第二話 レントリアスの午後[1]
「ぼーやぁ、な〜にしてんのぉ?」
アル=シュケイム=レイトは不意に背後からのし掛かられ、髪をぐしゃぐしゃに掻き混ぜられた。
「何すんだよっ!! カエン!! ……大体『ぼーや』呼ばわりやめろっ!! 僕は『レントリアス』の古株なんだぞ!? お前の先輩だろーがっっ!! 謝れ!! 敬え!! 髪に触るな!! のし掛かるんじゃないっっ!!」
ルームメイトのカエン=タルウォークに、噛み付かんばかりに怒鳴るアル=シュケイム。
その剣幕にカエンは降参のポーズを取る。
「はっ!! 仰せの通りでございますね!! アル=シュケイム=レイト様!! ところで長官が執務室へおいで下さるようにとのご伝言つかまつっておりますが、いかが致しましょう?」
「〜〜〜〜〜〜〜っっっ!! だあっ!! もうっ!!」
アル=シュケイムは悲鳴を上げた。
「普通に喋ろよっ!! 普通に!!」
神妙そうな顔を作って言うカエンにアル=シュケイムはぶち切れ真っ赤な顔で怒鳴った。
カエンは肩をすくめた。
「折角ご希望通り敬ってやったのにさ。ま、それはともかく、長官眉間にこ〜んな皺寄せて苦〜い顔してたぞ。何かやったのか?」
と、カエンは両手の指で眉間に大きな皺を幾筋も作って言う。
アル=シュケイムは首を傾げる。
「……何かって……身に覚えは何も。仕事で何かポカやった記憶は無いなぁ。それより、リヤオスが苦い顔? どんな顔さ、それ。僕、あの人、にやにや笑ってる顔か冷静な顔しか見た事無いよ?」
「……俺は見た事あるぞ。あの人が爆笑してるトコ」
「ええっ!? 嘘っ!! いつ!?」
「お前のいない時」
カエンの言葉に、アル=シュケイムは思わず脱力した。
「あのな、僕がいない時だから知らないんだろうがっっ!!」
「……ちなみにアル=シュケイムには内緒と頼まれた」
「何ソレ」
アル=シュケイムは不審げな顔になった。
「……もしや僕が知ったら怒ること?」
カエンは口笛を吹いた。
「……カエン」
アル=シュケイムはジトリと睨む。
だが、恐くはない。
むしろ愛らしく見える。
「そんな事より、長官の処行かないのか? 怒られるぜ? 知らないぞ。俺はちゃんと伝えたからな」
けろりとカエンが言った。
「行って来るさ!! 待ってろよ、チクショー!! 後できっちり問い質すからな!!」
アル=シュケイムはバタバタと出て行く。
「……バカだな、あいつ。長官に聞きゃ済む事なのに」
カエンは呆れ顔になった。
「そのエレベーター待って!!」
慌てて滑り込みセーフで飛び込んだ。
先客がくすりと笑みを洩らした。
「はぁい、アル=シュケイム。そんなに急いで何処行くの?」
レントリアスの一員、カーラ=クレスティンはエレベーターの階数ボタンの前で指を構えて、魅力的に笑った。
「長官執務室。カーラ、戻ったの?」
カーラは彼とは専門分野が一致しない。
カーラは専ら調査任務や発掘・研究など知識部門で活躍しているエリートだ。
レントリアスに来てもう五年。
十年前からいるアル=シュケイムと親しい友人──今のところは──である。
通常、メンバーのコードネームは四桁だが、アル=シュケイムに限り、レントリアス施設と同桁数の三桁で特別コードのナンバー・999。カーラはナンバー・1472をあてがわれている。
「私も報告に長官の処へ行くの。相変わらず元気ね。……ところで今夜の食事の予定は?」
「まだ。用件が仕事じゃなけりゃ食堂で食べて寝る筈」
「じゃあ、私の部屋へ食べに来ない? 極上のヴィトゥールがあるの」
「ヴィトゥール!? 高級食材じゃないか!! ここ十年食べて無いよ!! 良く手に入ったね!! カーラ!!」
