第九章 7)シャグランの懊悩
以前にも蛮族との通訳を務めた飼葉係りを連れ、私は北の塔にある地下の牢獄に向かった。
前にバルザ殿が尋問した、蛮族の捕虜が捕えられているあの牢獄である。
私はその女神像を、格子越しに捕虜に見せた。
捕虜の蛮族はそれを見て、とても驚いたような顔をした。
「これだね?」
尋ねるまでもない。
蛮族の捕虜は感動で打ち震えている。
私は彼の顔を間近で見て、何とも言えない罪悪感のようなものを感じた。
この捕虜の男の年齢、おそらく私とそれほど変わらないだろう。
しかし彼の目はまるで子供のようであった。
鹿のように丸い黒目勝ちな瞳をしている。
彼だけが特別というわけではないはずだ。きっと大変に素朴な部族なのであろう。
こんな部族たちを、これまで私たちは大量に殺してきたというのか。そう考えると、居たたまれない気持ちになる。
「この塔で暮らしていて、どこからともなく泣き声が聞こえたことも度々あった。全てはこの女神の仕業なのかな?」
私は重い気持ちを引きずったまま質問を続けた。
通訳が訳し始めた言葉を、蛮族の捕虜は幾度も頷きながら聞いていた。
「その通りだそうです」
通訳が伝える。
「彼女は何を嘆いていたんだ?」
私は捕虜に尋ねた。
「この世の悲惨の全て」
通訳がすぐに返す。
「この女神を君に返したら、君たちはもう塔の襲撃をやめるのか?」
「間違いなく、これで戦いは終わる、彼はそう言っています」
「そ、そうか」
もはや、何も迷うことはない。彼に女神像を手渡し、牢獄から開放すればいい。
それで全ては終わるのだ。
戦いは終結して、バルザ殿の仕事もなくなるのだから、彼もまたこの塔から解放されるに違いない。
しかし私は迷っていた。すぐに決断することが出来なかった。
私は自分の部屋に戻り、疲れ果てた表情でぐったりとベッドに腰を下ろした。
そして懐から女神の像を出し、それを眺めるでもなくただ手に持って、物思いに耽った。
これを返しさえすれば、蛮族はもう二度と襲来してくることはない。
無益な戦いにも終止符を打てるのだ。
そもそも迷うような問題ではない。なぜ牢獄ですぐに決断しなかったのか不思議なぐらいだ。
しかし私は迷い続けている。
これを返せば私はとても大切な物を失ってしまうことになるからだ。
もしフローリアが女神の化身なのだとしたら、彼女も塔から消え去ってしまうに違いない。
私はその寂しさに耐えられそうにない・・・。
しかしこれまで私は、たくさんのことを諦めてきたではないか。
むしろ今まで、叶わなかった事のほうが多い。
どのような望みも全てうやむやに諦めてきたのだ。今回だって、そうすればいいではないか。
まして相手は人間じゃない! よくわからないけど女神だそうだ。
そのような相手に何を期待するというんだ。
それなのに私はフローリアと離れたくない。
何だか蛮族たちが命を賭して戦う気持ちがわかる気がした。
私もきっと、そんな彼らと同じ気持ちなのだ。フローリアに愛されることはなくても、彼女と離れたくない。たとえ自分の命を犠牲にしてでも。
そうだ、これからは私もせめて武器を持って、蛮族と戦おう!
自らの手も血で汚すのだ。それがせめてもの償いというものであろう。
その程度ではこの我儘に見合わないかもしれないけれど、それぐらいしないと気が済まない。
私は一向に頭の中を整理出来た気はしなかったけれど、ベッドから立ち上がり部屋を出た。
フローリアに会いに行こうと思ったのだ。
何をどうやって話せばいいのかわからない。
しかしどうにかして彼女から真実を聞き出したい。
もしかしたら彼女は、私のこの説を一笑にふすかもしれない。私が女神? 何を寝ぼけたことを仰っているの?
そのようなセリフが聞けたら、心置きなく女神像を蛮族たちに返すことも出来る。
しかしもし彼女がそれを認めたら・・・。
いや、もはやそんなことはどうだっていい。
ただフローリアに会って、顔が見たいだけ。
それだけで十分だ。




