第三章 10)旅立ち前夜
「前の襲撃のときは、やってきた蛮族を一人残らず殺してやった。僕の力なら、それくらい容易いことだ。ポケットの中の櫛を、取り出す程の労力もいらない。しかし今回はあえていくらか逃がしてやった。この塔に住む魔法使いの恐ろしさを、仲間たちに伝えさせるためだ」
プラーヌスが興奮した面持ちで帰ってきた。
さすがの彼も、これだけ人を殺した後は、普通の精神状態ではいられないようだった。
強力な魔法を使って疲れているせいもあるのだろうけど、いつものプラーヌスと様子が違う。
沸き上がってくる興奮を抑えられないと言った感じで妙に早口だし、どっちかというと常に無愛想で、突き放すような態度でしか話さないのに、今のプラーヌスはやけに人懐っこい笑顔を浮かべている。
それにさっきまで真っ白だった顔にも、血の気が戻ってきたようだった。
今も頭痛に顔をしかめていたが、まるで見違えたようでもある。存分に八つ当たり出来て、すっきりしたかのようだ。
「もう今日は起こさなくていい。食事も必要ない。何か問題が起きてもシャグラン、君が解決してくれ」
しかしそう言って歩き去っていく後ろ姿は、やはり疲労困憊していた。プラーヌスはふらふらと自室に戻っていく。
「僕なんかで大丈夫かな?」
私は少しあとを追って尋ねた。
「問題ないさ。奴らもこれで懲りて、しばらくは近寄ってこないだろう」
確かにその日はプラーヌスの言う通り、何事もなく日は暮れていった。久しぶりに平穏なまま一日は終わった。
その次も蛮族は襲撃してこなかった。プラーヌスの力に恐れをなして、奴らはもうこの塔に近づいてくることは二度とないではないかと思った。
しかし蛮族は再びやってきた。その次の日、以前と同じぐらいの兵力で、彼らはこの塔に攻め寄せてきたのだ。
そのときのプラーヌスの落胆と言うべきか、怒りと言うべきか、何と表現すればいいのかわからないけれど、とにかく蛮族たちが彼の警告にまるで耳を貸さない事実に、彼は本当に絶望していた。
プラーヌスは再び、自ら蛮族たちを撃退した。
もちろん以前と同じように、プラーヌスの圧倒的な勝利で終わった。
前回散々に負けたのに、こうやって懲りずに攻め寄せて来るくらいなのだから、蛮族側は何か新しい策でも携えてきたのかと思ったが、そういうわけでもないようだった。
ただ前と同じように、正面から突撃して来るだけ。どう見積もっても、蛮族たちは魔法使いプラーヌスの敵ではないよう。
しかし連日、こうやって蛮族を相手にしなければいけないことに、プラーヌスは心の底からうんざりしていた。
そういうわけでプラーヌスは少し予定を早めて、騎士に会いに行くことを決意したようだった。
再び襲来してきた蛮族を撃退したその日の夜の夕食の席、プラーヌスはその計画を私に語ってきた。
「騎士バルザをこの塔の門番に勧誘するため、僕はパルに行ってくる」
プラーヌスの目当ての騎士は、パルの国に住んでいるらしい。
パルがどこにあるのか私は詳しく知らないけど、その国がどこにあろうが、そこまで行くのにプラーヌスの魔法なら一飛びであろう。
しかしその騎士との折衝やら何やらに、最低三日か四日は塔を留守にしなくてはならないらしい。
そういうわけで、それまでの留守番役をどうするかプラーヌスは頭を悩ましていたようだった。
てっきり留守番役を任されるのかと思ったが、プラーヌスは私などがそのような大役を果たせるなどと考えてもいなかった。
「君では役不足に決まっているだろう、蛮族を追い払うことも出来ないではないか。むしろ君には街で手伝ってもらいたいことがある。一緒に来るんだ」
「僕も街に?」
「ああ、塔の留守は僕の複製に務めてもらうことにした」
「複製だって?」
プラーヌスは驚くべきことをさらりと言ってきた。
「そう、複製さ。それなら四日、五日ぐらい誤魔化しはきく。蛮族とも戦えるし、他の侵入者も撃退出来る。何なら僕よりも残酷な複製だよ。魔族にその中身を務めさせるからね」
「魔法ならそんなのも出来るのか」
百人の蛮族を一瞬で殺し尽くすことが出来るくらいなのだから、今更驚くべきことではないかもしれないけど、私は改めて感動するように言った。
「まあ、複製と言ってもそれほど正確なものじゃない。四、五日しか継続しないし、ただ蛮族を殺すことだけしか出来ない代物だ。しかし今はそれで十分」
塔を留守にするのに、一番の心配事は蛮族のことじゃない。
プラーヌスは言った。
「他の魔法使いが僕の留守中にやってきて、この塔を占領されることのほうが怖い。魔法使いが相手では僕の複製など稚技に過ぎないからね」
だけどそれもどうにか計算はたったらしい。
「まだ完全に、この塔を魔界から支配している魔族との契約を取り付けたわけじゃないが、もうあと一歩だ。他の魔法使いが勝手に交渉しに来ても、簡単に移譲されないぐらいの信用は取り付けたのさ。まあ、魔族相手に信用と言うのもおかしいが」
魔族との契約のことは私もよくわからないが、プラーヌスが以前から言っていることを自分なりに整理して説明すると、こういうことだ。
ただ塔に住んだからといって、この塔の完全な主になれるわけではない。
塔を魔界から支配している魔族との契約を取り付けなければ、ただこの塔に間借りしているような状態に過ぎない。
すなわちそれでは、他からフラリとやってきた魔法使いと立場は同じということ。
