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魔法少女はじめました   作者: ながしー
第一章 朱莉編

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勿忘草

 きっかけは些細なことだった。

「そういえば柚那さんって、朱莉さんの前につきあってた人はいらっしゃらないんですか?」

 朱莉を除いた関東メンバー三人での定例の女子会の最中、朝陽が柚那にそう訪ねた。

「いるわけないじゃん。TKOって恋愛禁止だったんだし」

 柚那の代わりにそう答えて笑う愛純の言葉を聞いて、朝陽は首をかしげる。

「あれ?愛純は恋人がいたのでは?」

「え?いたよ」

「……」

「……」

 全く悪びれることなく言い放つ愛純の言葉を聞いて柚那も朝陽もため息をついて眉間を押さえた。

「私は…まあ、恋人はいなかったけど、好きな人はいたかな」

「え!?」

「ええっ!?」

 柚那の言葉を聞いて朝陽も愛純も身を乗り出して柚那の顔を見た。

「いや、そりゃあ好きな人くらいいるでしょ」

「……あ、そういえばPのこと好きだったって言ってましたね」

「え?……ああ、そういえばそんなこともあったっけ。でもあれは今考えると家族愛な気がするんだよね」

「プロデューサーとは違う人なんですのね?一体どんな方ですの?」

「うーん…普通の人だよ。ちょっと世間からズレてて、童話が好きなだけの本当に普通の人」

(そういえばあの人、結局私がアイドルだって最後まで気がつかなかったっけ)

「おや。これはなんだか面白そうな恋バナが聞けそうな気配ですぞ、朝陽さん」

「そうですわね、愛純さん」

 そう言って顔を見合わせてうなずき合ってから、愛純と朝陽が再び身を乗り出して柚那に迫る。

「ささ」

「続きをどうぞ」

「別に話すようなことはないってば。ある喫茶店で出会ってちょっと話をしてただけで、別に何があったっていうわけじゃないもの」

「怪しいなあ」

「怪しいですわ」

「いや、本当に何もないんだってば」




(実際、別に何もないんだよなあ…)

 寮での留守番を朝陽と交代した次の日から柚那はわざわざホテルを取って昔行きつけだった喫茶店へと通っていた。

(何もないのに、我ながら一体何をやっているのやら)

 もしかしたら彼に気づいてもらえるかもしれない。

 わざわざアンデルセンの童話集をもって来た柚那に中にそんな打算がなかったわけではない。

 ゆあと柚那は似ても似つかないし、普通の人が気づくなんていうことはまずないということは柚那自身が一番わかっていることだ。朱莉の正体を見抜いたあかりと紫の母子が特別中の特別なだけで、柚那の両親は柚那がゆあであることには全く気づかなかった。

 にもかかわらず、柚那は毎日喫茶店の開店から閉店までずっと一番奥の席で本を読みながら彼が視界に入ってくるとその姿を目で追いかけた。

(今日もなにもなし。か)

 閉店まであと30分ほどとなり、ウェイトレスがやってきてラストオーダーを告げるが柚那は首を横に振って注文をしない旨を伝えるとカップに残っていた冷め切ったコーヒーを口に運んで、童話集に収められている最後の物語である人魚姫を読み進める。

(せっかくの休暇。無駄にしちゃったかな…)