「……ま、謝礼金ね。ちなみにこれは着服だから内緒よ。二人分しかないの」
「成程。カーラ、悪人。何やったの?」
「ちょっとした人助けよ。経費は一円も掛かってないわ。でも内容は内緒。教えて欲しかったら後で」
カーラは黒髪ボブカットの美人だ。スタイルも良い。
男を魅了する天才だが、お堅いと評判で隙が無い。
アル=シュケイムは何度か食事に誘われて行ったが、他の食事に誘う女性陣と違って『本当に食事をするだけ』なのだ。
ちょっと拍子抜けしたが、それでもカーラの手料理は素晴らしい出来で、彼女が若くて美人だという事を差し引いても魅力があった。
「カーラ、絶対こんなトコには勿体ない。僕の専属料理人にならない?」
「報酬は?」
「僕の溢れる愛情をいっぱい」
「……愛情で食べていけたら、人間苦労しないわね」
さらりとかわされた。
アル=シュケイムはめげない。
ちょっぴり悲しそうな顔を作って言う。
「ごめん、カーラ。君が口説かれるのが嫌いって知ってるけど、君があまりにも魅力的だから、さ」
「……料理の腕が? ところで聞いたわよ。一昨日、シェリル=レザンとデートして早朝帰ったそうね。やるじゃない」
「え!? ちっ……違うよっ!! 『砂嵐』で街に閉じ込められて帰れなくなったんだ!! 本当だよ!! 何なら観測部に聞いてよ!! 本当だから!!」
アル=シュケイムは激しく動揺して抗弁した。
「声が上擦ってるわね、アル=シュケイム」
カーラはとても魅力的に笑った。
アル=シュケイムは恐縮する。
「……ごっ……ごめんっ……!!」
「何故謝るの?」
カーラは訳が判らない、という顔をする。
アル=シュケイムは溜息をついた。
「……断りきれなかったんだよ。泣かせたくないし」
「そういうの何て言うか知ってる? 優柔不断って言うの」
「……すっ……すみませんっ!!」
アル=シュケイムは頭を下げた。
「何故謝るの、私に。関係ないじゃない。アルの問題でしょう?」
カーラが彼を『アル』と呼ぶのはあまり良い兆候では無い。
「……カーラ……怒ってる?」
「怒ってないわよ。ほら、着いたわ」
カーラが何事も無かったかのように、にっこり笑った。
(……ちぇっ。ちょっとは嫉妬してくれたって。怒ってると思ったのに)
カーラの機嫌を損ねるのも困るが、全く気にされないのも悲しい。
「ねぇ、カーラ」
アル=シュケイムはカーラの腕を取った。
「僕の中ではカーラは『特別』なんだ」
真剣な顔で。真摯な瞳で、アル=シュケイムはカーラの目を見た。
「じゃあ、『ユレイア』さんは?」
とどめの一撃、だ。
アル=シュケイムは絶句する。
ユレイアは初恋の人だ。
十年前姿を消し、その姿そっくりの『アルディース』と名乗った『魔』を、アル=シュケイムは今でも探している。
彼女が自分にいったいどういう存在なのか、アル=シュケイムは結論付けられずにいる。
好きと言えば好き。
だけど、現在の想い人、カーラと比較してどうかと言えば、絶句するより他にない。
正直、自分でも判らないのだ。
だから困る。
触れられたくない。
能天気で悩まないアル=シュケイムには珍しく、悶々鬱々と考え込みそうになる。
「……それにしても凄い髪型ね? 新しい試み?」
その言葉でアル=シュケイムは我に返る。
「あっ!! そうだ!! カエン!! あいつ、人の髪をぐしゃぐしゃに!!」
今頃になって、それを直さずに出て来た事を思い出す。
カーラは苦笑してアル=シュケイムの銀髪に触れた。
アル=シュケイムはどきりとする。
カーラは手櫛でアル=シュケイムの髪を整える。
「はい、これで取り敢えずは良し。さっきよりはマシになったわ。気に入らなかったら後で直して」
「ううん良いよ!! これで良い!! 今日一日これで過ごす!!」
