第六章 8)戦いの神バルベス
戦いはもちろん、バルザ軍の圧倒的な勝利で終わった。
蛮族たちは算を乱して逃げていった。
傭兵上がりの部下たちは逃げていく蛮族を追いかけようとしていたが、バルザ殿は無駄な深追いをさせず、すぐに兵をまとめて塔に帰還してきた。
プラーヌスは何らかの魔法を使って、自分の部屋でその模様を観察していたらしい。
彼はバルザ殿のその戦い振りに大変満足しているようであった。
「これで僕を最も悩ましていた最大の問題は消えた。これからは夕暮れまでぐっすりと眠ることも出来る。ゆっくりと旅に出ることも出来る。無駄な戦闘に魔法も使わなくて済む。もちろん、魔族との交渉にも専念出来る。交渉は大詰めまで来ているんだ」
いつもの時間、謁見の間での会合で、プラーヌスは上機嫌にそう言ってきた。
「彼を仲間にするのは大変に手が掛かったけれど、存分に報われそうだ」
確かにバルザ殿の戦いは戦闘の神バルベスのように凄まじく、それでいて華麗で、私は是非とも彼に会って、直接その労をねぎらいたい気分であった。
いや、正直に言うと、噂にたがわぬ実力を持つ、有名なバルザ殿と近しくなりたいという、まるで人気の吟遊詩人を熱烈に追いかける、浮ついた婦女のような気持ちに近いのかもしれない。労をねぎらいたいなんて詭弁。先程のバルザ殿の雄姿が、私の目に焼き付いて離れないのだ。
「ところで次は君の番だぞ、シャグラン」
プラーヌスが言ってきた。
「えっ? ああ、あの女性の泣き声の件だね」
私は雄々しい騎士が踊るように戦う戦場の夢から醒めて、いつもの現実に引き戻された。
「残念ながらまだ何も進展はないよ。昨夜、あの少女と、前の主に哀れに改造された人たちに会いに行ったんだけど、彼らは全員亡くなったみたいだし、それにフローリアという少女は体調を崩して寝込んでいて話しを聞けていない」
「そうか」
「いずれにしろ彼女に話しを聞いても、何かわかることがあるとも思えないんだけどね。彼女は至極まっとうな、普通の女性だよ。フローリアとあの不気味な現象が結びつくなんて想像がつかないな」
本当にフローリアは、どこにでもいる普通の女性に過ぎない。
確かに美しくて、人並み外れて優しい性格をしているかもしれないけれど、私はこの手でフローリアの体温を感じた。それは湯浴みする時のお湯のように温かかった。
心臓だって、呼吸のリズムと同じリズムで鼓動していた。
私や、私の母なんかと変わらない、どこにでもいる普通の人間である。
あのどこから聞こえてくるかわからない不気味な泣き声と関連があるわけない。だってあれは、何か怪異な者の仕業に決まっているのだから。
「だとしたらこれ以上、調査しようがないわけか。そんなことならシャグラン、この調査もバルザ殿に任せたほうがいいようだね」
プラーヌスは冷たい声で私に言ってきた。まるで私の無能さに呆れるような感じで。
「い、いや、でももう少し僕に任せて欲しい。フローリアが元気になったら色々と聞いてみるつもりだし、まだまだお手上げってわけじゃない」
そういう扱いをされると私も不本意だ。思わず必死の形相で、プラーヌスに食い下がった。
「だけど君には他にも仕事があるだろ? この塔を運営するため、どれくらいの召使いの数が適切なのか調べるっていう大事な仕事が」
「まあ、そっちはそれなりに順調にいっているよ。アビュにも手伝ってもらって、だいたい名簿作りは終わったからね。あとはどれだけの仕事があって、それにどれだけの人員が必要かって分析ぐらいかな。とはいえその分析にかなり骨が折れそうなんだけど・・・」
そのためにやはり塔の隅々まで自分の足で回る必要がありそうである。
最近、何かと忙しく肝心のその仕事はあまり進んでいない。
もちろんこういうことも何人かで手分けしてやれればいいのだろうけど、残念ながらまだアビュ以外、信用出来る人物にも出会えていないのが実情だ。
私がそんなことを思って表情を曇らせていると、プラーヌスが立ち上がりながら言った。
「わかった、とりあえず全て君に任せるよ。何と言っても君は、僕がこの世界で唯一信頼出来る人物なんだからね。色々と忙しいだろうけど、よろしく頼む」
プラーヌスはさっきまでの厳しい表情をにわかに緩め、そう言った。
「あ、ああ」
私はそんなプラーヌスを見て、ホッと胸を撫で下ろした。
「実は昨夜、この塔を魔界から支配している、魔族の筆頭を遂に見つけることが出来たんだ。交渉は大きく進展したと言っていい。その契約の日、君も立ち会うが良い。面白い儀式になりそうだ。まあ、こいつと契約を結ぶのは、今日明日で終わることじゃない。もう少し時間がかかりそうだけど。いずれにしろ、事態は何もかも良い方向に進み始めている。一時はどうなるかと思ったけれど、この塔が僕の安寧の地になるまでもう一歩だ。この問題もいつか解決するだろう」
「うん、時間はいくらか掛かるかもしれないけれど全力を尽くすよ」
プラーヌスは謁見の間を出て、西の回廊のほうに歩いて帰った。
するとそれと入れ違うように、謁見の間にアビュがやってきた。
おそらく苦手なプラーヌスが部屋を去るのを待っていたのだろう、偶然にしてはタイミングが良すぎる。
「ボス、今、時間ある?」
プラーヌスが出ていった西の回廊に通じる扉のほうを気にしながら、アビュが言ってきた。
「ああ、少しくらいならあるけど」
アビュは昨夜のちょっとした諍いや、今朝、手酷く私をからかってきたのをすっかり忘れて、いつもの表情である。
まあ、私はそういう性格のアビュが大好きなのだが。
「よかった、バルザさんがボスに会いたいらしいんだ」
「バ、バルザ殿が? どうして?」
私は驚いてアビュに問い返した。
「さあ、この塔に来てすぐ、この謁見の間にまで自分を案内した人は誰か知りたいって言っててさ、多分それはこの塔のナンバー2のシャグランっていう人だと思うって教えたら是非会いたいって」
「ああ、確かに僕が謁見の間にまで案内したけど・・・」
「私もどうしてボスなんかに会いたいのかよくわからないんだけどね。だってバルザさんって男の中の男って感じじゃない。めちゃくちゃ強いし、なんか優しそうだし、声は低くて、直接耳の中で囁かれているように話すし、とにかく紳士よ。それに引き換えボスは寝ている女性の裸を見て喜んでいるような最低の男なのに」
「おいおい」
どうやら顔や態度には出ていなかっただけで、アビュはまだまだそのことを覚えていたようだ。
「まあ、とにかくちょうど医務室にいるから来てよ」
アビュはそう言って私の手を引き、医務室に引っ張るようにして連れていった。