 柚那がホテルを取ってあるのは今日までなので明日は帰る予定でいるが、こうも何もないと逆になにかあるまで意地でもいてやろうかと思ってしまう。

 柚那が明日はどうしようかと考えつつ、童話集を読み進めていると、ふと本のページに影が落ちた。

 気になった柚那が顔を上げると、テーブルの横に立派なひげをたくわえた、この喫茶店のマスターがポットとトレーを持ってニコニコ笑いながら立っていた。

「あ…」

 柚那が慌てて腕時計に目をやると針は店の閉店時間である8時を過ぎた8時15分を指していた。

「ごめんなさいっ!」

 柚那は慌てて本を閉じて立ち上がろうとすると、マスターは「まあまあ」と言いながら立ち上がろうとした柚那を手で制して座るように促した。

「よかったら一杯奢らせてよ」

 マスターはそう言うと、柚那の返事を待たずに柚那の前に置いた新しいカップにポットのコーヒーを注ぐ。

 先ほどまでちびちび飲んでいた冷めたコーヒーとはひと味もふた味も違う香ばしい香りが柚那の鼻をくすぐる。

「それと君、お昼から何も食べてないだろう?残り物で悪いけど、よかったら食べてよ」

 そう言って置かれたエビとアボカドのサンドイッチは柚那の大好物だ。

「あ、いえ。お金はちゃんと払いま…」

 払いますと言いかけたところで柚那のおなかがいい音を立てて鳴った。

「…す」

「あはは、お金は気にしなくていいから遠慮なく食べてよ。さっきも言った通り残り物だからさ」

 マスターはそう言って柚那の前の席に腰を下ろすと、自分の分のコーヒーを注ぎ、照り焼きチキンサンドをほおばり始めた。

 おいしそうに食べるマスターとサンドイッチをかわりばんこに見た後、もう一度小さくおなかを鳴らしてから柚那もサンドイッチにかぶりついた。

 

「君は何か悩み事でもあるのかい?」

 先に食べ終わっていたマスターが柚那が食べ終わったのを見計らって口を開いた。

「え?…そんなことありませんけど」

「そう?なんだか最近毎日来ているみたいだし、何か悩みがあるんじゃないのかと思ったんだけど、思い違いならいいんだ」

「マスター、少し……」

 少し痩せましたね。と言いかけて柚那は言葉を飲み込んだ。それは、ゆあの感想であって、柚那の感想ではない。

「少し?」

「いえ…マスターのほうこそ何か悩みがあるんじゃないですか?私みたいな常連でもない人間にコーヒーとサンドイッチを奢るなんて、誰かに話したいことがあるんじゃないですか?」

「はっはっは、これは一本取られたね」

 そう言って笑うとマスターはコーヒーに口をつける。

「昔、君と同じように朝から晩までその席で本を読んでいた常連さんがいたんで、なんだか懐かしくなっちゃってね。それで、ちょっと話しかけちゃったんだよ」

「その人は…どうしたんですか?」

「ある日突然来なくなってしまったよ」

 少しだけさみしそうにそう言ってマスターはカップを置く。

「さて、じゃあ片付けをするかな」

 マスターはそう言って飲み終わった柚那のカップと自分のカップ。それに皿とポットをトレーに乗せてカウンターの中へと戻っていった。

 柚那は、サンドイッチの最後の一口を飲み込むとソファに体を預けて天井を仰いだ。

「ねえ、マスター」

「なんだい」

「私実は元アイドルの下池ゆあがここの常連だったって聞いてきたんです」

「……そう」

 マスターは洗い物をする手を止めることなく顔を上げて柚那をちらりと見るとまた視線を落とした。

「マスターは、ゆあを覚えていますか?」

「覚えているよ……気を悪くしないでほしいんだけれど、彼女が座っていたのは君が今座っている席なんだ」

「そう、ですか」

「彼女の話や悩みはぼやっとしていて、要領を得ないことが多かったんだけど、あれはきっと芸能界のことをぼやかして言っていたんだろうな」

 洗い物を終えたマスターは今度はグラスの磨き上げを始める。

「マスターはゆあと仲が良かったんですか?」

「どうだろうね。こっちは仲がいいつもりでいたけど、相手は天下のアイドル様だからね」

「やっぱり知っていて近づいたんですか?」

「いいや。トップアイドルだった彼女には申し訳ないんだけど、最後まで知らなかったんだよ。朝のニュースで彼女の写真がでて、それでね」

 いつの朝のニュースかなどということは聞くまでもないことだろう。

「今でも、あのときもっと親身に話を聞いてあげていればと思うことがあるよ」

「そんなこと!……そんなことありませんよ。あの人は、ゆあちぃじゃなくて、下池ゆあの話を聞いてくれるマスターのことが大好きだったと思います。どんなに忙しくても、どんなにつらくても…マスターのコーヒーと笑顔に救われていたはずです」

