第七章 9)バルザの章9
バルザは攻め寄せてくる蛮族の中で、最も身分の高そうな一人を捕まえ、捕虜として塔に連れて帰った。
尋問は邪悪な魔法使いと、彼の腹心であり塔のナンバー2、シャグランも立ち会う中、暗くて狭い牢獄の中で行われた。
通訳は、蛮族の言葉を幾らか理解出来るという、塔の馬小屋で働いている飼葉係りが勤めた。
そしてバルザが蛮族への尋問を進める。
バルザは捕虜の蛮族に尋ねた。この塔の襲撃する目的は何なのか?
「古よりの宿命、と言っております」
飼葉係りが蛮族の言葉を通訳してバルザに言った。
牢獄の前には、口髭をはやした牢番が槍を構えて立っている。蛮族自身は縄で後ろ手を強く縛られている。
バルザは鋭い視線で蛮族をにらみつけた。
しかし蛮族の男はそれに怯えることなく、むしろ堂々とした視線で見つめ返している。
「古よりの宿命? なぜ君たちはそのような宿命を課せられないといけないのだ。それには必ず理由があるだろう」
バルザは続けて尋ねた。
「宿命を果たすことが我々の生きている意味、宿命に理由などあるわけがない、と申しております」
通訳の飼葉係りが言った。
「そうか」
それは騎士にとっても同じかもしれない。
宿命とは何か、生きる意味とは何か、騎士の典範を守ることとは何か、そのようなことについて思い悩んでも意味がない。
そういう悩みを超越することこそ騎士なのだ。
「では質問を変えよう。そなたたちは誰にその宿命を課せられたのだ?」
騎士にとってそれはルヌーヴォの神である。
「そんなことは言うまでもない、我が愛しき女神」
「女神? 女神がこの塔を攻めろと命令しているのか? だったらそれは戦いの女神なのか?」
騎士が信奉しているルヌーヴォの神は、戦を奨励などしない。騎士は守るために存在しているのだ。
とはいえ、そのような当たり前のことを忘れてしまっている騎士は多い。
バルザですら血生臭い戦場の中で、ただ敵を殺すことだけに専心してしまい、その元々の理念を忘れてしまうことがある。
しかしルヌーヴォの神は、戦いを扇動することは決してありえないこと。
「いや、我々の女神も戦いを強いたりしない。そんなことはありえないことだ。女神様は、戦いを何よりも憎んでおられる。我々の女神は嘆きの女神。この世界の悲惨を、誰よりも嘆き悲しんでおられる」
「うむ」
あまり有益な答えが得られていない。ただ観念的な会話をぐるぐる交わしているだけだ。
これ以上このような質問をして、有益な答えが得られるのか不安に思いながらも、しかしバルザは更に問うた。
「戦いを奨励しない女神が、なぜそなたたちを戦場に駆り立てるのだ? それは矛盾してはいないか?」
「我々はお前たちに奪われた女神を取り戻すために戦っているのだ、それのどこが矛盾しているのかと言っております」
「我々が奪った女神だと?」
バルザは眉をピクリと動かした。
もしかしたら一歩前進したかもしれない。
「それはいったいどういう意味だ?」
バルザは逸る心を抑えながら質問した。
「この塔の者に奪われ、我々は女神を失ったのだ。毎晩毎晩、私を取り返しに来いと、女神からのお告げがある、と」
バルザの熱い口調に応えるように、通訳の飼葉係りがそう訳して伝えてきた。
「なるほど、それを取り返すまで攻め続ける気だということか?」
これだ。
蛮族がどれほど被害を出そうと、この塔を厭きずに何度も攻めてくる理由。
この塔に奪われた女神を取り戻すため、彼らは戦っているのだ。
確かにそれなら矛盾しないかもしれない。女神は大義のために戦いを奨励していることになる。
「よくわかった。だったらそれを返しさえすれば、この問題は解決するということだな?」
そのようなこと簡単なことではないか。もちろんこの邪悪な魔法使いがそれを返す気があるかどうか次第ではあるが。
「心当たりはございますでしょうか?」
バルザは邪悪な魔法使いの目を見ることなく、彼にそう尋ねた。
「女神など知らないね。何のことやら僕にはまるで見当がつかないが」
そう答えながら、邪悪な魔法使いがバルザを見てくる。
