第三章 8)蛮族襲来
頭がガンガンする。何者かが私の頭を、胴から無理やり引っ剥がそうとしてのだ。
私は必死でその無礼な行為に抵抗していたけれど、残念ながら力及ばず負けてしまった。私の頭はその何者かに引っこ抜かれ、部屋の外に持ち出されようとしていた。
やめてくれ!
そう思って、その何者かを追いかけようと立ち上がったところで目が覚めた。
夢を見ていたようだ。
それにしても何て目覚めの悪い夢、起きてもまだ頭がガンガンする。
いや、違う。頭がガンガンするわけじゃない。部屋の中に、鐘の音やら銅鑼の音やらが鳴り響いているようだ。
「畜生! いったい何事だよ!」
滅多にそのような口をきかない私も、思わずそう叫んでしまった。
眠気も疲れも全く解消されていない。無理に眠りの世界から外に出されたせいか、頭が痛い。
その頭の痛みに沁み込んでくるように、鐘の音やら銅鑼の音やら響いてくる。
それでも私はあまりの眠たさにもう一度ベッドに横たわった。しかしこの騒ぎの中では、到底眠れそうにはなかった。
私は大変な怒りを覚えながら起き上った。
もしかしたらほとんど眠れなかったのかもしれない。部屋の外に出て窓のほうを見ると、光の差し込み方が眠る前とほとんど変わりないように思えた。
私は渋々、騒ぎが起きているほうに向かった。西の回廊を歩き、中央の塔に到着すると既にプラーヌスがそこにいた。
プラーヌスもイラついているのがわかる。
足下に控えている召使い、恐らく大柄だから門番などを勤めている召使いだろうか、その男に向かって声を荒げていた。
それを見て私は少しホッとした。もしかしたら、いつもの時間に起きてこない私を起こすため、プラーヌスがこんなことを仕向けたのではないかと一抹の不安を抱いていたからだ。
しかしプラーヌスの様子を見る限り、そんな感じではない。
「何の騒ぎなんだよ、プラーヌス、僕はほとんど眠ってないぞ」
だからってわけではないけど、僕は少し強気にそう言った。
「蛮族の襲来だよ、シャグラン」
しかしそう言って、こっちに顔を向けたプラーヌスを見て、私は思わずゾクリとしてしまった。
血の気が抜けたように真っ青だったのだ。
いや、普段だって健康的ではない。まるで日に焼けていない肌は、常に白色だ。しかし今の肌の色はその白でもない、色自体が抜けてしまったかのようで、生きている人間の顔には見えなかった。
それに表情が苦悶で歪んでいる。いつものプラーヌスの飄々とした感じは消えている。
まるで重いものでもグリグリと押し付けられているかのように、彼は何かの痛みに必死に耐えているようであった。
「大丈夫かい、プラーヌス。顔色がかなり悪いようだけど・・・」
「大丈夫のはずがない。激烈な、苦痛、さ」
その言葉の途中、プラーヌスはまるで頭を殴られでもしたかのように、ガッと額に手をやった。
「蛮族どもめ、よりによってこんな日、こんな時間に」
プラーヌスの目が血走っている。友人の私が思わず後ずさりたくなるような目だ。
「蛮族って?」
しかし私は尋ねる。
「前にも言っただろ、ここに来る途中、君の乗っていた馬車を襲ってきたあの蛮族たちが、この塔に定期的に襲撃をかけてくると」
ああ、思い出した。それでプラーヌスは番人に騎士を雇うなどという、無茶苦茶な願望を口にしていたのだ。
「や、奴らは律儀でね。普段はこんな朝早く襲撃を掛けてくることはないらしいのだけど、今日はどういう風の吹き回しか知らないが、やってきたらしい」
プラーヌスは苦悶の表情を浮かべながら、なんとかそう言った。
確かに角笛の音と、馬蹄の響きが、少しずつこちらに近づいてくるのが聞こえてくる。
プラーヌスはいつも持っている傘を杖がわりにして、よろよろと音のほうに歩いて行く。
私も恐怖と好奇心が織り交ざった気持ちでバルコニーに出た。
このエリアには窓一つなく、その様子を見るには外のバルコニーに出るしかない。
私のいるバルコニーよりも数階高い場所に見張り台があった。
そこで見張り番の召使いたちが、蛮族の襲来を報せる銅鑼や鐘を叩いている姿が見えた。
私は叩き起こしたのはその音のようだ。
その音に混ざり、蛮族の鳴らす角笛や、自らを奮い立たせる鬨の声が聞こえてくる。
確かに蛮族たちがやってくる。
塔の近辺以外は深い森が広がっていて、その深い緑の木々に隠されて、彼らの姿はまだ見えてこない。
しかし確かに何者かの大群が、こちらに押し寄せてくる音が聞こえるのだ。
「百人程度は来ているな」
プラーヌスが私の背後に来てそう言ってきた。
「ひゃ、百人だって?」
「前もそれぐらいだった。放っておけば塔の中に侵入して来て略奪が始まる。何としても撃退しないといけない。しかしそれで魔法のエネルギーを使い切り、僕の一日は台無しさ。しかも塔の外に出ていかなければいけないから、宝石も使わなければいけない。更にこの頭痛!」
プラーヌスはまた苦しそうに頭を抑える。
「ぼ、僕も武器を持とうか? 手伝えることがあれば言ってくれ!」
事の重大さがわかって、ようやく眠さも疲れも、一気にどこかに吹き飛んだ感じだった。私は意気込むようにプラーヌスに言った。
だけどプラーヌスは、私のその言葉を一蹴に伏した。
「足手まといになるだけさ、シャグラン、君は絵筆しか持ったことのないだろ? ここで黙って見とけばいい。でも僕は君のそういうところが好きなのさ」
プラーヌスは私を見て、少し嬉しそうに微笑みながらそう言った。「この地獄のような頭痛の中で、君のその言葉は何よりの癒しになる」
「ほ、本当に大丈夫なのか」
私は彼の微笑みに少し照れながら、しかし気遣うように言った。
「ああ、問題ない、あんな未開の蛮族に僕が負けるわけがないさ。しかし僕が騎士を必要に感じるのも理解出来るだろ?」
「そ、そうだね」
戦場の音が近づいてくる。
幸いになことに、私はこれまで一度も本物の戦場に立ち会ったことがない。
戦乱に明け暮れている恐るべきこの時代ではあるが、生まれたところが良かったせいか、私は剣すら握ったこともない。
しかし私が出来るだけ避けてきた戦いが、今、間近で起きようとしている。
私は湧き上がってくる恐怖を止めることは出来なかった。
昨夜、感じた恐怖とは別種の恐怖。何か気味の悪いものと遭遇する恐怖ではなく、本当に命が危険にさらされる恐怖だ。
「クズクズしていられない。蛮族はもうそこまで迫っている。君はここで見ているがいい」
「あ、ああ」
「頭痛は厄介だが、むしろそういうときのほうが残酷になれる。蛮族たちにたっぷり八つ当たりしてきてやる」
そう言ってプラーヌスは何か魔法の言葉をつぶやき、私の前から消えた。