「もしそうだったとしたら、少しだけ救われるかな」

「絶対そうです!保証します!だって……」

 私が下池ゆあなんですから。

 柚那は言いたくてたまらない言葉を必死で押さえ込む。

「どうしたんだい、どこか具合が悪いのかい?」

「え……?」

「すごくつらそうだけど大丈夫?」

「大丈夫…です。あのっ、マスター」

 柚那は泣き出しそうになるのをこらえて首を振ると、息を吸い込んで少し大きな声を出した。

「うん?」

「実は私、これを返しに来たんです」

 柚那が鞄から取り出したのは、今まで柚那が読んでいたものとは装丁が違うアンデルセンの童話集だった。

「それは……」

「実は私、ゆあの友達で。これをゆあから託されていつか返しに来こようと思っていたんです」

 それは常連だったゆあがマスターから借り受けていた物だ。

「すみません、いつ言い出そうかと思って見ていたんですけど、ずっと忙しそうで…遅くなってごめんなさい」

 カウンターの中から出てきたマスターは柚那から本を受け取ると、しげしげと眺める。

「……彼女は、どんな気持ちだったんだろうね」

 ぽつりと、マスターがつぶやく。

「そんなことを考えてみても、後悔してみても仕方がないのはわかっているけれど、それでもやはり考えてしまうんだよね」

「…このお店の話をしたり、お店であったことを思い出したりしていた時のゆあは幸せそうでしたよ。だからきっとあの子はここにいる間は嫌なことを忘れることができたんじゃないでしょうか」

 そう言ってにっこりと笑うと、柚那は荷物を持って席を立った。

「ごちそうさまでした」

 そう言って柚那は伝票と一緒に代金を差し出す

「わざわざこうして返しに来てくれたお礼と言うことでお金は…」

「だめです。そんなことされたら、次に来づらくなっちゃうじゃないですか…今週みたいに毎日はこれないですけど、また来ますから、いろいろお話しましょう。ゆあのこととか、本のこととか」

 柚那はそう言って押しつけるようにお金と伝票をマスターに渡すと、振り返らずに店を出た。

 

 


 喫茶店をでてホテルへと向かう途中。柚那が横断歩道で信号待ちをしていると不意に後ろからポンと肩をたたかれた。

「よう」

「あれ、朱莉さん?どうしたんですか、こんなところで。偶然ですねー」

 柚那はわざと「偶然ですね」を思い切り棒読みで言う。

「偶然なんかじゃねえよ」

 朱莉の言うとおり偶然ではない。柚那は綿密に今日この日、このときに朱莉がたどり着くようにヒントを残して出てきた。

「えへへ、心配しました?」

「した」

「不安でした?」

「不安だった」

 そう言って朱莉は柚那の頭を自分の肩に寄せるようにしながらぐしゃぐしゃと頭なでた。

「大丈夫ですよ、イズモちゃんみたいにいきなり振ったりしませんから」

「なんか、いきなりじゃないならあり得るって聞こえるんだけど…」

「何度言ってもだめだったらそういうこともあるかもしれないですから、そこは気をつけてください」

 なんとなく満ち足りた表情をしながら柚那がふふんと鼻を鳴らした。

「はいはい。…気が済んだんなら帰るぞ」

 そう言って朱莉は柚那の肩を抱こうとするが、柚那はするりと逃げて少し距離を取る。

「実は今日までホテル取ってあるんですよ」

「いや、別にキャンセルすればいいんじゃないか?」

「今日って確か朝陽と愛純が帰ってきているんですよね?」

「わざわざ愛純と朝陽のヒントを組み合わせなきゃいけないようにしておいた奴がわざわざ確認することか?」

「一週間以上ぶりだし、誰にも邪魔されずに朱莉さんといちゃいちゃしたいなー」

「……」

「じつは今日だけビジネスホテルじゃないんですよ」

「………」

「夜景見ながらいちゃいちゃしたいなー」

「ちょ、ちょっと待て」

 そう言いながら朱莉は慌てて財布の中をチェックしようとするが、柚那はさっさと歩き出してしまう。

「いいですよ別にそのくらい払いますから」

「いいの?」

「ただし、次は朱莉さんのおごりで」

「はいはい……で、柚那は一週間も誰と会ってたんだ?」

「会っていたというか…昔行きつけだった喫茶店に行っていただけです。あ、そうだ今度朱莉さんも連れて行きますね。そこのマスターが作るエビとアボカドのサンドイッチは最高なんです。あ、でも朱莉さんは照り焼きチキンサンドのほうが好きかもしれないですね」

「その二つなら、どっちかと言えば照り焼きかなあ」

「じゃあ決まりですね。全部終わったら、ゴールデンウィークにでも一緒に行きましょう」

 そう言ってニッと歯を見せて笑うと、柚那はご機嫌な様子で歩き出した。

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