バルザは奴の視線を横顔に感じて、顔が引き攣るのを感じた。
邪悪な魔法使いはさっきからずっと不気味な薄ら笑いを浮かべていた。
騎士であるバルザが、拷問係りなどを勤めさせられている。このようなシチュエーションが楽しくて仕方ないと言った様子で、バルザと蛮族の遣り取りを見ていたのだ。
しかし女神を知らないという言葉に嘘はなさそうだった。
バルザは尋問を続けた。
「奪われた女神とはいったい何なのだ? それは我々が奪ったり出来る物なのか?」
「女神とは、この世で最も清らかで美しいもの」
「最も清らかで美しいか。そんなものがあれば僕も欲しいものだね」
邪悪な魔法使いはその言葉を馬鹿にするように大声を上げて笑った。
その笑い声はバルザの神経にとても障った。
もちろん彼はそんな感情を顔に出さないようにする。この程度のことにイチイチ反応するような人間ではない。
しかし彼以外に、その笑い声を不快に思ったものがいたようだ。
捕虜の蛮族である。
邪悪な魔法使いが何を言っているのかわからないであろうに、その笑い声だけで頭にきたようで、邪悪な魔法使いに今にも掴みかからんばかりであった。
「ご、ご主人様を泥棒呼ばわりしてますが」
通訳がおどおどしながら、邪悪な魔法使いにそう伝えた。
「なんと無礼な奴だ。僕がそれを奪ったわけではないのに」
邪悪な魔法使いは蛮族を挑発するように更に大袈裟に笑い出した。しかし不意にその笑いをおさめ、ふと考え込むような顔をした。
「しかしこの塔は先代の主の時代から、この蛮族の襲来に悩まされているらしい。その主が奴らの大事なものを奪ったという可能性はある。そいつは本当にとんでもない男だったようだからね」
「女神とはもしや、像か何かなのか?」
バルザは尋ねた。
「像であって像でない。その中に女神が宿り、我々を癒し慈しんで下さるもの、だそうです」
通訳はそう訳してきた。
「女神など信じない僕たちにとって、それはすなわちただの像に過ぎないということだな」
邪悪な魔法使いが口を挟んで言ってきた。「しかしもしかすればこの塔の倉庫にあるかもしれない、シャグランよ」
邪悪な魔法使いは彼の隣にいるこの塔のナンバー2のシャグランに声を掛けた。
「すまないが倉庫係にでも尋ねておいてくれ。女神の像があるかどうか」
「ああ、わかったけど・・・」
「それを返して解決するのなら安いものだ、なあ、バルザ殿」
確かにその通りだ。むしろこれまで、その程度の行き違いで、こんなにも血が流されていたということに驚きを覚えるほどである。
「なかなか有益な尋問だった。忙しい時間を犠牲にした甲斐があったものだ」
邪悪な魔法使いはバルザにそう言いながら、満足そうな様子で牢獄の中から出ていこうとしていた。
バルザは邪悪な魔法使いに何か返事を返そうと思い、彼のほうを振り向いた。
その瞬間、彼の心は激しく揺さぶられた。
狭い牢獄の扉を屈みこんで出ていこうとする邪悪な魔法使いの背中が、すぐ目の前にあったのだ。
それはあまりに無防備な背中だった。
隙だらけで、少しの戦いの心得もない、まるで女のような背中。
一方、戦場から戻ってきたばかりのバルザは帯剣している。
槍を持った牢番は牢獄の向こうにいた。
バルザの背後にいるのは、通訳を務めた飼葉係りとシャグランだけ。二人はまるで武装していない。
バルザが剣を抜きさえすれば、この憎くて堪らない邪悪な魔法使いを、一瞬で殺れる状況。
しかし指先まで漲らせた殺気を、バルザは心の奥底に収めた。
騎士であるバルザが、丸腰の者を背後から切り捨てるなどというような卑怯なことが、出来るはずがなかった。
邪悪な魔法使いは牢を出て、代わりに牢番が入ってきた。
邪悪な魔法使いとバルザの間に、牢番の持った槍がきらめく。
邪悪な魔法使いは安全な場所に逃げおおせた。
千載一遇の機会を逸したのかもしれない。だがやはり、不意打ちで人を殺すなど、どんな悪魔に対しても出来ない・・・。
バルザはそう自分に言い聞かせて、溢れてくる悔しさを慰めた。




