第九章 9)本当の友人
私はこの塔に来て以来、ずっと考えていたことがあった。
一体いつから魔法使い、プラーヌスと友人になったのかってことだ。
私たちは別に同郷でもなければ、同窓でもない。
まして肖像画家である私と、魔法使いのプラーヌスに何の接点もない。そもそも出会うはずのない間柄、それなのに。
私はいくら思い起こしても、どうやって彼と友人になったのか思い出せないのだ。
いや、違う。
それは正確ではない。
彼と出会ったときのことを、私は確かに覚えている。
ある森で盗賊団に襲われかけたことがあるのだった。そのとき、プラーヌスに命を助けられた。彼は命の恩人なのだ。
しかしその記憶は奇妙で、消えたり浮かんだりして、明らかに他の記憶と切り離されている気がする。
何か違う。
思い出そうとしなければ浮かび上がって来ない。まるで無理に押し付けられた偽物の記憶のよう・・・。
私ももしかしたら、プラーヌスに何か記憶を操られているのか?
しかしそんなことを思う度に、その考えがどれだけ馬鹿げているかって言いたくなる。
だって私は、ただ一介の肖像画家である。
そのような人間の記憶を操り、この塔のナンバー2にして、いったいプラーヌスに何の得があるというのか。
何もない。
あるはずもない。やはり我々は古くからの友人だったのではないか?
しかしバルザ殿の場合、話しは別だろう。
彼はは伝説の騎士、世界中にその勇名が轟く英雄でおられる。
そんなバルザ殿であるのだから、記憶を操ってでも自分の塔に招きたくなる。プラーヌスのそんな考えはとてもよく理解出来る。
本当にプラーヌスはバルザ殿の記憶を操り、この塔に縛り付けようとしているのかもしれない。
バルザ殿がその確かな証拠を掴んだのも、どうやら事実だろう。
だから一度はこの塔を出ようとなされた。
だが結果的にプラーヌスに阻まれたようだ。
昨日、二人の間で何があったのだろうか。あのとき、バルザ殿はこれまで見たこともないような表情をされていた。
そして謁見の間には、あの女優もいた。プラーヌスがわざわざ街から連れてきた女。
やはりそこには何かある。プラーヌスは何か許されざる所業に手を染めている。
それはおそらく、自分の欲望を満たすためだけの邪悪な行い。
彼はバルザ殿の意志などお構いなしに、強引に塔に縛り付けておくつもりなのだ。
そんなことをしているプラーヌスと、このまま一緒に居て良いのだろうか?
私は思った。
私も知らないうちに、自分もとんでもない悪に手を染めてしまっているのかもしれないのだ。
いや、それどころか、自分の記憶だって彼に操られているのかもしれない。
バルザ殿は私にそんな警告を下さっている。
私は更にその手紙を読み進めようと、そこに視線を落とす。
「誰からの手紙だい?」
そのとき、背後からそんな声がした。
心臓が止まりそうになった。感情が渦のようにクルクルと回転を始める。
私はすぐに振り向こうとしたが、身体が動かなかった。
それに別に、顔を見て確かめるまでもない。
声だけで誰だかわかる。
プラーヌスの息が、私の襟足の毛に掛かる。
彼は手紙を覗き込める位置にいるようだ。
「誰からの手紙かって聞いているんだよ、シャグラン」
声が少しだけ、後ろに遠ざかった。私を圧迫していた気配も、少しだけ後ろに遠ざかる。
それでも私の動悸は静まらなかった。
しかし、いつまでも背中を向けたままでいるわけにいかない。
「プ、プラーヌス。お、驚かせるなよ」
私はそう言って、ゆっくりと振り向いた。
「驚かせたのなら謝るよ、でも君の姿が見えたのでね」
透き通るように白い肌、あの喉の印象的な傷も見える。
さっきまでバルザ殿の手紙を照らしていた蝋燭の明かりが、今はプラーヌスの姿を照らしている。
「で、誰からの手紙なんだい?」
彼が再び同じ言葉で、そう尋ねてきた。
「この手紙? これはそう・・・」
嘘をついても仕方ないであろう。
きっと彼はもう全てを見透かしているはず。ここに彼が居ることが、その証し。
「バルザ殿からの手紙さ」
私は正直に言った。
「ああ、バルザ殿か。君のお母さんか、もしくはお姉さんからの手紙だと思ったよ」
「母と姉にも手紙を出したけど、まだ返事はなくてね」
「バルザ殿とこうやって文通をしているなんて、羨ましい話しだね」