自分の塔にするためには、魔界からこの塔を支配している魔族たちとしっかり契約を結ばなければいけない。それでようやく、塔の主としての様々なアドヴァンテージを魔族から得ることが出来る。
そうなると、この塔を簡単に失うこともない。
これまでプラーヌスが自分の書斎に籠り、夜中まで忙しく働いていたのはそれをやっていたようなのだ。
「まあ、だけど下級の魔族との契約は取り付けた。バルザ殿に会いに行く時間くらいは何とかなるだろう。シャグラン、パルに行くついでに街で買い物も済ませよう」
プラーヌスがワインで口を潤した後、そう言った。
「久しぶりに街に行けるのは嬉しいけど、でも買い物って何を買うんだよ?」
私もメインディッシュの羊の肉のカツレツを食べながらプラーヌスに尋ねた。ゲオルゲ族の料理係になってから本当に料理が美味しくなったものだ。
「まず花が欲しいね。あのグロテスクな怪物たちの残した腐臭がまだ塔中に漂っている。塔中に花を飾って、花の香りでこの悪臭を追い出すのさ」
「ああ、それはいいかもね。暗い塔が少しは華やかになるかもしれない」
この塔をありったけの花で飾ろうというプラーヌスの趣味はどうかと思うが、まあ、少しでもこの塔が明るくなればそれでいい。
「単純に塔を華やかにするだけなら、もっと良い方法がある。小汚い召使いたちを追い出せばいいのだ。もっと若い、見目麗しい召使いたちに入れ替えるのさ。しかしまだ新しい召使いを探すだけの時間はない。だけど街で家具や調度品を買う時間ぐらいはあるだろう」
「いいな、街か。何だか心が浮き浮きするよ」
久しぶりにこの塔から出られるとあって、私の表情もほころんだ。
来る日も来る日も、この暗鬱な塔をぐるぐる回っているだけの生活には飽き飽きしていたのだ。
「しかし君と二人で買い物をして歩くなんて、まるでデートみたいだな」
プラーヌスが微笑みながら言ってきた。
「男同士でデートなんて、馬鹿なことを言ってるんじゃないよ」
私はプラーヌスの冗談に苦笑いしておいた。
「まあ、その街に娼館もあるだろう。久しぶりに女を抱けばいい」
しかしデートなんて言ったかと思うと、プラーヌスはこんなことを言ってきた。
「娼館だって? いいよ、そんなの」
私は首を振って断った。いざ街に着くとまた気分は変わるかもしれないが、今はそんな気はないし、それに何よりプラーヌスの勧めに従って女性を抱くのなんて嫌なものだ。
「ああ、そうか、シャグラン。君はあの召使いに既に手を出しているわけか?」
「はあ? あの召使いって?」
「君の後をチョロチョロついて回っている女の子がいるじゃないか」
「へ?」
チョロチョロついて回っている女の子?
「も、もしかしてアビュのことを言ってるのか? あんな子供をそんなふうに見てないよ」
私は慌ててプラーヌスの言葉を否定した。いくらなんでもその勘違いは酷過ぎる。
「まあ、いいさ、どうでも君の好きにすれば」
「だから違うと言ってるじゃないか!」
焦る私を尻目に、プラーヌスはもうその話題に厭きたといった感じで、さっさと話しを変えてきた。
「そういえば名簿作りのほうは?」
「え? ああ、少しずつ進んでいるかな」
私は話題が変わったことに内心ホッとしながら言った。「明らかにこの塔の住人は多過ぎる。仕事も無く、時間を持て余している者は多いね」
「いずれ首にする。だけどまだ混乱は避けたい」
「そういえば召使いで思い出したんだけど、牢獄に閉じ込められていた人たちの新しい服を、召使いたちから借りたんだ。そのとき、引き換えに新しい服を買ってやる約束をしたんだけど」
「それも街で買おう。あんな召使いたちでも、まだしばらくここで働いてもらわなければならないからね」
「あと、監禁されていた人たちの記憶を奪うって話だけど。それさえ済めば、いつでも街に帰れる準備は完了しているんだけど」
前の主が行っていた人体実験のために、この塔に囚われていた人の生き残りが十数人いた。
この塔に監禁されていたという記憶を消されてもかまわないのであれば、解放しても良いという条件を、プラーヌスは出していたのであるが、しかし蛮族の襲来やらで、その作業がまるで進んでいない。
「残念ながらそんなことに費やしている時間は無いな。魔法で街を行き来しなくてはいけないから、余分なエネルギーを彼らに避けない。やめだ」
「え?」
「このまま解放しよう。記憶を奪う魔法というのはけっこう面倒でね。こっちにもリスクが伴う。あれは彼らの覚悟を試しただけだよ」
「本当かい? それを聞いたら、彼らも喜ぶだろうね」
いくら、この塔から出られると言っても、記憶を奪われるなんて恐ろしいことだ。私はプラーヌスの優しさに少し感動した。
「それははどうかな。この塔での忌まわしい記憶は、彼らを苦しめ続けるに違いない。記憶を奪ったほうが彼のためかもしれないが。それ以外に報告は?」
「僕からはそれくらいかな」
「よし、それでは明日も、いつもの時間に会おう」
明日は旅立ちの日だというのに、プラーヌスは明日も昼過ぎまで眠るようだ。私は少し呆れてしまったが、大人しく頷く。
「そうだ、忘れるところだった、シャグラン、倉庫から女性ものの指輪を用意しておいてくれ。安物で構わない」
部屋を去り際、プラーヌスが私を呼び止めてそう言ってきた。
「ああ、わかった、用意しておくよ。誰かのプレゼントかい?」
「そう、騎士バルザ殿にね。この指輪一つで彼は僕たちの仲間になるはずだよ」
プラーヌスはそう言ってどことなく不気味に微笑んで、部屋を出ていった。




