第一章 5)プラーヌスの塔
すぐに視界が真っ暗になり、身体が宙を浮くような感じと、勢いよく落下していく感じが立て続けに襲ってきた。
まるで嵐の海を、小さな舟で乗り出したかのよう。
気がつくと、私は地面に手をつき胃の中の物を吐いていた。
「大丈夫か、シャグラン、生きているか?」
プラーヌスの声が聞こえる。
「あ、ああ、何とかね」
私は口を拭いながら答える。
「こっちはちょっとしたミスを犯してしまったよ、宝石が少し足りなかったかもしれない」
「えっ?」
「ほら、一緒に瞬間移動してきた馬が」
プラーヌスが指差したほうを見ると、一頭の馬の身体の後ろ半分が無くなっているのが目に入った。
輪切りになったその馬の身体から、内臓や骨や筋肉が露出しているかと思うと、それがドロドロと身体の外に流れ落ちていったのだ。
私はその光景を見て、更に気分が悪くなった。
「あんなことになるのが君じゃなくて良かったな」
「な、何だって? 僕にもその可能性が?」
「ああ、宝石をケチったせいでね。あともう一つアメジストでも混ぜておけば、あの馬も無事に移動出来たかもしれない」
私は哀れに息絶えていく馬を、ありえたかもしれない自分の姿のように見つめた。
「何てことだよ・・・」
これほどの重大なミスを、この程度の態度で片付けようとするプラーヌスに向かって、何か辛辣な言葉を言ってやろうかと思ったけど、その気力も体力も私にはなかった。
それにふと視界を上に向けた私は、そんな怒りも吹き飛ぶような驚きを覚えてもいた。
「こ、これか?」
「ああ、これさ。我が塔にようこそ」
そう、プラーヌスの塔が、破壊の限りを尽くした後、何事もなかったかのように立ち去っていく巨人のように、傲然と聳え立っていたのだ。
本当にそれは巨大な塔だった。
まるで天に続く梯子のように、遥か高くまで伸びている。
その天高く附き立っている塔の左右を、木の枝のように幾つかの回廊が伸びているのが見える。
形や印象はまるで違うが、王の住む宮殿や、ルヌーヴォの神々がいる神殿などに匹敵するほどの壮大な建築物である。
「・・・想像していた以上だよ」
「そうか」
プラーヌスは私の言葉に満足そうに頷いた。
だけどもちろんお世辞なんかじゃない。私は本当に圧倒されながらその塔を見つめていた。
塔の手前に巨大な門が聳え立っていた。
城か砦の門のように鋼鉄製で出来ていて、見るからに頑丈そうだ。
その鋼鉄製の門には様々な装飾が施されていた。幻想上の生き物の姿や、魔法文字が彫られているようだ。
それだけじゃない。巨大な悪魔の石像が張り付いている。まるでその塔に来た客を、追い返そうと威嚇しているかのよう。
間違いなく、はるか古代に建設されたものだろう。
今の建築様式とはまるで違う。それに悪魔の石像などを守り神のように設えているなんて、魔法使いの塔以外にありえないに違いない。彼らは魔族の力を借りて魔法を使うのだ。
門そのものは見るからに頑丈そうで、細やかな装飾が施されていたが、そのようにスプランドゥな作りはそこだけのようで、門から左右に伸びる壁は、木の柵や崩れかけた石壁で出来ているだけで、牧場の囲い程度だった。
私がそのアンバランスさに気を取られていると、大きな音を立てて門が開いた。そしてそこから小汚い農夫のような男が三人ほど、トコトコと出てきた。
プラーヌスはその男たちを見ると、吐き捨てるような口調で言った。
「おい、君たち、この馬の死体を処理してくれ。くれぐれも僕たちの夕食に出すなよ! まあ、食べたければ勝手に食べるのは構わないが」
男たちは返事なのか唸り声なのかわからないような声で頷いて、プラーヌスから言いつけられた仕事を気だるそうに始める。
「前の主の時代から、ずっとこの塔に住み着いている召使いなんだ。まるでドブの中の生き物みたいな連中だろ? 彼らには湯浴みをする習慣がないらしい。酷く匂うぞ。だから全員解雇するつもりだよ。どうも気にくわない連中なのさ。奴らと一緒に住みたくない」
プラーヌスが私に言ってきた。
「で、でもこれだけの塔を維持していこうと思えば、相当な人手が必要じゃないのかい?」
私は巨大な塔を指し示しながら、プラーヌスにそう反論した。
「ああ、その通りだ。だから今すぐは無理だけど、いずれ新しい召使いに取り替える。実は君をここにも呼んだ一因もそれにあるんだ」
「はあ? どういうことだよ?」
「まあ、詳しい話しはあとだ。とりあえず塔に入って旅の疲れを癒すといい」