ちゃんだったりがドーンで終わることが多いので勉強にはならないと思う。
「だから誰がどういう癖を持っているかは一応わかるよ」
「わかるんですか?」
「それなりには。クローニク観ていて前々からイズモは凪美に、楓は雅史に似ているなあと思ってたし、隠しきれない癖っていうのはあると思う」
俺にはさっぱりだが、やっぱりわかる人にはわかるらしい。
「魔法なしって前提なんだけど、あの子、突きは良いけど振りが全くダメでしょ?華奢だから思い切り槍に振り回されてるし。だから突きをかわしてドーンと叩いてあげればいいんじゃないかな」
そう言って芽依さんは両手を向き合わせてまっすぐに突っ込ませた左手の側面を右手でたたいて見せる。
「だからそれができれば苦労してないんだってば!あいつ楓並にぶっ飛んでるんだしそんなことできないって」
「うーん…そうは言うけどね、そもそも凪美は守りに専念すれば雅史でも一本取るの難しいでしょ」
「え?そうなの?でもさっき芽依さんにめちゃめちゃやられてましたよね?」
まさか芽依さんが楓さんより強いなんて事はないと思うけど。
「だって攻めてくるんだもん。普段やりなれないことをしている相手ならそりゃあいくらでも一方的にできるよ。凪美の真骨頂は後の先だよ。しっかりと相手を見て迎えて打つ」
そう言って芽依さんは再び手でそれをやってみせる。
「というか、あの子はそもそも魔法をつかった『菊池千本槍』以外みるとこない」
芽依さんは鈴奈ちゃんのことを一言で切って捨てると、イズモちゃんの手を取った。
「あと三日くらいいられるんだよね?だったらその間に槍の子にだけは勝てるようになろう」
うんうん、兄弟弟子の麗しい絆だなあ…
「私だけじゃなくて朱莉ちゃんもいることだし、相手にはことかかないよ」
え……?