「そ、そうかな?」
「ああ、出来れば僕もその光栄に俗したいね」
そう言って、プラーヌスがこっちに向かって手を差し出してきた。
私は首を振る。
「これは僕宛ての手紙なんだ。いくら君の頼みでも、応じることは出来ない」
「それはそうだ。君のほうが正しいよ」
プラーヌスはそう言って、ゆっくり手を下ろしていった。
「しかし、さっき覗き込んでしまったんだ。さすがバルザ殿だよ、とても格調の高い字をお書きになる。特に『m』の綴りなんて最高だよ」
「『m』の綴り?」
「『m』の綴りなんてどうでもいいんだけれど。シャグラン、この手紙を読んで、僕に聞きたいことがあるんだろ? 何でも話してあげよう。例えば、記憶を操る魔法には二種類あるという話しとか。一つは記憶を消し去る魔法。もう一つは偽の記憶を植えつける魔法」
私は何も言葉を発さず、彼を見つめ続けた。
「記憶を消し去る魔法は、けっこう危険な魔法でね。使う側にもリスクが伴う。この魔法を使うと、その効果と引き換えに、自分の記憶の一部も失ってしまうことがある。だから安易には使えない。しかしそれだけ有効な魔法だということさ。魔法はこうやって、現実とのバランスを取っているところがある。強力な魔法にはそれなりの代償が伴う」
プラーヌスはそう言うと、大きく息を吐いた。
彼も、もしかしたら多少は緊張していたのかもしれない。プラーヌスが一息つくと、辺りの空気が一気に緩んだ。
痛いほど空気が張り詰めていたのは、ただ私のせいだけではなかったのかもしれない。
「一方、偽の記憶を植え付ける魔法には、そのようなリスクはない。何の代償もなしに、他人に偽の記憶を植え付けることが可能だ。しかし効力はそれほど高くない。その魔法をかけてから、幾らか時間が過ぎると、偽の記憶はあっさりと剥がれ落ちてしまうことがある。特に矛盾した出来事に遭遇しなくてもね」
その通りだよ。プラーヌスは言った。
「バルザ殿に対して僕はその魔法を使った。その効果が薄れてきたので、女優を使って、更にその偽の記憶を強化させた。僕は彼を洗脳していると言ってもいいかもしれない。まあ、それもこれも、バルザ殿の騎士としての実力を認めているからだよ。この塔に、彼の力が必要だからだ。それほど悪いことをしているとは思っていない」
で、これで君に質問に全て答えたことになるのかな?
私は静かに首を振った。
それを受けて、プラーヌスは再び口を開いた。
「バルザ殿は、君もその魔法の餌食になっているのかもしれないと書いてきたわけか。なるほど、お節介な御仁だね。自分の問題だけで終わっていればいいものを。で、君はどう思う?」
「え? ぼ、僕は・・・」
プラーヌスに記憶を操られているかもしれない。
彼の話しを聞いて、改めてそれを確信した気がする。
私とプラーヌスは本来、何の関係もなかったのではないか。彼に操られて、私はここで働かされている。
「記憶がとても曖昧なんだ。君との記憶だけ、おかしな感じに浮遊している。だけど」
やっぱり腑に落ちないことがある。
「もしバルザ殿の言っていることが本当だとしても、僕のような人間に偽の記憶を植え付けてまでここに連れてくることに、いったい何の意味があるのか、君の動機がわからない。バルザ殿はとても優秀な人物だ。何が何でも、この塔に招きたくなる理由はわかる。でも僕には何の価値もない、平凡な人間さ。君は別に僕など必要としていないはず」
「確かに君はバルザ殿のように有名ではない。特別な技能だってないかもしれない。しかしこの僕にとっては、バルザ殿よりも数倍必要な人間だよ。なぜなら君は、僕の友人なのだからね」
友人?
このような歯の浮くようなセリフ、あまりに白々過ぎる。それにプラーヌスらしくない言葉だ。
しかも。
「それが嘘なんだろ? 僕たちの間に友情なんてない。君はただ僕を魔法で操っているだけ。全てが偽りなんだ」
「そんなことはないさ」
プラーヌスにしては珍しいことに、私の言葉を聞いてムッとするような表情を浮かべた。
「僕たちは本当に友人だった。君はあの日々のことを忘れてしまったかもしれないけど・・・、しかし僕たちは本当に友人だった」
「ぼ、僕が忘れただって?」
「ああ、その記憶を僕が奪ったからだけど」
プラーヌスはそう言って、少しだけ申し訳なさそうな表情を見せた。