「……何気合い入ってるの?」
カーラは首を傾げた。
「え!? だってカーラに髪を整えて貰えるなんて、一生に何度あるか!!」
「……大袈裟ね」
カーラはくすくすと笑った。
アル=シュケイムは思わず真っ赤になった。
「さ、行きましょ」
カーラは軽い身のこなしで歩き出す。
慌ててアル=シュケイムは追い掛ける。
「ね、手を繋いでも良い?」
「だめ」
しかしアル=シュケイムはくじけない。
「じゃあ腕組んでも良い?」
「だ〜め」
「じゃあ肩に手回しても良い?」
「もう、そういうのは恋人になさい。そんな事ばっかり言ってると今日呼んであげないから」
「カーラ!! 他の男は僕みたいに紳士的じゃないよ!! 駄目だよ!! 危険だよ!!」
「誰が他の男の人呼ぶって言ったの?」
カーラが苦笑して言った。
「え!? じゃあ僕だから呼んでくれたの!?」
アル=シュケイムは一瞬期待に胸膨らませた。
「ええ。だってアル=シュケイムってカワイイもの」
「………………」
その言葉に、アル=シュケイムは放心する。
これが一番強力、だった。
一言も声が出ない。
「……何、泣きそうな顔してるの?」
これが泣かずにいられるか!とアル=シュケイムは心の中で思ったが、表面上では首を振る。
「……言っとくけど、カーラ。あんまり男を舐めてると痛い目に合うよ?」
「何? 怒ったの? 褒めたつもりだったんだけど」
何処が褒め言葉だ、と思ったが表情には出ないよう目を伏せて言う。
「二つ年上だからって人を年下扱いしてると危険だって忠告してるんだよ。僕も男だからね。いつまでもおとなしいお利口さんではいられないんだよ。……たまにはカーラを困らせたり、厭がる事をしたくなる」
そう言って、カーラを不意に抱きしめる。
「っ!?」
驚き、目を見開くカーラの顎に手を掛ける。
「……本気だよ?」
カーラが何か口を開こうとした。その瞬間。
ベシイッッ!!!
アル=シュケイムは不意に背後から殴られ、昏倒した。
「馬鹿者。呼んだらすぐ来い。こんな処で女口説いてる暇があったら、さっさと俺の処へ詫びに来い!!」
レントリアス長官、カスケイム=リヤオスだった。
カーラは真っ赤な顔で口元を押さえていた。
アル=シュケイムはまだ殴られたショックから立ち直っていない。
リヤオスはカーラを振り返る。
「ところで貞操は守れたかね?」
「……あ……はい……」
カーラが口ごもるように答えた。
ようやくアル=シュケイムはくらくらする頭を撫でさすりながら、起き上がった。
カーラの真っ赤な顔に気付いて、自分のせいかリヤオスのせいか考える。
だが、その思考は中断される。
「とにかく来い!!」
リヤオスはアル=シュケイムの襟元を後ろから掴み、軽々持ち上げる。
「!?」
アル=シュケイムは激しく動揺する。
幾らリヤオスが馬鹿力……もとい、常人離れした膂力を持つとは言え、外見が幼く見えようが仮にも十九歳の立派な青年を片腕一本、摘み上げるように持ち上げられるとは!!
「ちょっ……リヤ……っ!!」
「うるさい!! 黙れ!! ……カーラ=クレスティン、別室で待ちたまえ。こいつを始末してくる」
「リリリリヤオス!! ちょっと話聞いてよ!!」
「聞かんでも判る!!」
「えええっ!? そっそんなっ!! いやそんな事無いでしょう!! 話せば判る!!」
「いーや同じだ!!」
「あまり乱暴しないでよっ!! 壊れちゃうよ!! 困るだろ!? ねぇねぇリヤオス様ぁっ!!」
「お前、尻百叩きの刑な」
「そんなっ!! やめてっ!! 殺生なぁっ!!」
アル=シュケイムの悲鳴が長官執務室へと消える。
カーラはそれを真っ赤な顔で見送って、その姿が消えてから執務室の隣室へと向かった。