第七章 3)バルザの章3
しかしバルザはときおり、ハイネを失ってしまいそうになるときがあった。
こんなにも愛してやまない大切なハイネが、心から消えてしまいそうになるときがあるのだ。
例えば深い眠りから不意に醒めてしまったとき、あるいは戦いのあと、疲労の極致にいるとき、バルザはハイネと過ごした思い出を何一つ思い描くことが出来なかったり、彼女の顔がまるで思い出せなくなったりするのだ。
バルザはそれが不思議でならなかった。試しに自分の妻や両親、あの憎き邪悪な魔法使いのことを思い出してみるのだが、それに関しては全く記憶があやふやになることはない。
しかしなぜだか愛しいハイネとの思い出だけは淡く儚く、霧の彼方に幻として溶けていきそうになる。
彼はなぜこんなにも切なくて、喪失感を感じるのか、全く思い出せなくなるときがあるのだ。
もちろんそんなときでも、いずれハイネのことを思い出す。それは一瞬の錯誤に過ぎない。
だけどバルザはそんな自分が怖くなる。
いったい自分の記憶に何が起きているのかと不安に思う。あるいは自分の頭はおかしくなりつつあるのではないかと恐怖を感じる。
バルザはときに、こんな危惧を感じることもあった。
あの邪悪な魔法使いが自分の中からハイネの記憶を消そうとしているのではないのかと。
妻の命と、バルザの人生を奪っただけは物足りず、奴は更にこのバルザから思い出まで奪おうとしているのだ。
しかし少し考えてみれば、それではバルザを引き留めている人質の存在がいなくなってしまうわけである。
計算高い魔法使いがそんなことをするわけがない。
いや、だったら、むしろこう考えた方が自然かもしれない。
もしかしてハイネなど最初からいなかったのではないかと。
あれは邪悪な魔法使いが、バルザを自由に操るためにでっち上げた偽の記憶。
だからハイネはときに儚く、記憶から消えそうになる・・・。
バルザはその思いつきに背筋が寒くなった。
果たして、そんなことがありえるだろうか?
いくら魔法使いといえど、そのようなことが可能だとは思えない。
人の記憶を自由に操り、偽の記憶を植え付けるようなこと、それは神をも脅かすような、とんでもない所業。
それに、確かにハイネが思い出せなくなるときはあるのだが、何の問題もなくハイネのことを頭の中に描くことが出来るのが普通で、もしハイネが存在しないなどということがあれば、こんなに具体的に彼女の姿を思い描けるわけがない。
バルザは試しに思い描いてみる。
ハイネの銀色の髪を、ハイネの薄い青い瞳を、ハイネの赤い唇を、ハイネの桃色の乳房を、そしてハイネの砂糖のように白い脚を。
バルザは何度その銀色の髪を撫で、薄い青い瞳を見つめ、濡れたような赤い唇に口づけし、そしてその桃色の乳房を愛撫し、白い脚を優しく開かせたことか。
もしハイネがいないなどということがあれば、このように仔細に思い出せるわけがないではないか。
バルザはそう考えて、自分の極端な考えを打ち消すのであった。




